孤独と連帯

 ちょっと前にこんな場面に遭遇した。

小学校上がりたてくらいと中学年くらいの姉妹にお父さんというスリーマンセル。三人とも自転車、信号のない道路で車が過ぎるのを待っていた。

そこで一番おちびさんの自転車が倒れてしまい、かごに乗せていたカバンが落ちてしまった。しかもカバンが自転車から少し離れたところに落ち、まず自転車のスタンドを立てて自立させてから拾いに行かないといけないという状況。しかしまずカバンを取ろうとしたのか自転車を立てることもカバンをとることもままならずもたつき初めてしまう。

お父さんとお姉さんから「まず自転車立てて!」と結構強めな口調で檄が飛ぶ。結果的に自転車を立ててカバンも回収し、三人でまた走り出した。

 さて先ず我々大人ならば、まず自転車を立ててカバンを回収するという手順を誰でも思い浮かべることだろう。ここで手助けをすることが過保護だと思うならそこまでである。しかしおちびさんが手間取っているのを鑑みれば、お姉さんはカバンをとってあげてもよかったのではないだろうか。その上でまず自転車を立てなきゃねと教えてあげれば済む話であり、何も檄を飛ばすような内容でないと思うのである。

 読者諸氏は”一人でする”という行為にどの程度の価値や重きを置くだろうか。思えば小さいころから一人でできるということはいつでも賞賛の対象であった。”独学”で何かを修めればそれだけで書籍が出せる。それらを読むと確かにすごいことだと思う。

 しかし勉強や、ことさら仕事をしていると思うのだが一人でできることって存外少ない。もっと言うなら抽象性の高い仕事は一人でやるより複数でやるほうが良い結果になるような気もする。何より”人に頼る”ということは程度をわきまえる必要はあるものの最強の武器であるとも思う。

 大人になるたびに私は自分だけでできることの小ささを痛感する。支えあいや隣人愛を説く気はさらさらないし、成長過程というあのおちびさんへの対応はあれが正しいものであったかもしれない。

しかしふと、あの十秒足らずの時間は私にそんなことを考えさせたのである。

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