22 蒼介のカンは初めから告げていた
呉木一紀が全寮制の四恩高校に入学したのは『追放』という意味でもあった。
私立の小中高一貫の名門学校にいた呉木だったが、小学校を卒業した時点で気持ちがエリートコースから大きく外れていた。
実際、親の期待もとっくに弟たちに移っていた。
三住財閥は血縁を重んじていたので、三住銀行頭取の長男である呉木一紀は当然帝王学を学びゆくゆくは父親の後を継ぐはずだった。
もちろん、呉木自身そう思っていた。
それが一転してしまったのは小学校を卒業してすぐだった。
呉木財閥が信頼している占い師が欠陥のある一紀は後継ぎには向かないと断言した。
一紀は生まれつき精巣が片方なかったのだ。
父親はお前には欠陥がある。そうはっきり言った。
それ以来、父親は長男に興味を示さなくなり、夫に依存している母親は息子を憐れみの目で見るようになった。
ずっと父親が敷いたレールを走って来た呉木は、中学入学と同時に何もない原っぱに放り出されてしまった。
そんな呉木に出来たのは欠陥を隠してレールの上を走っているふりをすることだけだった。
ところが父親は欠陥品を隠すようになった。
付属の高校へ進む事は許されず、全寮制の四恩高校へ入学することになった。
跡継ぎレースから完全に追放されたのだ。
呉木は心に『欠陥品』という烙印を抱えて四恩高校へやって来た。
誰にも心を開かず、常に一人でいた呉木に、生徒会に立候補することを勧めたのが宮河だった。
入学して以来、一度も他の生徒と打ち解けようとしない呉木を、ある日宮河は講堂に呼び出した。
呉木は説教をされるか、くだらない悩み相談が始まるかどちらかだと思っていた。
しかし、宮河が言ったことばはそのどちらでもなかった。
「呉木は宿題も忘れた事がないし、授業が始まる五分前には席についてる。
約束も守るし、時間にも正確だ。
そんなに自分に厳しく出来る人間はいないぞ。
それは真似しようとしても誰でも出来るもんじゃない。
どうだろう、生徒会に立候補してみたら。
生徒会の仕事は君に向いてると思うんだけどな」
周りの人間を見下す事で心の均整をとっていた呉木は、クラスメイトやルームメイトと距離を置いていた。
そんな自分を他の生徒たちが疎ましく思っているのも知っていた。
それでいいと思っていた。
でも、そんな風に言われて、呉木は胸が熱くなるのを感じた。
宮河はいつも呉木がしている事を見ていてくれた。
何だか自分を認めてくれたように感じた。
「でも、僕は欠陥品なんです」
いままで誰にも一度も口にした事がない、でもずっと抱えて来た一言が、気がつくと口から出ていた。
「欠陥品だって?」
と宮河は驚いて言った。
「そうです、僕は生まれつき欠陥があるんです。
だから家を継ぐのは無理だと言われました。
欠陥品は人の上に立てないんです」
笑われるかと思った。
言葉にしてみたら、自分でも笑い出しそうになったから。
でも宮河は「そうなのか」と真剣な眼で呉木を見た。
「僕も欠陥品だよ。君は気がついていたかい?」
呉木は宮河の整った顔を眺め、すらりと伸びた手足を見た。完璧に見えた。
「分かってます。完璧な人間なんていないという理屈は。自らが納得しない限り完璧なんてありえませんから。僕の場合は物理的な欠陥なんです。それはもうどうにも出来ない」
「君のことばを借りるなら、物理的な完璧だってないんじゃないか? 本人が納得しない限り」
「そうですが、その欠陥のせいで僕は必要とされない人間になってしまった。僕にとって両親に見放される事は人格否定されたのも同然なんです。家庭じゃなくても居場所はあるんだと考えようとしても無理なんです。僕はずっと父の後を継ぐつもりでいたし、それが僕の存在理由なのだと思っていましたから」
理屈じゃないんだ。と呉木は思った。
ただただ僕は……。
「その通りだと思うよ。親に見捨てられて悲しくない子供なんていない。それは理屈じゃない」
そう、僕はただ悲しいんだ。
宮河に言われて呉木は初めて自分の気持ちを認めた。
「僕はね、大学を卒業してから両親と縁を切った。籍も抜いた。両親は僕の抱えている問題を理解出来なかったから。だから家庭に居場所が無い寂しさは分かるつもりだよ。でも、居場所は別のところにもある。それは本当だ。すぐには見つからないかもしれないけど、必ずある。ただ、いつまでもすねて泣いてるだけじゃ駄目だ」
「別に、拗ねてるわけじゃありません」
「だったら、まず友達を作る事だな。それと、恋をしてみたらいいんじゃないかな」
「こ、恋って。恋愛禁止のはずじゃ」
「片思いは駄目じゃないだろう」
「せ、先生がそういう不謹慎なことを言わないでください」
「分かった、分かった。でも人を好きになると世界が広がる。人じゃなくてもいい。本でも歌でも、なんでもいい。好きなものをたくさん作るといい。そうだ、呉木はなんか好きな事はないのかな」
「……パズル」
「パズルか、僕は苦手だな。完成する前にピースを失くしてしまうから」
「先生、そっちのパズルじゃなくて、数独とか数のパズルです」
「あぁ、なるほどな。数独か、聞いた事あるけどやった事無いな」
「数学の先生なのに?」
「あぁ、今度教えてくれよ」
そう言って、宮河は立ち上がった。ステンドグラスから入ってくる鮮やかな日の光が宮河の背後でキラキラと光っていた。
呉木にはそれがまぶしかった。
「先生には本当は欠陥なんてないんでしょ」
意地悪で言ったんじゃない。本当に欠陥なんて無いように見えた。
「欠陥だらけさ。バレないように必死で隠してるだけだ。実際に傷だってある。見せようか?」
「いえ、……すいません」
宮河は呉木の肩をぽん、と叩いた。
「もう自分を欠陥品と言うのはやめたほうがいい。その代わりに未完成だと思のはどうだろう」
「未完成」
「そう、いつか必ず完成するって信じるんだ。完璧はなくても自分なりにその時その時の完成はある。絶対」
宮河の熱がこもった言葉に、呉木は素直に頷いた。
宮河も微笑んで頷いた。
これまで呉木に憑いていたものが落ちた気がした。
呉木は朝日が瞼にあたるのを感じて目を覚ました。
「寝てたのか。よく眠れたな」
呉木は自嘲するような笑みを浮かべた。
そして、ログハウスの中を見渡した。
昨夜は暗くて見えなかったが、マットレスに血の跡が残っていた。
呉木は部屋の隅の段ボールの隣で毛布を被って丸くなって寝ていたのだ。
目が覚めた呉木はもそもそと体を動かすと、ゆっくりと立ち上がった。
そして、調理場へ行くと、棚や引き出しをあけたが、どれも空っぽだった。
「くそっ」
呉木は今度は段ボールの中を引っ掻き回した。そしてタオルに包まれた包丁を見つけた。
蒼介はかつてアカリを追った時のように山の中を駆け下りて行った。
ほとんど傾斜を滑り落ちながら、湖畔に着くと、ログハウスへ走って行った。
玄関に行く前にウッドデッキ側を見てみると、鍵は開いているようだった。カーテンが少しだけ開いている。
蒼介は窓を開け、中を見た。
すると、調理場の方に呉木の後ろ姿が見えた。手に包丁を持っている。
「呉木!」
蒼介は部屋に飛び込んだ。そして、呉木の手から包丁をひったくった。
「お前、何やってんだよ」
呉木の姿を見た蒼介は、思わず包丁を落っことした。
シンクの中にダラリと垂れた左手首から血が流れていた。呉木は黙ってそれを見ていた。
蒼介は急いで近くに落ちていたタオルを拾うと、呉木の腕に巻き付けた。そして、スマートフォンで救急車を呼んだ。
その間呉木は身動きせずじっと立ったまま黙り込んでいた。
蒼介は近くにあった椅子に呉木を座らせた。随分、ショックを受けているようだった。
「呉木、どうしたんだ? なんでこんな事した」
呉木は黙ったままだった。
「松波が遺体で見つかった。もしかして、お前……」
呉木は目だけを動かして蒼介を見た。
「死んでたか。当然だな」
「おい、お前がやったのか?」
「そうだ。僕が制裁を下した」
「制裁って、最初から話せよ。お前は何をした」
「あいつと、松波と話しをしようと思った。あいつが講堂がいいというから行った。僕は、松波に自首しろと迫った。生きている宮河先生を見殺しにしたんだぞと言った。しかしあいつは、同じ事を繰り返すだけだ。生き返らせようとしただけだ、と。頭にきて、僕はあいつを殴った。あいつは、先生を侮辱するような言葉をへらへら笑いながら言った。だから、殺そうと思った。それで、殴った。
殺そうと思った。殺そうと思って殴った。本当に殺してやろうと思った。
そのうち、あいつは倒れたまま起き上がらなかった。
倒れた時に頭をベンチにぶつけたんだ。当然だ。当然の報いだ。
僕はそのまま講堂を出た。気がつくと山の中だった。
そして、ここに来た」
「ちょっと待って。お前は松波を殺してない」
呉木は蒼介を見つめ返した。
「お前じゃない。松波を殺したのは。だって、松波は刃物で刺されて死んだんだ」
「え?」
「嘘じゃないよな。お前が言ったこと」
「おれは、刺してはいない。刃物なんて持っていない」
「そうか……」
「じゃぁ、一体誰が」
蒼介は窓の向こうの湖を眺めた。
「呉木、松波と会ったのは何時頃だった?」
「約束したのは九時半だ。でもあいつはもっと遅れて来た」
蒼介は昨夜の事を思いだした。真田が部屋に来たのは十時を少し過ぎていた。その後、呉木と松波の部屋に行った。二人ともいなかった。真田を送って行った。講堂の前で別れた。
講堂の前にいた時、松波は既に死んでいたのか?
松波は胸を刺されていた。
呉木の他に殺意を持ってたのは……。
真田か、小野寺か? それとも……。
蒼介は目を閉じ、息を整えた。
耳を澄まし、大きく息を吸い匂いを感じる。
皮膚の感覚に意識を集中する。
見たものを思い出す。見えないものを想像する。
もう一度、もう一度思い出す。
何を、感じた?
何を、感じてた?
匂い、香り。
時には第六感も使え。
そうだ、俺の『カン』は最初から告げていたんじゃないか。
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