21 制裁
晩餐会の次の日から、学校では実力テストが始まった。
もちろん蒼介に勉強をする時間などなく、しかも前の学校とテキストが全く違うようで、想像するまでもなく出来は散々だった。
「しょうがねえな。まともに授業も出てなかったしな」
夕食の麻婆豆腐を食べながら、蒼介は章太郎に軽く嫌みを言われた。
「別に、もう進級するのあきらめてるし」
「はあ? お前さ、良い加減卒業しろよ。十九歳の高校生なんて恥ずかしいぞ」
「え、俺、章太郎に言ったっけ?」
「呉木に聞いた」
「ふうん。仲良いんだな、お前たち」
章太郎には朝のうちに晩餐会で起こったことを話した。
松波が自殺を図った宮河を強姦し、血模様を描いたこと。
松波が任意同行されたこと。
たぶんそのまま逮捕されるだろうということ。
「佐和が言ってた『アムール』は松波の事だったんだな。
確かにあの石膏像に似ていたな」
「『バラが入り口』っていうのは?」
「真田が、ローズティーを飲まされたそうだ。
たぶん、睡眠薬入りの。
部屋もバラの匂いがしたし。
吸血鬼はバラを好むと言われているから、松波もそれを真似たんじゃないか」
蒼介は言いながら肩をすくめた。
「若松のこともさ、万事解決ってわけにはいかないだろうけど、何があったのか分かったんだ。
後は真田さんやお前がしっかり支えてやれよ」
「そうだな」
と蒼介は自分に言い聞かせるように言った。
そう『万事解決』ではないからだろうか、胸の中がまだもやもやしていた。
食べ終わった食器を下げるときに、生徒会のメンバーと食事をしている呉木が蒼介の視界に入った。相変わらずクールな表情をしていた。
あいつはこれで気が済んだのだろうか。
蒼介は呉木が「宮河先生を死に追いやったやつを制裁する」と言っていたのを思い出した。
風呂に行く前に、蒼介は寮のロビーにある公衆電話から杏に電話した。
明日もテストだったがこれから会いに行くつもりでいた。
杏が東京に帰ってしまう前に、出来るだけ会っておきたかった。
それに、今の酷い気持ちを少しでも慰めてもらいたかった。
「私、日曜日に帰ることにした」
電話の向こうの杏が言った。
「そうなんだ」
そうなんだ、帰るんだ。
「詳しいことは明日話すわ」
「明日? これから会いに行こうと思ったのに」
「ごめんね、今はマネージャーが来てるの」
「そう」
「ありがとうね。君のおかげよ」
「なにが? もしかして治ったの」
「まさか。でも痛みがなくなったし、それに、怖くなくなったの。
私、監督に会ってこようと思ってる。
今回が駄目でも次があるかもしれない」
「そう、よかった。
でも、俺は何もしてない。
杏さんが自分で乗り越えたんだよ」
「君が恐怖を追い出してくれたから、よ」
蒼介は杏と結ばれた時のことを思い出した。
杏の体に歯を立ててしまったときのことを。
自分のおかげだと言われても不甲斐ない気持ちは拭えなかった。
と、その時蒼介の肩を誰かが叩いた。
振り返った蒼介は受話器を落としそうになった。
「松波……」
松波が笑顔で立っていた。
「誰と電話してんの、彼女?
やあ、ただいま。また帰ったよ」
松波は受話器に向かって大きな声を出した。
通りすがりの生徒たちがちらりとこちらを見たが、気を止めることなく行ってしまった。
まだ誰も松波がしたことを知らないのだ。
任意同行された事も。
「ちょっと、蒼介くん?」
松波が受話器を奪い取った。
「由井くんの彼女さん?
由井くんってかわいいよね。
誰かに取られないように、急いだ方がいいよ」
蒼介は松波から受話器を奪い返した。
「ごめん、明日また電話する」
そう言って蒼介は受話器を置いた。
松波は笑顔のまま、蒼介の肩を抱くようにしてそのままベンチに座らせた。
蒼介はなんと言っていいか分からなかった。
まさか、おかえり、とは言えまい。
シャツがくたくたになって、ふわふわのくせ毛も乱れて、疲れた顔もしていたが、それでも様になっていた。
「由井くんはさ、僕と似てると思ったんだけどな」
松波は髪の毛をいじりながらふてくされたように言った。
「え?」
「僕がさ、家族の話した時、分かるって言ってたじゃん」
「親から期待されてないって事?」
「そう、でもやっぱ違ったんだな。
女の子の趣味も似てるのになぁ、残念」
そう言って松波は立ち上がった。
「おい、一体どうなったんだよ。
お前がやった事は犯罪だ。
宮河先生は、お前が殺したんだぞ」
「あぁ、それね。
僕は何も罪を犯してないんだって」
「お前……」
「死んでたの。俺が発見したときは。だから俺、生き返らそうとしただけ。
だから僕はこれまで通り、卒業までこのくそつまんない寮で時間を食いつぶすだけさ」
松波はふふふ、と笑った。
蒼介は松波の胸ぐらに掴み掛かった。
「殴るの?
やめてよ、僕たち兄弟じゃない。
仲良く同じおもちゃで遊ぼうよ」
松波は不敵な笑いを浮かべた。
兄弟ってなんだよ。
蒼介はなんだか急に怖くなって、手を離した。
松波はそんな蒼介にウィンクをしてから、自分の部屋に帰って行った。
蒼介はその場で富永に電話した。
「あぁ、由井くん。もしかして松波の事ですか」
「そうです、なんであいつが帰って来れるんですか」
蒼介は興奮気味で聞いた。
富永は言いづらそうに「え〜と」と唸った。
「あのですね、宮河先生の死因は自殺ということで捜査は終了しました」
「でも、松波の処分は?
強姦罪と遺棄致死罪は?」
「それは……。松波くんが発見したときはすでに宮河先生は死んでいたんです。
彼は先生を生き返らせようと、屍姦し血を塗ったんです。
あくまでも生き返らせる儀式として。
彼は、その、精神的に不安定で今も療養中ということなんです。
だから、つまり、逮捕する理由がないんです」
「圧力ですね。松波元総理の。そんなの、おかしいじゃないですか」
「そうですね、この世はおかしい事だらけです。
でも、今の私じゃ世の中を変えることは出来ないです」
「ねぇ、そんな事言わないで。
松波が襲った時、宮河先生は生きてたんだ。
証拠だってある」
「彼を逮捕する事は絶対に出来ないでしょう。
たとえ人を殺してたとしても。
それじゃ、ふがいない刑事の事は忘れて下さい」
そう言って富永は一方的に電話を切った。
蒼介は力任せに受話器を叩き付けた。
やりきれない思いを受話器にぶつけるしかなかった。
消灯時間が過ぎ、章太郎が寝ると言うので蒼介もベッドに横になった。
「なぁ、蒼介」
「なんだ、寝ろよ。童貞」
警察の無力さに対する怒りが収まらない蒼介は、章太郎にも八つ当たりしていた。
「俺さ、漠然と法学部に入りたいと思ってた」
章太郎の声はいつになく真面目に聞こえた。
「でも俺、絶対に法律家になる。
弁護士か検事か裁判官か、今はまだ決められないけど、法律を武器に犯罪と戦う。
松波みたいに権力を振りかざす奴を法を持って制してやる」
「お前が法律家になるまで、待ってろって言うのかよ」
悪態をついたものの、章太郎の気持ちは嬉しかった。
そう言ってくれる章太郎がとても心強かった。
まだ俺にも出来る事があるんじゃないか。
そんな気持ちが涌き上がってきた。
そんな時だった。突然部屋のドアが開いた。
「私よ。起きて」
「真田?」
蒼介はベッドから飛び降りて電気をつけた。
章太郎も布団から這い出て来た。
アカリは被っていたパーカーのフードを取った。
「どうした」
「うちの寮長がさっき、松波くんを見たって。本当なの?」
「そう、本当。帰って来た。なんのお咎めもなしに」
「どうして」
「お父上の力だろ」
「真田さん、寮の玄関の鍵、どうしたの?
閉まってなかった?」
章太郎がストーブの電源を入れながら聞いた。
「閉まってたら使おうと思ったんだけど、開いてた」
と、アカリは鍵の束を見せた。
「うわ、何これ」
「スペアキーのコレクション。
校内の鍵はだいたいある。
それより、松波の奴、どうにもならないの?」
「それを今、俺も考えていた」と、蒼介は腕組みをした。
「マスコミに持ってくとか、ネットで拡散するとか」
と、章太郎が身を乗り出した。
「そうだな。うまくやれば奴を逮捕せざるを得ない状況にする事が出来るかもしれない。
ただ、危険だけどな」
蒼介はアカリと章太郎と目を合わせて頷いた。
俺たちがやらなくて誰がやれると言うのだ。
「おい、呉木も同じ気持ちなんじゃないか?
あいつがいれば出来る事が広がるかもしれないぜ」
章太郎が思い出したように言った。
「呉木か、確かにあいつも必死だったからな」
蒼介は呉木にボディを入れられたときの事を思い出した。
ミスター校則が授業にも出ないで、宮河先生の無念を晴らそうとしていた。
そして、自ら制裁を下す、と言っていたことを思い出した。
なんだか嫌な予感がした。
「ちょっと俺、呉木のところへ行ってみる」
そう言って、蒼介は部屋を出て行った。
なんだろう、この胸騒ぎは。
呉木は部屋にはいなかった。
一応、と思って松波の部屋も行ったが、誰もいなかった。
蒼介の胸騒ぎはますます強くなった。
追いかけて来た章太郎とアカリが、どうしたのかと訊ねた。
「いや、呉木が松波が逮捕されなかった事を知ったらどうするか想像したんだ。
そうしたら、嫌な予感がして」
「まぁ、ぶっ飛ばすぐらいはするだろうな」
と、章太郎は蒼介の肩をぽんと叩いた。
「それより、見つからないうちに真田を送ってやった方がいいんじゃね。
作戦会議はまた改めてしよう」
アカリは一人で帰れると言ったが、蒼介は送って行く事にした。
月は満月ではなかったが、同じくらい明るく闇夜を照らしていた。
男子寮と女子寮は敷地の端と端にあったから、校舎と学習等、講堂をつっきって行かなくてはならなかった。
「よくこんな暗い中、一人で来れたな。怖くないのか」
「慣れよ。二年近くもいたら慣れるわ」
そんなもんか、とアカリからはぐれないように歩いた。
「それより、由井くんが帰れないんじゃないの」
「あぁ、もしかしたらな」
アカリは足を止めた。
ちょうど、講堂の前だった。
「いいわよ、ここで」
「いいよ、もう少しだし」
「本当に大丈夫。怖くないし」
と、アカリは笑って言った。
蒼介はアカリの笑顔を初めて見たような気がした。
「なぁ、もう自分を責めるなよ」
「分かってる」
「ならいいけど。佐和のところ、今度一緒に行こうな」
「そうね。ありがとう」
「じゃぁ、お休み」
そう言って二人はそれぞれ帰って行った。
ところが、蒼介の悪い予感は本当に起こってしまった。
次の日の朝、蒼介たちが朝食を取っていた時、パトカーのサイレンの音が聞こえて来た。
と同時に「やばいやばい」と誰かが食堂に飛び込んで来た。
「松波くんが殺された!」
食堂中が一気に騒然となった。
蒼介は章太郎と顔を見合わせた。
飛び込んで来た男子が言うには、講堂の掃除をしに行った川田さんが死んでいる松波を見つけたらしい。
松波は講堂の台座に胸から血を流して倒れていたそうだ。
蒼介はとっさに呉木を探した。
しかし、食堂にはいなかった。
「章太郎、俺、呉木探してくる」
蒼介は食堂から飛び出して行った。
呉木の部屋と寮の中とを見たが、姿はなかった。
途中、生徒会の生徒がいたので聞いてみたが、彼らも呉木を探していた。
蒼介の胸騒ぎは高鳴る一方だった。
講堂へ行ってみると、警察官と野次馬の生徒で一杯だった。
ちょうど、小野寺と何人かの先生がやってきて、生徒達に自分の部屋に戻るように促し始めた。
「小野寺先生」
蒼介は小野寺に駆け寄った。
「何があったんですか? 松波が殺されたって本当ですか?」
「いや、僕も今来たばかりでよくわからないんだ。君もとりあえず部屋に戻りなさい」
蒼介がその場を離れようとした時、講堂の中から富永が田畑に連れられて出てきた。
富永は蒼介を見つけると、さりげなくやって来た。
「富永さん、松波は」
富永はため息をついた。
「胸をナイフで刺されていました」
だから逮捕しなければいけなかったんだ、とは蒼介は言わなかった。
でも、富永も同じ事を思っているのは、表情で分かった。
「そうだ、呉木がいないんです。たぶん、昨日の夜から」
「呉木ってこの前君たちと一緒にいた?」
「そう。宮河先生を慕ってた生徒です。
松波が帰って来たのを知ったら、彼を殺すかもしれない」
「何やってんだ、富永! 早くこい」
と怒鳴られた富永は、「君は待機してなさい」と蒼介に言って、上司の元へ走って行った。
そして上司に「昨夜から行方が分からない生徒がいるみたいです」と告げた。
蒼介はその場を去った。
呉木は校舎の中にも学習棟にもいなかった。
蒼介は目を閉じ、息を整えた。
耳を澄まし、大きく息を吸い匂いを感じる。
皮膚の感覚に意識を集中する。
見たものを思い出す。
見えないものを想像する。
呉木なら松波に対して何もせずにはいないだろう。
もし、講堂で松波と何かあったなら、もし誤って殺してしまうような事があったならば、彼はどうするだろう。
「警察が裁かないから僕が裁いたのだ」
そうだな、あんたはそう言うだろうな。
それで、その手で制裁を下したら、その後はどうする?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます