20 悪魔の本性

「真田、大丈夫か!」

 蒼介がその部屋に飛び込んだ時、アカリは電球のオレンジ色の明かりの中、ベッドに寝かされ、その上に男が覆い被さっていた。

 蒼介は男に掴み掛かると、アカリから引きはがした。

 その男の顔に、蒼介は見てはいけないものを見たような恐怖を感じた。

 美しい彫刻のような顔の口元に、どす黒い血がこびりついていた。

「松波……」

 アカリは気を失っているようだった。

 ブラウスのボタンが外され、白い胸元があらわになっていた。

 うなじからは黒い血が流れ出ていた。

 蒼介は駆け寄って、アカリの体をシーツでくるみ、「大丈夫か」と声を掛けた。

 とりあえず息はしているようだ。

「なんだよ、せっかくいいところだったのにさぁ」

 にんまりとわらった松波の口から尖った牙が見えた。

 恍惚とした瞳で尖った牙を舌なめずりしている。

 その姿はまるで悪魔……。

 松波は手を口に入れると尖った牙を外し、血の付いたそれをベッドサイドのリングケースに乱暴に入れた。

「お前か、宮河先生を汚したのは」

 蒼介は松波に詰め寄った。

「ちょっと、由井くん、怖い。

 そうだよ。僕がやったの」

 ちょうどそこに呉木が飛び込んで来た。

「貴様、なんてことを」 

 呉木は掴み掛かって行ったが、松波は軽くかわした。

「なんだ君も来たの、呉木くん」

「お前が宮河先生を殺したんだな」

「殺してなんかいないよ。

 僕が見つけた時にはもう手首を切ってたもの」

「だったらなぜ救急車を呼ばなかった」

「生き返らせようとしたんだ」

「はあ?」

 遅れて小野寺も部屋に入って来た。

 蒼介も呉木も何を言ってるんだと言う目で松波を見た。

「先生が死んでたから生き返らせようとした。

 それだけだよ」

「生き返らせるって、お前、ふざけるなよ」

 呉木が松波の胸ぐらを掴んだ。

 松波はその手をひねり上げた。

「ふざけてなんかいないさ。気脈ってしってる?

 人の身体に流れている気の通り道だよ。

 確か吸血鬼は気脈を操作して人間の記憶を自在に操ることが出来る。

 そうだよね。小野寺先生」

 小野寺は突然振られて動揺した。

「で、伝説だ。ありもしない作り話だ」

「いや、作り話なんかじゃない。先生だって信じてたじゃないか。

 スピリチュアルな世界では病気は気脈を整えることで治すことが出来る。

 時には死からも救うことが出来る」

 蒼介は聞いているうちにバカバカしくて腹が立って来た。

「つまり、生き返らせようとして、死にそうな宮河先生を犯したのか」

「そうだよ」

「先生はまだ生きていたんだな」

 松波は何処からかタオルを持って来て、口の周りの血を拭きながらニタニタと笑った。

「まだセックスで喘ぐ気力はあったみたいだけど」

 蒼介は松波のタオルを取り上げて聞いた。

「じゃあ、文化祭の頃に宮河先生を犯したのもお前か」

「文化祭の頃?

 あぁ、そうだ。

 文化祭の後だったかな。そうだよ。僕だよ」

 蒼介は呉木が拳を握りしめているのを見た。

「その時も生き返らせようとしたのか」

 松波はぷぷっと吹き出した。

「はは、呉木も冗談とか言うのな。

 つまんないけど。

 あのね、二人で話しがしたいって誘って来たのは先生だよ。

 僕さ、宮河先生が小野寺先生のパートナーだって気づいてたからさ、小野寺先生のお眼鏡にかなった宮河先生って、どんだけ素敵なんだろうって興味あったんだよね。

 僕、そのつもりで会いに行ったのに、先生ったら小言みたいなこと言い始めちゃってさ。

 前に晩餐会に呼んだ女の子が先生にチクったみたい。

 僕もう我慢出来なかったから、とりあえず無理矢理やっちゃったわけ」

 部屋にいる誰もが松波に殴り掛かりたかったに違いない。

「前から女の匂いがするなと疑ってたんだ。宮河先生。

 もしかしたら性転換したのかもなって思ってたんだけど。

 でもまさか、しっかりお雛様の部分が残っててさ、驚いたよ。

 僕的には、男でも良かったんだけどね。

 美しければどっちでもいけるから、僕」

「佐和にも手を出したのか」

「あぁ、佐和ちゃんね。

 佐和ちゃんも小野寺先生のパートナーだったからね。

 お味見したいなと思ってたのよ。

 そしたら『血を差し上げます』って手紙を自分から持って来たでしょ」

「なんだそれ」

 呉木が訊ねた。

「晩餐会に出席したい人は『血を差し上げます』って手紙を講堂に置いておくの。

 そうすると、僕が厳正なる審査をして、オッケーって子に晩餐会の招待状を渡すの。

 佐和ちゃんはね、審査の結果、僕が直接いただくことにしたわけ。

 でも、無理矢理じゃないよ。

 佐和ちゃんだって喜んでたよ。最初は」

「最初は?」

「彼女処女だったでしょ。

 最初はソフトな感じで可愛がってあげたさ。

 そしたら佐和ちゃんも結構好きだったみたいで、何でもやらしてくれる風だったのね。

 僕のこと『アムール』とか言っちゃって。

 でも、さすがに血を見ちゃったら怖くなっちゃったみたい」

「噛んだのか。その牙で」

「そう、僕、血を見ないと興奮しないから」

「最低だな」

「性癖と言ってよ。誰でもあるでしょ。

 牙を持ってないときはさ、殴ってたんだ。

 でもそれだと相手の子も怖がっちゃって。

 でもね、友達に誘われてなんとか美術大学の卒展ってやつに行った時、小野寺先生の『吸血鬼の戯式』を見て世界が変わったんだ。

 衝撃だったね。

 おいおい、血だらけじゃんって」

 小野寺はあからさまに嫌な顔をした。

「しかも凄いかわいい子を血だらけにしてるし。

 写真もいっぱい貼ってあって、僕勃起しながらそれ見てたの。

 そしたら会場に先生がいたんだ。僕、興奮しながら先生に聞いたよね。

 僕も自分のために血を流してくれる子がほしいって。

 先生は僕のことも吸血病だと勘違いしたんだよね。

 それで色々教えてくれた。

 吸血病っていうのも、自分から血を吸われたいと思っている女がいるっていうのも初耳だった。

 まさに開眼だった。

 それで、僕の目標は『吸血鬼の戯式』を自分で作るってことになった。

 これ、ホント先生のおかげだよ。超リスペクトしてるんだ。先生のこと」

と、そこで松波がぶっとんだ。

 小野寺が殴ったのだ。

「そんなお前の下らないことのために、宮河は死んだのか。

 お前が殺したのか」

「下らない? 芸術でしょ?

 先生と同じ、芸術。

 あと探究心と好奇心と実験精神。

 どれも大切でしょ」

「お前のは芸術でも何でもない。

 芸術の盾に好き勝手してるだけだ」

「ええ〜。

 じゃぁ、芸術のために好きな女とセックスしないとか、処女じゃなくなって芸術的価値がなくなったから捨てるとか。

 それはどうなのよ。

 あいつも言ってたよ。

 小野寺尊は芸術を言い訳にして自分勝手に生きてるだけだって」

 蒼介の心臓がハンマーで殴られたように大きく脈打った。

 あいつって誰だ?

「それにさ、僕は助けようとしただけだ。

 宮河先生が勝手に死のうとしたんだ。

 僕だって宮河先生のことが好きだったんだ。

 先生だって僕の事まんざらでもないと思ってたけど」

 今度は呉木が松波に掴み掛かった

 松波はへらへらと笑っている。

 呉木は唇を噛み締め、松波を突き放した。

 まるで、殴る価値もない、というように。


 蒼介は静かに息をして心を整えていた。

 三ヶ月前に起こった事が分かった今、刑事が何故三ヶ月前にこだわったのか。

「先生が自ら死を選んだ理由が分かったよ」

 ぼそっと蒼介がこぼした。

「刑事がなんで文化祭の時期にこだわったのか。

 たぶん、先生は妊娠してたんだ」

 部屋に居る誰もが耳を疑った。

「今日、先生のお姉さんに話しを聞いて確信した。

 先生はまだ女の体だった。ホルモン治療も受けてなかった。

 だとすると妊娠は可能だった。

 先生の具合が悪かったのもそのせいだと思う。

 貧血って言ってたのも。あと、女の匂いがしたのも。

 『僕が僕であるために』という遺書の言葉も納得がいく。

 子供を産むことも、堕ろすことも、心が男の先生には出来なかったんだ。

 だから死ぬしか」

「僕の子供? 先生は僕の子供を殺した?」

「お前が殺したんだ」

 呉木が辛そうに漏らした。

「僕の子供がいたの?

 先生の身体の中に?

 じゃぁ僕は先生の身体の中で、子供に接近してたんだね。

 僕のペニスの先の方に子供がいたってこと?

 あぁ、だったら、お雛様に入れてたら何か感じたのかな。

 でも、先生、アナルのほうが好きだったからなあぁ」

 部屋にいる誰もが松波を殺したい衝動に駆られたその時、突然、富永刑事が警官を連れて入って来た。

「松波くん、続きは署で聞かせてもらえますか」

「誰、この人」

 富永は警察手帳を見せた。

「宮河幸子さんへの暴行を認める発言がありましたが、詳しくよろしいですか」

 松波はふてくされたように黙って立ち上がった。

「別にいいけどさ。

 お姉さんが話し相手になってくれるの?

 僕の半立ちのヤツも相手してくれないかな?」

 富永は無視して松波を警官に連れて行かせた。

 蒼介は富永の腕を掴んだ。

「ねぇ、先生は妊娠してたんでしょ」

 富永はふうっとため息をついた。

「そういうことは、故人のプライバシーがあるので言えません」

 そう言いながらも、富永は悲しそうな表情で、やりきれなさがこもった視線を蒼介に向けた。

 蒼介は拳を握りしめた。

「それで、君たちはここで何をしてたんですか?」

「松波に真相を聞きに、押し掛けたんです」

「彼女は大丈夫ですか。何かされましたか」

 そう言って、富永はアカリを見た。

 いつの間にかアカリは起き上がって、シーツで顔を半分隠していた。

「私は大丈夫です」

「ならば、今日のところは帰ってください。

 明日、話を聞きに伺います」

 そう言って、富永は蒼介たちの名前を手帳に書き込んだ。

「じゃぁ、先生、生徒さんたちをよろしくお願いします」

「ねぇ、なんでここが分かったの? って言うか何で来たの?」

 蒼介が富永の耳元で囁いた。

「匿名で通報があったんです。

 宮河先生を殺した犯人がここで女性を暴行していると」

「通報? 誰?」

「匿名って言ったじゃないですか」

 と言って富永は行ってしまった。

 残された蒼介と呉木、小野寺は黙ったまま突っ立っていた。

「妊娠、してたんだ」

 アカリが口を開いた。

「真田、大丈夫か」

 蒼介はベッドに駆け寄った。

 アカリは体を縮めて俯いた。

「宮河先生は子供だけ殺すことなんて出来なかったのよ。

 だから、一緒に死んだんだわ」

 アカリの頬に涙が伝っていた。


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