19 吸血鬼の正体

 アカリが晩餐会へ行くと聞いて、蒼介は居ても立っても居られなかった。

 こっそり潜入することが不可能だと分かった蒼介は、時間と場所を聞き出し、ついて行くことにした。

 寮を穏便に抜け出すには呉木の協力が必要だと思った蒼介は、火葬場から帰るタクシーの中で、正直に彼に伝えた。

「悪魔の……。吸血鬼の正体を突き止めに行くから外出させてくれ」

 すると呉木は、自分を連れていけと逆に脅した。

 その結果、雑木林の中の古い農具入れの中で呉木と二人でいるはめになってしまった。

 晩餐会の会場に入れないとすると、外から見張っていた方がいい。

 そのためには身を隠す場所が必要だったが、会場の古民家の向かいの雑木林に、おあつらえむきの朽ちかけた農具入れがあったのだ。

 壁の板を破って、そこから外を覗けるようにした。

 呉木の提案で途中買って来た双眼鏡を使って、二人で交代に見張ることにした。

 しかし、外灯もなく、古民家の灯りは玄関をうっすら照らすほどの明るさしかなかった。

 車が来て、何人かが中へ入って行ったが、顔すら見えなかった。

 アカリが入って行くときは、少し前に蒼介にメールが届いた。

『これから入る』

 蒼介はそれに返信した。

『何かあったら連絡して。すぐに助けに行く』

 蒼介と呉木は黙ったまま、何かが起こるのを待っていた。

 アカリが入って行って三十分が経ってから、パジェロがやってきて古民家の隣の空き地に入って行った。

「なぁ、呉木。あのパジェロ、見たことないか」

 蒼介は呉木に双眼鏡を渡した。

「パジェロなんてここら辺では珍しくないだろう。

 どれだ、パジェロが三台くらいある。

 ランドクルーザーも二台もある。ジープも。

 ほとんどSUVだな」

「いいから、パジェロから出てくる男をよく見てくれよ。

 見たことないか」

「いや、暗くてわからない。全く見えない。

 でも、家に入って行った」

 蒼介は呉木から双眼鏡を返された。

「暗視スコープにするべきだったな」

 パジェロが到着して三十分くらい過ぎた時、蒼介にメールが届いた。

『おのでらがで』

「なんだって?」

「おのでらがで、って書いてある。

 小野寺が出たってことか」

「小野寺?

 小野寺先生か?」

 双眼鏡を覗くと、人が一人出て来た。

 目が慣れたからか、月が出たからか、うっすら顔が見えた。

「小野寺だ。行こう」

 蒼介と呉木は飛び出して行った。

「小野寺先生」

 車に乗り込もうとしていた小野寺は驚いた。

「なんだ、なんでこんなところに」

「先生こそ、こんなところで何をしてたんですか」

「呉木、お前まで、何なんだ」

 蒼介はパジェロのドアの前に立って、小野寺の行く手を塞いだ。

「先生がここで何をしたかは知っています。

 誰かの血をいただいた。そうでしょ」

「真田と示し合わせていたのか」

「先生は宮河先生と若松佐和の血ももらっていた。

 間違いないですか」

 小野寺は無精髭をさすりながらため息をついた。

「まいったな。知ってるのか」

「認めるんですね」

「別に君たちに話す必要はない」

「警察に言います。

 そうしたら教員免許は剥奪です」

 呉木が言った。

 小野寺は観念したように頭をかきむしった。

「ああ、なんでこうなる。

 僕はただ、血をもらっていただけだ」

「脅迫してですか。

 弱みを握って、脅して?」

「まさか。宮河も若松も、自分から進んでくれたんだ」

「そんなわけ」

「僕は、ヴァンパイアフィリアなんだ」

 首を傾げる呉木に、高ぶる小野寺に代わって蒼介が説明する。

「ヴァンパイアフィリアっていうのは吸血病とも言って、血を吸いたい衝動を抑えられない症状のことをいう。

 つまり、吸血鬼と同じだ」

「そうだ。僕は子供の頃から自分の血を舐めていた。

 そうしないと落ち着かないんだ。

 口の中を噛んだり、指を切ったりして。

 血を舐めたいという衝動はどうしても抑えられなかった。

 でもそれを理解してくれる人もまれにいたんだ。

 恋人がいるときは彼女からもらったり、いないときは友人がくれたりした。

 宮河はいい奴だった。

 あいつも人には言えない秘密を抱えていた。

 だから、僕の吸血病のことも理解してくれた。それで、たまに血を分けてくれた」

 呉木は黙って話しを聞いていた。

「佐和も?」

「若松には僕から頼んだ。

 あいつは一目で誰とも違うのが分かった。

 特別惹き付けるものを持っていた。

 僕の創作意欲に火がついた。

 そのことを正直に話すと、絵のモデルになることも、血をもらうことも許してくれた」

「佐和は小野寺先生のことが好きだったみたいですね」

「みたいだな」

「それにつけこんだんですね」

「そうともとれるな」

「先生は処女にこだわりがあるそうですね。

 佐和も、宮河先生も処女だった。

 自分の弱みを見せて、気を惹いて、それで関係を迫ったんじゃないですか」

「宮河が処女?」

「ご存知でしょ」

「そうか、女みたいな匂いだと思ってたんだ。

 そういうことだったのか」

「とぼけないでください」

「さっきから何のことを言ってるんだ。

 確かに僕は血にも処女に惹かれる。

 でもな、それは芸術において、と言う意味だ。

 性的な感情とは別だ。

 性的なことで言えば、処女を自らの手で犯すなんて二度としたくない。

 そんな傲慢なことは出来ない」

 蒼介は混乱し始めた。

「佐和には別の男がいたはずだ。

 たぶん、十二月に入った頃だろう。

 突然、処女の匂いがしなくなった。

 魅力が失せてしまった。

 誰かがあいつを台無しにしたんだ。

 モデルもやめてもらった。

 絵だって未完成もままだ、クソっ」

「別の男がいた? 本当ですか」

「宮河もな、今なら分かる。

 あいつもいつからか匂いが変わった。

 まさかあいつが女だとは思いもよらなかったがな」

「宮河先生を男だと思って血をもらっていた?

 処女にこだわっていたんじゃないの?」

「絵のモデルとして処女に魅かれる、というだけだ。

 別に血を分けてもらうのに、執拗なこだわりはない。

 好みはあるが、宮河はいい香りがしたし、いい奴だった。

 しかし、ある時から血が濁ってしまった。

 きっとあいつにも男がいたはずだ。

 刑事も言っていた。

 文化祭の頃、男と性的関係があったはずだって」

「だったら、宮河先生の体に血模様を描いたのは?

 小野寺先生じゃないんですか」

「宮河の体に?」

 蒼介はスマートフォンで撮った宮河の遺体の写真を見せた。

 小野寺は一瞬顔を背けたが、スマートフォンを受け取ってよく見た。

「似てるな。僕の作品に。

 でも宮河は自殺だったんじゃないのか」

「自殺、したんです。遺書もあって手首も切っています。

 そんな先生を誰かが犯して、そんな血模様を描いたんです」

「なんだって?」

「先生は本物の血を使って作品を作りたかった。

 だから死んでいる宮河先生を発見して」

「いや、僕じゃない。これは、噛み痕だな」

 小野寺が言いかけた時、家から人がバラバラと出て来た。

 晩餐会がお開きになったのだろう。

 蒼介たちは慌ててパジェロの影に隠れた。

「あいつかもしれない。

 僕の『吸血鬼の戯式』に感化されたって言って、妙にしつこかったんだ。

 しまいには自分で描いたものの写真まで見せられた。

 ちょうどこんな感じだった。

 女の体に、血糊で僕と同じような模様を書いて、確かに、僕の作品によく似ていた」

 小野寺は小さな声で独り言のようにつぶやいた。

「その写真にも噛み痕があった。

 噛むのは自分のオリジナルだと言っていた」

「誰ですか、そいつは」

「今日だって、あいつがしつこく言うから来たんだ。

 ほとんど脅迫みたいに」

「おい、由井。真田が出てこない」

 門から出てくる人間を見張っていた呉木が言った。

 蒼介の顔色が変わった。

 蒼介は走って門の中に入って行った。




 どうしてこんなことになったのだろう。

 小野寺に自分だと言うことがばれ、首に手を回された時、殺される覚悟を決めた。

 が、彼はすぐに手を離し「すまない」と謝って立ち去ってしまった。

 蒼介にメールをしなければいけない、と震える手でメールを打ったが、誰かがやって来たので、途中で送信してしまった。

 白い仮面を付けた男が湯気を立てたティーカップを持って来た。

「誰だか分かった?」

 そう言ってティーカップをアカリの前に置いた。

 ローズの芳醇な香りが漂って来た。

「え?」

 アカリは驚いて男を見た。

 男はふふっと笑って仮面を剥いだ。

「松波くん? どうして」

「アカリちゃんの事が気になってさ」

 アカリは気を落ち着かせようとティーカップを手に取った。

 ローズティー?

 甘い香りが、少し気持ちを和らげてくれた。

「パートナーは本当に小野寺先生だったのね」

「小野寺先生はさ、普段は穏やかだけど、作品のことと血のことになるとマジになっちゃうんだよね。

 さっき怖かったでしょ」

 アカリは熱いお茶を喉の奥に流し込んだ。

 暖かみが体の中に広がると、少し落ち着いた。

「なんで、そんな事知ってるの」

「なんで? そりゃ、小野寺先生のファンだからね」

「ファン?」

「そう。僕は先生の作品と出会って開眼したんだ」

「開眼?」

「先生は君の血も飲んだみたいだね。

 よかったら俺にも味見させてくれない?」

「何言ってるの……」

「先生のチョイスは絶対だからな……」

 アカリはなんだか松波の言っている事が理解出来なくなって来た。

 どうしてだろうと思っているうちに強烈な眠気が意識をさらっていった。


 気がつくとオレンジ色の光の中に横たわっていた。

 いい香りがする。さっきのお茶の匂い……バラの香り?

 痛みはない。

 どくんどくんと血液が流れる音が体中に響き渡る。

 うなじに舌を這わせていた悪魔がアカリの顔を覗き込んだ。

 血を口元に滴らせた美しい悪魔。

 吸い込まれそうなくらい透き通った妖しい瞳。

「ま……つなみ……くん……なに……を」

「しーっ、大丈夫。すごく気持ちよくしてあげるから」

 彼が体をなぞる度、何か言う度、抵抗する心とは裏腹に体の力が抜けて快楽の海に沈んで行く。

 このまま悪魔に身をまかせたくなかった。

 でも、アカリの理性は限界にきていた。

 もう、いっそこのまま…………。

 そう思った時、何かが起こった。


「真田、大丈夫か!」


 助かった?

 そう思った途端、意識が遠のいていった。

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