17 呉木の乱心と本心

 またしても唐突に呉木が現れた。

 講堂に集まって『送る会』の準備をしているとき、蒼介の前に呉木が現れ「これから行くぞ」と無理矢理連れ去られてしまった。

 そのまま説明もないまま駐車場に連れて行かれたと思ったら、待っていたタクシーに押し込まれ、気がつくと火葬場にいた。

「まさか、宮河先生の葬儀に出るつもりか?」

「葬儀はない。校長から聞いた」

 二人はだだっぴろい火葬場のロビーの隅っこに、身を隠すようにベンチに座っていた。

「宮河先生は両親と縁を切られていた。

 遺体の引き取りも拒否された。

 それでお姉さんが引き取り人になって、葬儀はせずに遺骨だけを引き取るということになったそうだ」

「だから、なんだよ。なんでここに来た」

「そのお姉さんが何か知っているかもしれないだろ。

 ただ一人の姉弟なんだ」

「だからって……」

 入り口の自動ドアが開いて、火葬場の社員と一緒に棺桶が入って来た。

 その後ろから刑事の田畑と富永、そしてすらりと背の高い女性が入って来た。

「あれが、お姉さんかな」

 すっと通った鼻筋と切れ長のはっきりとした瞳が宮河に似ていた。

「あれ、君たち……」

 富永が蒼介たちに気づいて近づいて来た。

「どうしたんですか、生徒は来ないって校長から聞きましたけど」

 やばいな、と言い訳を探している蒼介の隣で、呉木が深々と頭を下げた。

「すいません。どうしても先生にお別れの挨拶をしたくて」

 名演技だな、と蒼介は感心した。

「由井くんも? お別れをしに?」

「お、俺も、そうです」

 ふうん、と富永刑事は言った。

「あの方が宮河幸子さんのお姉さんの、宮河愛子さんです」

「幸子?」

 蒼介が聞き返すと、富永は「しまった」というような顔をした。

 宮河愛子さんが蒼介たちに向かってお辞儀をしたので、彼らも同じように彼女に向かって礼をした。

「幸子って、宮河先生の本名?」

 蒼介は小声で呉木に聞いた。

「そうだ。免許証に書いてあった」

 遺体を燃やしている間、蒼介は富永刑事に呼ばれ、二人で外に出た。

「見ましたよ、動画。

 驚きました。遺体と同じじゃないですか」

「で、誰だか分かったでしょ。あの作品を作った人」

「それは今調査中です。

 動画をアップした人間は分かりましたが、流出したもののコピーのコピーでしたから、何にも繋がりませんでした。

 シュアンも行方不明ですし」

「ええ、何やってんすか」

 蒼介は富永の捜査能力に落胆した。

「な、何って、だって……」

「小野寺尊ですよ。

 うちの学校の、美術教師の、小野寺先生ですよ」

「お、小野寺先生ですか?

 な、なんで君がそんなこと知ってるんですか」

「なんでって、本人に聞いたんですよ。そうじゃないかと思ったから」

「ええっ。それで、先生は認めたんですか、自分の作品だって」

 蒼介は頷いた。

「そうですか、じゃ、さっそく小野寺先生に話しを聞きましょう」

「あぁ、あと、俺から聞いたって、あのベテラン風刑事さんには言わないでくれる? 面倒くさいの嫌だから」

「分かりました。匿名の通報があったことに……」

「ダメダメ。

 これは遺体を見た人間じゃないと分からないことだから。

 そうなると俺に行き着いちゃうでしょ。

 だから、先生の絵のタッチが似てるとか、直感だとか、自分で気がついたという体でよろしく」

 そう言って、富永の肩をポンと叩いてその場を去った。

 あぶない、あぶない。

 蒼介はあのベテラン刑事の田畑とは話をしたくなかった。

 いろいろ聞かれたら杏のことも嗅ぎ付けられるかもしれない。

 それだけは今は避けたかった。

 杏が療養しに来てる事は秘密だし、今は彼女にかけられた呪いを解くのが一番大事なのだ。

 火葬場の建物内に戻ると、呉木が駆け寄って来た。

「何処に行ってたんだ」

「ちょっと……」

「何をしに来たか分かってるよな」

「自分で聞けばいいだろ」

「そういう口をきいていい立場だったか?」

「わかったよ」

 子供かよ、と蒼介は心の中で毒づいた。

 大きな権力を持ってしまった自分では何もできない子供。

 そういう呉木にうんざりしながら蒼介は、遺体が骨になって出てくるのを待つ愛子の元へ行った。

「あの」

 愛子は蒼介を見ると軽く頭を下げた。

「宮河先生のお姉さん、ですよね」

「ええ」

「先生とは最近連絡を取っていましたか?」

「どうしてそんなことを聞くの?」

 蒼介は努めて悲しい感情を掘り起こした。そして、大きな瞳を愛子に向けた。

「実は俺なんです。発見したの」

「そうだったの……」

「その前の夜、先生が寮から出て行く直前に話をしているんです。

 だから、悔しくて。

 もっと先生のことを知ってたら止められたかもって。

 先生がトランスジェンダーだということも知ってるんです。

 俺たちもその、そういうことで悩んでいて。

 それを知って、先生は自分のことを打ち明けてくれたんです」

「そうだったの」

 愛子はどこかホッとしたように、そして少し嬉しそうに微笑んだ。

「でも、君たちが悔やむことじゃないわ。

 幸はあの学校で働き始めて、本当に楽しそうだった。

 そこでは、本当の自分でいられるって。

 何もかも承知で働くことを許してくれた校長先生のおかげだわ」

「お姉さんとは、連絡を取っていたんですね」

「私たち、年子だし。あの子が女の子でないことは私もよく分かっていたから。

 応援してたのよ」

「あの、こんなことこんな時に聞くのはあれなんですが、実は、もう少し先生に相談したいことがあって。

 ダメじゃなければお姉さんに聞いてもいいですか」

「ええ、いいわよ。わたしで分かることなら」

「実は、あいつ、性転換を望んでいるんです」

 蒼介はロビーの隅っこで姿勢を正し適当なところをじっと見ている呉木に視線を向けた。

「そうなの」

「先生にはまだ具体的な相談はしてなくて、その、先生は、性転換の手術は受けていたんですか」

「幸は、胸だけは取ったみたい」

「ホルモン治療は?」

「ホルモンは駄目だと言っていたわ。

 色々なアレルギーのある子だったから、胸の手術の後も辛かったみたい。

 そのうちに全部ちゃんとしたいって言ってたけど。

 でも元々女性ホルモンの少ない子だったのよ。

 胸だって、手術で取るほどなかったし、体も変に骨張ってたし。

 だから、そのままでもいいんじゃない? って私は言っていたのよ。

 そんな辛い思いをしてまで……」

「ホルモン治療って、合わない人もいるんですね」

「特に幸は、アルコール類とか色々な薬も合わなくて。

 胸を切り取れただけでも奇跡だったんじゃないかな。

 ま、傷跡がだいぶ残ってたけれど」

「最近、先生はとても体の具合が悪そうでした。 

 貧血って言ってたけど、もしかして治療を再開したり」

「それはないと思う。

 学校での生活で、精神的に落ち着いていたから。

 この体のままでもいい気がするってことを言っていたわ。

 でも、それでも何かを抱えていたのかしら」

 愛子はちらりと刑事の方を見てから、黙って首を横に振った。

「幸が自殺を図った二日前に、いままで支えてくれてありがとう、っていうメールが来たの。

 ずらずらと感謝の言葉が並んでいて、何事かと思ったわ。

 でも、きっとその時にはもう死ぬつもりでいたのね」

 愛子はハンカチを口にあてた。

 蒼介と呉木は宮河が骨になるまでは見届けずに火葬場を後にした。

 帰りのタクシーの中で、蒼介は愛子との会話の内容を呉木に伝えた。

 呉木が性転換を望んでいる、というくだりはもちろん言わなかった。

「学校は、先生にとって救いだったんだな」

 呉木はぼそっとつぶやいた。

 呉木にとって宮河は本当に大事な人だったのだろう。

 だから、受け入れることが難しくて、こんな風に取り乱したようなことをしたりしてもがいているのだろう。蒼介はそう感じた。

「先生と真田は特別な関係にあった」

 呉木は冷たく言い放った。

「らしいな」

「真田が、先生に言い寄っていた。

 でも、先生はそれを悪く思っていないようだった」

「ふうん」

「でも、秋頃、突然真田が先生を避けるようになった。

 突き放すように。

 先生の数学の授業は休んだことがなかったのに、数学の授業だけ休むようになった。

 テストも、白紙で出した。

 先生は、悲しそうだった」

 呉木の口調に、少しだけ温度が混ざった気がした。

「真田は、先生に悲しい思いをさせた。

 気を惹いておきながら突き放した。

 悪魔だ。あいつが悪魔なんだ。

 あいつのせいで先生は自殺した」

「昨日は俺のせいって言ってたよな」

「真田は先生の身体のことを知ったんだ。

 それで、突き放した。

 否定された先生は、どれだけ悲しかっただろう」

「なぁ、呉木。真田は違う。

 真田のしたことはまずかった。

 でも、先生をもっとひどい目に合わせたやつが他にいる」

 呉木の放つ気が一瞬にして鋭くなった。

「……誰だ」

「……まだ分からない」

「なんだと」

「でも、それが誰なのかを、真田が確認しに行く。

 だから、真田は違う」

「どこへ、いつ行く」

「あのさ、誰か分かったら言うから。

 そしたらそいつに制裁でも何でもしてくれ。

 だから分かるまでじっとしていてくれないか」

 呉木はナイフのような視線を蒼介に突き刺した。

 学校につくまで、蒼介はその痛みに耐えなくてはならなかった。

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