15 僕が僕であるためには

 アカリは冷静に振るまおうと必死だった。

 一番素直に驚いていたのは章太郎だ。

「おいおい、何言ってんだよ。

 女って!」

「トランスジェンダー。

 宮河先生は女性の体で男性の心を持っていたってことだろ」

「まじかよ。見た目も男だったぞ」

「ホルモン注射で随分男らしくなる」

「でも、ホルモン注射すると禿げるって言うじゃん。

 俺、見た事あるぜ。禿げてて筋肉ムキムキのおっさんたち。

 あ、ムキムキで思い出したけど、宮河先生ってよくトレーニング室にいたよ。

 でも禿げてはないよな」

「もしかしたらホルモンは射ってないかもな。

 禿げたりその他の副作用がキツくてホルモン治療を諦める人はいるらしい。

 性器についても、乳房をなくすだけで落ち着く人もいれば、膣を塞いでちゃんと機能を持ったペニスをつけるまで完璧にやる人もいる。

 どこまでやるかはその人次第だ。

 宮河先生がどこまで男にしていたのかは分からないけど……」

 蒼介は思わずアカリを見た。

 表情一つ変えずに、蝋人形のように黙っている。

「体つきは確かに男に見えたな。

 血まみれだったけど」

「そうか、お前は見ちゃったんだな」

「ああ、男だって疑わなかった。

 わざわざ局部を見ようとも思わなかったし、角度的にパッとは見えなかった。

 でも、思い返すと、先生を抱いたとき、俺、いい匂いだなって思ったんだ」

「抱いたのかよ、先生を」

 章太郎の冷たい視線が蒼介に向けられた。

「違う違う。貧血って言ってた。

 倒れたんだ。そんときに受け止めただけだ。

 多分先生は完全に男の体にはなってなかったんだ。

 だから女みたいな匂いがしたんだ」

「待って、男の体じゃなかった?

 そんなことあるわけない」

 アカリが思い詰めたように言った。

 蒼介はアカリの混乱している様子を見て、もしかして、と思った。

「だって、先生は男だった……」

 アカリはそういうと下を向いてしまった。

 ぽかんと口を開けていた章太郎が蒼介に助けを求めた。

「なぁ、女なのか、男なのか?」

「どの程度先生が男の体になっていたのかは、真田がわかってるみたいだな。

 でも女の匂いもした」

「匂いか。って、匂いでわかるのか」

「わかるだろ。

 匂いっていうか、オーラっていうか」

「わからねぇ」

「男女の違いだけじゃない。

 童貞かどうかも分かる。お前は童貞だろ」

「いいかげんにしろよ。匂いで分かるもんか」

「がん患者の匂いを嗅ぎ取る犬もいる。

 物事を見るのに視覚だけを頼るな。

 五感全部、ある時は第六感も研ぎ済ませ」

「はぁ」

「と、よく兄貴に言われてる。

 話しがズレたな」

 蒼介は考えをリセットするかのように長い瞬きをした。

「『僕が僕であるためにはこうするしかありませんでした』宮河先生にとってその言葉は、『僕が男であるためには』という意味だったんだ。

 先生に女の部分が残っていたと考えると合点がいく。

 たぶん宮河先生は……」

 言いかけて、蒼介はアカリがいることを思い出して止めた。

「たぶん、何だよ」

 アカリは無表情のまま口を開いた。

「話して、先生がどうしたの」

 蒼介は言いづらそうに話し始めた。

「なぁ、真田。文化祭の頃、宮河先生に何があったか知ってるか?

 刑事たちはその頃の先生の交際関係を調べてる」

「文化祭?」

 思わぬ質問だったのか、アカリは顔をしかめた。

「刑事が言うには、先生は文化祭のあった頃と、死の直前に、男と性的関係を持っている」

「え?」

 アカリと章太郎は同時に声を上げた。

「男とって、どういうことだよ」

「どうもこうも、刑事がそう言ってるんだ。

 それに、その頃から宮河先生の様子が変わったって証言もある」

「あぁ、それはそうかも。

 特に最近の先生は青い顔してたな」

「たぶん、文化祭の頃に宮河先生にあったことはハッピーなことではないだろう。

 どう思う、真田」

「……その相手は絶対に男なのね」

「たぶん。そして少なくとも亡くなる直前の行為は本望ではない。

 警察がそう考えてる。ということは痕跡があったからだ」

「犯されたってことか」

「先生は男として生きていた。

 強姦は男女関係なく卑劣な行為に間違いないけど、先生にとって男の部分ではなく女の部分を犯されるのは何より堪え難かったに違いない。

 『僕が男であるために』先生はその男から逃げるように自ら死を選んだ」

 章太郎は頭をかきむしった。

「このまま脅されて自分を否定され続けるより、死ぬ方がましだった……ってことか。

 でも、なんで今?」

「女の体だってことをネタに脅迫されて定期的にレイプされていたのかもな」

 アカリは聞くのが辛そうに首を振った。

 蒼介は自分の椅子に座るようアカリを促した。

 アカリは崩れるように座った。

「大丈夫か」

「平気。それで、その先生を犯した男が、先生の体に血を塗りたくったわけ?」

「そうだ、と考えた方が自然じゃないかな」

「でも、なんでわざわざそんなことを」

 蒼介は腕組みをしながらう〜んとうなった。

「作品作り」

「はぁ?」

「自分の殺人を芸術作品とのたまう殺人者もいる。

 本物の血を使って作品を作りたいと思っている芸術家もいる」

「じゃぁ、そういうやつがやったってわけか」

 アカリが小さくあっと声を上げた。

「まさか、小野寺先生の事を言ってるの?」

 まさか、と笑う章太郎を蒼介が制した。

「真田もそう思った?」

 アカリは頷いた。

「小野寺先生の絵が、先生の体に塗られてた血とあまりにも似てるから」

「マジかよ」

「実は俺、先生の卒業制作っていう動画ネットでを見たんだ。

 小野寺先生が裸の女の体に血糊を塗りたくっていた。

 宮河先生と同じような血模様を描いていた。

 その作品のタイトルは『吸血鬼の戯式』。

 その作品で先生は偽物の血糊を使った。

 でも本当は本物の血を使いたかった。

 自殺を図って死にそうな宮河先生を見つけて、本物の血を使って同じことをしたくなった。

 先生にとって血は特別なものだった。

 血を見て興奮し、理性を失った先生は……」

 三人は顔を見合わせた。

「宮河先生の体には吸血鬼が噛んだような穴が数カ所あった。

 相手の男は吸血鬼なのかもしれないな」

「え、じゃぁ、小野寺先生が吸血鬼、なのか?」

 蒼介は杏が漏らした『噛んで』という言葉を思い出した。

「もし、佐和の体にも吸血鬼の噛み痕があれば、佐和の自殺未遂と宮河先生の自殺が繋がるな」

「同じよ、たぶん。

 宮河先生と佐和は、同じ人物をパートナーにしていたの」

 腕を抱えながら、アカリがつぶやくように言った。

「パートナー? 恋人ってこと?」

 アカリは首を振った。

「血を捧げる相手よ」

 アカリの言葉で、蒼介は事件の方向が見えた気がした。

「やっぱり、宮河先生には男の影があったってことだな。

 それから、佐和にも、同じ男の影が。

 それはやっぱり小野寺先生なんだろうか」

「確かめる方法があるわ」

「え?」

「明日の、満月の夜。吸血倶楽部の晩餐会があるの。

 そこにその男も来るそうよ」

「なんでそんなことを知ってるんだ」

「松波虎之介。あいつが晩餐会の招待状を配ってる」

 突然松波の名前が出てきて、蒼介は驚く。

「松波が? 招待状?」

「それって。小林が言ってたやつだな。

 噂は本当のことだったんだ。血を捧げますってやつ」

「何人かが本当に手紙を書いたのは知ってる。

 でも私、佐和が書いていたことは知らなかった。

 小林さんに聞いて初めて知った。

 佐和はたぶん、晩餐会に行ったんだと思う」

「なぁ、松波が吸血鬼なんじゃねぇの?

 あいつにはヤバい噂もあるし」

「ヤバいって、何が」

「精神病院に入院したのはヤク中だったから、とか、今でもクスリとか大麻とか隠し持ってる、とか。

 そうやってうぶっぽい女の子を誘い出して、ひどいことをしたのかもしれない」

 蒼介は松波が女の子の肌に牙をつき立てる姿を想像しようとした。

 宮河の体に血を塗りたくる姿を想像しようとした。

 でも、それはうまくいかなかった。

「なんのために? 松波だとしたら、なんのためにそんなことをした」

 章太郎は口ごもった。

「つ、つーか、真田さんは松波とどういう関係?」

 章太郎は意図的に話題を変えた。

「どうもこうも、何にも関係なんてないわよ。

 ただ、授業さぼってるとあいつによく会うの。

 勝手に友達だと思われてる。

 それから前にも招待状をもらった事があった。

 別に私から例の手紙を書いたわけじゃないのに。

 興味がないから行かなかったけど」

 ならよかった、と章太郎は小さな声でつぶやいた。

 蒼介は一旦、松波のことを考えるのはやめた。

 意識をなるべく上空へ持っていくイメージをし、客観的であろうと心を整える。

 松波は、晩餐会の招待状をアカリに渡した。

 それは事実だ。

「とにかく、その晩餐会に行けば、佐和と宮河先生のパートナーだった男に会えるわけだな、真田。

 明日の夜、俺が行く」

「招待状がないと入れないわよ」

「おいおい、警察に言った方がいいだろ。

 危ないって」

「馬鹿だな、警察に何て言うんだよ」

「私が行くから」

 アカリは立ち上がって言った。

「でも、本当に危険かもしれない」

「大丈夫だから。

 ただ、由井くんに知っておいてもらいたくて来たの」

「俺に?」

 アカリはほんの少しだけ笑って頷いた。


 寮に生徒たちが大勢戻ってくる前に、アカリはマスクとフードをで顔を隠し、出て行った。

 すっかり男の子の姿になったアカリを見送りながら、蒼介は、女の体を隠しながら男子寮で生活していた宮河先生はどんな気持ちだったのだろうと、ふと考えた。

 バレるのが怖くなかったのか。

 いや、むしろ本当の性別の姿で過ごせる幸せの方が大きかったのではないか。

 どっちも、だろうな。

 不安も幸福も。

 

 その日の夕食時、生徒会が宮河先生の葬儀についてを生徒たちに伝えた。

 葬儀は明日。

 親族だけで執り行われる。

 生徒は参列しない。

 が、明日の朝会で『送る会』を行う。

「葬儀、ってことは、警察から遺体が返されるんだな。

 何かわかったのかな」

 蒼介は章太郎にこそっと漏らした。

「そういえば、宮河先生のPC、どうするんだ?

 家族に返さなくていいのか」

「でも、ロックが解除出来たら、何かが分かるかもしれない。

 だから、呉木の言う通りにするよ。探偵の兄貴に頼んでみるさ」

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