9 吸血鬼の儀式

 土曜日の朝の食堂は、外出が出来る喜びでざわめき立っていた。

 蒼介はその様子を羨ましく眺めたが、外出を禁じられたところで、蒼介が退屈することはなかった。

 むしろ、やるべきことで溢れていた。

 まず蒼介が向かったのはパソコンルームだった。

 さすがに外出日は誰もいないかと思ったが、二、三人がすでに使用していた。

 そして、予想はしていたが、やはり真ん中から左右に女子と男子のしようスペースが区切られていた。

 蒼介はなるべく端の方の誰にも覗かれない場所に座って、昨日今日のニュースを一通り見た。

 世の中があまり動いていないことを確認すると、今度は 『シュアン』を検索した。

 シュアンに関わるニュースは大量に出てきた。

 その中で蒼介が気になったのは、シュアンが今現在体調を崩して休養中だということと、過去のヘアヌード動画が話題になっていること。

 スポーツ新聞サイトの記事によると、ハリウッド進出の直前に過去の、しかも個人的なヌード動画が流出したために、精神的なショックを受けしばらく療養することになったということだ。

 しかし、よくよく調べてみると、動画が流出し始めたのは半年も前だし、清純派のアイドルならファンにとってもショックだが、これまでも何度かヌードを披露しているシュアンが今更精神的なショック云々はないだろう、というのが世間一般の印象のようだ。

 それでも、動画の内容がバイオレンス規制にかかるようなもののため、有名な動画サイトでは探し出すことが出来なかった。

 しかも、フィルタリングされているらしく、いつも見ているようなサイトが見られない。

 それでも、フィルタリングを突破できる裏技使ってなんとか流出動画を見つけ出した蒼介だが、その内容に愕然としてしまった。

 ありがたいことに音声はなかった。

 そこにはヘッドフォンがなかったから。

 画面は白黒で、始まりからシュアンの裸体が写し出された。

 真っ白い狭い部屋の真ん中に置かれた白い大きなテーブル。

 その上に裸で寝ているシュアン。

 一人の男が近づき、シュアンの左腕を取ったと思ったらおもむろに白い肌に噛み付いた。

 画面が切り替わって男の口元がアップになる。

 すると男の唇の端から真っ黒な血がにじみ出てきた。

 男が口を離すと、噛み付いた痕から黒い血が流れ、腕から手首、手のひらを伝って床に落ちた。

 男はどこからか大きめのビーカーを持ってきて、床に置いた。

 そこに黒い血がゆっくりと溜まっていった。

 男はその血を指ですくい取り、シュアンの白い胸元にゆっくりと線を描いていった。

 血をすくい取ってはシュアンの体に線を描く。

 男はそれを繰り返していた。カメラはその行為を淡々と写し出していた。

 引いた画が多いため、シュアンの表情や男の表情はよく見えなかった。

 時々、男の指とシュアンの体の一部がアップになった。

 乳首や陰毛がアップになるとどきりとしたが、男の指がそれを官能的になぞることはなかった。

 むしろ狂気じみた動きで白い肌を黒い模様で染上げていった。

 最後にはシュアンの体はどこからどこまでも自らの血で真っ黒に染まっていた。

 その光景は、蒼介に宮河の血まみれの遺体を思い出させた。

「どういうことなんだ?」

 動画の説明文を読むと、この映像はシュアンの友人のアート作品で、インスタレーションの映像素材ということらしい。

 インスタレーションのタイトルは、『吸血鬼の戯式』。

「吸血鬼か……。儀式じゃなくて、戯式。戯れってことか?」

 蒼介はもう一度動画を再生して今度は男の方を気にして見た。

 ジーパンに白いシャツという姿。

 細めの体格。

 顔は長めの髪が邪魔でよく見えない。

 蒼介は小野寺にシュアンとの関係を聞いた時のことを思い出していた。

 彼は「モデルを頼んだことがある」と言っていた。

 男は大学生くらいの格好に見えた。しかし、小野寺だと断言は出来なかった。

 宮河の遺体と、『吸血鬼の戯式』。

「関係しているのか?」


 動画に出ていた男、シュアンの体に血を塗っていた男は小野寺なのだろうか。

 本人に直接聞くべきだと思った蒼介は、美術準備室へやってきた。

 ノックをしようとすると、中から声が聞こえてきた。

 蒼介は息をひそめてドアに耳を近づけた。

「ははぁ、宮河先生には浮いた話はなかったと。

 では、小野寺先生は宮河先生とどういうおつき合いをしてました?」

 どうやら刑事が来ているらしかった。

 蒼介はさらに聞き耳を立てた。

「宮河先生とは親しくしてましたよ。

 うちの教師は女性が多いですし、独身の男教師は僕たちだけだったので、自然と連帯感みたいのが芽生えましたね」

「はぁ、なるほど。宮河先生の交友関係は広かったですかね」

「いや、寮で暮らしているし、実家も東京で、こちらには知り合いはいないと言ってたから、そんなに広くはなかったと思いますよ。

 飲みに行くのもほとんど僕とでしたし」

「なるほどなるほど。

 では、率直に聞きますが、性的な関係はあったんですか?」

「え? 誰が?」

 小野寺が驚いてる様子がドアごしに蒼介にも伝わった。

「宮河先生と、小野寺先生が、ですよ」

「性的? それは、えっと」

「実はね、先生。この不可解な事件は、どうも男女関係のもつれが絡んでいるようなんですわ」

「事件? ただの自殺ではないんですか」

「いやぁ、ただの自殺、とは言えませんわ。

 宮河先生の相手が分かればもうちょっと見えてくると思うんですけど。

 てなわけで、小野寺先生は宮河先生と性的な関係はあったんですか?

 大丈夫です。誰にも言いませんよ、ほんまに」

「ないですよ、もちろん」

「これまで、一度も?」

「あるわけがないじゃないですか」

「そうですか。

 じゃあ、他に宮河先生が親しくしてた男性はいますかね」

「男性? 女性ではないんですか」

「女性ではないです」

「どうして、そう言い切れるんです」

「それだけはまあ、分かっとるんです」

「その、彼はゲイだったってことですか」

「すまんですね。

 そう言うことは言えないのですわ。捜査の方針で。

 ほんまに先生は心当たりはないんですね」

 田畑の口調は妙にねっとりとしていて、獲物が隙を見せるのを舌を出して待っている蛇のような陰険さがあった。

「ないですよ」

「宮河先生は生徒の寮に住んでいたんでしょ。

 もしかして生徒さんとそういう関係なってたとか」

「生徒? まさか」

「たしかにまさかですが、無いとも言い切れんでしょう」

「いや、さすがにそれは。

 それに彼は、気になっている女性がいると言っていましたから」

「女性ですか。一応、その方のお名前を教えていただけませんかね」

「いえ、名前までは知りません」

「そうですか。

 宮河先生が遺体で発見された前夜は、確か、小野寺先生はお一人で絵を描かれていたとか」

「そうです。先日もお話しましたけど」

「ぶっちゃけた話、アリバイはないんですな」

 小野寺は少し間をおいてから「ええ」と答えた。

「一人で絵を描いて、一人で車で家に帰って、一人で寝ました」

「なるほどなるほど、結構です。では、昨年の十月頃、宮河先生の様子がおかしかったとか、そんなことはなかったですか」

「去年の十月……。文化祭の時期か……。

 あぁ、そういえば、その頃からちょっと変わったかな」

「変わったと言うと?」

「あ、あぁ。なんか元気がなくなったような。

 最近は体調も悪かったみたいだし」

「元気がなくなった理由を何か聞きませんでしたかね」

「いえ、別に」

「その、文化祭の頃ですが、宮河先生は頻繁に外出してたとか外泊したとか、小野寺先生以外の誰かと親しくしていたとか、そういうのはなかったですかね」

「覚えていません」

「そうですか。わかりました。

 ほな、何か思い出したら、こちらに連絡ください。

 私の携帯です。では、ありがとうございました。

 またなんかありましたら聞きに来ますんで。

 よろしくお願いしますわ」

 蒼介は慌てて近くの階段を登って姿を隠した。

 準備室からは田畑刑事と富永刑事が出てきた。

 校長にも話を聞いていた、親子のような二人だ。

 二人も出てきたのに蒼介は少し驚いた。

 まさか女の刑事が一緒だったとは、気配を全く感じなかった。

 田畑刑事は、首を左右に折り曲げ、ぽきぽきと鳴らしてからその場を去った。

 富永のほうは手帳にあれこれと書き込みながら、先輩刑事の後をついていった。

 蒼介は刑事たちのペタンペタンというスリッパの音が聞こえなくなっても、しばらくそこでじっとしていた。

 じっとうずくまりながら、刑事と小野寺が話していたことを思い返した。

 刑事たちはただの自殺ではないと思っている。

 そして宮河先生の性交渉の相手を探している。

 性交渉とはっきり言えるのは、その痕跡があったからだろう。

 しかも、相手は男。男を探している。

 何故なら、痕跡があったからだ。

 痕跡、精液か……。

 宮河先生は死の前後にセックスをした。

 いや、あの青ざめた様子の彼が、死のうと決めている人間がセックスなんてしようと思うだろうか。

 レイプだろうか。

 刑事は十月頃のことを気にしていた。

 もしかして、そのころからある男との強制的な性交渉が始まっていたとしたら。

 遺書にあった『僕が僕であるためにはこうするしかなかった』と言う言葉の意味は、常習的なレイプを終わらせるには死ぬしかなかった、という事なのだろうか……。

 そして、その相手の男は、小野寺なのだろうか。

 蒼介は意を決めて立ち上がった。


 美術準備室の中は鼻をつくほどではないが、油絵の具の油の匂いが漂っていた。

 画材や工具などがつまった棚の他にキャンバスを保管するラックもあった。

 その他のスペースは、教師のデスクと応接用のベンチやテーブル、大きめのキャンバスが乗ったイーゼルが所狭しと置いてあった。

 小野寺はキャンバスの前に立っていた。

「何だい、聞きたい事って」

 蒼介は入口で立ったまま訊ねた。

「あの、『吸血鬼の戯式』のことなんです」

 小野寺は顔をしかめて蒼介を見た。

「なんでそれを?」

「ネットで見ました。シュアンのプライベート流出動画。

 先生がシュアンをモデルにしたことがあるって聞いて、もしかしたらと」

「あぁ、それね。知ってるよ。出回っているらしいな。

 そうだよ、僕の作品だ。正確に言うと作品の一部だ。

 そんな所にいないで、中に入れよ」

 蒼介は言われた通り中へ入った。

「あの、一部、ってことは他にも?

 そう言えばインスタレーションだったとか」

「そう。映像の他にも写真とか絵とか、パフォーマンスもやった。

 その素材の一つだよ。誰が流したんだか知らないが、彼女もいい迷惑だよな。

 面白おかしく言いたいこと言われて」

「彼女から連絡はないんですか?」

「もう、何年も連絡してないよ」

「じゃぁ、なんで鷹山までわざわざきたんだろう」

「さぁね、他に会う奴がいるんじゃないか」

 と言いながら小野寺は筆の整理を始めた。

 右手の指先に赤い絵の具がこびりついていた。

「……絵を描いていたんですか」

 蒼介は小野寺の手を指差した。

 小野寺は、これか、と指を広げて見せた。

「描いてるとね、こうなるんだ。

 指も僕に取っては筆なんだよ」

 蒼介はふと、シュアンの皮膚をなぞる血まみれの指を思い出した。

「あの映像、シュアンの体に血を塗ってたのは先生ですか?」

「そうだよ」

「先生はあの作品でシュアンの体に何を描いていたんですか」

「血管だよ。正確には、気の流れというのかな」

「血管……。

 ああいう作品は何度も作ってるんですか?」

「いや、インスタレーションなんてやったのは、あの卒業制作の時だけだ。

 僕は油絵が専門なんだ」

「じゃあ、なんでインスタレーションなんてやろうと思ったんですか」

「最初は彼女をモデルに絵を描いていたんだけど、それじゃ何かが違う。

 ならば、彼女の身体を作品にしてしまおうと思ったんだ」

「あの血は本物ですか?」

「どう見えた?」

「かなりショッキングな画でしたが、作り物かと。多分」

「そう、東急ハンズで買った血糊さ」

「なんで本当の血を使わなかったんですか?」

「なんでって、本当に流血させたら危険だろう。

 本物を使う事も考えたよ、もちろん。

 でも何が何でも本物の血にこだわった訳じゃない」

「そうなんですか。芸術家ってそういうのは本物にこだわるものかと思ったので」

「本物さ、杏っていうキャンバスは」

「杏?」

「あぁ、彼女の名前だよ」

「血に意味があったわけではなく、シュアンの方に意味があったということですか」

「意味か……。意味がある無いで言えば、すべてに意味がある。

 そして、本物を使うか使わないかという事にはあまり意味が無い」

「はぁ、そうなんですか」

 分かったような分かってないような、とりあえず蒼介は頷いた。

「そもそも、僕の作品に意味なんて無い」

と、小野寺は無精ひげの顔で微笑んだ。

 蒼介も笑顔を作ったが、苦笑いにしかならなかった。

「作品なんて『衝動』でしかない。

 作りたいから作る。

 やりたいからやる。

 何かのためにとか誰かのためにというのは芸術ではない。

 芸術とは『衝動』を形にすることだ」

「衝動ですか。例えば、それが犯罪でも?」

「そこは、ノー、と言ってこう。教師として」

 蒼介は小野寺に近づいて描きかけのキャンバスを覗き込んだ。   

 血?

 全面真っ赤に染まったその絵は、蒼介に全身血みどろの宮河の遺体を思い出させた。

「なんですか? これは」

「分からない。

特に描きたいものがない時は、何も考えずに筆を動かす。

 そのうち、何かが見えてくるかもしれない」

「俺には真っ赤な血に見えました」

 キャンバスの表面をよく見てみると、様々な赤色が、盛り上がったりうねったり、色々なタッチでのせられていた。

 シュアンの体にもこんな感じで血の模様が出来ていた。

 宮河の遺体にも。

「やっぱり、先生は本物の血を使ってみたかったんじゃないですか?」

 小野寺はキャンバスを見つめながらクスリと笑った。

「確かにこの絵を見ると、僕は相当血を求めているように思えるな」

 宮河先生の体に血模様を描いたのは、小野寺なのだろうか。

 創作のために人を殺すことは出来なくても、死のうとしている、いや死んでいる体を見つけたら……。

 芸術とは衝動を形にする事、そうなのだとしたら。

 まだ乾いていないキャンバスの赤い絵の具を指でこすり始めた小野寺を見て、蒼介はもう一つ聞いてみた。

「先生。若松佐和は知ってますよね」

 小野寺はせわしなく指を動かしながら答えた。

「あぁ、美術部だったしな。でも、君はなんで……」

「幼馴染みなんです。佐和も自殺をしようとしたんです」

「そうだったね。気の毒に……」

「どうして自殺なんて考えたんでしょうか、佐和は」

 蒼介はキャンバスから視線を小野寺に移した。

「僕に聞かれても分からない」

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