8 御曹司の焦り

 宮河の死が生徒たちに伝えられてから一晩が過ぎても、校内はやはり重い空気が流れていた。それでも、男子生徒会室の前はいくらか活気づいていた。

 土、日曜日を前にして生徒たちが外出の許可をもらいに詰めかけていたのだ。

「君はダメだ。校則を破ったペナルティだ」

と、蒼介は生徒会委員から外出許可届けを突き返された。

「うそ、なんで? 何かしたか、俺」

「呉木先輩が由井くんは許可するなと。

 授業を無断欠席したペナルティだそうです」

 宮河の遺体を見つけた事は生徒たちには言うべきではない、という校長の判断から、蒼介の無断欠席は体調不良ということで処理してくれたはずだった。

「だから、体調が悪かったんだよ」

「そう言われても駄目なものは駄目だ」

「そこをなんとか……」

「蒼介、いくぞ」

と、章太郎が蒼介の腕をひっぱった。

 何を言っても無駄だと章太郎に促されて、おめおめと部屋に帰って来た。

「しかたがないさ。再来週まで我慢だな」

 章太郎はスポーツバッグに着替えを詰め込みながら言った。

「再来週?」

「そうさ、外出出来るのは隔週って決まってる」

「本当に監獄だな、ここは。でも、参ったな」

 文明都市からやってきた蒼介は、すでにこの閉ざされた孤島のような場所に我慢が出来なくなっていた。

 隠し持ってるスマートフォンは電波が届かず何の役にも立たない。

 世間の情報はテレビニュースと新聞から手に入れる事が出来たが、テレビはロビーと談話室にあるのみで、好きなチャンネルは見る事が出来ない。

 しかも、チャンネルの数が少ない上に、電波が悪いのかまともに見られるのはNHKしかない。

 くだらないバラエティやアイドルばかりの歌番組がなつかしかった。

 そのことを章太郎に話すと、いいことを教えてくれた。

「パソコンルームに行けばいい。そこでインターネットが出来るから。

 ただ、時間も決められてるし、先生の監視もあるし、人気だからなかなか順番回ってこないけどな」

「やった、やっと世界と繋がれる」

「それと、それから呉木はむかつくけど、へたに反発しない方がいいぜ」

 章太郎はコートを羽織りながら言った。

「なぁ、反発したらどうなる?

 殺されるのか?」

「あいつはなんでも自分の思う通りにしなきゃ気が済まないのさ。

 どんな手を使ってもな」

「なんだそれ。あいつだって俺たちと同じいち生徒だろ。

 独裁者じゃあるまいし」

「いいや、まさに独裁者だね。

 今、お前、呉木が俺たちと同じだって言ったか。

 とんでもない、同じじゃないね。あいつのおやじはあの三住銀行の頭取なんだぜ。

 あの巨大財閥の一員なんだよ」

「だからなんだよ」

「あいつにたてついたヤツが何人か学校を辞めてる。

 辞めたヤツの親父の会社が倒産して学費を払えなくなったからだけど、会社が倒産したのは三住銀行が融資を拒否したからだって聞いた。

 あいつのバックには三住銀行が付いてる。

 ここに通ってるのは大体が金持ちのお嬢様かお坊ちゃまだ。

 三住財閥とはみんな多いに関係がある。だから、皆呉木には逆らえない。

 あ、唯一松波くらいか、呉木の権力が及ばないのは」

「松波くん?」

「分からないか? 名前で。

 松波元総理大臣だよ」

「まじか。親父もじいちゃんも元総理の。

 まじかよ。いやいや、それより、いくら頭取だってそんなこと出来ないだろ」

「知らないのか? 三住財閥は血族だって。

 他の血を入れたがらないのさ。

 その大事な跡取りのわがままくらい喜んで聞くさ。

 会社を倒産させることなんて、ゲームソフトを買ってやるくらいの感覚なんだろ?」

「ゲームソフトね。確かにスケールが違うみたいだな。

 でももしかして、お前もそんなことに怯えてるのか」

「いや、俺は違う。俺には年金暮らしのばあちゃんしかいない。

 両親も他の親戚もいないから三住銀行とはなんら関係がない」

「え?」

「それに、元々学費は払ってないしな。今は校長の好意で通わせてもらってるだけ。

 働くようになったら少しづつ返せばいいって事になってる」

「そうか、悪い、変な話になって」

「いいってば。隠してる事でもないし。

 うちの学校はさ、どんな問題児でも前科があっても金さえ積めば入学出来るって噂されてるの知ってるか?

  でも本当は金なんてなくても受け入れてくれるんだ。

 すべて校長の慈悲ってやつだ。

 だから俺は呉木の親の権力なんて怖かないけど、呉木本人は苦手なんだ。

 見た目じゃ分からないけどな、俺は三回あいつに落とされた」

と、章太郎は腕を首に絡めて白目を剥いてみせた。

「まじかよ」

「ひょろっこい見た目に騙されるな。柔道も空手もあいつに勝てるやつはいない。

 陰険さもな。無駄に波風立てない方が身のためだぜ」

「わかった。今回はおとなしく寮にいるよ」

「そうだな。いい子にしてろよ。

 じゃぁ、行ってくるわ」

 章太郎はスポーツバッグを担いだ。

「行ってくるって、どこに?」

「どこって、セ試だよ。明日からセンター試験だからな。

 今日から会場の近くの宿に泊まるのさ」

「あぁ、そうか。あいつは? 呉木も行くのか?」

「そうだな。行くんじゃないかな。多分」

「よし。じゃぁ、頑張れよ、章」

 章太郎はガッツポーズをして部屋を出て行った。


 1013、0131、miyagawa、mk…………。

「クソっ」

 呉木は思わず机を叩いた。立派なホテルのデスクだ。

 かれこれ一時間、彼はノートパソコンの前にいて、ひたすらパスワードを打ち込んでいた。

 次の日はセンター試験だったが、勉強どころではなかった。

 宮河が死を知った夜、呉木は自分を責めていた。

 その前夜から嫌な感じがしていたのだ。

 由井蒼介が寮に到着したとき、宮河の体調はかなり悪そうだった。

 実際倒れるほどだった。

 蒼介を部屋へ連れて行った後、どうしても気になって、呉木は宮河の部屋へ様子を見に行った。

 その時、寮から出て行く先生の姿を見た。

 その後ろ姿がなぜかずっと頭から離れず、翌朝真っ先に宮河を探したが、もうどこにもいなかった。

 たぶん、あのとき寮を出たきり、帰ってこなかったのだろう。

 あそこで、先生を引き止めていれば……。

 しかし、なぜ、先生は死ななければならなかった?

 なんとか後悔以外の事が考えられるようになった呉木は、真っ先に宮河の部屋へ行き、痕跡を探し始めた。

 宮河を自殺へ追いつめた原因があるはずだ。

 原因を見つけて、制裁を与えなければならない。

 この僕が。あのとき先生を引き止められなかった代わりに。

 宮河の部屋には鍵がかかっていたが、副寮長の呉木には開けることが出来た。

 マスターキーを持っていたから。

 宮河の部屋へ入るのは初めてだった。

 話があって訪ねても、宮河は必ず部屋の外で話をした。

 時には場所を変えて。

 呉木はそれが当然だと思っていた。

 教師のプライベートな空間に生徒が入り込むのは失礼なことだと。

 しかし、そんな呉木の思いを通り越して宮河の部屋に入っていった女子生徒がいた。

 呉木はその現場にいた。

 あれは昨年の夏休み。

 ほとんどの生徒が実家に帰っていて、寮には呉木と数人の生徒しかいなかった。

 しかもその日は外出日で残っていた数人の生徒たちも出かけていていなかった。

 よく晴れた日で、真っ青な空には雲一つなかった。

 太陽はちょうど真上に到着するところで、外通路を歩いている呉木の脳天をじりじりと焼き焦がしていた。

 生徒会室から寮に向かっていた呉木は、同じ方向に向かう女子生徒を見つけた。

 黒い長い髪。

 校則では長い髪は束ねることになっているが、彼女は風に吹かれるままにしている。

 真田アカリだな。

 呉木はブラックリストに載っている問題児の彼女を知っていた。

 話したことはなかったが。

 制服の白いブラウスが日の光を反射してキラキラと光っていた。

 気がつくと、アカリは男子寮に入っていった。

 あまりに太陽がまぶしくて、一瞬なにが起こったのか分からなかったが、すぐに彼女を追って寮に入っていった。

 ロビーに飛び込んだ呉木は、あわてて周りを見渡したが、すでにアカリの姿はなかった。

「クソっ」

 しかたなく呉木は、ロビーから伸びている通路を奥へ歩いていった。

 そして、宮河の部屋の前で足を止めた。

 そこから声がしたからだ。

 呉木はそっとドアに近づいて耳を澄ました。

「話があるなら外へ行こう。ここはよくない」

 宮河の声だ。

「平気よ、どうせ誰もいないんだし」

 平坦な、何を考えているのか分からない話し方。

 真田アカリか。

「用事は何かな。

 宿題のことなら、君に教えることはないと思うけど。

 テストで満点以外取ったことがない君にね」

 呉木は自分の耳を疑った。

 しょっちゅう授業をさぼっているクセにどうして。

 呉木の中で突然アカリに対する嫉妬心が芽生えた。

 テストのことだけではない。

 アカリに対する宮河の態度もそうだ。

 どうしてそんなに楽しそうに話す……。

「用事なんて特にない。

 ただ先生と話したかっただけ。暇だから」

「外出すればいいのに」

「外に行ったって暇よ。面白いことなんてない」

「ふうん。でも、僕と話したって面白くもなんともないだろ」

「何言ってるの。

 学校の女の子たちはみんな先生と話したがってるわよ」

 ははっと宮河は乾いた笑い方をした。

「話せば分かるさ。そんなに面白い人間じゃないって。

 知ってるだろ」

 知ってるだろ?

 呉木は二人がどれだけ知り合っているのかを想像して、急に恐ろしい気持ちになった。

「知ってるよ」

 何を知っている、真田アカリ。

「わざとつまんない話してる。

 わざと自分をつまらなく見せてる。

 爽やかな正しい教師を演じてて、女の子たちはそんな先生に入れあげてるけど、私は知ってる」

「僕の何を知ってるって?

 僕はわざとつまらなく見せてるんじゃなくて、本当に……」

 声が途切れた。

 呉木の鼓動が早くなった。

 何をしている、真田アカリ。

 どんなに耳を澄ませても、外で鳴いている蝉の声しか聞こえなかった。

 何かが軋んだ音がして、呉木は思わず逃げ出した。

 二人が何をしているのか、想像してしまう自分に怒りを覚えたが、どんなに頭を振っても想像は加速度を増していく。

 呉木の体の中は怒りでいっぱいだった。

 真田アカリに対する怒り。宮河に対する怒り。

 しかし、一番呉木の心臓を締め付けたのはアカリに対する嫉妬だった。


 初めて見た宮河の部屋は、とても片付いていた。

 他の生徒たちの部屋より少し広かったが、設置してある家具調度品はほとんど同じだった。

 ダンベルや運動マットなど、トレーニングの道具が目についた。

 宮河は割とストイックにトレーニングをしていた。

 朝は校内を走り、夜にはトレーニングルームにこもっていた。

 でも宮河は、いわゆる筋トレにストイックになる男たちと違って筋肉を見せつけるような振る舞いはしなかった。

 むしろ夏の暑い時期でも長袖のワイシャツを着ていた。授業が始まると、

 袖のボタンを外し、クルクルと袖を捲った。

 そういう宮河のキチンとした仕草が呉木は好きだった。

 呉木はまず、デスクの引き出しを開いた。

 しかし、入っているものは少なく、文具類がほとんどだった。

 次にクローゼットを開けるが、そこには見たことのある服やスーツ、カバンなどが整頓されていた。

 一通り部屋を見渡したが、結局最初に気になったあれを見ることにした。

 気は進まなかったが、呉木はデスクの上のノートパソコンを開いて電源を入れた。

 しかし、簡単に覗けると思ったそれにははちゃんと鍵が掛かっていた。

 他人のノートパソコンを勝手に持ち出してはならならない。

 そんなこと校則にもなかったが、常識的に許されることではないと分かっていた。

 規則を破ることは呉木の望むところではない。

 でも、そうせずにはいられなかった。

 自分の部屋にパソコンを持ち帰った呉木は、思いつくパスワードを片っ端から入れていった。

 幸い呉木の部屋は個室だったから誰かに見られることはなかった。

 パスワードになりそうな文字が思いつかなくなると、今度は数学準備室へ忍び込んでパスワードに繋がりそうなものを探した。

 本の背表紙に書いてある番号や、数式の答え、機材の製造番号まで片っ端からメモしていった。

 それでも、鍵は開かなかった。

 センター試験を明日に控えた今も、思いつく文字をひたすら打ち続けていた。

 気がつけば夜が明けようとしていた。

「クソッ」

 呉木は頭をかきむしった。

「こうなったらどんな手を使っても真相を突き止めてやる」

 呉木は厳しい顔でノートパソコンを閉じた。

 そして、熱くなったパソコンをそうっと撫でた。

 呉木は眼鏡を外してそこに頬をつけた。

 つるりとして温かい。

 呉木はそれを宮河が遺した温もりのように感じた。

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