13 吸血倶楽部

 テスト疲れでげっそりして寮の部屋に戻ってきた章太郎は、床に胡座をかいてぼんやりしている蒼介を見つけた。

「どうした、蒼介」

 声をかけられて我に返った蒼介は、おかえり、と笑顔で迎えた。

「よお、どうだった? 試験」

「やっぱ緊張したな。

 でも、そこそこ出来たと思う」

「章はどんな大学を受けるの?」

「俺は、国立の法学部を受ける。

 来週は推薦の試験があるんだ」

「おお、そっか、大変なんだな。頑張れよ」

「もちろん。それより、ちょっと来てくれないか」

「え、どこに」

「図書館。若松のことで思い出したことがあるんだ」

 そう言うと、章太郎は蒼介を図書館へ連れて行った。


 雪は昨日の夜からずっと降り続けていた。

 外はすでに暗く、身が縮まるほど寒かった。

 図書室は男女共用だったが、閲覧スペースと学習ルームはやはり別になっていた。

 章太郎は蒼介を学習ルームへ連れて行った。

 途中、女子生徒が何人かいたが、皆、男二人が近づくとサッと離れていってしまった。

「なんかちょっと傷つくな」

 学習ルームには誰もいなかった。

 そこは狭い部屋に長テーブルが四つほど置いてあるだけで、学習ルームとは名だけのようだった。

 しかも、女子と男子とを分けているのは壁ではなくただのアコーディオンカーテン。

 章太郎はカーテン側の奥の席に座り、机を三回ノックした。

 すると、カーテンの向こうから二回ノックが聞こえた。

 章太郎がアコーディオンカーテンを開けると、向こうにショートカットヘアの利発そうな女子が座っていた。

「悪いな小林、こいつが由井蒼介。

 蒼介、こっちが小林。元美術部の三年」

 小林と蒼介は顔を見合わせてどうもと挨拶した。

「ちょっと、章太郎。

 あんたの友だちにしちゃすごいカッコいいじゃない」

「章太郎、お前、逢い引きなんてしてたのかよ」

 章太郎はわざとらしく咳払いをした。

「あぁ、あのな、蒼介。

 お前と宮河先生の話をしたときにちょっと吸血鬼の話題になったろ」

 宮河の遺体にあった傷が、吸血鬼の噛み痕みたいだ、という話したことだ。

「その時思い出したんだ。

 小林が吸血鬼とかそういう話をしてたのを。

 もしかしたら、若松のことにも関係があるんじゃないかと思ってさ」

 蒼介は驚いた。

 杏のことで頭がいっぱいで佐和のことを半分忘れてしまっていたことを。

「私も聞いた話だから本当かどうか分からないけど」

と、小林は話し始めた。

「聞いた話でいいよ。教えて」

 蒼介の大きな瞳でまっすぐに見つめられた小林は思わず頬を赤らめた。

 そして、少しうわずった声で話し始めた。

「誰がいつからはじめたのか知らないけど、噂があったの。

 手紙を講堂のベンチに挟んでおくと、吸血倶楽部への招待状が届くって」

 蒼介はハッとした。

 昨日、講堂で見た紙はまさか。

「もしかして、私の血を差し上げます、って書いた手紙じゃない?」

「そう。知ってるの?」

「昨日、講堂で見たんだ」

「未だに噂を信じてやっちゃう子がいるのよね」

「それで、吸血倶楽部って?」

「吸血鬼と彼らに血を捧げたい処女が集まる倶楽部なんだって。

 私はそんなの全然興味ないけど、そういう秘密めいたのが好きな子って結構いるから、試してみる子もいるんだけど、吸血鬼に気に入られないと招待状は届かないんだって。

 でも、私の先輩の友だちが手紙を教会においておいたら、返事が来た。

 そこには時間と場所が書いてあった。

 でも、そこが吸血倶楽部のアジトじゃなくて、もう一度審査されるんだって。

 学校じゃなくてどっかの喫茶店とかそういうところで。

 そこで気に入られると本物の招待状がもらえるの。

 先輩の友だちは招待状を貰えて、吸血倶楽部の晩餐会に参加出来たの」

「晩餐会ってどんな風なの?」

「そこまでは分からない。

 先輩の友だちは晩餐会に参加した後、学校に来なくなっちゃったんだって」

「何があったんだろうな」

 蒼介は吸血倶楽部の晩餐会というものを想像してみた。

 暗い部屋、たくさんの蝋燭の灯、黒マントを羽織った男たちが美しい少女たちのうなじに牙をたてる。

 蒼介の頭の中では、杏が恍惚とした表情で吸血鬼に身をまかせていた。

「っていう話をね、部活の後輩たちに話したの」

 小林は声を低くして続けた。

 蒼介も改めて身を乗り出した。

「そうしたら興味を持っちゃった子がいて、自分もやってみるって言い出してさ。

 本当に手紙を書いちゃったの。

 でも、教会において来たって所までは聞いてたんだけど、その後どうなったかは何も言ってなかったから、まぁ何も無かったんだろうと私も忘れてたのよ。

 ところがさ、その子も学校に来なくなっちゃって」

 蒼介は、まさか、と思った。

「もしかして、その子って若松佐和?」

「そう、佐和よ」

「マジか……」

 蒼介は握りこぶしをあごにあてて唸った。

「あのこ、入学当初は裸の石膏像も見られないくらいうぶだったのに、随分変わっちゃった」

「お前たちが変なことばっかり吹き込んだからじゃないか」

「何よ、そんなことないわよ。

 むしろ、ルームメイトの影響じゃないの。

 だってあの真田アカリだもん」

「あの真田アカリ?」

「知ってるの? 彼女のこと」

「少しだけ。でもなんで真田のせいなの?」

「真田って、平気で授業はさぼるし、先生の言うことも聞かないし、当番だってばっくれるし。

 でもあの美貌でしょ。

 寮長に色目使って手なずけてやりたい放題」

「寮長って、呉木のこと?」

「ばか、呉木は男子寮。

 女子寮は女子寮でいるんだよ」

「でも色目って……。

 あぁ、そういうことか」

「そういうこと。

 女子だけの世界にもきわどい恋愛模様が渦巻いてるのよ。

 真田は極端で、すっごく愛されるかすっごく嫌われるかに分かれてるわね。

 ま、私は嫌いな方だけど、佐和は好きだったみたいね。

 部屋も一緒だし、二人は出来てるって噂だったわよ。

 だから、佐和が学校に来なくなったのは真田にひどい形でフラれたからだって、本気でそう思っている女子もいるわ」

 蒼介は、黒髪を揺らして、隣で泣いていたアカリを思い出した。

「小林さんもそう思う?」

「真田と佐和がデキてるっていうのはただの噂よ。

 でも真田は佐和に少なからず悪影響を与えていたと思うな。

 佐和は自分と全然違う真田に憧れてたから。

 真田自身も悪いことしたと思ってるみたいだし。

 あいつも最近、佐和に変わったことがなかったかって聞きにきたのよ。

 だから、あんたのせいで佐和が変なものに興味を持つようになったって言ってやったわ。

 佐和は真田と同じことがしたかったのよきっと」

「同じこ?」

「嘘か本当かは分からないけど、真田も招待状をもらったって。

 それから、真田の首に吸血鬼の噛み痕みたいな傷を見たとか、そんな噂もあるわよ」

「噂、か」

「噂、よ」

「あ、そうだ。最後に、『アムール』と『バラが入口』ってどういう意味か分かる」

 小林と章太郎は首を傾げた。

「アムールって、あれでしょ」小林が言うと、

「あぁ、あれもアムールだな」と、章太郎が頷いた。

「章太郎、見せてあげたら?」


 蒼介は章太郎に連れられて美術室の隣にある、美術部の部室へやって来た。

 中に入ると、部屋の隅にたくさんの石膏像が並んでいた。

 章太郎はその石膏像の中のひとつを叩いた。

「これがアムールくんだ」

 青年の半身像で、中性的な顔と体つきをしていた。

 腕は肘から先がなく、足も付け根のすぐ下で切られていた。

 身体の割に小柄な男性器がついている。

 誰かに似てるな。と、蒼介は思った。

「佐和が恥ずかしくて見られなかった奴だよ」

「こいつかぁ」

「オリジナルのアムールは背中に羽があるんだ。

 ここにほら、羽の跡があるだろ。

 つまりこいつは天使ってわけ」

 背中を見ると、折れたようなもぎ取られたような跡がある。

「天使……。

 悪魔と天使か。訳が分からん」

 

 佐和は『悪魔がいる』と言った。

 佐和は吸血鬼に会った。

 宮河先生の身体には、吸血鬼の噛み痕があった。

  

 吸血倶楽部に吸血鬼の戯式。

 そして血模様が描かれた杏と宮河。

 蒼介の頭の中で、無数の電気信号が何かの輪郭を作り始めていた。



「章太郎、小林さんとつきあってんのか」

 寝る前に、蒼介は布団の中から尋ねた。

「そんなんじゃねえよ」

 章太郎は小さな声で応えた。

「おいおい、否定する声が小さいんだけど」

「うるさい。寝ろ」

「センター試験の間も会ってたのか?

 もしかして同じホテルだったとか」

「お前、ベッドから引きずり降ろすぞ」

「なんだよ。教えろよ」

「別に、ただ一緒に飯とか喰っただけだよ。

 宿だって別だし。

 それにつきあってるとかじゃないし」

「あの学習ルームで会ってんだろ、いつも」

「わかんねーんだよ、まだ。

 あいつがどう思ってるか」

「まだ告白してもないのかよ」

「だから、わかんねぇから、こっちから言えないんだよ。

 それに」

「それに?」

「お互い希望の大学が受かったら離れちまうし、あいつの家はこの辺の大地主でじいちゃんも親父さんも代議士だし。

 俺みたいな虫がつかないようにこんなとこ通わされてんだからさ」

「そっか、それはちょっとキツいな。

 でもいいのか、童貞のまま卒業して」

「うるせえな、童貞とか言うな。勝手に馬鹿にしてろ」

「確かに馬鹿だな。相手の家にビビってるなんて」

 章太郎は答えなかった。

 蒼介は唐突にベッドから飛び降りた。

「おい」

 章太郎は驚いて身体を起こした。

「恋愛なんてな、考えれば考えるほどキツくなんだよ。

 俺たちまだ高校生だろ? 突っ走って事故ってなんぼだろ。

 事故上等。スピード違反万歳だ。

 事故ったらそのとき謝ればいいんだよ」

「お、おう」

「大丈夫。きっと小林さんは待ってるぞ。

 あ、でも相手が傷つく事故は駄目だぞ。

 男として責任ある行動を、な」

 章太郎はしばらくその事に着いて考えていたが、

「つ、つーか、校内で恋愛は禁止なんだ。

 もう、ほっとけよ」

と言って布団にもぐってしまった。

 改めて布団に入った蒼介は、自分が言った言葉を思い返して思わずため息をついた。

「恋愛なんて考えれば考えるほどキツくなる、か」

 偉そうに言ったものの、蒼介も杏のことを考えると思考と心が絡まって苦しくなるのだった。

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