6 不謹慎な好奇心

 その日の夜はやはり学校中がざわついていた。

 放課後の臨時集会で、生徒たちは宮河が死んだことを知らされた。

 ただ、蒼介が見た凄惨な風景に校長が触れることはなかった。

 発見者がこの学校の生徒だということも知らされなかった。

 ただ、湖のそばで事故にあったらしい、今警察が詳しく調べている、とだけ伝えられ、もしかしたら警察から何か聞かれることがあるかもしれないからその時は協力してほしいと生徒たちに呼びかけた。

 自殺の言葉を出さなかったのは、クリスチャンの生徒を想ってのことだろう。

 校長は事故という言葉を強調していた。

 ほとんどの生徒たちが衝撃を受け、女子生徒の多くは泣いていた。

 夕食時の食堂は静まり返り、重苦しい空気が生徒たちの食欲を奪っていた。

 夕食後、部屋に帰ってきた蒼介は、章太郎の顔を見てなんだかホッとした。

「なぁ、章太郎、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「おい、お前、どこに行ってたんだよ!」

 章太郎は怒っているようにも見えたが、心配しているようにも見えた。

「どこって、ちょっと」

「朝消えたっきり授業に出なかっただろ。昼休みも俺、探したんだぜ。

 迷子になってるかと思ってさ」

 迷子なんてまさか、と吹き出しそうになったが、章太郎の真面目な表情を見たらなんだか申し訳ない気分になった。

「悪かった。すまない」

「宮川先生が亡くなったってな」

「あぁ」

「湖の近くで見つかったそうだな」

「うん」

「お前さ、湖の方へ行った真田を追いかけていったろ。

 そのままお前は帰ってこなかった。お前、何か見たんじゃないか?」

 章太郎の笑顔の時に見える八重歯は、今は見えなかった。

 意外と鋭いな、と蒼介は思った。

 そして、章太郎になら自分が見たことを話してもいいような気がした。

 彼は面白がって言いふらしたりはしない。

 これも『カン』。

 蒼介はログハウスで見たことを包み隠さずに話した。

「じゃぁ、先生は湖のそばのログハウスで死んでたってこと?」

「湖のそばのログハウスで死んでた。

 嘘じゃない。

 それに、全部話せるほど話がまとまってないから、校長もオブラートに包んで話したんだと思う。

 あと、ログハウスは宮河先生が借りてるものだった。

 それって生徒はみんな知ってるのか」

 このことは間の抜けた事情聴取の中で得た、数少ない収穫だった。

「いや。他に部屋を借りてたなんて知らなかったな。

 しかも、寮からそんなに離れていないところにか」

「やっぱり秘密だったのか。学校には。少なくとも生徒には」

「でも真田は知ってたんだな」

「たぶんな」

「真田が殺したのか?

 だから事故なんて言って隠したのか」

「違うと思う。真田も発見者だ。

 あれは、本気で驚いてた」

 でも、「わたしのせい」とも言っていた。

 蒼介は椅子の上であぐらをかいた。

 章太郎はベッドに腰掛けて、枕を抱きながら疑問を口にする。

「遺書があったってことは、やっぱり」

「たしかに、自殺の痕跡はある。

 でも、血まみれの意味がわからない」

「裸、っていうのもな」

「見たまま言うと、宮河先生は裸で全身血まみれだった。

 ベッドにうつぶせになって、手首がぱっくり切れていた」

 章太郎は口を開けただけだった。

 言葉が出ない、そんな顔だった。

「一瞬、皮膚が全部剥がされているのだと思った。

 それくらい真っ赤になってたんだ。

 もちろん、シーツも真っ赤だった。

 思うに、誰かが全身に塗り付けたんだと思う」

「誰かが?」

「そう。背中にもびっしりと……。

 しかも、ただ塗られていたんじゃないんだ。

 血で模様が描かれていたんだよ」

「へ? なんでだよ。なんのために……誰が」

 ボートハウスでアカリを気遣いながらも、蒼介はその状況を確かめなければと思った。 

 アカリを遺体から離し、パトカーが到着するまでの間に可能な限り現場検証をしたのだった。

「そう、なんで誰がそんなことをしたのか。そう思うだろ?」

 章太郎はごくりと唾を飲んだ。

「まず、なんで裸だった?

 先生は裸でいるのが好きな裸族だったとか?」

「いや、宮河先生は夏でも長袖のシャツを着てた。

 腕をまくって。そうだ、寮の中でだって、ゆるい格好をしてるのを見たことがない」

 蒼介はこめかみを抑えながら「うーん」と唸る。

「服はベッドの近くの床に落ちてた。床にも血がついてるのを発見した。

 ベッドの側の血溜まりとは別に、点々と落ちたような血。

 その血をたどっていくと血が付いているカッターナイフが落ちていた。

 そこには流しがあって血が混じった水が溜まっていた」

 蒼介は章太郎の顔が歪んだのを見た。

「そこは多分台所として使われてたんだと思う。

 小さな電気コンロと調理器具があった。

 流しの側には椅子があって、その近くに小さなテーブルがあった。

 テーブルの上には水の入ったコップと、薬のシート、ハルシオンって書いてあったから、睡眠薬だね。

 あと、レポート用紙が一枚。それはたぶん、遺書だと思う」

「い、遺書って、なんで分かるんだよ」

 蒼介はスマホを取り出した。

「蒼介、お前、まさか」

「一応、写真を撮らせてもらった」

「マジかよ。いいのか?こんなこと勝手にして」

 蒼介は遺書と思われる用紙を写した写真を見せた。

「僕が僕であるためにはこうするしかありませんでした。

 ごめんなさい。宮河幸。

 そう書いてあったんだ、遺書だろ?」

「本当だ。じゃぁ、先生は自殺したってことか」

「たぶん。睡眠薬を飲んで、流しに水を張って手首を切って、椅子に腰掛けたまま眠って死んでしまおうと思ったんじゃないか」

「そうだとしたら、血まみれになんかならないじゃないか」

「これは俺の想像だけど、先生が手首を切った後、誰かがベッドに運んで服を脱がせて全身に血を塗ったんじゃないかな」

「なんでそんなことを」

「しかも、ただ塗りたくってる感じじゃないんだ。

 何か模様が描かれてる風に見えた」

「血で模様? なんかの儀式のつもりか?」

「見るか、写真」

「いや、いい」

「儀式か……」

 それと、蒼介にはまだ気になることがあった。

「あと、先生のうなじのところに二つ穴みたいな傷があった。

 他の場所にもいくつかあったけど、なんかさ、映画とかドラマで見るようなやつなんだ」

「まさか……」

「そう、吸血鬼が噛んだ痕さ」

「それは、つまり、吸血鬼が死んだ先生の血を吸ったってこと?」

「仮に吸血鬼がいたとして、吸血鬼は血を吸う。

 体に塗りたくったりはしない。

 これは誰か人間がやったんだ。

 先生は自ら命を絶った。

 だからそいつは殺人を犯したわけじゃない。

 でも、遺体を弄ぶのは立派な犯罪だし、もしかしたらそいつがそんなことをした時、まだ先生は死んでなかったかもしれない。ひどい行為に違いないんだ」

 章太郎はぽかんと口を半開きにして蒼介を見ていた。

「……お前、刑事かよ。

 それか、探偵? 金田一?」

「いや、ただの好奇心だ」

「なんだよ。ただの好奇心かよ、不謹慎だな」

「馬鹿だな。

 俺たち高校生は好奇心の固まりだろ。

 好奇心を満たすためなら何だってやってやる無謀の固まりさ。

 無謀上等、好奇心万歳。

 それに不謹慎って言うけど、俺は興味本位だけじゃない。

 この学校でうろついている悪魔ってやつをみつけたいんだ」

「悪魔?」

「若松佐和が言ってたんだ。

 四恩高校に悪魔がいるって」

「え? でも、それとこれは違うだろ。だって」

「何言ってんだよ、佐和は自殺しようとした。

 宮河先生も自殺しようとした」

「あ」

「同じ高校にいた人間が、同じ時期に自殺を図ったんだ。

 まったく関係ないか?」

「でも、関係あるって証拠もないだろ」

「今はな。でもどっちにしろ佐和を追いつめた悪魔は絶対に見つけるつもりだ。

 そのためには宮河先生の死が関係あるのかないのか知らないといけない」

 蒼介は抱えていた枕を拳で殴った。

 蒼介はベッドの下の階にあぐらをかいている章太郎と向かい合うように、椅子の上であぐらをかいていた。

「あのさ、若松のことなんだけど……」

と言って、章太郎は腕を抱えてう~んと唸った。

「なんだよ、章。

 言いかけて止めるなよ」

「いや、その、俺も聞いてみるわ。他の部員に」

 八重歯を見せて章太郎は笑った。

「ありがとな」

 蒼介もお返しに普段女の子にしか見せないような爽やかな笑顔を作った。

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