4 獲物

 夜通し降った雪が、校内をすっかり銀世界へと変えていた。

 雪はもう止んでいて、生まれたての太陽の光がきらきらと雪の上で跳ね回っていた。

 寮から食堂へ向かう女生徒たちが、渡り廊下で白い世界に感嘆の声をあげていた。

 そんな彼女たちを、蒼介は遠くから眩しそうに眺めた。

 紺色のブレザーに一番上のボタンまでしっかりと止めた白いブラウス。

 きちっと結ばれた臙脂色の細いリボン。

 長めのスカートと、白いソックスが新鮮だった。

「ほら、そこが食堂」

 ルームメイトの里見章太郎が蒼介の腕を突ついて言った。

 彼もシャツを第一ボタンまでしっかりと締め、臙脂色とベージュのストライプのネクタイをしっかりと締めていた。

 彼だけではない。

 他の男子も同じだ。

 全部がゆるいのは蒼介だけだった。

 異性交流を禁じられている四恩高校では、食堂さえも男女別になってた。

 しかも、男子食堂は厨房の隣にとって付けたように増設されたお粗末なものだった。

「朝飯は当番制で、生徒が作るんだ。

 作るって言っても、管理人の川田さんの手伝いだな。

 ちなみに川田さん夫婦は住み込みで学校の雑務をやってくれてる。

 朝食当番は朝早いから結構面倒なんだけど、でも、なんと女子と一緒になれる。

 無駄話はできないけど、それでも一緒に作業できるのは貴重なんだ」

と言って、章太郎はニタリと笑った。


 ルームメイトの章太郎はなかなかいいやつそうだった。

 親切にも朝六時に蒼介を叩き起こし、まだ寝ぼけている蒼介に寮での朝の生活を一通り説明してくれた。

 とても丁寧に。蒼介が当番とか係とかを理解しているかどうかはおかまいなしだったが。

 そして、言うべき事を言ってしまってから、思い出したように尋ねた。

「そうだ。お前、名前は?」

「名前? 由井蒼介」

 まだ半分寝ている。

「二年だったな」

「そう」

「ゆい……ゆ、は油?」

「自由の由。

 あと、イントネーション、ゆい、って下がらないで。

 土井と同じだから」

 蒼介は、何回言ったか分からないいつもの自己紹介をする。

「お前は? 名前」

 蒼介はあくびをしながら聞いた。

「お前って言うな。俺は三年だぞ。先輩だ」

「え、ホントに?」

「ホントに? じゃない。

 正真正銘、受験生。

 名前は、里見章太郎。章太郎先輩って呼べ。

 名字で呼ばれると女みたいだから嫌なんだ。

 名字で呼んだらお前のこともゆいちゃんって呼ぶからな」

「小学生かよ。

 つーか、親、里見浩太朗のファンとか?」

「よく分かったな。

 ばあちゃんが里見浩太朗の大ファンでさ。

 ちなみに俺の親父は浩太だぜ」

と、笑った顔がまるで子どものようだと蒼介は思った。

 右上の八重歯が愛嬌を感じさせる。

 蒼介はこの憎めないルームメイトが、何故か昔からの友達のような気がして、新しい学校生活に少し希望が持てた。


 蒼介が章太郎に引きずられて食堂にやって来た時、すでにテーブルは一杯だった。

「男子の食堂は狭いからすぐにいっぱになるんだ。

 今日は鮭だな。朝食はご飯のときは大抵、味噌汁と焼き魚と玉子とおひたし。

 火曜、木曜、土曜はパンで、そんときはまあ、そんときだ。

 お、あそこ空いたぞ」

 章太郎と蒼介は食事の乗ったトレーを持って空いている席に座った。 

 座るやいなや隣の生徒が、

「君、転入生だな?」と、興味深々で聞いてきた。

「二年だってな。どっからきた?」

 蒼介は玄米を珍しそうに口にいれながら

「横浜」と答えた。

「高校はどこやった? もちろん、進学校やろ」と言ったのはまた別の男子。

 蒼介はブルブルと首を振った。

「お父様は何をしているんだい?」とまた別の男子。

「……公務員だけど」

「官僚かな?」と、また違う男子。

 蒼介は首を振った。

 だんだん相手にするのが面倒くさくなって来た。

「なんでこんな時期に転校した?」

「俺だってしたくなかったよ」と、投げやりに答えた。すると、

「やっぱり、問題児の方か」と、男子たちはクスクス笑い始めた。

「おまえら、うるせえ」と、いいかげん章太郎の堪忍袋が切れた。

「飯が喰えねえ!」

 ちょっと上から目線のいけ好かない男子たちは、章太郎の飛ばすご飯粒やらを避けるように後退する。

「あ、そうそう」

 口の中のものをみそ汁で胃袋へ流し込んだ蒼介は、野次馬どもに声をかけた。

「あのさ、若松佐和って女の子知ってる? 二年の」

 わかまつ? と皆顔を見合わせたが、そろって首をふった。

「若松って、美術部の若松かよ」

と言ったのは章太郎だった。

「お前、知ってるのか?」

 まわりの男子たちまで意外そうに驚いて声を上げた。

「部活だよ。部活が一緒だったんだよ」

「部活って、お前も美術部?」

「悪いかよ」

「なんだ、女目当ての転校か。レベルが低いな」

と、スカした男子たちは軽蔑するように蒼介を見下しながら去っていった。

 しかし入れ替わりに、他の好奇心旺盛な男子どもが集まって来た。

「おい、転入生、若松って誰だよ」

「お前の女か?」

「女、追いかけて来たんか」

「東京の女子ってみんなスカート短いのか?」

「見せるパンツ履いてるんだろ。見せてくれんのか」

「階段で見える? 同じ教室なんだろ、ちょっと屈めば見えるんだろ?」

 だんだん質問とは別の話題で盛り上がっていき、蒼介はもう対応するのが面倒になって、鮭と玄米と味噌汁を口一杯に頬張り、

「あと、梅干があれば最高だな」と、朝食を堪能していた。

 イライラが最高潮に達していたのは章太郎の方だった。

「もう、うるせー」

 章太郎が立ち上がったとき、

「静かにしないか」

と、ピリッと張った声が食堂に響いた。

 呉木が蒼介たちのすぐ側に立って冷たく睨みつけていた。

 蒼介のまわりにたむろっていた男子生徒たちはあっと言う間にいなくなったが、蒼介は「おや?」と思った。

 呉木は学生服を着ていたが(確かにきちっと着ていたが)、どこか乱れているように見えた。いや、乱れているのは髪型か。

 肩が上下している。息が上がっているようだ。

 呉木は食堂内をぐるりと見渡すと、蒼介に目もくれず、回れ右をして食堂を出て行った。

 また一瞥を食らうかと思っていた蒼介はほっとした。

「誰か探してたのかな」

 蒼介は味噌汁を飲み干して言った。

 章太郎は感心していた。

「あのワザ、覚えたいな」


「おお、絶景かな」

 真新しい教科書を新品のナイロンバッグに入れ終わった蒼介は、章太郎の支度が終わるのを待つ間、カーテンを開け、窓を開けた。

 冷たい、爽やかな空気がどっと入り込んで来た。

 目の前に広がっているのは、雪化粧した山、山、山。

 男子寮は学校内の一番東側にあり、蒼介たちの部屋の窓は東を向いていたから、校舎などの建物もなく、広大な大自然だけか蒼介の目に飛び込んで来た。

 寮の裏側を見ていることになるのだが、そこは下り斜面になっていて、下の方には青い空が映った湖が見えた。

「湖か」

「あぁ、そう。天空の湖とかなんとか言うやつな。

 本当の名称は知らん」

「へぇ~。天空の湖ね。

 で、さっきから何をしてんの?」

 章太郎はデスクの引き出しの中をひっかきまわしていた。

「シャツのボタンが取れたんだよ。針と糸がどっかに……」

「そんなのほっておけよ」

「だって、第二ボタンだぜ。開いてたら恥ずかしいだろ」

「ネクタイするんだし、わかんねぇよ」

「いいから、ちょっと待ってろ。あと、窓閉めろ。寒い」

 まぁ、まだホームルームが始まるまで時間はあるから、急ぐこともない。

「なぁ、若松の事だけど」

「そうそう。なんだよ、お前ら知り合いか?」

「小学校が一緒でさ。

 母親同士が仲がいいから、まあ自然と幼馴染みたいな感じで。

 つうかあいつ、冬休み前からずっと学校休んでるだろ?」

「そうなのか? 病気かよ」

「なぁ、章太郎。佐和はどうだった?

 部活でいじめられてたとか、何か知ってるか?」

「いじめ? それはどうかな。

 そんなに彼女の事知らないけど、嫌われるタイプじゃないだろ。

 逆に女子たちの間じゃ可愛がられてた感じだけどな」

「悩んでる感じとか、なかった?」

「俺がいたときはなかったな。って言っても、三年は夏休み前で部活は終わりだから、それまでの印象だけど。ああ思い出した」

「何?」

「若松が一年の頃、初めて全身像のデッサンをしたときな、あいつ結局なんにも描かなくてさ。

 なんでか聞いたら、石膏像が恥ずかしくて見られないって。

 裸の男の像だからな」

 蒼介は、なるほどね、と笑った。

 そう、佐和はまるでうぶなのだ。

「女子の間のことは分かんないけど、男子の間では人気だったぜ。

 理想の処女って」

「理想の処女ねぇ……。

 あいつ、自殺を図ったんだ」

「ええっ。マジか」

「だから、学校で何かあったんじゃないかと思って。

 それで章太郎、『アムール』って……」

と言いかけて、蒼介はまた窓の外を見た。

 ザッザッッと下の方から音がしたからだ。

 見ると制服姿の女子が蒼介の目下を歩いていた。


 コートも羽織らず、雪の中を歩く姿は異様だ。

 雪の中は歩きにくそうなものだが、ザッザッと軽やかに苦もなく歩いているように見えた。

 足を出すたびに長い黒髪が揺れ、朝日を受けてキラキラと輝いていた。

「女子がいる」

「どこに?」

 章太郎は蒼介の脇から外を覗いた。

「あぁ、真田アカリじゃないかな」

と、言うと、寒い寒いと窓から離れた。

「知ってる子?」

「若松佐和のルームメイトだよ。

 授業さぼったり、色々悪目立ちしてる」

 ふうん、と蒼介はアカリを目で追った。

 彼女は軽やかというよりは、焦った感じで雑木林の中へと消えた。

 目を凝らして見ると、けもの道のようなものがあることが分かった。

「なぁ章太郎、この下を下りていくと何がある?」

 章太郎は脱いだシャツにボタン縫いつけているところだった。

「寒いって言ってんだろ。窓閉めろよ。

 湖だよ。しばらく降りて行くと着く」

 蒼介はしばらくその馬鹿でかい水溜りをみていたが、

「悪い、先にいく」

と、言ってダウンジャケットだけ掴むと、針とシャツを持って唖然とする章太郎を残して部屋を出て行った。


 外へ出ると、冷たい空気が蒼介の頬を乱暴に撫でた。

 寮の壁にそって裏へまわろうと雪の中へ足を入れ、ブーツを履いてきて良かったと一瞬思ったが、歩いているうちにさらさらの雪は容赦なく入り込んできた。

 それでも足を止めるわけにはいかなかった。

 何故か胸がざわめいた。

 真田アカリを追いかけないといけないような気がした。

 『カン』だ。

 蒼介は、彼女が下りていったけもの道に入った。

 木々の中にも雪は降り積もっていた。  

 木に積もった雪がさらさらと落ちる音と、蒼介が立てる足音が静かな森の中に響いていた。

 けもの道は思ったよりも歩きにくかった。

 坂は急で、つたのような木の根に捕まりながら下りないといけないところもあった。

 どこが道なのか分からないような場所もあったが、とにかく、下へ下へと下りていった。

 アカリの姿も見つけられないまま、ひたすら歩いた。

 道を間違えたのかもしれないと思い始めたとき、唐突に視界が広がった。眩しい。

 砂浜?

 蒼介は、一瞬、海辺に来てしまったのかと錯角した。

 が、そこは砂浜ではなかった。

 章太郎の言ってた湖のようだ。水辺に積もった雪が、白い砂浜のように見えたのだった。 

 雪をふむと、ジャリっと音がした。

 雪の下は土ではなく、砂利のようだった。

 湖畔には古いログハウスのようなボートハウスのようなものがあった。

 それ以外の建造物は見当たらなかった。

 ログハウスから湖へ桟橋が延びていたが、桟橋は半分水の中に崩れ落ちていた。

 ボートも水辺に上げられたまま朽ちていて、雪が降り積もっていた。

 もっと水に近づこうとしたとき、静かな空間に悲鳴が響いた。

 声はログハウスから聞こえたようだ。

 蒼介は急いでログハウスに近づいた。

 そして、桟橋側のウッドデッキに上って、ガラス窓ごしに中を見た。

 だだっ広いワンルームの部屋の奥の方に、制服姿のアカリが立っていた。

 蒼介はガラス窓を開けて中に入った。

「どうしたの?」

 アカリは蒼介の声に驚いて振り返った。

 顔が真っ青だ。

 近づいて彼女が見ていたものを見て蒼介は息を飲んだ。

 ベッドの赤いシーツの上に真っ赤な全裸の人間がうつぶせになって横たわっていた。

「これは……」

 違う。赤いシーツだと思ったのはすべて血だった。

 白いシーツが血で真っ赤に染まっていた。 

 横たわっている身体も血で真っ赤になっていた。

「……せ、先生」

と、アカリは苦しそうに声を出した。

「先生?」

 蒼介は、そっと近づいて顔を覗き込んだ。

 血まみれの顔は見覚えがあるような気がした。

 目は見開いたままで閉じる事はなかった。

「死んでる、よね」

 蒼介が振り返ってアカリを見ると、ちょうど白目をむいて崩れ落ちる所だった。

 蒼介は慌てて体を支え、近くにあった椅子を引き寄せて座らせた。

「大丈夫?」

 蒼介が肩を揺すると、アカリは目を開いた。

 意識はあるようだ。

「よかった。とにかく、人を呼ぼう」

 蒼介はアカリの体を支えながらスマホを取り出し、110番を押した。

「宮河先生……」

 蒼介が電話を切ると、アカリがうめくように言った。

「え?」

 蒼介は再びベッドに目を向けた。

 ベッドは片側が壁にくっつけられ、足元も壁、頭側にローチェストが置かれている。

 死体はうつぶせで壁とは反対、つまり蒼介たちの方に向いて、伸ばした手をだらりとベッドから投げ出していた。

 蒼介は顔をしかめながら血まみれの顔をよく見た。

 なるほど。

 見覚えがあると思ったら、昨日会った宮河だった。

 昨日の青ざめた顔とは当然ながら全然印象が違った。

 それにしても、なんでこんなに血まみれなのだろう、と蒼介は疑問に思った。

 顔もそうだが、体中の血は意図的に塗られたように見える。

 ところどころ、指の跡のような濃淡がある。

 模様?

 よく見てみれば。背中からすらりと伸びた腕、臀部、太ももから足先まで、びっしりと血で模様が描かれている。

 おや? 蒼介はうなじに小さな丸い傷がふたつ並んでいるのに気がついた。

 鋭く尖った何かで刺したような穴。

 針?

 針にしては穴が大きいようだ。

 うなじから続く腕はぶらんと床まで垂れ下がり、床に血が溜まっていた。

 垂れ下がった手首の内側が骨にそって二十センチくらい、ナイフで切ったのだろうか、ぱっくりと開いていた。血はここからだいぶ出たと想像出来る。

「松ぼっくり?」

 床の血溜まりに大きな松ぼっくりが四つ転がっていた。

 改めてベッドの上の宮河を見ると、体がベッドの端の方に寄っている。

 枕元のローチェストの端、蒼介がいる方に血の跡がついていた。

 その側にはシンプルな目覚まし時計が置いてある。

 血の跡は、手が擦り付けられたように見えた。

 目覚まし時計の隣にあったものを手を伸ばして取った。血はその時に付いたのかもしれない。

 そして、手を伸ばして取ったものは、これか?

 転がる松ぼっくり。

「なんで……」

 いつの間にかアカリは離れたところにあるテーブルのそばにいた。

 蒼介がそばによると、アカリの体は震えていた。

 テーブルの上に、薬が取り出された後のシートと一枚の紙があった。

 手紙のようだった。

 蒼介は読み上げる。

「僕が僕であるためにはこうするしかありませんでした。

 ごめんなさい。宮河幸」

「そんな……」

 アカリの歯がカチカチと鳴りだした。

 良はダウンジャケットを脱ぎ、それでアカリの身体を包んだ。

「大丈夫。落ちついて」

「……私のせい……私が」

と消えそうな声で言った。

 蒼介は震えるアカリの手を握る。

 氷のように冷たかった。

「ごめんなさい……私の……せい」

「なに? どういうこと?」

 アカリは答えず、ただ震えた。

 やがて、遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえて来た。

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