<ハードボイルド VS ヒーローⅡ>~殺意のインウィデイア~
<ハードボイルド VS ヒーローⅡ>~殺意のインウィデイア~
殺し合いに必要なものが感情の抑圧だとするならば、ケンカに必要なものは感情の制御だ。
その感情とは人を害することへの忌避感。
人である為に最低限必要な社会倫理という外部データをダウンロードすることで人格を形成していく人間にとっては、必要な感情だ。
それに働きかけるのは理性というプログラム群だが、そのアプローチ方法は同一ではない。
殺し合いで理性が行うのは感情を殺すことであり、ケンカでは感情を利用することだ。
何れにしろ感情に溺れるようでは、まともな成果はあげられない。
‘下種脳’にしろその家畜にしろ、まともなケンカの一つもできないやつは、ろくでなしと相場が決まっている。
オレは、ゆっくりと流れる時間を感じながら剣が振るわれる瞬間を読み、振るわれる動作が起こる一瞬前にその軌道から飛び出す闇色の光を前にでながら回避する。
人間の脳が身体を動かせという信号を発する瞬間から行動が起こるまでに起こるコンマ何秒かのタイムラグを利用する技術。
柔術や合気道でいう入り身を利用した体さばきだ。
素手の武術と違い武器での攻撃はそのタイムラグが大きいがリーチがあるために人間の反射速度ではその差を活かすことは難しい。
ましてや銃などの飛び道具と違い攻撃を一つの流れで行う剣戟から出る光は、タイムラグが累積しないために、常人ではかわすことは不可能だろう。
点と線の違いだけでなく、銃ならば乱射であっても、一発目をかわせば反動を抑えるために、次を撃つまでには、かなりの隙ができる。
だが、剣はツバメ返しのように一呼吸での連撃が行えるからだ。
だが、オレがこの仮想世界で目覚めた日に、林の中を高速で駆け抜けた人間の限界を超えた速度を更に上回る速さで行われた身体操作は、不可能を可能に変える。
身体構造の限界によるタイムラグという相手の意識の空白を使い、間を詰めると同時に関節を極めて剣を奪うとオレはそのままの流れで剣を遠くへと投げ捨てる。
無刀取り、あるいは白刃取りなどと呼ばれる武術の業だ。
柳生によるものが有名だが、その技術は太刀廻り術や合戦術といった古式の無手術のほうが古い。
オレの使うのは合戦術の系譜を汲む相気術の一種。
本来は、手関節を砕き割り前腕骨と上腕骨を同時にを折りながら相手を投げる業だ。
それを合気道のように剣を手放させる為の技に代えたのは、これがケンカ指南だからだ。
こいつの感情を発散させ制御するのは、殺し合いの技術ではなく武道の技術がいる。
「くうっ!!」
時の流れが元に戻り、小僧の押し殺したような悲鳴が上がる。
手加減したから関節や腱を破損してはいないが、関節技の痛みは感じたらしい。
合気道が本職なら軽い痺れだけで痛みも感じさせずに武器を奪うこともできただろうが、これからケンカしようという相手にそこまで気を使うつもりはない。
何が起こったか判らないだろうに、小僧は次の瞬間には剣の代わりに手刀で反撃しようとしてきた。
片手剣技‘首断ち返し’。
下段から首を跳ね上げてつばめ返しのように刃を返しながら袈裟落としに切るという一連の動作をプログラムした技だ。
技に入ってしまえば神速で敵を断つ技だが所詮は付け焼刃。
技に入る呼吸が丸見えだ。
本来、業というものは動作より、その動作の起こりを読ませないことが重要なのだが、それはASVRでもプログラムできない。
人格を書き換える必要があるのでASVRの前身である洗脳装置でなければ不可能なのだ。
完全に人格と記憶を上書きされされなければ不可能なほど、業というものは人間のプログラムの根幹に根付いたものだということだろう。
オレは技に入る前の小僧自身の体重移動を利用して、小僧を地面へとたたきつけた。
いわゆる空気投げというやつだ。
術理を知っている相手にはかけ難いが、素人なら簡単に転がせる。
「どうした? ケンカの仕方もしらないのか? まともに戦いたいなら、殺し合いの真似事をする前にケンカの一つもするもんだぞ?」
背中から地面に叩きつけられ肺の空気を全部吐き出した小僧は、それでも次の瞬間には立ち上がりながら技を発動しようとする。
奇剣技‘転び突き’。
相手の意表をつき、つまづくように転びながら刺突を繰り出す技だが、これも簡単に読める。 シセリスの斬撃どころか、レイアのゴーレムにも劣る攻撃だ。
オレは小僧の動きに合わせて足を出しながら入り身を行い、背を押すことでうつ伏せに地面にたたきつける。
その瞬間、今まで‘渡り人’全てに感じていた違和感の正体を改めて感じながら、オレはその違和感がどこからくるものかに不意に気づいた。
こいつらはリアルティメィトオンラインを舞台にしたこの仮想空間に迷い込んだ人間そのものだが、こいつらがNPCと呼ぶ連中は別物だ。
それが意味することは一つ。
彼ら‘渡り人’は洗脳装置にかけられている可能性が低いということだ。
自分自身にも関わることなので気づきにくかったが、なぜオレ達は洗脳されなかったのか?
これが‘下種脳’どもが、殺し合いを見て楽しむためのゲームなら、争乱の種が撒かれてる確率は高い。
だとすれば、こいつもその一つなのだろう。
ならば、さっさとケリをつけるとしよう。
「どうした? そんな借り物の力でしかやりあえないのか? 自分の力でオレに一発いれてみろ?」
オレは起き上がってくる小僧から殴りかかりやすいように間をとって挑発する。
「うあああああ!!」
その瞬間、感情を暴発させ小僧が殴りかかってくる。
オレを睨むその眼は悔しさに満ちてはいたが、暗いものではない純粋な怒りだった。
ふるわれる拳は腰も入らず体重移動もでたらめな大振りのテレフォンパンチ。
だが、それは心無い技ではなく小僧自身の業だった。
無数のがむしゃらなパンチがオレを打ちのめす。
パンチの進む方向に首を回しあるいは腕が伸びきった時点でパンチを受けてやりながら、オレは小僧が疲れきるまでその拳を浴び続けた。
まともに受けてやってもいいがそうすればほんの数発で小僧の拳が持たなくなるだろう。
こいつが疲れて動けなくなるまでつきあってやらなければ意味がないのだ。
フィクションでは陳腐になりすぎた殴り合いで心を通わせる男同士のぶつかり合いだが、それはありふれるくらいあたりまえの方法論だということだ。
やったことのないものには判らない純粋な感情のぶつけ合いはコミュニケーションの一つとして今でも莫迦な男どもの間では存在する遊び。
それは、妙に小利口ぶって立ち回るガキにケンカの仕方を教えるには手っ取り早いやりかただろう。
黒い感情がオレを殴るたびに消えていき、やがて炎のような感情も治まっていく。
思ったとおり、こいつは‘下種脳’や‘愚種脳’になるほど甘ったれてはいなかったようだ。
それを見届け、数分もせず、息が上がってきた小僧の腕があがらなくなるまで拳を受けてやり、顎をかすめるように丁寧な掌打で意識を刈り取ってやる。
「さて、茶番はここまでだ。 さっさと出て来い」
そして、意識を失った小僧を地面に横たえ、オレは
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