<ザ・スターティング・シティ・エピソードⅡ>~轟鴈不尊のルヴァナーズ~
<ザ・スターティング・シティ・エピソードⅡ>~轟鴈不尊のルヴァナーズ~
誇りというものは人が人である為に必要な感情ではあるが、それはプライドという言葉とは同義ではない。
混同されがちな概念だが、プライドが社会の中で自分の立ち居地に関して感じるや自尊心だとすれば、誇りとはただ己の内面のみに価値を持つ社会とは無関係な自尊心だ。
群れを作る動物の本能が生み出す社会的なステータスを求める欲求を満たすことで得られる感情をプライドとするならば、裸の毛無猿として欲望に溺れて生きることをよしとせぬ信念。
つまりは、人の尊厳こそが誇りといえるだろう。
他者に示すものではなく胸に抱く誇りとはそういうものだ。
誇りとは西洋文化では唯の感情でしかないが、東洋では理念であり理想の一つだった。
西洋言語の翻訳によって混同されがちだが、よく考えれば文化的基盤が違えば抽象的な概念は違って当然のものだ。
例えば、正義という言葉は、正しい義と翻訳されて知られるようになった言葉だがこの言葉の本質は義という東洋的観念とは別物だ。
それを言葉どおり正しい義と考えるか西洋文化を基盤とした正義と考えるかで意味は大きく変わってくる。
だが、それが人が人でいる為に必要としたものであることに違いはない。
世の中には無数の正義があるとは本来そういう意味のもので、‘下種脳’達が自分達の欲望を正当化しようとするプロパガンダとは別物だ。
だが‘下種脳’どもは、己の欲望を故意に或いは無意識に理想や理念に紛れ込ませ混同させようとする。
血統、権力、財力、知力、芸術性、肉体能力。
利用価値のある全てのものを基準にして、他者を蔑むことで得られるプライドを誇りと呼び、蔑まされるべき醜さを肯定することで、正しく生きようとすることを心に誓う人間の誇りを踏みにじろうとする。
本当の誇りというものを知る人間なら、そんな‘下種脳’の行為が、どれだけ醜悪で人という存在を貶めるものかが解るだろう。
物質的欲望や虚栄心を満たすことにのみ価値を覚える‘下種脳’の価値観では、まるで無意味な誇りこそが人を人たらしめるものなのだが、あまりにあたりまえすぎることだとそれを語る者は少ない。
無数の情報の海の中で本当に大事な価値観を埃の中にうずもらせ、特別視して忌避させることで、かつて極あたりまえに人の心にあったものは、‘下種脳’によって葬られようとしていた。
しかし一人のPSYの存在により‘ワールデェア’が生まれたことでそれは変わっていく。
盲目的な信仰や欲望の奴隷によって創られた価値観とは一線を隔する精神文化。
神に依存する価値観と‘下種脳’の価値観しか持たない唯一神教の文化圏である国際社会にそれを革めて広めたのは‘ワールデェア’達だった。
爆発的な熱狂を伴うムーブメントやブームではなく、浸潤するように人々の心に広がっていく信念は‘ワールデェア’の増加と‘下種脳’達の焦燥に似た被害妄想を生む事となる。
‘下種脳’どもは、飽く事なき欲望が人類の進歩の原動力だという偽りで動かされ操つられる人間達が、欲望を満たす事が幸せになるということではないのだと気づく事を、自分達が力を失う事だと恐れた。
その結果、やつらが開発しようとした技術の一つが、ASVR── 全感覚型仮想現実再現装置── の前身となった脳内情報処理式洗脳装置だった。
この装置の恐ろしいところは感情や記憶といった自分が自分である為に必要不可欠な脳内データ群を自在に書き換えることができるということだ。
この装置の前では現実と虚構は限りなく等しくなる。
ASVRと脳内情報処理式洗脳装置の違いは一つだけ。
長期記憶を改竄できるかどうかだけなのだ。
リアルタイムの短期間記憶の改竄のみを行うASVRと全ての記憶を改竄する洗脳装置。
これは限りなく近いものだった。
これが意味するのは、ASVRシステムは使いようによっては、テレビなどのマスメディア以上に情報操作によるマインドコントロールを容易に行える装置だという事だ。
明確な対抗手段がない為に、ある意味、直接的な洗脳よりやっかいなこのシステム。
好悪や喜怒哀楽といった感情を書き換えられるシステムの中で、感情に従う事は自分を見失う事に等しい。
大事に育まれていく感情や想いを無慈悲に書き換えるシステムの中で本当に大切なものを護るためには、一見、無機質に感じられる理性だけが頼りになるというのも皮肉な話だ。
しかし、世の中、皮肉な話など、どこにでも転がっている。
真理なんてものがあるとすれば、それもきっとどこにでも転がっているものなのだ。
だからこそオレは自分が何者なのかを、こうして考え続けている。
そう、目の前で不様をさらすこの男達のようにならないように──。
「それじゃあ、このおっさんを倒せたらその依頼を受けられるってわけだな」
そう挑発したのは、まだ20歳になる前だろう生意気そうなガキ。
「なめやがって。俺を誰だと思ってやがる。シルバーのロット様だぞ! クソガキが!」
それに応え、三下臭の漂う台詞を吐いたのは三十代初めの筋肉ダルマだ。
事の起こりは、ルヴァナーズギルドに仕事を探しに来たガキが実績がないからと危険な依頼を受けられなかった事にある。
それを不満に感じたガキがどうすればそれを受けられるのかを問い、それなりの実力を持つという筋肉ダルマが脳筋よろしくちょっかいをだしたのだ。
群れの序列を決めるために新参者に絡む古参という猿の本能まるだしの行為を恥ずかしげもなく演じる馬鹿二人を意識の片隅に追いやり、オレは依頼として張り出された数々の文書に目を戻した。
オレがここに来たのは、もちろん依頼を受けるためではない。
ギルドという存在が本当に経営的に成り立つものなのかを調べるため。
つまりは、この世界の矛盾を通じてバグを探すためだ。
リアルティメィトオンラインでは、ギルドというものは世界背景として存在し、あって当然のものだった。
しかし、それが現実にそぐう組織かどうかというのは疑問が残る。
経営として成り立つのか。
依頼人は実在するのか。
ゲームでは無視されても問題ないレベルの手抜きも現実は容認しない。
無限に生み出される一つきりの依頼をルヴァナーズがこなすというゲームのシステムを現実とすることで生じる筈の矛盾。
それを見つけることが、この仮想世界をハックすることに繋がるだろう。
オレはそう考えてここに来たのだが、未だ成果はなかった。
「ごたくはいい。かかってこいよ」
「しつけてやるぜクソガキがっ!!」
バグを探し続けるオレをよそに、おめでたい連中は公衆の面前で自らが猿並の自制心しか持っていないという恥をさらし続けていた。
「いいかげんにしなさいっ!」
本格的な乱闘さわぎになると思ったのかギルドの受付をしていた中年の女性が一喝する。
子供を叱りなれているのだろう。
充分な声量と迫力だ。
争っていた馬鹿どもが息を呑む。
オレは、まったく騒がしいと考えながらチェックを続けていた。
「ヒイロさん。依頼を請け負うために必要なのは信用です。あなたにどれだけの力量があろうと実績を積まないものに一足飛びに高額の依頼を与えることはできません」
信用と力量は別物だという至極あたりまえの台詞を言い聞かせるようにガキに告げ、次いで筋肉ダルマに向き直った受付の女は苛立たしげに続ける。
「ロットさん。あなたも新人教育をしたいならギルドの規約にそって指導員の資格をとりなさい。ここは金銭で荒事を請け負う無法者の溜まり場ではなく、善意の有志が人助けを行う場所です」
彼女が言っているのは、金や力が全てと考える‘下種脳’どもには理解できないリアルティメィトオンラインの根幹にある理念だった。
それはルヴァナーズという‘架空の正義の味方達’の集まりを作ろうとする組織の規約としてリアルティメィトオンラインの中で示される理想だ。
だが、ギルドに属するものの全てがその理念に従って行動できるわけではないらしい。
それでも筋肉ダルマは忌々しげにガキを一瞥してその場を離れたが、ガキのほうは余計な事をしたという顔で婦人のほうを見ている。
「あーあ、こんなことなら新ギルドのほうに行けばよかったぜ。やっぱNPCはダメだわ!」
やがてどうしようもないと思ったのか、ガキもそう捨て台詞をのこして去っていく。
どうやらガキは‘渡り人’だったようだ。
この世界を仮想世界と認識していないのに人をAIよばわりするのは、やつらの特徴だ。
だが、新ギルドというのは何のことだ?
耳慣れない単語を聞き、オレは調査を一時棚上げにすることにした。
リアルティメィトオンラインでは、この都市にはギルドと協会が存在した。
だが、それ以外のルヴァナーズ組織は存在しなかったはずだ。
ゲーム世界には存在しない組織。
それは、この世界脱出の鍵となるかもしれない。
そう考えオレはガキを追いかけ、ギルドを後にした。
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