<車上のハーレムウイザード>~然人未倒のストイシズム~
<車上のハーレムウイザード>~然人未倒のストイシズム~
人の数だけ正義や悪があるという台詞がある。
唯一神教の歪んだ搾取機構から金の亡者どもが権力を奪うために、絶対の正義に対する反駁として創られた価値観に基づく台詞だ。
本来、神々の語る正義とは人間が愚かな獣へと堕さないための社会システムだったのだが、それを歪め無知な人間を作り搾取するためのシステムへと‘下種脳’どもが作り変えてしまう。
それに立向かい勝利したのは正義を正しく正義たらしめんとする人々ではなく、正義などに一文の価値もないと断じる‘下種脳’どもだった。
それ故に、人の数だけ正義や悪があるという台詞は、正義などどこにもないという意味でしかない。
しかし、それは人間を裸の毛無猿へと貶める台詞でしかない。
絶対の肯定にも絶対の否定にも意味などはなく、全ては普く中庸だ。
簡単に言うならば、神々を利用する人間が間違っていたように神々を信じない人間もまた間違っているという話だろう。
神々という言葉が現代にそぐわないというのなら、それを理想という言葉に置き換えてみればいい。
現代では人が人としてあるための拠所は、神々の教えから理想と教育へと移り変わった。
だから理想を否定する者も理想を利用するものも等しく‘下種脳’だ。
正義などないと言うものも、正義を利用する者も、また‘下種脳’だ。
正義とは人のあるべき理想であり戒めであり、理念ではなく強要でもない。
それを理解して語るのなら無数の正義など存在し得ない。
自分にとって都合の良いことが正義なのではなく、人類全体の利益を正義と考えるなら正義の在り様はそう多いものではない。
自分の欲望や感情を否定するものが悪ではなく、人類全体の損失を悪と考えるならば、悪とは‘下種脳’どもが肯定する力の論理で撒き散らされる無数の不幸を許容することだろう。
‘ワールデェア’が掲げる理想とは無力なるものが力あるものを支配する社会システムの構築だ。
一定以上の富を持つ者と五親等以内の血族の被選挙権の無効。
公務員と公共事業関係者の給与以外の経済活動の禁止と資産公開義務。
贈収賄罪によって利益を得た個人と団体の全資産の没収。
公共事業と法令による優遇で一定以上の資産を増加させた個人と団体への100%課税。
暴力による政治的解決を図りそれに賛同した政治組織と政治家と5親等血族の被選挙権の永久剥奪。
それは世界を一つにする事でやっとスタート地点に立てる遠い理想だった。
それを不可能と嘲笑う‘下種脳’は多い。
それは無理だとあきらめる人々もまた多かった。
けれど、叶わぬまでもその理想を忘れない人々は常に生まれ、敵わぬまでも‘下種脳’の撒き散らす不幸を減らそうと立向かうものも存在した。
それらの想いは何時でも人の心の中に存在する。
それなくしては社会は存在し得ないからだ。
それを増幅するのが私の力だといった‘名無し’は既にいない。
だから、それは信念を感染させる能力だと言ったオレは‘名無しのウイザード’になった。
‘名無し’の信念が信頼しあえる人から人へと感染し続けるように、オレがいなくてもオレの創ったAI達は‘名無しのウイザード’を演じ続けるだろう。
だから、オレが‘名無しのウイザード’と勘付く人間はいないはずだ。
では、この仮想世界に閉じ込められた後の不自然な状況は何を意味しているのだろう?
再び魔動車に乗り込んだオレは最後部の座席に腰掛けたまま、そんな事を考えていた。
しばらく前まで辺りを警戒していたシュリとユミカの姉妹も今では周囲の監視を解き、なぜかオレの左右に座っている。
緊張を続ける二人を見兼ねたルシエラが探査系魔術ヴォルァを使ったのだ。
探査系魔術ヴォルァは半径数km.の敵意を持つ存在を感知する魔術だ。
リアルティメィトオンラインではマップに赤い点という表記で表されたが、それがここでは敵意ある存在のいる方角と距離が判るというように再現されている。
何故それが判るかといえばいつもの魔術の発動を見ることでの知識の流入だ。
久しぶりの感覚は、やはり気持ちのいいものではなかった。
子供向けの物語の主人公なら浮かれたかもしれないが、現実に自分に得体の知れない知識が突如、与えられるなど、まともな人間なら虫唾が走るだろう。
未知のものへの怖れなどではなく、それが自分の努力や想いを踏みにじられる行為だからだ。
ただ己の欲望を満たすことしか考えられない‘下種脳’なら、そんなことは気にもしないだろう。
だが、少しでも誇りや努力の価値を知るものならば、現実にそんなことが起これば皆そう感じるはずだ。
女達のお喋りにつきあわされたときに、さりげなく聞いてみたが。
「なんか怖かった」
とは、ユミカの弁だ。
「……嫌な感じ」
シュリもそれに同意し。
「気分は良くないけど、それで生きていけるんだからしかたないさ」
レイアは肩をすくめ。
「………………」
ルシエラは無言でそれを肯定した。
「確かにそれは自分の努力を嘲笑われているようで嫌でしょうね」
「ホントね。でもどういう原理でそれが行われているのか気になるわね」
‘流浪の精霊騎士’と‘水晶のアルケミスト’の人格を持った二人の女達も実感はしていないもののその気持ちを理解したふうだった。
そういうまともな感性の女達がこの不可思議な状況を、そのまま受け入れているのは、おそらくASVRシステムによる干渉なのだろう。
それに真剣に疑問を抱いていたのはPSYの発現者であるルシエラとオレだけだ。
これが意味するものは何なのか?
「そろそろ時間よ。デューンの隣、交代しましょうか」
不意にミスリアの声が言う。
「えーっ、もう?」
不満げな声でユミカが応え。
「……まだ少ししかたってない」
シュリがそれに追随する。
「きちんと時間は計ってます。我侭はいけませんね。御主人様の隣に座りたいのは皆同じでしょう」
しかし、それはシセリスの冷静な声で切って捨てられた。
「ちょっと、あたしまでそれに含めてないだろうね」
その言い分が気にいらなかったのかレイアが抗議の声を挙げた。
「じゃあ、レイアのぶんはわたしに含めてもらおうか」
それに乗じてルシエラがさりげない声音で提案する。
「二人ずつだから却下ね」
「却下ですね」
「えっと、却下で」
「……却下」
だが、それは即座に過半数の同意で否決された。
「仕方ないね、多数決じゃ。あたしもつきあうよ」
「素直じゃないなレイアは」
眠っていると思われたのか、目を閉じ一人考え続けるオレの周りで、オレの隣に座る権利について女達は本人の意見も聞かずもめていた。
これもまた、女を知らないガキや女に夢見がちな小僧どもなら、にやけそうになるような光景だが、この誰とも知らない‘下種脳’に生殺与奪権を握られた全てが偽りの世界で、不自然に導き出されたことに気づけるまともな人間なら怖気を覚えることだろう。
オレがこの仮想世界に捉われてからのわずかな時間でこの女達を虜にするほどの何かの能力を得たにしろ、‘下種脳’どもの思惑がどこかにあるにしろ、不自然すぎるこの状況に人の心を捻じ曲げる何らかの力が関与しているのは間違いない。
それは‘名無し’の能力の何倍も忌まわしい行為だ。
‘名無し’の能力は‘下種脳’を‘ワールデェア’に変えることはできないが、このASVRによるのだろう洗脳は、偽りの人格さえも作り出す。
‘名無し’の能力は、その力を受け入れることを否定する人格には効果がなく、そのことを正しく思える人間の想いのみを増幅する力だ。
‘下種脳’は欲望故にその力を受け入れず、‘愚種脳’は憎しみ故にそれを受け入れない。
だが、ASVRの洗脳技術は、やつらすら‘ワールデェア’に変えるだろう。
それは決して許されていい行為ではない。
事の善悪に関わらず許されないのではなく、それは人類の可能性の否定だからだ。
だからオレも‘ワールデェア’も決してそれを認めない。
だが、‘下種脳’は嬉々としてそれを使うだろう。
そんな‘下種脳’どもをのさばらせておくわけにはいかない。
女達の平和な争いを聞きながら、オレはやつらへの敵意を改めて実感していた。
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