<悪徳の境>~禁厳実直のエンゲージ~
<悪徳の境>~禁厳実直のエンゲージ~
下手な考え、休むに似たりという言葉がある。
考える事の苦手な人間にとっては考える行為は時間の無駄でしかないから、考えてもしかたがないと、これを解釈する人間は多い。
征服と従属を社会の根本と考え、欲望に溺れて効率のみを求める‘下種脳’の価値観に洗脳された人間ほど、その事を疑問に思わない。
だが、何かを考えようとしない人間は、奴隷か死人だけだ。
‘下種脳’の作る社会システムは、自分の利益を考えない人間を搾取するために存在する。
自分の利を考えない人間を美しい心の持ち主だという裏で、自らは欲望を追い求めるためにそういった人間をくいものにするためのシステムだ。
今が楽しければいいという無思慮な価値観をばら撒くことで‘欲望の奴隷’を作り出すと同時に、人の善意を踏みにじる人間が利益を得るシステムは人間を腐らせていく。
自分が欲望を満たす事だけが重要で、そのためには社会の利益も、人類全体の利益も関係はないという価値観は、やがて自らも滅ぼすことになるのだが、麻薬やドラッグに溺れるように欲望に溺れる‘下種脳’はそれを理解しようとはしない。
やつら‘下種脳’は、自らの欲望を社会の利益と摩り替え人類全体の利益を踏みにじることで、戦争という殺し合いを招き、弱者を強者が服従させて当たり前という‘人食い猿’の価値観をばら撒く。
そして、人間も動物の一種でしかないのだから当然と‘人食い猿’の価値観を肯定して、人類の寄生虫という自らの立場を擁護する。
その価値観が、奪い合い殺し合いただ不幸をばら撒くことで‘欲望の奴隷’になるだけだと理解できない子供達を腐らせ‘下種脳’へと変えていく。
それを防ぐには考えることの大切さと考える力を養わなければならない。
下手ならば考え方を学び上手くなればいいだけの話だ。
経験を積み努力を重ねることで成長するのは肉体だけの話ではないし、ましてやゲームの中の絵空事などではない。
それを個人ではなく社会システムとして行おうとしたのが‘ワールデェア’と呼ばれる人類統一を‘下種脳’のシステムと価値観を滅ぼす第一歩と考えた人々だった。
パキスタンのウイルス兵器流出による消滅と周辺諸国の甚大な被害。
‘名無し’による‘信念感染’の能力。
そして全世界規模での教育レベルの向上。
どれ一つなくても‘ワールデェア’の存在はなかっただろう。
その中に、オレの活動もあげる連中もいるが、オレにできるのは‘下種脳’を潰すことだけで、所詮は‘愚種脳’と紙一重だ。
もっとも、その紙一重を超える気はない。
そして、その紙一重を守ることこそが、‘ワールデェア’と共にあるということだ。
リアルティメィトオンラインとは、そんな‘ワールデェア’の交流の場の一つであり。
彼らの中でクリエーターと呼ばれる職業につく人間の意志を多く反映したゲームだった。
その為MMORPGという形態をとってはいたが、プレイヤーキラーあるいは略してPKと呼ばれる強盗行為には厳しいペナルティーがあった。
それはリアルティメィトオンラインらしい皮肉なもので。
他のゲームでは職業やジョブあるいはクラスなどといったシステムであるパブリックスキルを利用して行われる。
このスキルには魔法や様々な技能が存在し、リアルティメィトオンラインではこのスキルを育てることでステータスの基礎となる能力値が自動的に変動していく。
強盗行為を行ったキャラは、自動的に他のスキルを失い、強盗スキルを得ることで、知恵や忍耐といった能力値を大幅に下降させ、戦士スキルなどにくらべて肉体の能力値上昇も微々たるものになる。
強盗スキルは司法の裁きを受けるまで他のスキルに付け替えることができないため、戦うほど状態異常系の魔術抵抗や魔術の威力といったステータスは見るも無残なものになっていき最後には作られたばかりのキャラと同等になってしまう。
ここでいう司法の裁きとは演出上はゲーム内の法的機関での判決だが、実際は戦闘ログの閲覧なので誤審率は0といっていい。
ここで正当防衛と認められるか刑罰を受けない限り、強盗スキルは決して外れない。
これは身を持ち崩す犯罪者としては当然の話で個人レベルで強大な力を持った悪などというものは物語の中にしか存在しない。
というリアルティメィトオンラインの‘ もう一つの現実 ’といったコンセプトから来ている。
そして、それと同時にPKを訴えたキャラがあれば、警察士やルヴァナー協会に追われることになるためにPKを行うキャラは非常に少なかった。
現実と違い死人に口なしとはいかないからだ。
死んだキャラが生き返らなくとも、キャラを操る人間が新しいキャラを作って訴えれば事は簡単に露見してしまう。
これを現実でやるなら無数の監視システムが必要だ。
そんなものがない
だが、‘ワールデェア’の理想を現出した世界を望んだこの世界のクリエーターたちは、システム上には存在しない‘神々’という存在を設定してそれに応えた。
他国のリアルティメィトオンラインの中には奴隷制度を持つ国家とそれを打倒しようとする勢力との闘争など、‘ワールデェア’の正義の戦いなどないとする信念とはかけ離れたシステムも存在するのだから、彼らの熱の入れ様がわかるというものだ。
だが、この世界は本来のクリエーターの手を離れ、卑劣な犯罪者の手に落ちた。
ここでの死が現実ならシステムは本来の機能の一部である心理的抑制を失ったことになる。
つまるところ、いつでも個人の良心だけが、最後の拠所となるのだ。
ならば、オレは未だその良心を失ってはいないのだろうか?
目の前で鞭をふるうレイアを見ながらオレは自分に問いかけていた。
PTメンバーのいきなりの登場で一度は引き上げたレイアが、オレの前に訪れたのは、その日の夜遅く、日付も変わろうかという頃だった。
勢ぞろいした女達が口々にオレと戦うなど身を投げ出すようなものだと、惚気だか警告だか解らぬ調子で語ったせいで毒気を抜かれたのか、あの場はとりあえず収まった。
しかし、それだけで全てが終わったと思うほどオレもめでたくはない。
明日からは宿を別の場所に移そうと思っていたのだが、まさかその日のうちにやってくるとは思わなかった。
日課の武術の型と‘気’の使い方の修正を中庭でやろうと部屋を出たところを捕まり、襲いかかられたというわけだ。
TVや娯楽に溢れた日本と違い、このルアレでは夜は早い。
たいした娯楽もないうえ、照明ですら魔力を溜め込んだ自前のマネーカードからそれなりの魔力を消費して灯されるのだから、用も無いのに夜更かしするような人間は少ないせいだ。
眠る必要の無いオレを除けばみんな眠っていた。
女達もレイアがその日のうちにまた訪れるとは思っていなかったようだ。
騒ぎを大きくするまいと手早く神呪系の眠りの魔術を使ったのだが、どうやら対策をとられていたらしく、それは無効化されレイアの怒りをかうだけの結果となった。
「女相手にそんなセコイ手しか使えないのかい? とんだ腰抜けだ!」
金髪に小麦色の肌の大柄な南欧美女が露出の大きな黒いボンデージに身を包み、紫色の瞳を興奮に輝かせて鞭を振るう姿は、どう見ても女王様のお怒りといった風情だ。
その鞭がお遊び用の九尾ムチならまだいいのだが、これは殺傷力の高い金属を編みこんだ鉄条の一本鞭。
しかも、その表面にはバチバチと音をたてて紫電が走っているうえにどうみても半自動でオレを狙っているとしか思えない動きで鞭が奇妙な動きを見せる。
いつもの時間が緩やかになるような感覚がなければ、とうに全身を打ち据えられているところだ。
鞭の先端速度は音速を超えるときにおこる小さな破裂音を響かせていた。
「フェミニストなんでね。怪我はさせたくないんだ。大人しく引き上げてくれないか?」
大きく後ろに飛びのいて間をとり、なるべく軽く聞こえる調子でうそぶく。
「っ! ウリュー!」
冗談めかせて余裕の態度を見せたのは逆効果だったらしく、レイアは間を詰めながら鞭をふるうと同時に何かを呼ぶ。
何か──それは、黒い鳥にみえる何かだった。
ただの鳥でないのは判る。
夜の夜中に活動する鋼の嘴と刃の翼を持つ鳥などいない。
おそらくは鞭と同じゴーレムの一種だろう。
レイアはどうやら魔工技師のスキル持ちらしい。
それもかなりの腕前だろう。
喉、眼玉、延髄、撹乱というには物騒すぎる急所を狙って鋼鳥が飛来し、同時に紫電の鞭蛇が腕や足の末端から胴体といった首から下の全身に襲い掛かる。
よく考えられた実に嫌な攻撃だ。
これでは隙をみて怪我をさせないように昏倒させるなど至難の業。
首は論外だし、手加減できないなら胴への一撃は、よくて内臓破裂。
どう考えても太陽神経層だけを呼吸に合わせて打ち抜き気絶させる当身など不可能だ。
ゆっくりと慎重にやれるなら別だがレイア自身はともかく、ゴーレム達がそれを許すまい。
目隠しをして綱渡りしながら最高難度の床体操の演技を決めるようなものだ。
女達の期待には添えないが‘気’を使うしかないだろう。
逃げるという手もあるが、それを許す相手とも思えない。
部屋に逃げこんで済むのならそうするところだが、そんなことをすれば部屋ごと吹き飛ばそうとしかねないほどレイアは激昂している。
(対応を間違ったようだな)
オレはヒットアンドウェイを狙って‘気’を練りながら鞭と鳥の攻撃をかわし続ける。
「くっ! いい加減に! しなっ!!」
逃げ続けるオレに業を煮やしたかのように叫んでレイアは懐からナイフを取り出す。
その瞬間に併せてオレは‘気’の波動をレイアに向けて放つ。
「っ!! んあああああ!! やあ! うそ、くるぅ!!」
全身に牽制の‘気’を浴びたレイアが驚愕したかのように紫の瞳を見開き、ウェーブのかかった金髪を振り乱しながら全身を痙攣させる。
力の抜けた腕から鞭とナイフがこぼれ落ち、鋼の鳥が速度を落とした。
その隙を見逃さずオレは掌を下にして勁を込めながら鳥を地面に叩きつけるように掌打を放つ。
ぐんと鈍い音と共に地面を二度三度跳ね転がって鳥が砕け散る。
鞭のほうはレイアの手を離れた途端に動きを止めていた。
「あ♥ や♥ ああ♥ あ♥ ん♥ んあ♥」
がくんと力が抜けたように膝から崩れ落ちながら、ピンクの舌をのぞかせ甘い敗北の声をあげるくちびるから透明の雫が溢れて喉へと流れ落ちる。
「くぅ♥ あ♥ くぅ♥ 」
そして、そのままのけぞりかえるように膝をついたまま上体を後ろに倒し、何も見えていない目から涙を零しながらレイアは意識を手放した。
牽制のはずの波動が思いがけない効果をあげたのに驚きながらもオレは鳥と鞭の様子を伺っていた。
これは‘気’の力が増したのか、それともレイアが特別に敏感すぎたのか。
おそらくは後者だろうが、これは不幸中の幸いといっていいものだろうか?
レイアをこの後どうしたものかと考えながら、オレはゆっくりと彼女に近づいていった。
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