<Iの嵐>~恋愛脳のパラドクス~

<Iの嵐>~恋愛脳のパラドクス~









 執着や独占欲が恋愛にはつきものだという恥知らずな台詞を堂々と吐く人間は、そのほとんどが、‘下種脳’か、その価値観を吹き込まれ、それを鵜呑みにした人間だ。


 そういうやつらにとって恋愛とは自身の欲望を満たす事でしかなく、そこに相手の人格や人生と価値観を尊重する余地はない。


 本来、人間の中に形作られねばならない人を思いやり自分とは別個の人格を尊重する愛と呼ばれる意志を踏みにじるために創られたその‘下種脳’の価値観は、今では自分を甘やかす事に慣れた人間達の間に広められてしまった。


 愛とは奪うことであるというやつらの言い分は、猿と変わらぬ繁殖欲を愛と騙ることでしかない。


 だが、欲望を煽り、他者から奪い取ることを当然とする‘下種脳’の価値観を広めるためには都合のよい考えだったのだろう。


 そのため、商人が世界を征服統治するようになり、‘人間性の解放’と騙って欲望の制御を否定する観念が広げられた時。


 深く物事を考えられない子供達を中心にその恋愛感は広まっていった。


 商人達の消費を作り出すために欲望を煽るという浅はかな行為は、満ち足りるという人が幸せを得るために必要不可欠な感情を麻痺させる麻薬をばら撒く行為だ。


 しかし、その麻薬に溺れる者を取り締まる法は‘ワールデェア’が現れるまで作られることはなかった。


 その昔、宗教者の中に蔓延った‘下種脳’が、欲望を満たすために民衆から搾取する目的をもって自律という観念を歪め、依存と妄信を造りだした行為を正すのではなく。


 ただ、自律や自尊など無意味だと否定することで、その麻薬は広がっていく。


 もちろん、その麻薬が忌避すべきものであるように‘ 下種脳 ’の価値観に取り込まれたそういった子供や‘下種脳’の間に広まった恋愛感もまた忌避すべきものでしかない。


 何故ならそういった恋愛感の行き着く先は、ストーカーやDVといった悲惨なものだからだ。


 そこに至るまであやまちに気づかない人間はそう多くはないが、何があやまちかを気づかない人間は多い。


 それは、その恋愛感を広めるべく作られた物語が、その有様を美しく修辞することが多いせいかもしれない。


 虚構としてそれを愉しむ事までを否定する気はないが、虚構と現実の区別をつけずにその欲望に溺れる‘恋愛脳’となると話は別だ。


 そういった‘下種脳’の起こす騒ぎは古来権力と結びつき多くの悲劇を巻き起こしてきた。



 レイア・エトワールと名乗る女もまた、そういった‘恋愛脳’の一人なのだろうか?


 オレは二人だけで話したいというレイアとオレも共にというルシエラの間に立ちながら、ふとそんなことを考えていた。


 この何もかもが偽りの仮想世界では、レイアが感情を操られている可能性は高い。


 ルシエラの不安とレイアの嫉妬を使い、黒幕がオレとレイアを争わせようと考えれば、この一連の成り行きは納得できる。


 こう次々と女達がオレの周りに寄ってくるのは、どう考えても不自然だ。


 こういう場合は大抵はハニートラップなので、 ここが現実世界なら彼女達から離れるというのが最善手だ。


 しかし、逃れようのない仮想世界では逆に受けてたつのが最良の一手となる。


 どこにも逃げられないなら、敵の手が読めるようにするのが一番だからだ。


 結局レイアが折れ、オレとルシエラは他の女達と分かれて彼女の後をついて会議室とは別の階の執務室の一つに足を運ぶことになった。


 可能性は低いが襲撃を受けることもあり得るので、さりげなく辺りに気を配る。


 探知系の魔術が使えればいいのだが、まだその手の呪文を見る機会はなかった。


 パーティーメンバーに呪文持ちがいなければそうそう機会があるものでもないので、当然といえば当然なのだが、パーティーの女達が揃って使えないのも偶然だろうか?


「それでどういうつもりだい?」


 部屋についた途端、レイアは紫の瞳を怒りに輝かせながら、覇気に満ちた声で切り出す。

 

 並みの男ならそれだけで震え上がってしまいそうな剣呑さだ。


 シセリスの物騒さを軍人としてのものとするならレイアのそれは侠客のそれだろう。


「どういうつもりもなにもない。私はこの人についていくと決めた。それだけだ」


 ルシエラは思ったとおりオレに丸投げしてくる。


 これではまるで別れ話に担ぎ出されたマヌケ男だが、それがオレの役割だという事は初めから判っていた。

 

「こいつに?」


 あからさまな敵意に満ちた眼が初めてオレのほうを見る。


 今までレイアはあえてオレを無視しているような態度をとっていたが、ルシエラがオレを話し合いに伴いたいと言った時から敵意を抱いていた。


 それが、今はほとんど殺気に近いものになっているのは、恫喝のためだろう。


「うちのパーティーに彼女が所属したいといってきたので引き受けたんだが何かまずかったかな?」


 オレはレイアの敵意に戸惑ってるふりをしながらその紫の瞳を覗き込む。


 この無造作に放たれている殺気が明確な意志を持つならば、それ相応の対処をしなければならないが、今はその時ではない。


 もし、そのときが来たならば彼女だけではなく、オレの右隣で緊張した顔でレイアを見ているルシエラと、そして最悪この部屋を扉越しに伺っている四人の女達を相手にしなければならないだろう。


 オレ達がレイアに促されて話し合いのためにこの部屋へと向かった跡を彼女達がついてきていたのは、おそらくトラブルを心配してのことだろう。


 そして、この状況で敵対するならレイアだけというのも判ってはいる。


 だが、それはここが現実ならの話だ。


 洗脳装置の一種であるASVRの制御下において、人間の意志とは無意味に近いものだ。


 その証拠が、神呪系に代表される精神干渉の呪文や女達のオレに対する不可思議な好意だ。


 フィクションの世界でもなければ、会って数日の男に入れあげる女はそうはいない。


 現実でもそういった女はいないではないが、大抵は‘恋愛脳’と呼ばれるような連中で、彼女達とはタイプが違う。


 それに女達の媚薬を盛られたような突然の発情もある。


 これで裏がないと考えるのは、現実を見ようとしない哀れな男だけだろう。


 オレはそんな‘恋愛脳’に成り下がる気はない。


「あんたがルシエラをまかせられる相手とはとても思えないね」


 しかし、レイアはオレをそんな連中を見るような目で見ているようだ。


「うちのパーティーは民主的だからね。それに特別な目的があるわけでもないから、そう捉えられてもしかたない」


 あくまでルシエラの希望を容れただけだという態度で、真面目な顔をしてみせる。


「ルシエラ。考え直しな。自棄になるんじゃないよ。こんな軟弱な男についていってもろくなことがないよ。こいつ、あんたを護ろうって気概がないじゃないか」


 どうやらオレの返答をレイアは気に入らなかったようで大きく首を横に振って軟弱呼ばわりしてくれる。


 これが女の取り合いなら確かにオレの返事は最悪だが、押しかけ仲間への対応としてはこんなものだろう。


 まあ、ルシエラが女としてオレについて来たいと言ったとしてもオレの返事は同じだっただろうが。


「私は彼に頼る気で行動を共にしようと思ったわけじゃない」


 そんな気のない態度だというのにルシエラの態度は変わらなかった。


「少しでも彼の援けになりたいと思ったんだ」


 そういってオレを見るルビー色の瞳は、どこか熱を持って危うい。


 オレが彼女の親なら世の中惚れた腫れたばかりじゃないんだといいたくなるような有様だ。


「……ルシエラ」


 レイアのアメジストの瞳がそんな様子を見て悲しげに揺れたかと思うと次の瞬間、オレを睨む。


「あんた、あたしと決闘しな! ルシエラを任せられる男だって見せてみなよ!」


 一昔以上前に流行った安っぽい昼メロのような展開に対し、オレが口を開こうとしたとき、その応えは意外なところからやってきた。


「ダメよ!」

「ダメです!」

「ダメ~っ!!」

「ダメ!」


 いきなりバンと大きな音を立てドアが開き、四人の女達が乱入してきた。


 ルシエラもレイアも彼女達に気づいていなかったのか、呆気にとられたかのような顔で開かれたドアの前に立つ彼女達を見ている。


 あせったようにオレを見るミスリアのエメラルド色の瞳。


 否定しろと無言で訴えてくるシセリスのターコイズブルーの眼差し。


 自分がしたことにあわてているかのように揺れる琥珀色の眼。


 どこか哀しげに見える磨き上げられた黒曜石のような視線。


 どうやら彼女達のおかげで不毛な争いをしなくても済みそうだ。


 しかし、これが誰かの書いたシナリオなら彼女達がここで現れた理由は何なのだろう?


 それとも、この一連の出来事はオレ達をここに放り込んだやつらとは別の連中による筋書きなのだろうか?


 あるいは偶発的にやつらの狙いが妨げられたのか?


 全ては未だ深い霧の中だ。


 オレはこの場をどう治めるかを考えながら、何とも妙な空気に包まれた室内を見回していた。 



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