<ニューフェイスの衝撃>~転地開闢のヴァンパイア~







 感情に溺れそれを制御できない人間に社会に参加する資格はない。


 至極あたり前の話だが、そのことに暗に異を唱える人間は多い。


 いわく、情を知らぬ人間に人はついてこない。

 いわく、愛は法では裁けない。

 いわく、正義はときに犠牲を必要とする。


 彼らは誤ったあるいは故意に捻じ曲げた解釈でそれらを使う。


 情とは社会的な場では誠意や人の善性を表すもので、個人的感情を表す言葉ではない。


 愛とは博愛や人間愛であって、個人的な情欲を表す言葉ではない。


 正義とは多くの死や不幸をばら撒くものを止めることで、個人の信条を表す言葉ではない。


 けれど彼らには、その意味が判らず、あるいは意味を持たない。


 自分を限りなく甘やかす子供や‘下種脳’は、そういった社会を維持するのに必要な最低限の責任ですら我慢ならない押し付けと感じるのだろう。


 だから、やつらはあたり前の事を言う人間を‘いい子ぶる’とか‘奇麗事をいう偽善者’という言葉で呼ぶことで、あたかも特異な存在として扱い。


 自分達こそが多数派で自分達をいさめる人間は理想しかみえない少数派だと騙る事で、自らの卑小さを誤魔化そうとする。


 もちろん、それは自分達しか騙せない子供騙しの理屈だ。


 ‘下種脳’の価値観を否定する価値観を‘幼稚な正義感’と称したがるのもそれを知る故の自己正当化なのだろう。


 彼らの価値観が事実なら、世の男達はただのスケベなどではなく、みんな痴漢やレイプ未遂犯で。


 イジメや虐待は認められて当然の行為で。


 盗みや万引きは誰でもするもので、盗まれるほうが不注意で。


 そんな行為ができない人間は、勇気のないいくじなしだということになる。


 そんな価値観を否定できないのは世の中を知らない子供か‘下種脳’の価値観に洗脳された人間だけだろう。


 そういった人間の多くは倫理と感情を量りにかけて感情を取ろうとする。


 だが、それを許す社会が行き着く先は、猿山の派閥争いと変わらぬ醜い争いの絶えない‘下種脳’社会だ。


 かつて教育とはそういった人間を、人として育てる偉業でもあった。


 だが、実利を得る技術を学ばせる事を優先するあまり、教育は本質を失い、教習や教練と変らぬ作業になる。


 そして、そうした人間が増えることで社会は複雑化していくことになった。


 しかし、社会は複雑化しただけでその事が巻き起こす個々の問題の解決が難しくなったわけではないし。


 ‘下種脳’どもが喧伝するように‘本当の正義などどこにもない’わけでもない。

 

 なぜなら、人間社会に存在する問題は、つまるところ人間たちの欲望の衝突に過ぎず、高尚なものでも難しい問題でもないからだ。


 それを難しく考えたがる人間は、幸福とは欲望の充足であると考える人間か。


 人が獣の一種として存在していた頃と変わらぬ‘下種脳’の価値観で、社会が動かされるのを容認した人間だけだ。


 人が生きていくうえで必要なものなど、さして多くはない。


 だが、欲をかけばきりはなく、ささやかな楽しみで己の人生を満たせぬ愚者はいる。


 それが不必要なものでも多くのものを望み、手に入れたものに執着するその愚かしさは、富を力と考える‘下種脳’の価値観に起因している。


 やつら‘下種脳’にとって力を失うとは死を得るに等しい恐怖だからだ。


 欲とは身を滅ぼすものであり、決して人を幸福にするものではない。


 それは助け合うことで日常を送っていた時代には学ばずとも自然に学ぶことだった。


 だが文明が進み、日常的に共同作業を経験することなく育つ人間が増えていくことで、助け合いの機会は消えていく。


 欲に溺れずに生きることを学ばずに育つ人間が増えれば‘下種脳’の価値観を蔓延らせることをやつらは知っている。


 だから、やつらは自分達の家畜を増やすために、‘下種脳’の価値観をばら撒く。


 欲望の抑制された社会からの脱却が行われた時代に、欲望の制御ではなく欲望の開放こそが自由だと歪めた‘偽りの自由’を振りかざして。


 欲望を満たす事が幸福で。


 欲望を叶えることが夢を叶えることで。


 多くの欲望を満たせないことは不幸で。


 欲望に従わない人間は愚かで。


 多くの欲望を持たない人間に価値はなく。


 欲望を満たす為には力が必要で。


 欲望を叶える為には力を行使せねばならず。


 多くの欲望を満たせない人間は、力によって潰されるのが当然で。


 多くの欲望を持たない人間は無力だ。


 という、腐り果てた、やつら‘下種脳’の価値観を。


 一度その価値観を肯定して生きることを決めた人間がその価値観を棄てるのは難しい。


 だが、多くの人間がその価値観に従う社会はどんなに富と力を集めようと必ず滅びてきた。


 そして、世界が一つの文明圏になりつつある現代では、それは人類の破滅に限りなく近いものとなるだろう。


 ‘ワールデェア’の祖として‘名無し’呼ばれるオレの恩師はそのPSY能力で多くの人々にその事を伝えた。


 宗教の教祖になれば世界最大の宗教組織を作れただろう。


 だが、組織を維持するために教義を歪めるのが宗教であることを知っていた‘名無し’はそれを望まなかった。


 政治家になればこの国を支配できただろう。


 だが、権力によって社会を変革することに意味がないのを知っていた‘名無し’はそれを望まなかった。


 ‘名無し’の能力をオレは‘信念感染’と呼んでいたが、‘名無し’は‘良心増幅’と呼んでいた。


 電子制御されるあらゆる装置をハックするオレと人間の意志のベクトルを操作する能力を持つ自分が出会ったのは運命だったのかも知れないと‘名無し’は言った。


 オレは単なる偶然と必然の積み重ねだと答えたが、‘名無し’がオレの師となったのを運命的と呼ぶ人間が多いのも事実で。


 だからオレは‘名無しのウイザード’などと呼ばれてきた。


 では、この女達とオレの出会いを‘名無し’ならなんというだろう?


 やはり、あの賢者めいた人なら、これも縁と言っただろうか?


 オレは、オレの隣に立つルシエラとそれを驚いたように見る女達を見ながらそんなことを考えていた。


「今日から私も君達の仲間になったんだ」


 オレと一緒に待ち合わせの場所にやってきたルシエラのその言葉は、思った以上に、女達の間に波紋を巻き起こしたようだ。


 ミスリアのしょうがない男をみるような翠の瞳がオレを突き刺し。


 ユミカの拗ねたような琥珀色の瞳がオレを責める。


 シュリにいたっては、漆黒の瞳に気づかうような色を浮かべて、チラチラと遠慮がちな視線を周りに送っている。


「つまり、あなたもわたし達のパーティーに入るというわけですか?」


 シセリスが藍色の瞳をいぶかしげに細めながら、ルシエラの紅の瞳を真っ直ぐに見据える。


「というよりは、クランに属したいってことだね。わたしは戦闘職ではないからね」


 ルシエラも生真面目にシセリスを見返しながらそう告げた。


「基本の生産系魔術と調薬スキルに医療系魔術あと転移魔術も使えるから役にたてると思う」

 

 リアルティメィトオンラインでいうクランとは常時行動を共にする家族のような繋がりを持つ存在のことで。


 同じ目的を持つ組織という意味合いの強い結社や仕事を共に行うギルドに比べて個人的な関係の深い小集団を指す。


 どうやら、ルシエラにはオレと女達がそういう関係に見えるらしい。

 

「でも、あなたは‘渡り人’たちのギルドの幹部なんでしょう? そっちはどうするの?」


 見つめあっている二人の横からミスリアがふと思いついたように口を出した。


 実際は今思いついたのではなく、シセリスが口にするまでもないと暗に説明を求めた事に応えなかったルシエラへの至極当然な質問だ。


 彼女達が考えているのはルシエラがギルドへシュリとユミカを引き入れるためにこんなことを言い出したのではないかということだろう。


 昨日はシュリとユミカを勧誘にきた相手が今日は逆の事を言い出したのだから、事情を知らねばそう思うのも無理はない。

 

「かけもちをする気はないし、やめるよ。あそこでの仕事はもう終わっている」


 ルシエラもそれに思いついたのか、きっぱりとそう言って、ちらりとオレのほうを見る。


 ルシエラにとって、昨日、あの場での出来事は自分の人生の根幹に関わることで。


 何のためにその場にいたかという事実を遠くに押しやってしまうものだったのだろう。


「それに、私の全てはもう──」


 だが、そう口ごもりながら恥ずかしげにオレを見る姿は、事情を知らない人間にはまったく別のものに聞こえる。


 どうにもルシエラという女は、意図するしないに関わらず、オレを予期せぬ状況に追いやるのが好きらしい。


「な! どういうこと!? デューン!」

「御主人様!?」

「師匠!?」

「センセー……」


 どうやら、オレはまた身の潔白を主張しなければならないらしい。


 オレは、この筋書きを考えたやつがいるのなら必ず思い知らせてやると考えながら、彼女たちに話せるとこだけを抜き出して事情の説明を始めた。



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