<ティファニーで昼食を>~ 陥穽否講のアナライズ ~







 知っていることと理解することが違うように、想うことと志すこともまた違う。


 知るということはデータを集めることでしかないが、理解するとはそれが何のデータでどういうものかを解析することであり。


 想うとは外部からの入力にタグを付けることだが、志すとは、外部からの入力に対しての対応プログラムを構築することだ。


 例えばの話。


 知識人やエリート官僚と呼ばれるような人物に色即是空という言葉の意味を聞けば、この世にある全てのものは形のないあやふやなものであるという処から初め様々な知識を判ったつもりで語るだろう。


 だが、おまえの築き上げてきた地位や功績に人脈といったものは、あやふやなものでしかないと言われれば、まずほとんどの連中が腹をたてるだろう。


 また例えばの話。


 小説家になれたらいいなと想い、流行の物語を模倣して物書きの真似事をするような人間は多いが。


 何故自分がその想いを抱いたのかを理解し、実現の為に必要なことは何かを考え、必要なものを得ようとする人間は少ない。


 知ろうとも想像しようともしない人間も存在するが、それは人間未満の存在でしかない。


 そう、そういった人間も子供であるうちは許されるが歳を経て尚そうあるなら愚者と呼ばれるようになることを考えれば判るだろう。


 人間とは肉体というハードウェアを動かすソフトウェア無くしては人と呼べない存在なのだ。


 そして、そのソフトウェアは自らプログラミングする以外にない。


 他者にそれを委ねることは自我の放棄に異ならない。


 それを認識しない者は、知ろうとしても理解しようと思わず、想うことはあっても志すことはしない。


 自分にとって本当に必要なものを知ろうとするならば、多面的な視点が必要になる。


 自分にとって本当に必要なものを求めるならば、その実現を模索しなければならない。


 自然に存在するものに存在理由はないが、人間によって作られたものや概念には存在理由がある。


 狂人が創ったものでさえ社会的な存在意義がなくとも、狂気の発露として存在理由はそこにある。


 それを考え解析し構築しなおし、自らの血肉とすること以外に人間が一個の獣ではなく人間として存在する方法はない。


 獣になるのは簡単だ。


 ‘下種脳’の価値観に従いその犬になればいい。


 そうなりたくなければ、意思ではなく意志を持って行動するしかない。


 例えそれがどんなに困難な道であっても。


 そう、心と命を脅かされ認識を制御されていたとしてもだ。





 結局、取り乱したルシエラをレイアが唇を奪って黙らせるという手段を取った事であの場は納まり。


 それ以上の情報を得ることはできなかった。


 ルシエラの推測が“超感覚的能力”によるものである以上、彼女以外にそれを証明することは難しい。


 自我を持つプログラムを生み出すという条件をクリアするなら、それは決して夢物語ではないが、その条件を満たすのは不可能とされていた。 


 人格データバンクという死後に記憶を引き継いだ擬似人格を残すシステムは存在する。


 だが、それは高度な論理展開の可能なAIに過ぎないことをオレは知っている。


 そしてそれは一部のオカルトマニアを除いた人々の常識でもある。


 それなのにルシエラが自分達をAIと思い込んだのには理由があるのだろうか?


 単純に考えれば彼女はイカれたオカルトマニアだという話だが、そこでPSYという言葉が関わってくると話が変わってくる。


 PSYは神秘が刈り尽くされた現代において、ただ一つ残ったオカルトマニアの希望だ。


 そして、科学的に解明された能力でもある。


 矛盾していると思うかもしれないがそうでもない。


 科学教徒の脊髄反射のようなオカルト否定ではなく。


 実験室で確実に同じ結果をだし続ける類の特殊能力を科学者は否定しない。


 裏では知られることのないPSYの人体実験が行われているのは、その筋の常識だ。


 もちろん、第二次大戦中ナチスが行った人体実験、生者の人体解剖や毒物の効力を調べるといった使い捨ての実験ではない。


 だが、‘下種脳’科学者の中身に大差はないので、自分がPSYだと知られることを喜ぶ人間は少ないだろう。


 だが国や人種に拘わらずやつら‘下種脳’はどこにでもいる。


 ルシエラが自分の能力をやつらに知られていたとしたら実験対象としてやつらに関わっていくうちに、一般には決して出てこない情報に触れているかもしれない。


 だとすれば、本当にオレ達はオレ達自身ではなく、この仮想空間にコピーされた自我を持つ人格データだと──


「聖獣パピルサグの甲殻で強化された‘大鳳の鎧’と‘天魔の鎧’ですか?」


 シセリス達の新しい装備を選ぶふりをしながら最悪の可能性について考えていると、後ろでシセリスの涼やかな声が響いた。


「ああ、セリスは装備するならどちらが好みかな?」


 オレは何でもないようにふり返ってシセリスに微笑いかける。


 どうやら、思惑通りオレが鎧選びに迷っていると思ったのだろう。


 彼女は疑う様子もなく鎧を見て考え始めた。


 オレに対しては遠慮深いシセリスが声をかけるということは、オレは相当長い間考え込んでいたらしい。


 とりあえず考えても答えがでるはずのない問いは一先ず忘れるとして、ここに来た目的を果たすとしよう。


 ここティファニーの店は、リアルティメィトオンラインプレイヤーで防具作成のスキルを持っていた渡り人が開いた店の支店らしい。


 店主のティファニーはその名前に似合わぬ、どことなく英国の先代女王を思わせる恰幅のいい女傑といった風貌の中年女性だった。


 店主はその気難しげな容姿とは裏腹に鷹揚な性格らしく、店内で携帯食を食いながら装備を物色している渡り人の冒険者に嫌な顔もせず、飯くらいゆっくり食ったらどうだと、話しかけている。


 その冒険者も普段はそんな無作法をする人間ではないらしいが、未だ村の周囲に残った魔物の残りを退治するのに忙しく食事の暇もないらしい。


 壊れた装備の代わりを買ったら直ぐにまた魔物退治だそうだ。


「わたしならこちらの‘天魔の鎧’でしょうか」


 そう言ってシセリスが示したのは、ターメリックゴールドの意匠があしらわれた白い皮鎧だ。


 今彼女が着ている精霊銀の鎧よりかなり上質な装備で。


 ‘天魔の迷宮’と呼ばれる世界を守護する魔の一柱が住まうという霊山ダンジョンで得られる宝具。


 リアルティメィトオンライン内で、確率でドロップし、理論的には無数に存在するレアアイテムやユニークアイテム。


 そういったものと違い、特定の隠し宝箱の中から得られる定数管理された装備だ。


 人間が自らの作為で人間を服従させる為に作った神を祀る一神教と違い、魔が世界を守護するという考えは多神教ではありふれている。


 人にとって都合が悪い摂理。


 死や老いなどに代表される万物が流転し創造と滅びを繰り返すという事象を偶像化した存在。


 それが、破壊神や魔神あるいは祟り神といった人を堕落させ破滅に追いやり、人を殺す神だ。


 リアルティメィトオンラインの天魔はその中でもトリックスターの神や試練を与える神をモデルにしているので、それに由来した武器や防具は多い。


 この‘天魔の鎧’は、そうしたアイテムの中でも、かなり高品質の防具だ。


 細かなデータまでは覚えてないが物理と魔術のダメージを軽減し、炎や吹雪といった温度変化系の攻撃と電撃に対する耐性に加え、毒物なども防ぐというありえない物だったはずだ。


「ただ値段が値段だけにとても手はでませんね」


 そう言ったシセリスに相場を聞けば、盗賊退治の賞金と村を守ったことで領主から得た褒章を足しても足りない額だ。


「どうしたの、お金の相談?」


 そこへミスリアがどこか嬉しそうにやってきた。


 手には緋色のローブを持っているが、これは全ての装備に付いた自働修復洗浄機能とサイズ調節機能のみのただのローブだ。


 もっとも、ただというにはそれだけでも十分にありえない代物だが。


「この鎧の値段を聞いて驚いてたところだ。セリスにはちょうどいいと思ったんだが」


「わたしにですか?」


 一瞬の戸惑うような気配の後、シセリスが聞き返す。


 どうやらオレのものを選ぶのだと思っていたらしい。


「そう思ってたんだが、そこまでするとはな」


 オレがそう言ってあきらめようと言いかけると


「いいじゃない、買っちゃえば。貸してあげるわよ、それくらい」


 ミスリアは値段を聞きもせずにさらりと言う。


「それよりローブの色なんだけど、これと今のとどっちがいい?」


「それくらいで済む額ではないですよ」


 シセリスが呆れたような調子で言うが、ミスリアは笑って大丈夫と取り合わない。


 金額を知らないせいかと思ったがそうではないらしく額を聞いた後も態度は変わらない。


 金銭感覚がシセリスとでは二桁ほど違うらしい。


 そういえばリアルティメィトオンライン内でアルケミストといえば、最も金の出入りが大きい職業だったことを、オレは思い出していた。


「ねえ店主さん、この鎧、頂ける?」


 あっさりとそう言って、待つように言うシセリスにふり返ったミスリアは真面目な顔になって言った。


「わたし達はもうパーティーでしょ。だったらこれは共有財産よ」


 パーティーとはゲームでは単に一緒に遊ぶ仲間といった意味合いの軽いものにしかならないが、それを現実としてとらえるなら戦友であり同志であり運命共同体でもある。


 それは、平和な国に生まれ育った人間には判り難いが、従軍経験がある人間や紛争地域で育った人間なら実感を持って納得できる台詞だった。


 一人は皆の為に、皆は一人の為に。


 使い古された言葉だ。


 だが命の危機や目の前の困難に出会って初めて、人間という生き物は己の利のみを追うことが弱さでしかないことを実感できる。


 言い換えれば、それを実感するまで理解しない愚か者だけが‘下種脳’になる。


 それを昔からの言葉で言うなら‘情けない人間’になるというのだろう。


 見るに耐えない醜悪さと嘆かわしいほどのあさましいみじめさを表すその言葉は‘人として認められるために最低限持たねばならない人の情’を持たないものとして語る言葉だ。


 結局シセリスが折れて、ミスリアからパーティーへの貸しという事で装備を購入したオレ達は、村の周辺にに残った魔物の処理を請け負った報酬をその返済にあてる事になった。


 ‘天魔の鎧’以外にも、オレはシセリスとの戦闘で破損した装備と見た目は変わらない黒皮のジャケットとパンツ、そして同じ素材でできたブーツ。


 ミスリアは、オレに色の好みを尋ねたときに手にしていたローブではなく藍色の前に来ていたものに似たデザインの、深いスリットが脇や脚などについた涼しげで扇情的なローブ。


 シュリとユミカは外からは見えないが‘天魔の鎧’よりは格が落ちるが様々な護りの魔術が掛かったアミュレット。


 そして全員に‘思念伝達の腕輪’と同じ翻訳機能がついた揃いの腕時計を購入した為、この村以外でも仕事を探さねばならないだろう。


 しかし、これで盗聴デバイスの対策はできた。


 あとは魔道具作成系のスキルでも取って、マネーカードを新しく作れば完璧だ。


  マネーカードはその素材の魔結晶が消耗する材質という設定なので可能性としては高くないが、それでも最初から持っていたものなので何か仕掛けられていないとも限らない。


 オレはそんな事を考えながら、新たな装備について楽しそうに語らう女達を見ていた。



 



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