始まりは教室で

 まだ幼い頃、父親に、ふとした疑問を投げかけたことがある。

 その疑問というものは父親からすれば少しばかり厄介なもので、答えるのに戸惑った。と、俺は中学時代に父親に笑いながら言われた。


 その、疑問の内容とは? それが都合のいい事に俺は覚えていない。所詮、幼い頃の話で、今となってはどうでも良くて、その疑問とは何か? と、父親に訪ねたりはしなかった。


 今となってはそんなたわいも無い話を、父親とすることは出来ない。父親は今、不慮の事故で植物状態だ。


 医者からは、意識が戻る可能性はゼロに近い、と言われた。

 俺はそう言われても別に悲しくも何ともなかった。

 だが、そんな事があっても何も感じることが出来なかった自分がやけに恨めしかった。


 朝目が覚めると、瞳が潤んでいることに気がついた。俺はそれを人差し指で拭い、何かの間違いだと自分に言い聞かせた。


「……タクヤ様、お目覚めですか?」

「あぁ、おはようリツカ、それと、勝手に俺の部屋に上がりこまないでくれないか?」


 リツカは前の家でも、毎朝、俺の部屋に勝手に入ってくる。

 それは、メイドとして当然のことと思いがちだが、俺は別にメイドというものを欲している訳では無い、むしろ、自分のことは自分でやりたいタイプの人間だ。


「……タクヤ様、朝食が出来ています。制服に着替えてリビングへ」

「そこは無視か、まぁ、分かった、着替えたら行くとする」


 そう言うとリツカは、微笑みながら俺の部屋を出ていく。

 俺が言うのもなんだが、リツカはメイドという職業に向いていないと思う。

 リツカはいい意味でも悪い意味でも近すぎる。


 確かに俺とリツカは、お互いに信頼し合う仲なのだが、それとこれとは話が違うだろう。そんなことを思いながら、着替えを済ませ、リツカの待つリビングに向かう。


 今朝の朝食はトーストにリンゴジャムを塗りたくった、簡素な、悪くいえば手抜きの朝食だ。


「文武両道のリツカでも、流石に料理は苦手なのか」

「……恥ずかしながら、料理に関しては素人以下です、まだまだ修行が足りませんね」


「文武両道を否定しない辺りが潔いな……」


 そう言って二人で微笑んだ後、片付けを済ませ、玄関を出て、学校へと向かう。


 家から学校への距離は、割と近い方で、歩いて約十分程だ。

 丁度俺達が登校する時間帯は他の生徒達も沢山いて、朝の通学路は賑やかだ。


「……それはそうと、真のオタクにはなれそうですか?」

「逆に聞くが、真のオタクとはなんだ?」

「……さぁ? 私も良く知りません」

「自分でも分からないことを俺に聞かないでくれ……」


 全く、リツカは今日も今日とて不思議なやつだな。

 ふと、辺りを見回すと、結構カップルで登校している生徒も多く見かける、朝からご苦労な事だ。

 けっ、リア充め、爆発しろ。

 ふむ、案外言ってみるとスカッとするものだな?


「……何を考えているのですか?」

「いや、カップルが爆発しないかな、とな」

「……恐らく、こうしている私たちも傍から見ればカップルに見えるかと」

「悪い冗談は良してくれ……」


 俺がそう言うと、リツカは少し寂しそうな顔をした。

 何故かは知らないが、そんなリツカの表情を見ると、胸がチクチクする、気がする。


 そんな朝の一幕があり、無事に学校についた後、俺とリツカは別のクラスなので、お互いに手を振り別れる。


 そして俺は、自分のクラスに入り自分の席に付いたあと、カバンの中から教科書類を取り出して、机の中にしまう。

 その小中学と、慣れた一連の作業が終わると、既に登校していた俺の前の席の愛上君が話しかけてきた。


「お、おはよう、赤城君」

「あぁ、おはよう愛上君」


 何気ない朝の挨拶、ふむ、これはこれでいいものかもしれない。

 そんなことを思いつつ、教室を見回すと、一人の女子と目が合った。


「ふむ、なぁ愛上君、クラスの女子と目が合ったらどう反応すればいいんだ?」

「え、ど、どう反応っていっても……ふ、普通にしてればいいんじゃないかな?」


 なるほど、あまり女子と言うものと関わりが無いもので、対応に困ってしまうな。


 そう思いながら再び視線を女子の方に向けると、何事も無かったかのように、本を読み始めていた。


 ふむ、やはり、女子、というものは不思議な生き物だ。

 視線を愛上君に戻すと、彼も何やら本を読んでいた。


「愛上君、その本は何だい?」

「あ、あぁ、これはね、ラノベだよ。てか赤城君、アニメ好きならラノベも知ってるでしょ?」

「あ、あぁ! む、無論知っているとも?」


 いけない、つまらない嘘を付いてしまった。いや、この場合は強がりだろうか?


「……いや、すまない、嘘を吐いた、ラノベ? というものは何だい?」

「え! 赤城君、ラノベ知らないの?」

「んぐ、恥ずかしながら……」

「おかしいね、んと、ラノベって言うのは、わかりやすく言うと、挿絵の付いてる小説、見たいなものかな?」


 ふむふむ、いい事をきいた。

 今日帰りにリツカも連れて本屋によるとしよう。

 いや、ここは、愛上君もつれて行くべきか?


「済まない、オタクと言ってもまだニワカなんだ。できれば帰りに一緒に本屋に寄って、そのラノベと言うものを教えてくれないか?」


「え! あ、あぁ、うん! いいよ!」

「ん? 何故そんなに嬉しそうなんだ?」


 俺は愛上君に、そんな嬉しくさせる様なことを言っただろうか?


「いや、なんでもない!」

「そのニヤついた顔で何でもない、と言われてもな」


「あ、あのさ! ぼ、僕達……」

「ん? どうした?」

「ぼ、僕達、と、友達! だ、よね?」


 何をいきなり。

 あぁ、愛上君は中学時代にいじめられていた、のかは知らないが、友達があまりいなさそうなタイプに見える。

 まぁ、俺も人のことを言えたぎりでは無いのだが。

 ……しかし、ふむ。


「無論、俺と愛上君は友達だ。オタク仲間と言っていい」

「そ、そっか……へへ」


 愛上君はやけに照れくさそうに鼻の下を擦る。


「なんだ? 気味が悪いぞ?」

「何でもなーい!」

「だから、そんなニヤついた……」


 こうして俺に、この学校初めての友達? というものが出来た。

 しかし、彼は本当の俺自身を知った時、どんな反応をするだろうか? いや、その事を考えるのは辞めにしよう。


 所詮、この友達、という関係も、上辺だけに決まっているのだから。


 こうして朝のHRから始まり、退屈な授業が始まる。

 高校の授業、というものは特に俺にして見れば中学の時の応用、と言う感じにしか思えず、酷く退屈であったが、特に何も起きぬまま時は過ぎていった。朝目が合った女子から、授業中にも視線を感じる、ということ以外は。


 そんな事がありつつも、何事もなく放課後が来る。

 放課後は予定通り、リツカと愛上君を誘って近場の本屋による事になっている。

 だから校門の前で愛上君と一緒に、リツカが来るのを待っていた。


「その、赤城君が言う、リツカさんってのは、どんな人なの?」

「ふむ、そうだな、一言でいうと……文武両道、だな」


 まぁ、嘘は付いていないだろう、本人もそう言っている事だしな。


「そ、それは凄そうだね……」

「ん、噂をすればだ愛上君、彼女がリツカだ」


 そう言いながら俺はリツカを指さすと、リツカも俺たちに気づいたのか少し早歩きでこちらに向かってきた。


「……タクヤ様、すいません、クラスの手伝いをしていました」


「タクヤ、様?」

「あ、あぁ! 気にするな! そう言う奴なんだ! おかしいだろ?」


 俺は隣に立つリツカの横腹を少し強めにつついて警告する。

 するとリツカは多少ビクリとしたものの表情を崩さずに知らぬ顔で突っ立っている。

 本当に大丈夫なのだろうか?


 その後、お互いに自己紹介を済ませ、いざ、本屋へ向かおうという時に、俺はふと、教室に忘れ物をした事に気がついた。


「済まない、どうやら教室に財布を忘れてしまったらしい、急いでとりに行くのでここで待っていてくれ」


「……はい、タクヤ様」

「……おい」

「ゴホン、失礼、赤城君」


 全く成長しない女だ。


「あ、うん! 待ってるよ」


 不覚だ、忘れ物など一度もした事が無かったのだが……。


 しかしやってしまった事は仕方ない、以後気をつけることにしよう。


 俺は教室まで早歩きで向かう、そして、教室の扉の前に着くと、どうやら教室に一人残っているらしく、本をパラパラと捲る音が扉越しに聞こえる。


 俺は恐る恐る扉の隙間から覗いてみると、そこには、俺の席に座り、本を読んでいる女子がいた。

 よく見るとその女子は、朝と授業中、よく目が合った女子だった。


 俺は扉を開け、女子の座っている俺の席に近づく。

 その間、女子は本から視線を一切外さない。


「済まない、少しいいかな? その机に用があってね」

「えぇ、どうぞ」


 その女子は冷淡な声で、それでいて本から目を離さずにそういった。艶やかな黒髪が夕日に反射して光っているように見えた。


「ねぇ、あなた、私と一緒じゃない?」


 突然女子が本から目を離さずにそんな事をいう。


「はて、何の事ですか?」

「その目が、その、どこか冷めている様な目が、私と似ているような気がして」


 目が似ている、そうだろうか?

 そう言う女子の瞳は赤色で、何故かその目を見ると蛇に睨まれたかのようにゾクッとした。


「ねぇ、赤城 タクヤ君、あなた、わたしと一緒に部活を始めない?」


 その一言を聞いて、俺は、平穏に暮らすというものはなかなか難しいものだな、と、不覚にも笑ってしまった。

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