第四章

徐々に蔓延する爆発と好機

        【浅井 7】



「おい、浅井、ニュース見ろよ」


 休憩から帰ってきた波多野は興奮を隠そうともしていなかった。勤務中にわざわざ報道番組の閲覧を勧める神経を疑ったが、あまりのしつこさに負け、浅井は部屋の隅にある投影機の電源をつけた。

 映し出されているのは国営放送のニュース番組だ。その中でしかつめらしい顔をしたこの国の首長が話している。いつだったか、波多野が「予習」と眺めていた災害時の緊急映像を思い出す。それとほとんど同じ画だ。浅井は眉間に皺を寄せ、白髪交じりの男の低い声に耳を傾けた。


『皆さん、落ち着いてください』


 いったい何が――そう思ったところで記者たちが叫んだ。責任という単語を投げつけるかのような、険しい言葉が矢継ぎ早に続けられる。『いったい何が起こっているんですか』『原因の解明はなされているんですか』『この国を揺るがす一大事なのではないですか』


 映像の右上には『テロか? 食料供給に問題発生』というテロップが踊っている。不穏な気配を感じてチャンネルを変えてみたが、流れている映像はどれも同じものだった。


「波多野さん、これ、何が」

「配給機を操作しても食料が届かなくなってんだよ」


 彼は不謹慎にもにやにやとしながら、そう言った。地上で食料を運搬するシステムがない以上笑っていられる事態ではない、と当惑しながら、浅井は首長の次の言葉を待つ。計り知れない問題が起こっている、その拙い理解だけが唾と一緒に喉を通り、胃へと落ちていった。


『ただいま原因を究明しています。滞りなく食料供給がなされている地域も存在することから配給機やシステムのエラーではないとの報告もあり、対応策も検討しておりますのご安心ください』


「……何が、起こってるんですかね」

「さあなあ」愉快げに言う波多野はすべてを知った上でとぼけているようでもある。「供給管が破裂でもしたとかじゃねえの」

「そんなことあるわけないでしょ。常に整備されてるし、だいたい、あの管の剛性知らないんですか。その気になれば宇宙開発にも余裕で使える代物ですよ」

「適当な推論に正論をぶつけるなよ」

「それはそうですけど」

「わざわざ人の手で整備してるんだからヒューマンエラーがあってもおかしくはないよな、って話だって」


 それこそありえない、心の中でしたその反論はすぐに消え去った。整備という単語に屋代の姿が脳裏を過ぎる。彼は先日まで食料供給管整備事業を委託された会社に勤めていたはずだ。背中に冷たい汗が流れる。あのときの屋代が浮かべていた笑顔が頭にこびりついて離れなかった。

 もしかしたら――彼は重大な失敗の責任を押しつけられて会社を辞めさせられたのではないか?

 悪い予感に鼓動が重くなる。なんにせよ、彼に連絡を取るべきだ。咄嗟にそう判断したが、許可が下りる理由はなく、また、たとえ通信ができたとしても彼が応答するようには思えなかった。この一週間、彼は一度も電話に出なかったのだ。


 映像は続いている。首長の理路整然とした対応に溜飲を下げたのか、それとも問題発言が飛び出しそうもない冷静さに飽きたのか、報道陣の勢いは次第に衰えていき、やがて会見は終了した。スタジオのキャスターが沈痛な面持ちで批判とも提言ともつかない感想を述べ始め、訳知り顔の学者が食料供給システムの解説をし、それが一段落すると街の風景が映し出された。公園で運動していたジャージの男がインタビューに答えていた。


「騒動に、なってますね」


 浅井はなんとかそれだけ言ったが、返事はなかった。いつの間に移動したのか、波多野は大窓から眼下の街をじっと見つめている。ニュースを見ろと騒いでいたくせに自分は見ないのか、と詰りたくもあったが、彼の複雑な表情を目にし、言葉が出なくなった。


「こんなもん、騒ぎじゃねえよ。こんなの騒動のうちに入らねえって。食事する術を失ったやつらがここに詰めかけてきてからが本番だよ」

「それは、騒動っていうより暴動に近いですよ」

「お、そっちのほうが面白いな」

「ちょっと、波多野さん、ここ勤務態度記録されてるんですから口に出さないでくださいよ。思うだけにしといてください」

「この程度で俺がクビになるわけねえだろ」


 それから、波多野はもどかしそうに「早くしろよ」と窓を叩いた。様子がおかしい。彼が重要な事実を握っているのは火を見るよりも明らかだ。恐る恐る「どうしたんですか」と訊ねたものの、波多野ははぐらかすだけで質問に答えようとしなかった。

 浅井は報道番組を横目で確認し、天候操作コンソールを見つめる。一刻も早く事態を把握したかったが、勤務中は動けない。今ここで下手に行動し、なんらかの罰則を受けたら〈エイブラハムの樹〉の活動にも支障が出かねない。


 地団駄を踏んでいると、雑務用のコンピュータから通知音が流れた。普段耳にすることのないその音が、事件がどれだけ混迷を極めているのかを示している。即座に周知する必要がある情報でなければ全職員宛のメッセージは送られてこないのだ。浅井は慌ててコンソールを操作し、メッセージを開いた。やはり、と言うべきか、内容は食料供給システムについてだった。


『本日十二時〇〇分に発生した食料供給システム障害/食料供給管内部になんらかの異常が発生している模様。原因は調査中。判明次第追って通知。全職員、報道陣並びに市民に対しては憶測を口外せず、調査中とのみ伝えること』


「なんて通達が来た?」波多野は外に向かったまま、胡座を掻いている。

「何か訊かれても調査中で押し切れ、と」

「まあ、そうだよな。俺みたいに適当にあることないこと言われても困るわな」

「……あの、波多野さん、やっぱり、何か一枚噛んでません?」

 浅井の確認に波多野は「調査中です」とおどけたきり、何も言わなかった。


          〇


 夜までには事態は収束するだろうと予想していたが、日が暮れても一向に解決の報は流れず、むしろ被害の甚大さばかりが膨張していく有様だった。昼食と夕食を取れなかったからだろう、往来を歩く人は心なしかでは済まされないほどに増えており、その多くがこの街に初めて訪れたかのように視線を彷徨かせていた。


 勤務を終えた浅井は〈エイブラハムの樹〉がいるライブハウスへと急いでいた。彼らの状況を一刻も早く把握しておきたかったのだ。

 街頭ビジョンではどこもいちように事件のニュースが流されている。報道されてから五、六時間が経過し、ようやく、と言うべきなのか、原因の解明がなされ始めていた。模倣犯の出現を危惧しているのか、方法までは詳らかにされていない。物理的に食料供給管が封鎖されている、とそのことだけを、キャスターさえ半信半疑に原稿を読み上げていた。


 歩調を速めながら、地面を見つめる。

 浅井も中央管制塔の職員だ、この国のシステムに関しては他の国民たちよりも多くの知識を有している。それだけにわからなかった。

 蜘蛛の巣状に張り巡らされた食料供給管は数カ所封鎖された程度で支障が出るような構造ではない。どれだけ迂回したとしても確実に食料を届けられるように設計されており、完全に阻害する方法など何も思い浮かばなかった。良くも悪くも食料供給システムが市民生活の根幹である以上、セキュリティは徹底されている。


 だが、現実はこうだ。

 コメンテーターが異常検知プログラムが事前に改竄されていたのでは、と推測を述べている。それが可能な立場の人間がどれだけいるだろうか。もはやミスなどではないことは浅井も理解していた。

 結局、屋代とは連絡を取れなかった。


 浅井は歩行者にぶつかりそうになり、身を翻しながら、走り始める。胸騒ぎがする。頭の中で虫が羽音を立て、思考の邪魔をしていた。食事を求めて街をさまよう市民の姿は次第に増えている。すれ違う彼らの表情は暗く、円滑な生活を乱した加害者への憤慨が滲んでいた。

 燻る怒りが街全体を覆っている。今にも燃え上がりそうな赤黒い火種が舐めるように広がっている。些細な情報が燃料となり、たちまち炎となるような気配に皮膚が粟立った。不穏さに脊髄をなぞり上げられ、寒さすら感じる。煽るかのように、風が吹いた。気化した憤慨が可燃性のガスとなり爆発するのではないか、その妄想を切り捨てることができない。


          〇


「おい、浅井、何が起こってんだよ」


 ライブハウスの中に飛び込むと真っ先に桐悟の声が身体に当たった。肩で息をし、答えようとしたところで浅井の目におかしなものが飛び込んでくる。桐悟の右手に握り飯があったのだ。隣に座る美波と良志も同様だ。二人は握り飯を頬張りながら年代物のディスプレイに齧りついていた。そこで垂れ流されている報道が食料供給異常に関するものだったため、余計に混乱する。


「浅井、公職者なんだから私たちより詳しいでしょ」

「いや、っていうか、それ、どうしたんだ?」


 浅井は途切れ途切れの呼吸をしつつ、彼らの持つ握り飯を指さした。既に政府は運搬車を至るところから調達して公園などで配給を開始している。しかし、どこも長蛇の列を作っており、彼らがいち早く食事を確保できるとはまったく考えていなかった。〈エイブラハムの樹〉の面々はニュースなど見ないし、三度の飯より音楽のほうが重要だと即答するだろう。

 疑問への明快な解答など絞り出されるわけもなく黙っていると、良志がカウンターに投げ置かれていた袋を手に取った。


「滝が持ってきたんです。〈ヤーン〉は被害を免れていたそうで、さすがに営業を再開したらしいですよ」

「〈ヤーン〉が?」

「きっちり推定被害地域に含まれてるのに、変な話だけどね」

「どうせ来るだろうからって浅井の分まで用意されてるぞ」


 桐悟は袋の中から拳大の塊を二つ、投げて寄越した。乱暴に放たれた割には身体の中央に向かってきて、浅井は危なげなく、掴む。


「ありがとう」

「で、何が起こっているのか知らねえのかよ、公職者」

「残念だけど大した情報はないな」


 退勤までに何度か全職員へ現状通達がなされていたが、核心に迫るものはなかった。浅井の理解はほとんどがニュースによるものだ。


「そもそも部署も違うしな。不確かな情報は伝えられない」

「そういえば中央管制塔は無事みたいですね」


 良志が画面を指し示す。映し出されたこの国の全図に被害地域が赤く、推定被害地域が黄色に塗りつぶされて表示されている。当然ながら中央管制塔はその中に含まれていない。地下の工場から送られてきた食料は中央管制塔の根元を通って各地域へと運搬されるからだ。道すがら「国民生活の方向転換を目論んだ政府の陰謀」説を唱えている通行人もいたが、状況だけで推理してしまうと穿った見方だと否定するのは難しかった。また、公職者の風当たりが強くなるのか、と溜息を吐いたところで、桐悟は少しおかしそうに言った。


「しかし、こうなると〈ヤーン〉も大繁盛かもしれねえな。リヤカー持っていった理由はわからねえけど」

「さっき滝と隼からメッセージが来たけど行列ができてるって」

「島田さんはおそらく嘆いているだろうな」

「いつまで続くのかね、この状況は」

「……明日や明後日に収まる話じゃないな」


 浅井は断言する。センサーが異変を感知していないのなら一つ一つ管を取り出し、目視で被害を確認していかなければならない。交換作業はそれからだ。また、現在、供給管の整備事業は佳境に入っているため、交換用パイプの備蓄も少なくなっている。並行作業では効果的な配置が不可能であるのは明らかだった。


 皮肉なものだ、と浅井は呻く。

 職業斡旋計画の弊害がこのような形で現れるとは計画を推し進めた政府も露ほどにも予想していなかったに違いない。全自動ですべての作業を行うには機器が足りず、そもそも、施行されていなければ問題は発生していなかっただろう。

 そして、社会病理である勤労意欲の低下も作業を遅々としたものにさせる大きな要因となっている。食料供給管の整備を委託されている会社は目覚ましい業績や公益性の高い業務内容から多くの非正規雇用者を抱えているのだ。彼らが作業に従事するには現場責任者の指示が必要となる。人員の不足は疑い得ない事実だった。


 ――びくり、と身体が震える。

 その正体が恐怖なのか感嘆なのか、それともまったく別の感情なのか、浅井にはわからない。だが、ぼんやりと透けた犯人の思惑に執念を感じた。周到に用意された犯行はこの国の膿んだ部分を浮き彫りにしている。

 ディスプレイから放たれた音声が耳元の骨伝導装置を通じて聞こえてくる。もはや浅井には人々の怒りがどこに向けられているのか、読み取ることができなくなっていた。

 ゆっくりと息を吐く。

 普段と変わらない調子で〈エイブラハムの樹〉の三人が話している。


「メシは滝か隼に横流ししてもらうとして、いろいろ面倒だな。配給に並びたくねえ」

「〈ヤーン〉が営業してるの夜からでしょ。朝と昼、食べられない」

「材料だけもらっておけばいい」

 良志の言葉に桐悟が噴き出す。「誰が料理すんだよ」

「私はしない」美波は表情を変えずに主張した。「器具がないし。あってもやらないけど」

「俺だってしたくねえよ。絶対無駄になるし」

「まさか食料が貴重になるとはね」

「料理を提供する店には人が殺到するだろうな。明日の朝はきっと今よりひどい状況になっている」

「んだよ、メシが食えない程度でぞろぞろ出てきやがって」


 黙っていた浅井は桐悟の悪態に苦笑する。

 しかし、それも束の間のことだった。

 突如として全身を襲った硬直に表情が強張る。昼から始まった一連の騒動が洪水のように頭の中に満ち、ぐるぐると渦を巻く。閃きの奔流に身を任せ、思考が渦の中心点に行き着いたとき、言葉が喉をついて飛び出していた。


「……なあ、これ、チャンスなんじゃないか?」

「チャンス?」桐悟はわざとらしく眉を潜める。「公職者なのに不謹慎だな」

「今は〈エイブラハムの樹〉の近くにいる浅井だよ」

「まあ、そりゃそうか。で、チャンスって何のことだよ」


 浅井はそっとディスプレイを指さす。次第に情報が集まっているらしく、報道番組の字幕には推定の被害人数が表示されていた。


「今、街には人が溢れてるんだぞ」


 その一言で三人の顔色が変わる。彼らが画面に視線を移すと同時にキャスターが緊迫感を漂わせた口調で言った。『最低でも十万人以上が食事を摂れない状況にあります』。それを耳にして、彼らは一斉に立ち上がる。がたん、と椅子が音を立てて転がる。これまで呑気に報道を眺めていた彼らの顔は一気に引き締まっていた。


「浅井、お前、悪い奴だな」

「そうか? これまで部屋に、仮想現実に閉じこもっていた人たちが街に溢れてるんだ」


 これ以上の好機はない。食料供給システムの障害という煙に燻り出され、人々は今、現実を歩いている。歩かされている。この騒動が収束すれば街からは喧噪が消え、再び静寂が訪れるだろう。

 その前に、種を植え付けてやればいい。

 食事なんてそっちのけで〈エイブラハムの樹〉に耳を傾ける者がいるはずだ。

 浅井は名前も知らない犯人にそれだけは感謝する。彼か、あるいは彼女がいなければこの状況は生まれなかったのだ。不謹慎だと後ろ指を指されたとしても構わなかった。〈エイブラハムの樹〉が音楽を届けられる場があるのならば最大限に利用するべきだ。徐々に現実味を帯び始めた未来に、浅井は拳を握る。

 ――それがあまりにも無知な喜びであると知ったのは翌日の朝のことだった。

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