ヒーローは友達が少ない

        【浅井 5】



 美波に紹介されたエラは気さくな女性だった。実行委員という響きと美波の親戚という先入観から寡黙な堅物を想像していただけに、浅井はいやな顔一つしない彼女の対応に面食らうことになった。厭味の一つくらい言ってもいいんですよ、と伝えると、彼女は夏の明るさと爽快さを感じさせる笑顔で朗笑し、他ならぬ美波の頼みだしこっちもがんばりますよ、と力こぶを作った。


「美波とエラさんが繋がっていて本当によかった」


 細かいタイムスケジュールや機材な搬入経路などを詰めている途中で、浅井は思わずそう漏らした。初めは敬語だった彼女も会話が進むごとに砕けていき、ほとんど旧来の友人であるかのように振る舞っている。

 浅井の言葉にエラは「だねえ」とはにかんだ。


「自分に近しい人が思いもよらぬ人と繋がってることなんて往々にしてあるよね。こんな時代だしさ、もしかしたら浅井くんだって私の友達と繋がってるかもしれないよ」


 エラとの打ち合わせが終わったのは二十一時を回った頃だった。翌朝から雨天となっているせいか、気の早い同僚が上空に雲を集めており、月や星は空から溢れそうな位置にしか確認できない。満天に投影された雲は蠢き、身震いするごとに大きさと黒さを肥大させているようにも見えた。


          〇


 ライブハウスへと戻った浅井は自動ドアを通り、分厚い防音扉につけた耳をそばだてた。金属製の冷たい扉からかすかに漏れてくる音に感慨深くなる。これは隼だろうか、力強さに満ちた声が聞こえ、浅井は「いよいよだ」と興奮を噛みしめた。

 そっと扉を開ける。その瞬間、ベースの音が背骨を這い、隼の声が内臓にぶつかった。

 邪魔はするまいと考えていたが、声が出る。「あれ」機材が増えた室内には滝と隼の他に誰もいない。ステージやその前の開けた空間、使用されている気配のないカウンター、そのどこにも他のメンバーの姿がなかった。


「お、浅井さん」休憩なのか、隼がステージに腰掛けて水を飲んでいる。「実行委員の人と話してたんでしょ? どうだった?」

「ああ、問題なかったよ」答え、壁際に座り込んでいる滝に手を挙げる。「隼と滝だけか」

「みんなさっきまでいたよ。ついさっき桐悟と良志がメシ食いに行って、美波は風呂入りに帰ったんだ。入れ違いだね」

「なんだよ、ちょっと待ってくれたら奢ったのに」

「マジで? 俺、五人分食えるよ」

「まあ、みんないないからまた今度にしよう」と浅井は肩を竦める。「しかし、営業時間が終わっているとは言え、ここの店員組が一人もいないのか」

「そう言われればそうだね。気付かなかった」

「まあ、客なんて来ないし、いいか」

「うわ、浅井さん、ひっでえ」


 隼はけらけらと笑い、手を叩く。言葉の影には同意の色が隠れている。


「でも、俺が来ると隼と滝は絶対いるよな。学校とか〈ヤーン〉は大丈夫なのか? あいつらよりも時間の融通が利かないだろ?」

「学校は大丈夫じゃないですねえ」と隼はおどける。「滝は平均くらいには勉強できるから何とかなるんだろうけど、俺は無理」

「しっかりしろよ、高校生」

「浅井さん、高校までの義務教育なんてやりたいやつだけやってればいいんだよ」

「義務教育って自分で言ってるのにな」

「で、〈ヤーン〉は今、休業中」

「休業?」


 数時間前まで一緒に勤務していた波多野の言動を思い返す。上司が手に負えない部下をまとめているのか、最近はずっと波多野と同じ時間帯にシフトを組まれていたが、〈ヤーン〉の話題が出たことはなかった。


「経営状態、悪かったのか? そういえば波多野さんめちゃくちゃ注文してたな」

「すごい推理するね。でも、考えすぎだよ。お客さんは結構入ってたしさ、それに、島田さんは閉店じゃないって言ってたよ」

「そうか」

「なんか下克上を果たしたとかはしゃいでたし。オーナーさんは何してるの、って訊いたら、世界を救いに行ったとかよくわかんないこと言ってたけど」

「『下克上』とか『世界を救う』とかどうにも大仰だな」

「まあ、だからとにかく、時間はたっぷりあるんだよね。変更箇所が少ない俺がいちばん時間が多いってわけ。だからこうして休憩も人一倍取れる」

「滝はこっちに目をくれないもんな」


 浅井はフロアの隅でヘッドホンを耳に、弦を弾いている滝へと目を向けた。

 電気信号に変換されない、生の音がかすかに空気を揺らしている。ウェイトレスとして皿を運んでいるときの面影はまるでなく、脇目を振らずひたむきに練習する姿はそれだけで絵画じみた厳かさが滲んでいた。


「すごいよねえ。俺、楽器できないから憧れちゃうよ」

「え」浅井は耳を疑い、隼を覗き込む。「できるもんだとばかり」

「そりゃまったく演奏できないってわけじゃないけど」隼はあたかもギターを掻き鳴らすかのように胸の前で腕を動かす。「まだ演奏しながら歌えないんだよね。桐悟とか良志にいろいろ教えてもらってて、一生懸命やってるけど許可が下りない」


 そういえば、と浅井は思案する。彼らがどのような経緯を経て結成されたのか、訊いたことがなかった。興味はあったが、目の前に積まれている課題に忙殺されているうちに訊ねるのを忘れていたのだ。そして、一度気になり始めると、ぐらぐらと好奇心が揺れる。躊躇うほどの質問ではなく、すぐに言葉が出ていた。


「なあ、隼はどうやってみんなと出会ったんだ?」

「え、俺? あー、俺は滝と同級生でさ、いろいろ話してたらベースやってるって聞いて、なんかすげーって思ってたら紹介されて、ここに」

「ずいぶん雑だな」隼らしい簡潔さに、浅井は噴き出す。

「そんなもんだって。きっかけなんて後から考えたらくだんないことばっかりだよ。それこそ世界を救おうと立ち上がった理由が『友達が欲しい』でも俺は納得するし、親近感が湧くね」

「そんなヒーローがいるならぜひ友達になりたいもんだ」

「もともとさ」と隼は話を戻す。「桐悟と良志と美波が同じマンションに住んでて、そこから始まったんだって。桐悟のオヤジさんが中古の楽器とか、楽器に限らないとか言ってたけど、とにかくそういうの売ってたらしくてさ。でも売れないじゃん? それを桐悟が勝手に持ちだしたらしいよ」


 こんなところにも中古品販売業の荒波が、と浅井は平伏し、続きを催促する。


「それで、滝と三人の繋がりは?」

「あー、俺もあんまり詳しくないけど、良志と滝の親が同じところで働いてたらしいんだよね。懇親会? とかで会ったらしいよ。美波がどうのこうのって話も聞いたから、たぶん美波が悪巧みして、良志がまんまとはまって、滝が釣れたんじゃない?」

「ちょっと隼、釣れたって言うとわたしが引っかかったみたいじゃん」


 フロアの隅から滝が訂正を求めてくる。外したヘッドホンを首にかけ、自分の指を揉みながら足を投げ出していた。改めて顔を見るとかすかに疲労と羞恥の色が浮かんでいた。


「でも、釣られたんだろ」

「それはそうだけど」腑に落ちない何かがあるように滝は言葉を濁す。「でも、隼の時とそう変わんないよ」

「何があったんだ?」

「良志が美波に言われたらしいんですよ。ギターを持っていけばモテモテですよ、って」

「いやー、美波の冗談はたまに役に立つよな。この前のリヤカーもそうだったし」

「でも、良志がそんな通俗的な言葉に引っかかるなんて」


 浅井は信じられず、顔を引き攣らせる。思慮深く、冷静な良志のイメージが崩落しかけ、女性の尻を追い回す奇妙な光景が脳裏に浮かんだ。


「そのときは良志も中学生でしたからね。話半分に受け取ってたかもですし」

「そうであることを願うよ。……っていうか、隼のときとそうかわりないってどういうことだ?」

「ああ、それはですね」


 滝が笑いながら語ろうとすると、隼がわざとらしく咳払いをした。


「俺は、あれだよ、世界を救うために歌ってるんだよ」


          〇


 雨音が静かに広がっている。土砂降りと言うほどではなく、小雨ほど遠慮があるわけでもない。しとしとと柔らかく地面を濡らす雨は、あたりに万遍もなく染みこむような強さで降っており、息を吸うと冷やされた空気が肺へと滑り込んだ。

 天候管理局の一室には珍しく波多野の姿があった。戸惑い、時間を確認すると視界の端に表示されたデジタル時計は九時前を示している。何かの前触れか、と身構えずにいられなかった。


 浅井は椅子に腰を下ろしながら言う。「やけに早いですね」

「たまにはそんな日もあるってもんだ」

「できれば続いてほしいものですけど」

「なあ、浅井、やまない雨はないんだ」

「もっといい話題のときに聞きたかったです」


 雨の日の波多野は決まって退屈そうだった。いつも楽しそうに雨を降らせているだけに雨天となると狂喜乱舞するのではないか、そう恐れた時期もあったが、こだわりがあるらしく、自分が降らせる雨以外には特に思い入れがないようだった。彼が騒いでいないと未だ違和感があり、浅井も手持ち無沙汰になる。隙間を埋めるように話しかけた。


「そうだ、波多野さん。森津さんのとこにあった私物、こっちに来てましたよ」

「ああ、忘れてた」

「とりあえず俺の家に持って帰りましたけど」

「じゃあ、今度持って来いよ」

「持って来いよ、って俺がですか」

「お前以外の誰がいるんだよ」

「……気が向いたらでいいですか」

「早く気を向けろよ」

「そういえば何であの日来たんですか? 結局、荷物増やしただけだったし。他に用事でもあったんですか?」

「答え合わせだよ」

 その返答が理解できず、浅井は顔を顰める。「答え合わせ?」

「すぐにわかる。一週間か、遅くても二週間、ってとこだろうな」


 浅井は首を捻り、さらに問い詰めたが、波多野はそれ以上、ヒントめいた言葉を口にしなかった。する気もないだろうに「仕事しようぜ」と嘯き、デスクへと向かい、投影された画面を睨めている。

 こうなるともう諦めるしかなく、浅井は彼に倣って自分の机に表示されているカレンダーへ視線を滑らせた。二週間後には市民大会が迫っている。一、二週間は「すぐ」の範疇に入るのか、訝り、眉根を寄せたが、すぐに波多野は正しいと知った。

 二週間という期間は思いのほか早く、過ぎ去る。

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