業務上破壊工作

        【屋代 2】



 十歳くらいのときの出来事だ。

 体験授業の一環で調理実習が行われた。題目としては「食材のありがたみを学ぼう」などというものだったはずだ。今となって考えると効果のほどは定かではなく、むしろ指先一つで容易に食にありつけるという文明礼賛の方向に思想を傾かせるような、杜撰ずさんな内容ではあったが、屋代にとっては大きな感銘を受ける体験となった。


 学校から帰ると屋代はすぐさま食料供給機を操作して食材を取り寄せた。普段は目にすることもない生の肉や野菜は当時の屋代を浮き足だたせるには十分なものだった。

 一人の作業は試行錯誤の連続だ。崩れかけた崖の上を歩くような速度で、野菜を刻み、炒め、味付けをした。肉を切り、調味料を溶かした汁の中で煮込んだ。学校から借りてきた調理器具には分量を量る器具がなかったため、頻繁に味見をしなければならなかったが、その作業も非日常的で面白かった。完成する直前に米飯がないことに気付き、慌てて炊き上がったものを取り寄せる始末ではあったものの、出来栄えにそれなりの自負を抱いたことは強く頭に残っている。


 両親の部屋の扉が開いたのは完成とほぼ同時のことだった。職に就かず、給付金だけで暮らす未就労成人問題が一般化しており、屋代の両親もその例に漏れていなかったため、彼らが自室にいることは承知していた。完成から間を置かずに母親が出てきたのは全くの偶然だったに違いない。


 母親はそろりそろりと、森を歩く野生動物のように細い身体を揺らしてダイニングキッチンへと現れた。テーブルに並んだ簡素な食事を訝しげに睥睨へいげいしたあと、彼女は器具が投げ置かれている台所へと目を向けた。酔狂なものを見るような目つきだった。


「あんたが」母親の口調は冷たい石畳のような感触がした。「あんたが作ったの?」


 屋代は目を輝かせて返事をし、「せっかくだし食べてみる?」と訊ねる。すると母親は何も言わずに椅子へと腰を下ろした。彼女は無作法に料理の匂いを嗅ぎ、罰を受けるかのように恐る恐る口をつけた。

 表情が曇ったのが、目に見えて、わかった。

 母親は不快を露わにして、手元に置かれたグラスへと手を伸ばす。それから口を濯ぐかのようにミネラルウォーターを飲み込んで、屋代へと乾燥した視線を送った。何かを言いたげに口を開いていたが、結局その言葉をぶつけられることはなかった。聞こえてきたのは苛立たしげな嘆息と立ち上がる音、そして食料供給機の作動音だ。


 制止することも非難の声を上げることも、できなかった。

 足の裏が床にへばりつき、腕は鉛のように重くなっている。湯気の上がる、まだ温かい食事の向こうで、母親は待ち遠しそうに供給機の角を指で叩いていた。身体の内部にあった達成感を伴う疲労が粘着質なものに変質し、皮膚の表面へと纏わりついた。粘り気のある液体の中に投げ込まれたかのように、呼吸がうまくいかない。舌が乾き、咥内に張り付く。腹の奥底で得体の知れない黒々とした塊が蠢いた。


「ねえ、無駄なことはやめて」


 母親はさとすような口ぶりでそう発声し、それから届いた食事を摂取した。立ち尽くす屋代の前で女が機械的に箸を操作して、食物を口へと運搬し続けている。何もわからずその様を見つめる。容器の半分ほど口にしたところで彼女は「残ったの、食べておいて」と言い残し、自室へと戻っていった。

 一人残されたダイニングキッチンで屋代は呆然とし、しばらく経ってからようやく自身が作った料理に手をつけた。口を濯がなければならないほどの味ではなく、悔しさで視界が滲んだ。テーブルの隅にある母親の残した食事が目につき、奥歯を噛みしめる。


 何が違うというのだ。

 屋代は母親の食べさしに恐る恐る箸を伸ばす。

 そのときの味と食感は強烈な不快さで記憶に残っている。

 ぶよぶよの虫を噛んだかのような気味の悪さ――。顎を動かすたびに唾液の中を虫が泳ぎ回り、その水分が歯の表面を溶解させ、舌が爛れるような気がした。えずきながら飲み込む喉が痛む。胃に落ちる。胃酸の泡立つ感触が背骨から全身へと伝播した。

 今まで自分が栄養としていたものがおぞましくなり、愕然とした。その後も何度か自動調理された食料を口にする機会はあったが、まともに喉を通ることはなかった。


          〇


 ――頭の中央に錨が沈殿している。重い、錨だ。竜骨と帆柱を象った金属の塊は鈍く光を反射する。光は波に揺らめいて眼球を舐める。視界が明滅する。それが自らのまばたきによるものだと自覚してようやく、屋代は目が覚めていることに気がついた。タイマーで自動開閉されるブラインドから陽光が差し込んできていた。


 身支度を整え、マンションの玄関を出るとタクシーが滑り込んでくる。車体からひるがえった光に、潜んでいた睡魔が慌てふためいた。目元を踏み荒らされるかのような刺激を、硬く目を瞑ってやり過ごした。

 息を吐き、タクシーに乗る。住人のIDを認識しているAIは行き先を告げる間もなくフロントガラスに会社の所在地と料金を表示させる。指先に埋め込まれたデバイスを接触式のインターフェイスに翳すとタクシーは緩やかな斜面を転がるガラス玉のような速度で発進した。


 屋代の誕生する遥か以前に都市国家として成立したこの街は日進月歩する科学技術の恩恵を享受している。成立当時の一部市民は「享受ではなく強制である」と声を上げていたが、昔の話だ。反対派は軒並み別の都市へと生活基盤を移し、別の都市の賛同派が移住してきた経緯に鑑みればやはり享受しているという表現が正確となる。

 個人情報などを記録させたマイクロチップを人体に埋め込むデバイスインプラント技術は黎明期から採用され、今や都市システムの根幹を担うまでになっている。爪の先ほどもない情報装置は徐々に財布の中身を抜き取っていき、最終的には財布そのものを文化の外へと追いやった。遠距離通信装置が組み込まれるようになると電話までが消失し、ほぼ完全なユビキタス社会を実現するまでに至った。そのため、この国の多くの人々は紙幣や硬貨、電話などといったものを博物館か映画でしか見たことがない。


 車は等間隔に並ぶ常緑樹を横目に進んでいく。緑化政策により植えられた木々は紛れもなく自然のものだというのに、どことなく機械的な印象があった。景観の保全のためか、人間は自然がなければ生きていけないのだという警鐘けいしょうか、あるいはそれらへの弁明なのか、意図は判然としない。

 一瞬、視界がビルに隠され、開けると幹線道路に合流する。屋代は現在着手しているプロジェクトの事業資料をコンタクトレンズに表示させ、進捗予定を確認した。スケジュールは緩いが、退屈の苦痛に煩悶せねばならないほどではなかった。現場に向かう前にロッカールームから〈爆弾〉を持って行かなければならないな、と半ばルーチンワークと化した行動に、本当に労働を娯楽になったのかと件の学者を詰問したくなる。が、すぐにその考えが的外れであることに思い至って、破顔した。


          〇


 屋代は朝礼という儀式を望ましいものと捉えていた。ただ、それはあくまで概念としての話であり、朝礼の場であるならば長い説法も最上の娯楽として成立するわけではないとも思っていた。

 社長は終始にこやかに演説をぶっていたが、話題の羅針盤が二転三転、右往左往していて出席者を辟易させている。偉人の名言を端々に引用するものだから話の内容と言葉の質量が噛み合っておらず、それが留意すべき諫言しんげんであるのか聞き流すべき小言であるのか、判断に困窮する。疎ましい判別作業に追われるうちに睡魔が忍び足で接近する。羅列される偉人の名前が子守歌としてもよい塩梅で、目を見開くことに腐心しなくてはならなかったが、皮肉なもので、締めの言葉が聞こえると眠気はいくらか発散された。


「長々と話したが、我々が政府から委託されて行っている道路・環境保全、特に食料供給管の整備事業はこの国を支える重要な事業だ。諸君、今週も精を出すように!」


 つまり、それが屋代の本業だった。


          〇


 会社の地下に設置された体育館から四十人程度の正社員がぞろぞろと去って行く。半数が現場へ、そのさらに半数が事務作業をするためにエレベーターへと乗り込み、残りはこの場でスポーツに興じることになっていた。週に一度、朝礼後に行われるレクリエーションは恒例の行事であり、休日でもわざわざ出席する者がいるほどだった。

 政府から受けた委託事業の影響でこの会社の経営状態は好調だ。公職者とほぼ遜色のないほどの給料があり、福利厚生に不平が聞こえてくることもない。儲けた金で地下にトレーニングジムや体育館を設置するほど社員の健康状態に気を配っているのだから当然とも言えた。社長の独断で決められたらしいが、受けは悪くない。近隣住民にも解放されていることと併せ、会社そのものの評判もよく、たとえ悪評が流されたとしても揺るぎそうもない頑丈な企業へと成長を続けていた。


 屋代はエレベーターには向かわず、ロッカールームへと進んでいく社員の列を追う。作業着への着替えと工具箱を取りに行くためだ。工具箱を携行して現場と会社を往復するのは一般的ではなく、同僚たちから奇異の視線を向けられた頃もあったが、現在では追及されることはなくなっていた。

 屋代は群青色の作業着に着替え、工具箱の取っ手を掴む。ずしり、と重さが関節に響く。これが自身の今後を左右するのだと思うといっそう重みを増した。


 中には〈爆弾〉が入っている。


 この街の根本的なシステムを停止させるために必要な爆弾。屋代はその運搬の不自然さを解消するために四年近く、嘘の偏屈を徹底していた。思い入れのない道具を新品同様になるまで磨き、愛でるふりをした。興味のない作業に時間を費やす時間は心身を大きく疲弊させたが、使いもしない工具箱を現場に持って行く、という行為を日常的な光景にしておかなければ不都合極まりない。

 くだらないが、結果は悪くなかった。人は隠されると知りたがり、押しつけられると避けたがる。社員たちの間では「屋代に近づくと日が暮れるまで工具の蘊蓄うんちくを語られる」と警句が流れている。無理矢理に参加させられた親睦会で「工具に執着しすぎているから女にもてないんだよ」と同情とも警告ともつかない口調で諭されたことがあったが、小一時間ほど工具の洗練された美しさを語ってやると彼も黙った。気持ちは痛いほど理解できた。おそらくその場でもっとも黙りたかったのは他ならぬ屋代自身だったはずだ。


 屋代はあからさまに口数を少なくした同僚たちを尻目に、内心ほくそ笑みながらロッカールームを後にした。

 目的地までは二十分少々と言ったところだ。以前までは中央管制塔付近に埋め込まれた食料供給管、およそ街の大動脈とも呼べる部分の整備が主だったが、今は支流の住宅地へと移っている。


 作業の終了は、つまり、爆弾の設置完了を意味する。

 屋代は爆破計画を一考した段階でほとんど迷わずに食料供給管へと狙いを定めていた。食料供給管には爆破するだけの価値と意味が確かに存在していたからだ。会社が整備事業を獲得した時期と重なったこともあり、ある種の天啓のようにも感じていた。


 それでも一筋縄ではいかない道のりではあった。

 難航を極めたのは爆弾の作成だ。手順そのものは比較的容易に学ぶことができたが、材料の入手はそううまくいかない。特に硝酸カリウムや過酸化アセトンなどの劇薬や爆薬の類は安全性の観点から一般人の購入は不可能となっており、よしんば手に入ったとしても保管や加工があまりにも困難である。また、カーボンナノチューブや金属で何層にも固められた管の強度は相当のもので、どれだけの爆薬が必要なのか、想像することすらできなかった。


 そこで目をつけたのが、好気性特殊硬化タンパク質、いわゆる人口の蜘蛛の糸である。五百ミリリットルもあれば食料供給管の内部を完全に封鎖することが可能な代物で、調達も難しくなかった。一般的な工具店で販売されているほどだ。費用と時間はかかったが、遠隔操作で噴出をする装置を作るのも爆弾の作成と比べたら天と地ほどの差がある。完成まで特段苦慮する工程もなかった。


 映画のように爆音を轟かせながら機能を破壊する――それができないのは残念ではある。だが、蜘蛛の巣状の構造内部を蜘蛛の糸で封鎖するというのは皮肉が利いていると屋代は計画を自画自賛していた。

 設置についてはまったく問題はない。プログラムを少し細工するだけで異物センサーの感知対象から除外することができ、また、工事計画書の改竄かいざんも済んでいた。


 足かけ数年の計画ももうすぐ終了を迎える。成功したとき、この街の食料供給はほぼ完全に麻痺する計算だった。それだけの量の〈爆弾〉を仕掛けている。地下で音もなく行われる「爆破」は無音であるからこそ質が悪い。点検・交換作業を含めてもしばらくは住民たちになんらかの制限が加えられることは間違いがなかった。

 人が生命である以上、食はこの世から姿を消すことはない。そのライフラインが遮断されたとき、人はどうするだろうか。屋代はもはや朧気となった両親の顔を思い出そうとする。彼らも自室から出て、機械ではなく、人が人のために作った料理を食べてくれるのだろうか。

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