第2話 ジョニーは娼館へ行った
※動物性愛と動物虐待は全く異なります。動物に無理やり性行為を迫る等の動物虐待はやめましょう。
2017年夏――僕は大学の小会議室で焦っていた。
「―従いまして、私がO県及びK県のフィールドワークで得た延喜式や読本内の記述を統合しますと東日本、特に関東地方にて行われていた神事について、滞留する水ではなく水流が用いられていたようです。この原因は衛生的な観点と宗教的な観点から説明できます。衛生的な観点から申しますと、滞留している水には何らかの汚染があると考えられていたのでしょう。神事を執り行う神主や禰宜は同時にその地域の医療従事者としての側面もがありましたから、経験則で滞留する水は時間が経てば経つほど衛生上のリスクがあることを知っていて、神事のクライマックスでその水を飲用に供することが憚られたものと思われます。続いて宗教的な観点ですが――」
ああ、駄目だこの感じ…。誰も興味を持ってないぞ。
今日はT大学教育学部社会学科文化人類学ゼミの進捗発表会だ。図書館にある簡易的な会議室を借りてゼミの学部生、院生、教員相手に研究の進捗状況を説明する場だが、僕が懇切丁寧に「神事における水の利用法の遷移―神職が狭長な水流を龍として捉えた可能性について―」を発表してるってのに誰も聞いちゃいない。学部生はほぼ寝てるし院生はタブレットなんか弄ってやがる。教授は目を閉じてはいるが時折頭を前後させているあたり、僕の発表を聞いてくれているのだと思いたい。
定期的な発表といった面倒なことは少ないゼミだ、という触れ込みでこのゼミに入室したが、「少ない」が僕の想像を超えていた。なにしろ月に一度のペースだ。つまり一か月おきに研究を進捗させなければならない、という訳で、僕はほとんど毎月フィールドワークに出かけている。しかし必ずフィールドワークが上手くいくという事はなく、徒労に終わることもある。徒労に終わるとモチベーションが下がってしまい研究が捗らない、という悪循環に陥っているのが現状で、必然発表内容が薄くなるので聴衆が寝たりタブレットを弄るのも仕方ないのかもしれない。
更なる悪循環に突入するかもしれない、と考え始めたところでやっと僕の発表を終えることが出来た。最後に教授の講評をもらうことになっているが、
「あとはどう結論できるかを今から練った方がいいねぇ」
の一言で終わった。意訳すると
「とっとと研究を終わらせてくれ」
なのだろう。僕だってとっとと終わらせたい。就活だって控えているんだし。
自分の発表の薄さに我ながら嫌になり、暗澹たる気分でいたが、最後のゼミ生の発表が終わったので会議室を後にしようとしたところ、教授に呼び止められた。
「和久井君、ちょっと」
「?はい、何でしょう」
教授の表情からは何を言わんとしているか推し量れない。やはり今日の発表が不味かったのだろうか。
「和久井君の研究なんだけど、実はほぼ同じような研究、というか報告が最近学会で上がっちゃったんだ。その報告書は後でドライブに上げるから目を通して欲しいんだけど、とにかく和久井君ともろ被り。タイミングが悪かったねぇ本当。それで今後の研究方針を改めて確認したいんだ」
「え!?てことは研究やり直しですか?今からそんな時間は無いんじゃ…」
「そうは言っても卒論には新規性が必要だしさ。和久井君にあまり負担はかけたくないんだけど、まあこっちも手は尽くしてみるけど。和久井君も今までのデータをもう1回見直して、研究の路線がどこかで分岐できないか検討してみてよ」
無理に決まってる。ていうか路線の分岐って何だ。教授用語を使わないでくれ、僕は院生じゃないんだぞ。とりあえずここは引かない方が良さそうだ。引いたら最悪、研究のやり直し、卒業保留なんてありうる。とにかく押してみよう。この教授には泣き落としは効いたっけ。
「いやいや、勘弁してください!僕みたいな根暗が卒業保留なんてなったら、絶対に就職なんかできませんよ。就活に失敗したら親に顔向けできません!何とかしてくださいお願いします!何でもしますから!」
教授の眼鏡が僅かに煌めいた。
「ん?今何でもするって言ったよね?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます