第3話 自分の気持ちー桜sideー
指切りをしたあの日から早3週間が経とうとしていた。俺は毎日、ドキドキしつつ下駄箱を開け、しかし何も入っていない…という日々を繰り返していて、いい加減バカバカしく感じてきてしまっていた。
「納地のばかやろー…」
腹いせに、前の席に座る納地の頭を軽くど突く。気だるげにゆっくりと振り返った納地は俺を一瞬じろりと睨んだが、すぐに呆れたようにため息を吐いた。
「そんなに気になんなら声かけたら?乙女じゃあるめぇし」
「はっ!?な、なにが!!!」
慌てて声を荒げてしまって教室が静まり返り、みんなが一斉にこっちを見る。恥ずかしくなって、頭を掻き苦笑いすると、みんな「なんだよー」と笑いながらもと見ていたものに視線を返した。
「見え見えなんだよ。何年付き合ってると思ってんの?瀬乃だろ?」
納地はあまり興味がなさそうだが、ドンピシャなことを言ってきたので心臓が大きく跳ねる。
「え……うそ!そんなことまで…?」
「おまえが部活のあと音楽室に行って、なーんかしてるっぽいって佐藤たちが言ってんの聞いてさ」
「さ、佐藤!?…つか、それじゃ何年付き合ってるとか関係ねぇ!」
バレー部のチームメイトである噂好きのセッター、佐藤がいつの間に俺の噂までしてたなんて…。いつ見られれたんだ…?まだ2回しか行ってないのに!
「あと、俺もおまえが音楽室行ってんの見たことあるしね」
「え!」
「瀬乃も、結構有名なんだよ。『放課後の王子様』とか言われてんの」
「ほーかごの…おーじ…」
全然知らなかった。あいつのピアノの音を聴いたのも、あいつを見つけたのも、全部偶然だった。
「でも珍しいな、おまえから誰かと関わろうとするなんて」
言われてハッとする。あれがあってからは人と関わるのが怖くて怖くて仕方がなくて…でも人と関わらないなんて無理だし……そう考えていたらいつの間にか作り物の笑顔が張り付いて取れなくなっていた。それなのに、自分から由紀と関わりたいと思っていること、作り物でない笑顔を向けていること。俺は、気づいた…気づいてしまった。
「なに、今気づいたの?顔真っ赤だぞ」
「あ…俺……ど、して…」
上手く言葉が出ない。喉がカラカラに渇いていることに気づいて驚く。その渇きが暑さのせいじゃないことがわかって、さらに顔が熱くなる。
「つまり、そういうことなんだろ?いろいろ大変だと思うけど…まあ頑張れ」
「『そういうこと』って?『大変』って!?」
「おいおい俺に言わせる気かよ?自分でわかってるくせに」
そう言われて、もうこれ以上熱くはなれないくらい顔が熱くなったのを感じた。これまでの行動を振り返ってみると、最初っからおかしかったことに気づく。あの時はわからなかったけど、楽譜を持って帰る必要はなかった。由紀もきっとそう思ったはずだ。吹奏楽部は第二音楽室で練習してるし、コーラス部は何故か第二音楽室の準備室で練習してるから、第一音楽室は滅多に人が入らない。だから盗まれる心配も、いたずらされる心配もない。なのに俺は、あの時点では名前もクラスも知らないあいつに渡そうとした。それが何を意味するか…。
「…う………おう!」
「えっ!」
いつの間に自分の世界に入ってしまっていたのか、ハッとして顔をあげると心配そうな顔をした納地が俺を見つめていた。俺と目が合うと一度目を伏せ、真剣な表情で俺を見つめ直し口を開く。
「俺はいつでも、いつまでもおまえの味方だし、幼馴染だし、親友だ。おまえが誰をどう思おうと引いたりしねぇし、犯罪じゃない限り応援する。まぁ、それしかできないってことでもあるが…とにかく!」
「うん…気持ちはわかった。ありがとな、納地…」
自然と笑顔になって素直に感謝の気持ちを伝えると、納地は気恥ずかしそうに頭を掻いて黙った。
「とりあえず、今日声かけてみるわ」
俺が決意を表明すると、納地は満足そうに笑ってうなずいてくれた。自分でいくら考えたって答えの出ない問題は、さっさと聞いてしまった方が楽だ。うん!頑張れ、俺!
部活が終わり、真っ直ぐ第一音楽室へ向かう。初めて見つけたときと同じで、ピアノの音が大きくなる度に自分の心臓の音も大きくなる。一つだけ開いている窓までたどり着き、ひと呼吸置いて中を覗き見る。あの時『お礼』ということで弾いてもらった曲だ!一番最初に聴いた曲ではないけど、良い曲だというのは変わらない。
「中に入らんのか?」
「わっ!!」
急に後ろから声がして、びっくりして大きな声を出してしまった。と同時にピアノの音が止まる。反射的に口に手を被せるが、由紀もびっくりしたようで、こっちをぽかんと見ている。大体誰かは想像がつきながらも後ろを振り返ると、ばつが悪そうな顔で納地が立っていた。
「す、すまん…そんなに驚くとは………」
「いや………」
「あ…えっと……じゃあ帰るな…また明日!」
納地は音楽室を一瞬見ると、すぐに俺たちに背を向けて走り出した。
「あっ!おい!!」
思わず呼び止めるが、やつは一度も振り返らずに走り去ってしまう。少し気まずいと思いつつゆっくり振り返ると、由紀がこっちを見て手招きしていた。
「えっ…」
俺はたぶん、めちゃくちゃニヤけながら靴を脱いで、窓から音楽室に入りこんだ。
「この前と同じ曲だけど…聞きたかったら聞いていけば?」
由紀は俺をちょっとだけ見ると、すぐにピアノに向き直って音楽を奏ではじめた。言い方はぶっきらぼうでも、ピアノの音は本当に優しくて、これが由紀の本当の姿なのかなぁなんて考えてしまう。靴を適当な場所に置いて、適当な場所に座る。
「なぁ、なんで今聴かせてくれんのに手紙くれなかったんだ?」
「え…」
どうしても気になるので聞いてみると、由紀のピアノの音が少し乱れる。でもすぐに元に戻って綺麗なメロディーを奏でる。
「べ、別に…ただの練習だから聴かされても迷惑かなって……」
「そんなわけねーじゃん!」
「んー…」
由紀はもう聞いてないのか、生返事をしてきた。その証拠に、全く乱れないメロディーだけが音楽室に流れている。今なら、言っても流されるかもしれない……。
「あ、あのさぁ」
「んー…」
「俺…由紀のこと好きみたい」
聞いていないとわかっていても、なんとなく恥ずかしくて由紀の方を見れず、下を向いたままつぶやく。また「んー…」と生返事がくることを期待していた…のに。
「ええっ!!」
ダダーン!とピアノの音が思いっきり乱れ、ガターン!と椅子が倒れる。見ると、顔を真っ赤に染めた由紀が俺を見て、驚いたような恥ずかしいような怒ったようなよくわからない表情をして立っていた。
「な…なん…おまえ……自分が何を言ったかわかってんのかよ…?」
聞こえていたなら仕方ない。
「ご、ごめん!うそ!みたい、じゃなくて好きです!」
「はあ!?そういうこと言ったんじゃねぇよ!!!」
今わかったこと。由紀はテンパると口が悪くなる。ゆきって呼んだときも相当怒ってすげぇ口が悪くなってたが、今回もピアノを弾いてるときの凛とした姿からは想像もできないほど取り乱している。
「おい!聞いてんのかよ!?」
「うんうん」
顔を真っ赤にして詰め寄ってくる由紀を見ていると、ついつい頬が緩む。
「なあ知ってるか?由紀ってテンパると口が悪くなんの」
「はぁ!?このっ…!」
「まあまあ、落ち着けよ」
勢いあまって振りかざした由紀の右手を掴んで、落ち着かせようとする。
「今は俺の気持ち知っててほしいだけだから、おまえの気持ち聞くのはまた今度にする」
「………」
そう笑顔で言うと由紀はすっかり大人しくなり、抵抗しなくなった。本当はすぐにでも答えを聞きたいけど、今の流れじゃフラれるの確実だしな…。でも…自分の気持ちを口にするのってこんなに嬉しいもんだったかな?由紀への気持ちだからかな?
「はい!この話終了な!俺もっとピアノ聴きたい!」
空気を変えるように明るく大きな声を出すが、由紀の顔は相変わらず真っ赤だった。
「こ…こんな状態でピアノなんか弾けっかよ!?」
「え~!…あ、そういやさーそれよく弾いてるけど、発表会でもあんのか?」
「!」
当てずっぽうで言ってみたがどうやら図星だったようで、由紀はなんでわかったと言いたげに俺を見てきた。
「俺見に行くよ!」
「絶対来るなよ!」
ほとんど同時に2人が叫び、声が重なった。
「へーん、知ってんだぜ俺!おまえ結構有名だからファンに聞けばすぐわかるってこと」
「はぁ!?なんだそれ!?」
由紀は続けて何か言いたげに口を開けていたが、少しして深いため息をつくと、楽譜をカバンにしまって音楽室を出て行ってしまった。
「あれ!?由紀?おーい由紀!」
靴を持って慌てて追いかけるが、ドアのすぐ側に由紀が立っていた。
「あら!帰ってなかったのね」
「鍵を掛けずに帰れるか」
由紀は怒っているみたいだ。ガチャガチャと乱暴に鍵を閉めて、スタスタ歩いて行ってしまう。
「あっ待てよー」
「ついて来るなよ!」
そう言われたが気にせず後をつけて行くと、由紀が突然立ち止まった。
「…本当に来るのか?」
由紀は後ろを向いたまま、消え入りそうな声で言った。
「うん」
迷いなく答えると、由紀は自分のカバンからなにやら取り出し渡してきた。細長い封筒だ。
「………へっ」
由紀が立ち去らないので、ここで見ろということだと解釈して封筒を開けてみる。すると、中から出てきたのは…。
「いいの!?」
今度の日曜日に開催されるというピアノコンクールのチケットとパンフレットだった。
「もうおまえのもんだから。好きにすれば」
由紀はそれだけ言って足早に立ち去ってしまった。でも俺の胸には温かいものが込み上げていた。
「へへへ…」
廊下で一人ニヤニヤしてしまっていて、気持ち悪い笑い声が自分のものだと気づくのに数秒かかった。
封筒を大切にリュックにしまい満ち足りた気持ちで廊下を歩く。もわっとした空気やうだるような暑ささえ愛しく感じる。昇降口を出た途端、額からツーっと汗が滑り落ちてきた。それでもいつものようなうっとうしさはない。由紀の行動ひとつで、俺のテンションはいくらでも上がるし、きっといくらでも下がる。彼女が出来たことは今までに何度かあったが、彼女といる時も、親友の納地といる時も、こんな気持ちになったことはなかった。今別れたばかりなのにもう会いたい…。なんだこれ。こんなの俺じゃない。
「責任、取れよ…」
俺は思わず口元を緩めた後、深呼吸をして家へと歩き出した。
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