#05 ジェイコブス・ラダー

 あれから長い時が過ぎた。

 いまだおれはこの転生サポートセンターで無為の日々を繰り返している。

 その時間は現実のものであれば何人分もの生き死にを合わせたくらいであろう。

 すでに心はカラカラに乾き切り、涙の一滴さえも出てこない。

 腕に巻かれたブレスレット。

 刻まれた数字は114514889514552514。

 この番号が日に何度か掲示板に発表される、転生当選者として現れることは決してなかった。

 心が折れそうになるたび、転生先の希望をしつこく変更した。

 あらゆる異世界、思いつく限りの職業、果ては輪廻転生であればもはや現世でも畜生でも構わないと、『士農工商猪鹿蝶いのしかちょう犬虱いぬしらみラノベ作家』などと思いつく限りに書き換えた。

 それでも駄目なのだ。もはや精神は無我の境地に達している。


「ノボルさーん! ご機嫌いかがですかあ」


 そんなおれの前にチトセは毎度毎度、脳天気な表情で登場してくる。


うるわしいとでも思ったのか?」


 視線を傾けることもなく冷めた口調で言い放つ。

 こちらが落ち込んだ時、機をうかがうように出てきては『相談』と言う名の転生希望先変更を持ちかけてくるのだ。

 冷静になって考えてみれば、おれが変更手続きを行うたび、こいつの事業所に手数料か助成金でも転がり込んでくる仕組みなのだと思う。

 その原資となっているのは、おれの願望という名のエネルギーか、人々の記憶に残る自分という存在をカードで切り割りした仮面の戦士よろしく、少しづつ思い出を消失しているのだろう。

 いずれにしても申請するたびにいつの間にか正体を無くしているような感覚はあった。


「前回の結果は残念でした。いかがでしょうか? ここは心機一転、あらたなる世界に目を向けてみるというのもひとつの手段ではないかなと思うのですが……」


 クライアントの塩対応に動じたのか、ちょっとばかり腰が引けた感じでおずおずと案件を切り出してくる。

 呼んでもいないのに夕刻となれば、御用聞きで裏口に顔をのぞかせる昔の三河屋かお前は……。


「何度変えたって、結果は同じだろ。フンコロガシ、バフンウニ、ヘクソカズラ、イヌノフグリ……。下ネタにまで手を広げたら芸人どころか人としてもうおしまいだ」


 おれの横で腰を下ろしたチトセに抑揚よくようのない声で返事を伝える。

 まるで枯れきった樹木のように美しい女の子を隣にしても動揺で気持ちが揺らぐことはない。

 いや、確かに以前は出会うたび場の雰囲気を盛り上げようと必死になっている自分がいた。それでもいつまで経ってもやってこない転生の機会を待つうちに精神は擦り切れ、自分以外のことに対する興味が徐々に薄らいでいったのだ。

 思えば初めてこの場所に来た時、美しい天使装束しょうぞくの美女を隣にしていながら、ほぼ無反応を貫いていた男たち。

 彼らはみないまの自分と同じような精神的境遇にあったのだろう。

 あまりにも悲しい話だ。

 そして、いまは自分自身のことですら半ばどうでもいい。

 最後に変更し た転生希望先は確か『異世界ガチムチ傭兵』とかのジャンルだったか……。妖精だったか傭兵なのかうろ覚えだが、実のところなんでもいい。

 もはや転生すらおれの心の中では大した意味を持ってはいなかったのだ。


「し、しかし……。現在の転生希望のまま、あと一度、抽選漏れになってしまうと本人に転生の意思なしと判断されてしまいます。転生放置の比率が所属するグループ内で高くなりすぎると全体の名簿順位が下げられ、優先割当人数が減ってしまいます。できましたら、『め組』グループ全体のためにも希望先の変更をお願いしたいのですが……」


 なにやらチトセが転生センター内部の細々とした事情を訴えている。

 なるほど。時間の経過とともに転生を放棄する人間が施設内で増えていき、そのためのペナルティが存在するわけか。

 放置の比率を上げないようにするには定期的に希望先を変えるか、新たな転生候補者を連れてくるしかない……。結果、全体の待機者数が増え続け、ますます抽選の確率が下がっていくと。

 知っているか? そういうのを泥縄というのだ。

 もはや転生自体には一切の望みを断っているが、ひとつ気になることを思い出した。


「そう言えば、最初に会った時「転生確率は九九・八%」だとうたっていたが、あれは詐欺じゃないのか? どう見てもそんなに転生している人は多くないだろ」


 騙されたおれも馬鹿だが、嘘はよくない。

 事実をハッキリと指摘しておいて、自分のような被害者がこれ以上は出ないようにしておこう。


「え? いや、あれはあくまで『転生を希望される』方の中での確率なので虚偽きょぎ表記ではありません。わたくしどもは「親切、丁寧、真摯」をモットーとしておりますので、真実を曲げて喧伝するような勧誘はご法度です」

「よ○○△△△△△△△□□かよ!」


 ついカッとなって吠えてしまった。

 あまりにも久しぶりに大声を上げたため、何やら聞き取りにくい発音になってしまったようだ。


「そんな! 日本のエンターテイメント産業の現場を下から支える人材を多数、排出する機関がそのような粉飾まがいの方法を取るわけありません!」

「空気よめよ! 危ないだろ!」


 綱渡りのようなやり取りを繰り広げていると、センター全体に響き渡るような大音量でファンファーレが聞こえてきた。

 転生当選者の選出が終わり、これから番号の発表が行われるのだ。

 それにしたって、中京GⅠレースの音楽とはかなりマニアックだな。

 ファンファーレに続いて無駄に力の入ったドラムロールが周囲に響き渡る。

 だが、掲示板に注目している人間などここには誰ひとりいなかった。

 みな期待するだけ無駄だと思っているのだ。

 事実、おれもセンターに来てから当選した人間なんて一度も見たことがない。

 掲示板にデカデカと表示されるぬ114514889514552514という番号。

 ん……?

 落ち着いてさらに十八桁の数字を凝視した。

 間違いない。

 間違いないぞ!


「チ、チチ、チチチチ、チトセさん……。当たった、当たっている。『いいよこいよ、はやくこいよ、ここにこいよ』語呂がいい並びだから、見間違いじゃない! おれは転生できる! 本当に転生できるんだ!」


 立ち上がり、両の拳を天に向かって突き上げながら、おれは腹の底から叫んだ。

 転生先が『異世界ガチムチ傭兵』なのをすっかり失念しているが、いまはそのようことなどどうでもいいい。

 ベンジョコウロギでなかっただけ、まだラッキーなのだ。

 慟哭どうこくにも似たおれの声を聞いて、まわりの連中も一斉に視線をこちらに向けている。

 うらやましいとかそれ以前の話で、まさか本当に当選者が出るとは思っていなかったのだろう。おれだってそう考えていた。

 たちの悪いお祭りのヒモくじが一等には決してつながっていないのと同様、掲示板に出てくる当選番号をもつ候補者など、実はひとりもいないのだと全員が信じていた。


「あ、あのですね……。ノボルさん」


 全身で喜びを爆発させているおれを見上げながら、チトセがおずおずと呼びかけてくる。

 なんだ? 番号だったら売らないぞ! こいつは会社の利益優先で当選者を入れ替えるくらいは画策かくさくしそうだからな。


「お、落ち着いて聞いてくださいね。大事なことですから」


 なんだよ、えらく慎重だな。あ、もしかして、こいつも担当の中から転生者が出たのは初めてなのか?

 んー。ひょっとすると、自分も連れて行ってほしいとか?

 それで、例の初期PTメンバー特典契約をやたらと勧めていたのか。しまった、それなら遠慮せずにもらえる衣装を”真っ赤なビキニ”にしておくべきだったな。


「あれは『ぬ組』です……」

「はい?」


 チトセが震える手で掲示板を指差しながら指摘する。

 思わぬ一言に体を膠着こうちゃくさせたまま、おれはもう一度、視線を塔の方へ向けた。

 掲示板にデカデカと表示されるぬ114514889514552514という番号。

 おい、あれって誤字じゃないのかよ……。

 ついついメタい表現でツッコミを入れてしまった。


「この転生センターは『め組』所属なので、残念ながらノボルさんが当たったのは”組違い賞”です」

「はああああああああああああああっ?」


 さんざんにヌカ喜びをさせたあと、悲劇的な現実を叩きつけてくる。

 そもそも、『め組』ってなんだよ! もしかして全部で五十組も存在してるのか?

 いや、それ以前に『め組』の中だけで一体、いくつの転生センターが稼働しているんだ?


「ここは『め組』第一〇二転生受付センターですね」

「なんだよ、その白いロボットに襲われそうな施設名は!」


 いまどきベタな宝くじネタでオチをつけようなど、あってはならない。

 全力で異議申し立てを唱えようとした。すると、チトセの視線がおれから外れて塔の方へ向けられているのに気がつく。

 いや、彼女だけではない。ここにいるすべての人間たちの注目がいつの間にかある一箇所に集中していた。

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