シンデレラ

@ichiuuu

第1話

 昔むかし、ある王国に大層美しい王女様が住んでいました。その王女は長い銀の髪、金色の瞳、高い鼻に赤い唇と抜群に容姿に恵まれ大変に優雅である上に、資産もふんだんにあったので、王国に住まう男たちはみなみな主夫の座に焦がれたとも噂されました。

しかし、ある時ある事件がきっかけで魔女に呪いをかけられて、姫はあわれ猫にされてしまったと言います。猫にされた姫は城をおわれ、孤独な野良猫にされてしまったとも。今はその猫がどこにいったかも知られぬ有様で、主夫の座を狙っていた男どももみな、あばたの可愛い女たちと結婚していきました。


さてはて、その顛末は。

 コトコトコト、鍋が沸き立って、ふたを躍らせている。彼女が立つのは狭いキッチンだが清潔感に溢れ、物も整理整頓されている。

エラ・ハミルストンは今日も一生懸命自分の小さなお城で働いていた。義姉たちの放蕩で、傾いた家計をやりくりしながら、今も少しでもスープの具材を豪華にせんとしている。

「こらー灰かぶりー!! 」

 キッチンにはエラのほかには動物しかいない。三匹のネズミと、二匹の猫。そしてほら、ドタバタと足を踏み鳴らしながら近づいてくる――。

「灰かぶり、あんたまた私のドレス勝手に繕ったでしょう!!」

 いじわるな義姉ドリア。彼女は黒の髪を波打たせて、低い鼻の穴を怒らして、美しいエラに大層怒っている。ドリアがまったく似合いそうにない、ふりふりドレスをエラに突き出す。

「ほら、このピンクのふりふりレースのドレスよっ覚えがあるでしょう」

「ごめんなさい、ドリア姉様、レースがとれかけていたから縫わせてもらったのよ。何かあった?」

 「何かあった? じゃないわよ。あんたレースの破れた箇所に、お花とちょうちょのアップリケなんて縫いやがったわねっこんな小学生みたいな可愛いドレス、どこに着ていけばいいのよっ」

 ドリアが頬を上気させて怒っているので、エラは自分の親切があだになったことを初めて悟った。それから神妙な面持ちで謝罪した。

「本当にごめんなさい、ドドリア姉様」

「どっかの戦闘員みたいな名前に変換しないでよっあんたっていっつもそう!! 洗濯させてはすべてのドレスを、もれなく色落ちさせるし、料理をさせてはおにぎりを愉快な形に変形させちゃう。なんで三角形にすら出来ないの? あんたどこまで家事出来ないの? あんたどこに嫁に行くつもりなのよ」

 怒るドリアの剣幕に、どんどん小さくなるエラ。そこへ義母から助け船が漕がれた。

「いいじゃないの、ドリア。エラはお姫様になるっていうんですもの」

 泥でできた助け船が。エラの父の後妻に入った義母、マリアは美しいが高慢で冷たかった。その高く結い上げた黒髪を扇でかいて、ふふんと冷笑する。

「お城に入って召使を抱えるから、お料理もお洗濯も人並みにできなくたっていいのよね? ねえ、エラ」

「そんな……私、そんなつもりじゃ」

 エラが委縮しながら抗弁しても、マリアには通じない。エラを刺すようなまなざしで一瞥して、マリアは

「さあ、貴族たる者がこんな厨房に入ることはありませんわ。行きますよ、ドドリアさん」

「だから私は戦闘員じゃありませんったら! はい、お母様」

 ぶひいっと、エラのことを嘲笑しながら、母の背を追いかけドリアも去っていく。エラは一人になって、気丈にも泣き崩れようともせず、苦笑して自分のエプロンを見やった。

「そうね。玉ねぎスープを作るのにこんなにエプロンをどろんこにしてしまう人が、お嫁になんていけないわよね」

 ふうとエラが嘆息する。そこへ灰色ネズミたちが穴からやってきて、そんなことはないよ! とエラを励まし始めた。

「そんなことはないよ、エラ! 君はとても綺麗だし、優しいし、きっとお嫁にいけるはずさ」

「綺麗? 私が? 」

 エラがさもおかしいと言った風に微笑む。

本当だよ! と三匹のネズミたちが口を揃える。

「その一つに結わえた金の髪、高い鼻!」

「星空のように輝いている青い瞳!」

「心根も優しくて清くて。何よりエラは僕らのことも救ってくれたじゃないか」

 それは確かにそうだった。三匹ネズミがこの家のいじわるな白猫カルシファーにつかまり、食べられそうになったところを、助けてくれたのはエラだった。

「そうね。だけれどあれはイブ様があなたたちを助けてくれたのよ」

 エラがかまどの近くで温まって丸くなる、美しい黒猫イブを見つめた。イブは捨て猫だった。エラが義姉たちに命じられ買い出しに行く際、一匹で悠然と雨の中を歩いている長毛の黒猫を見かけた。まだ春も浅く、寒いであろうにその猫は優雅に泥んこの道を歩いていた。

「まあ、なんと優雅に気品があって。そして高貴な猫さんでしょう」

 ちょうどエラはハムを買っていたので、廃屋の屋根の下でその猫に餌付けをせんとした。

「おいでませ、美しい黒猫さん」

高貴な猫イブは、エラを睨むとすぐに踵を返して去っていった。しかしその実、エラが立ち去ろうとすると、じっと大きな金の瞳で見つめてくる。

「わかったわよ。一緒に帰りましょう。もう泥んこの道を歩かなくていいように、こうしますからね」

 エラがイブを抱きかかえて歩き出す。イブはその腕の中でおとなしくしていた。持ち帰られてからもイブは、決して懐くようなことはなかったが、それでもエラがむごいことを家族に言われ落ち込んだ日には、涙を舌で舐めて一緒に寝てくれた。美しく優しいメスの猫であった。

「あなたたちがカルシファーに襲われた日も、イブ様がこっちよって廊下を先導してくれて、それで廊下の隅でみんなを見つけたんだから。みんな、イブ様に感謝しなくちゃダメよ」

「はあい、わかったよ。エラ」

 ネズミたちも前歯をのぞかせ笑顔を見せる。その近くでイブは何事もないように眠り続ける。エラが目を見張るようにしてイブを見た。

「本当に、イブ様には品があるわね。もしかしたら伝説のお姫様かもしれないわ」

「あはは、まさか。いくら気品があるからって。あのお城を追われたお姫様だっていうの?」

ネズミのふくよかなのが笑う。

「でもね、このあいだイブ様が言っていたんだ。私が、イブ様は伝説の御姫様なの? って訊いたら、ご想像にお任せするわって。否定もしなかったの」

「ふふ、さすがイブ様ね」

 かまどの近くで丸くなるイブに膝をついてエラが微笑みかける。

「高貴で貴いイブ様? 私めのお願いを聞いてくださいますか?」

なあに? と言うようにイブが片目を開ける。そのイブをゆっくりと撫でながら、エラはふふと笑って肩を揺らす。

「今日は私めが、あなた様の泥んこになったお体を洗ってさしあげたいのですけれど。このお願い、聞いて下さいますわね?」

 次の瞬間、エラがイブを抱きかかえて、お風呂場に走った。にゃあ、にゃあとイブが泣きわめく。さも面白そうにネズミたちもついていく。

「こりゃあいいや。イブ様がより一層綺麗になられるらしいぜ」

「イブ様が、放しなさい、この平民! と仰っていますよ」

「だーめ、昨日の夜、雨の中勝手にお散歩に行った悪い子は罰を与えなくちゃ。大丈夫、熱くないようにしますからね」

エラは手早くぬるま湯をつくり、風呂場でシャボン玉が数千は飛ぶようにイブを洗った。それからぬるま湯でイブの泡を流し、あっというまにタオルを巻きつけ、ごしごしとふいてあげた。イブは泥んこの身体がすっきりと黒色に戻って、大層美しくよみがえった。

「やったわね」

 ネズミとエラがハイタッチをするのを、イブが苦々しく睨んだ。そのあとで瞳に瞼をかけた。

 イブとネズミたちが、カモミールの咲く裏庭で寝っ転がっている。エラが洗濯物を干しているあいだ、この収穫祭間近のあたたかな日を浴び、ゆったりと四匹は眠っている。ネズミの一匹が口を切る。

「そういえばエラ、君はあの話、断ったんだってね」

「ん? 何の話?」

 エラが不思議そうに問うと、ネズミたちが一斉に口を揃える。

「舞踏会だよ。舞踏会」

 ああ、あれね、とエラが寂しそうに微笑む。

「仕方ないわ。本当は行きたかったけれど、ドリアのドレスを一着ダメにしてしまったの。洗濯しながらお料理もこなしていたら、醤油を二リットルもこぼしちゃって」

「五百ミリリッターの時に気付かない? まあ、急いでいたんだね……」

 ネズミたちも一瞬あっけにとられたが、すぐに首を振る。

「だけど、それの罰で行けないなんてあんまりじゃないか。いくら前妻の子であるからって、エラに冷たくあたるこの仕打ち! あいつらは人間じゃない! 焼きたてドリアの馬鹿にはドレスなんてたくさんあるし、そもそもあの舞踏会は国の乙女なら誰でも出ていいはずなんだ。なのにエラは一着のドレスも与えられず、ここで洗濯ものを干しているだけの人生なんて」

「あんまりエラがかわいそうよ」

 ネズミたちがみなみなしょんぼりしているので、エラはわざと陽気に言ってみせた。

「みんな、そう落ち込まないで。大丈夫よ。私は私で、なかなか楽しい生活をしていると思っているわ」

 気丈に笑顔を見せるエラを、イブがちらと見て、すぐに眼をそらした。

「舞踏会はもう明日の夜なのね。きっとさぞや退屈でつまらなくて、そして最高に素敵なんでしょうね……ふふ」

 魔法使いでもいたら、違ったのかしらね。

 寂しそうに呟くエラのことを、無力なネズミたちが肩を落として見つめていた。

「まーうっかりしていたわー!!」

 その頃、とうの魔法使いは、困った乙女を救ってあげるという本業をちょっと放擲して、エーデル城の吹き抜けをわたるらせん階段を駆けていた。機敏である。御年二百五歳で、最近少し中性脂肪がついてきた感があるが、非常に機敏である。機敏すぎて残像すら見えてきそうな程だ。

白い髪をふわりとまとめ、青いローブを纏った魔法使いサリーは、急いた様子でエーデル城の最上階に近い塔に、音もなく入っていった。

「よし! ここが俺様が一番イケメンに見える角度っと!」

 そうして鏡の前でポージングするシェイド王国第一王子の背を、にやにやしながら見つめていた。時折

「よし! これが俺様の一番イケメンに見える角度っと」

と嘲笑まじりに囁きながら。

「今日も美麗なこの俺様のかっこよさよ! この美しい金髪、この青い瞳、この麗しい口もと! こんなイケメンな王子がかつて歴史上いたであろうか。否、いない!! シェイド一のイケメン! さあて、今日も公務でこのミラクルスマイルをみなに投げかけてこなくてはな、っと!」

 と、王子が意気揚々と振り向いたところで、によによしている魔法使いと目が合った。魔法使いは失笑を禁じ得ないでいる。荘厳な私室にしばし落ちる沈黙。

「……お前、いつからそこにいた」

 やがて王子は怒気を孕んだ声で尋ねた。サリーはまるで悪びれないで答える。

「よし! これが俺の一番」

「わかった。もういい。一番いて欲しくない時にいやがったものだな」

 王子ははあと嘆息した。その折に衛兵が女王のお呼びでございますと膝を折って伝えてきた。

「うむ。すぐ行く」

と王子。王子はこの六百年の歴史ある王国の継承権第一王子、これしきのことで取り乱したりしない。衛兵が去ってのち、身じまいをすませんとする王子へ、サリーが言った。

「とうとう年貢の納め時ですね。王子」

「まったくそのようだ」

 王子がため息をつく。

「俺が、この大陸一、いや全人類トータル的にみても美しいこの俺が! ついに一人の女のものにならねばならないなんて。罪なことだ。街の新聞ではさっそく書きたてているらしい。あのイケメン王子が舞踏会で妃を探していると」

「お父様のたってのご希望で、舞踏会に出た乙女で王子が気に入れば、身分関係なく誰でお妃になれるんですもの。そりゃあ巷は盛り上がるでしょう。まあ、お父様もある程度見当はつけているんでしょうが」

 サリーがしわの少しある口角をあげる。王子は美しい碧色の瞳で、サリーを見やる。

「で、調べてくれたのか? 例の件は」

「ああ、その件ですが……」

 サリーは空中から杖を抜き出し、その杖でなにか呪文を空気に書き記した。するとすぐさま水晶が宙から落ちてきて、サリーはそれを、思いがけずかかとでキャッチした。結構痛かったらしい。沈鬱な表情になっている。

「ちょっとずれたところに水晶が落ちてきてしまいました」

「リフティングでもするのかと思ったわ。それで、奴はどこにいる」

 サリーが水晶の方に王子を手招く。なにやら、乙女が洗濯物を干している平和な光景が映し出されている。青草のそよぐ中で、白いシーツが水晶にてはためいている。王子が目をこらす。

「洗濯ものにオレンジの屋根。赤煉瓦造りの古びた家……ここは誰が住んでいるんだ?」

「ここは下級貴族ハミルストン家の家でして、どうも【例のあの人】はそこにうまく身を隠しているそうですわ。そうそう、ハミルストン家には現在はご当主が亡くなり、後妻とその連れ子が住んでいるんですって。妙齢の、悪口が大好きそうな意地わるい顔の娘が」

「素直に妙齢のブスっていえばいいだろう。へえ、じゃあこの女は召使かなにかか?」

王子が水晶を覗き込んで尋ねる。サリーはいえ、そんなはずは、と首を振る。

「ハミルストン家は現在困窮していて、とても召使なんて雇えないっていう近所の奥さまの話です。どうも後妻に入った人とその娘が、好き勝手散財したようですね」

「じゃあこいつは誰なんだ? この銀河一の美貌の俺に次ぐかもしれぬ、まあ、綺麗な女は」

 その水晶の中でせわしく働いている娘こそエラであった。エラはネズミたちに餌をやって、青草にはなたれた牛たちには干し草をやって、花には野草にも水をかけている。

「この娘は、確か……ああ、思い出した。小さい時に一度会ったことがありましたよ。エラです。亡きご当主様の一人娘ですよ。かわいそうに、この様子じゃ家の仕事を任されているんでしょう」

「へえ。じゃあ、苦労しているんだな……」

エラの美しさばかりに気をとられていたが、後妻にも姉にも冷たくあたられているのだろう、彼女は苦労人なのだ。王子が珍しく物憂げな表情を浮かべる。

「幼いみぎりでしたが、可愛らしく礼儀正しい子でしたよ。もし王子さえその気なら、声をかけてみましょうか」

「いやいや」

 今度は王子が首を振る。

「俺のタイプを知っているだろう。俺は自分が完璧であるゆえに、ちょっといろいろ抜けた女がいいのだ。国政にも軍事にもいかんなく才能を発揮してしまう俺を、そのドジで癒してくれるかのようなドジっこがいいのだ。この娘がいい娘なのはわかるが、こういう女はえてして要領がいいのだ。決して俺好みに、シャツにみりんを一リッターこぼして笑わせてくれるなんてことはすまい」

 サリーが思わず苦笑する。

「そんな娘が妻に欲しいですかね。まあ、いいでしょう。何にせよ、この家にあの御方は潜んでいらっしゃる。私も機会があればここへ探りにまいりましょう」

「うむ」

そこで衛兵がまた入ってきて、女王のご入来ですので王子、ご臨席を、としきりに促すので、王子は部屋を退席し、衛兵と歩いていた。薔薇の刻まれた白壁の回廊で、衛兵が不思議そうに王子へ問うた。

「王子、先ほどは誰と話していたのですか? 部屋には誰の姿も見受けませんでしたが」

 ふふ、と王子がほくそ笑む。

「さあてな」


そうして王国の夜。ここは城下のハミルストン家のお屋敷。 

エラはせわしく働いていた。もうじき夕暮れである。夕飯はビーフストロガノフにしようと思い、肉を具材とことこと煮たて、味見をしようとして舌を七割がた火傷する。

「あちっち。うん、だけれどなかなか私にしてはいい味だと思うわ」

 かまどで焼いた黒パンを取りだすエラを見つめ、ネズミの一匹が問いかける。

「ねえ、エラ、本当によかったのかい」

「なあに?」

「舞踏会のドレスだよ。ドレス」

 ネズミたちが床の埃をはぎれでぬぐいながら、エラへ悲し気な顔を向ける。

「僕たち三匹が縫って、小鳥たちがリボンを拾ってきて、星たちがダイヤがわりに星屑を落としてくれるって言っていたじゃないか。だけれど全部それを断って……」

「仕方ないのよ」

 エラがちょっと寂しそうに笑む。

「気持ちは嬉しいけれど、あなたたち三匹でドレスを縫うのは一苦労だし、小鳥さん達も道端に落ちているリボンなんてそうそう手に入らないわ。お星さまだって星屑を落とすのも大変でしょう。だからいいのよ。それに」

 と、エラがパンをまるまる一個味見したのちに、言葉を継ぐ。

「聞いた話では、第一王子様のジェイルド様は大層お美しくて、もうお嫁さんの候補が決まっているのですって。隣国の王女様ですって。城の舞踏会も、残念だけれど民を喜ばせるための偽装舞踏会で、もう本命は決まっているってお話らしいわ。そんなところに、わざわざみんなに迷惑をかけてまで行ってもね」

「それ、どこ情報なの?」

「ドリア姉様とお母様が、大きな声で言っていたのよ」

 それって……思わずエラに言いたくなるのを、ネズミたちはこらえた。確かに、エラの言うことも一理ある。自分たちが徹夜したって、舞踏会に出るためのドレスなんて一日で縫えっこない。それにある程度、もう王子の嫁候補は絞られているであろう。王は自分が平民と恋愛結婚したのを棚にあげて、王子には王家、上流貴族との縁談を持ち込んでいるらしい。そこに下級の、それも当主を亡くしたハミルストン家のエラが入るのは難しい。けれど、けれど――。

「エラはこのまま、ここにいていいの?」

 ネズミたちが寂しそうに尋ねる。エラは夕飯の用意を終わらせ、エプロンの紐を再びしばって苦く微笑する。

「仕方ないのよ。これが私の運命だったんだわ」

「そうかしらねえ」

そこで突然、見知らぬ女の声が響いた。みなが皆で振り返る。そこには、キッチンの片隅に、銀のローブをまとったふくよかな女性が立っていた。いかにもその顔は柔和で、優しそうである。

「お久しぶりねえ、エラ。元気そうじゃない」

「あ、あの……」

「ああ、申し遅れたわね! 私は魔法使いのサリー。今日は水晶であなたの姿を見て、ちょっと来てみたのよ。元気だった?」

「ああ、サリーさん……!! お懐かしい 」

 昔の知り合いに会って、顔をほころばせるエラ。けれど、その笑顔にはどこか辛さを噛み殺しているような思いが感じられた。ネズミたちも一気にまくしたてる。

「何が元気なもんかね! エラは元気じゃないよ! エラは今大変なんだ」

「あら、どうして?」

 太ったネズミがぷりぷりしながら叫ぶ。

「乙女中を集めた舞踏会に参加させないために、エラの美しさを妬んだ継母たちが仕事を押し付けて、参加させないようにしているんだ! かわいそうなエラ……確かに醤油を二リッターこぼしたからとはいえ」

 それを聞くと、サリーはにまあと顔をほころばせた。

「なら、ますます舞踏会に行かなくちゃね! とりあえず、舞踏会の様子を見てみましょうか?」

 サリーがそう言って取り出したのは、水晶であった。水晶の美しい内部に、のぞき込むと舞踏会の様がみてとれた。

「ほら、ごらんなさい、エマ。これがあなたの王子様よ」

エラが覗くと、そこには白の礼装を纏った、この上なく美しい王子様が、あまたの女たちと踊っていた。

「まあ、なんて素敵な王子様なのかしら……」

 エラが見惚れていると、そこで突然に、一人の美しい女性が舞踏を申し込んだ。一度挨拶をすませたドリアがしつこく王子に粘っているので、それを蹴飛ばすようにしてその女は現れた。黒髪の大変に美しい女性だった。

彼女が王子に何かを口走る。すると王子は、一瞬ののちに倒れ伏せってしまったではないか!

 華やかな舞踏の間で、王子様が赤い絨毯にキスをするように倒れてしまった。これは一大事だ。

「サリーさん! 大変ですっ王子様が、倒れてしまったようで……」

 エラが焦りながら叫ぶと、サリーもそれを一瞥して、あ、やべと漏らした。

「あの女、私のライバルの魔女だわ。きっと私と王子様が仲良くしてくださるのが気に喰わなくて、こんなことしたんだわ」

「微妙に焦っているようで焦ってなくないですか!? とにかく、どうしたら魔女の呪いを解けるんです」

 エラが尋ねると、サリーが思案したのちに、はっと思いついた。

「ああ、あれだわ! 呪いをかけられた者同士でキスをすると、中和されて呪いは解けるって」

「なんで今、サリーさんさりげなくスマホでグーグルサーチしちゃったんですか!? 呪いをかけられた者……!?  」

舞踏場にもその話は広まっているようで、水晶にはすかさずドリアが、並み居る女を押しのけて王子にキッスしていったが、王子は苦しんだまま、軽く吐血して終わった。

「このままじゃ王子が……!! 王子が殺されてしまう!! 」

エラが焦った先に、あるものを視界に認めた。

「そうだわ! 」

エラはただちにその猫を抱き上げると、サリーに城への交通手段をせがんだ。サリーはなぜかなすを馬車にしてしまったので、背中をそらせない感じの馬車になってしまった。そのいびつな馬車に揺られて、サリーとエラはただに急ぐ。膝にはイブ様をのせて。

「この猫は……もしや?」

 サリーが問うと、どこかあまじょっぱい香りのする馬車の中でエラが頷いた。

「はい、きっとこのイブ様こそ、魔法にかけられたお姫様なんです。イブ様ならきっと、王子様の呪いを解いて下さいますわ」

 二人を乗せた馬車は、城の衛兵たちをまいて、身軽なのをいいことに舞踏場に走り込んできた。

女たちによる狂喜乱舞のキッスを浴びた王子は、もう(いろんな意味で)死にかけていた。あたりは既に葬列のように、うつてがなく静まり返っている。

そこで、貧しいエプロン姿のエラが王子に近づき、イブと接吻させた。すると、王子はただちに蘇り、生気を取り戻し、すくりと立ち上がった。

「王子が、蘇られた……!!」

 すると次には、イブにも白い煙がまとわり、それが晴れた時にはイブは、美しい銀髪のお姫様に変じていた。

「おお、なんと!! 」

「呪いにかけられていた同士が、こんなに美男美女とは! 」

「あの猫の伝説は本当だったんだ!!」

 会場に詰め込まれた数千の民が手をたたいて、立ち上がる二人を祝福する。呪いから解かれた二人は、お互いをじっと見つめ合っている。

「おお、お二人も思いあっていなさるようだ」

「まさにお似合いじゃのう」

 それを聞きながら、小さくなっていたエラは、微笑んで、肩を少しだけ、落とした。

(エラ、あなたは馬鹿な子ね。最初からわかっていたじゃないの。王子様には、王子様にふさわしいお姫様がいらっしゃるって。ましてそれがイブ様だったのだから、こんなに幸せなこと、ないじゃない。どうして、こんな気持ちになるの……)

 エラが小さくなって、無念さに帰ろうとした、その瞬間。

「ばちーん!!」

と、誰かが頬を叩かれる音が響いた。エラが慌てて顔をもたげる。すると、先ほどのイブ様が、なんとあの美しき王子を殴っていたではないか。それも、マウントポデイションで。彼女は本気だ。

「イ、イブ様、やめて!! 何をなさるの!!」

 エラが慌ててとめに入る。イブはどいて義理の妹よ、こいつ殺せない! みたいなことを言わんばかりに、エラを睥睨みする。

「イ、 イブ様?」

「あのねえ、みんな勘違いしているようだけど」

イブは波打った銀の髪を揺らし、金の瞳を細めて言い放った。

「こいつはね、私の弟なのよ。そんでもって、私を城から追い出した張本人なの」

 これには会場から一斉にえええええの声が響いた。みなが目を合わせ、口をぽかんとさせる。

「ど、どういうことなの、イブ様」

「だから、あの猫にされたお姫様も私なら、その舞台もここなの。魔女に呪われて、超美しかった私が超可愛い猫にされて、それで。ある雨の日に、散歩にいっていたら、この男が猟犬を出しっぱなしにしていて。それに追いかけられて、私は街に出てしまったの。そしたら」

 イブ様が実に美しくウィンクする。

「偶然、あんたに拾われたって訳。感謝しているのよ、あんたには」

「イブ様……」


「そういう訳で、弟よ」

イブはふりかえって、実弟の方を睨んだ。

「この私を救ってくれた、エラと結婚なさい」

「はああ?」

 これには王子も驚く。そりゃあ、綺麗だと思うが――。苦労人だとも知っているが――。

「ダメだ、ダメだ。そんな素性も分からん女、うちの王子に嫁がせるものか」

 いつのまにやら太っちょの忠臣まで出てきて、二人の婚姻に反対する。

エラはいたく傷ついた。

わかってはいた。自分が王子にはとても不釣り合いなことを。こんな汗臭いエプロンに、ごつごつした手。化粧も全部急ぎすぎて落ちてしまった。こんな私なんて――。

エラはこの場にいたたまれなくなり、走って逃げ去らんとした。その手を、思わず王子がとった。

「待てエラ」

「は、はい……」

王子はその手をとって驚いた。いつも握ってきた柔らかな女の手とは違う。ごつごつして、柔らかみがまるでない。家事を一生懸命にこなしてきたのだろう。自分の手が、こんなになるまで――。そして、王子の危機には、汗みどろになるまで必死に走って、イブを連れてきてくれた。

「礼を言う、エラ。ありがとう」

「お、恐れ多いことで……」

 エラが恐縮していると。

「なあ、エラ。俺たち、いきなり結婚するのもなんだから、デートしてみないか」

「へっ」

「もちろん、ドレス代もデート代も俺が出す。今の家がいやなら、俺の家に住んでいい。花嫁とはいわなくても、花嫁候補として。どうだ?」

「そうよ、エラ」

あのイブも、腕を組んでにっこりと笑顔を見せる。

「部屋は馬鹿が悪さしないように私の部屋を貸してあげる。ねえ、そうしましょうよ」

 エラはあまりの出来事に、息を呑み、目を見開いた。そのあかぎれだらけの手を、王子が掴む。

「そうして欲しい」

「……はい!」

 エラは涙を流しながら頷いた。

 そうしてこののち。エラは次期国王の花嫁になった。みりんをこぼす癖を愛してくれる夫と、優しい姉と、ネズミの仲間たち。みなに愛されて、エラは幸せに幸せに暮らしたという。

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