19:アシュリー・アルセードのとある朝の風景
「んん…………う~~ん…………」
アシュリーは寝ぼけ眼を擦りながら身を起こした。
両手で口を覆い隠すようにしながらあくびを一つ。
辺りはとても暗かった。
何気なくベッドから足を降ろしてフローリングの床を踏んだとき、そこが自分の部屋ではないとはっきり認識した。
よくよく確かめてみると、ベッドも自室の物に比べていかにも安っぽい。
「――!?」
慌てて壁際へと移動する。
そこからわずかに光の線が漏れ出ている。恐らく窓があるのだろう。
手探りで鎧戸を開けると、まばゆい光が目を焼いた。
光に目が慣れてくると、窓のすぐ外を一隻の
遥か眼下には赤茶けた荒野と真珠色の光を放つダンジョン・ゲートが見える。
「えっ――……ここ、どこ……?」
振り返ると朝日に映し出された部屋の様子がよく見えた。
何の飾り気もない木板で構成された小さな部屋の壁際に、非常にシンプルなベッドが一つ。小さなテーブルと椅子が一脚ずつ。ベッドと逆側の壁に
「――!」
チェストの上に放り出された男物の衣服に目を止めてアシュリーの顔色が変わった。
慌てて自身の服を確かめる。
特に変わりはない。
昨日と同じ服装だった。
――昨日と同じ?
昨夜はアレックスを筆頭としたパーティーでゴブリン討伐クエストを無事に終えた祝宴が開かれた。
ほとんど何の役にも立たなかったばかりか皆の足を引っ張ってしまった自分もそれに参加することになった。
本来ならどんな顔で祝杯などあげればいいかわからないような状態だった。辞退するべきだとも考えていたのだが、治療院にわざわざ顔を出してくれたサンディとメラニーの誘いもあって結局参加することにした。
どうしてもちゃんとお礼を言いたかったという理由もあった。
本来なら見捨てられていてもおかしくない自分を最後まで諦めずに守ってくれた人に……。
しかし、一応礼を言うことはできたのだが、隣に座っているというだけでそわそわして落ち着かず、まともに顔を見ることも出来ないような状態に陥ってしまった。
どうにかして緊張を解こうと飲み過ぎた結果、気分が悪くなってそのままダウンしてしまった次第である。途中から記憶がない。
とすれば、ここは酒宴に参加した誰かの家なのだろうか。
アシュリーは部屋の扉を恐る恐る開いた。
隙間から首だけ出して外の様子を窺うと、細い廊下が左右に続いているらしい。
廊下には複数の扉が並んでいる。
「アレックス君達の家……?」
部屋が複数あるということからアシュリーはそう判断した。
「…………」
扉は全て閉じられている。
物音一つしない。とても静かだった。
アシュリーは上階へと続く暗い階段をそっと上って行った。
続く扉の取っ手を手探りで探し当ててゆっくりと押し開く。
「あの~……」
部屋の中は真っ暗だった。
左手の壁にドアと窓、奥の壁にも窓らしきものがあるようだが、それ以外はさっぱりわからない。
「ど、どうしよう……」
この部屋が寝室ということは恐らくあるまい。やはり下の階にみんながいるのだろう。
しかし、それぞれの部屋をノックして回るのも憚られる。まだ寝ているのだとしたら申し訳ない。
勝手に出て行くのは礼儀に欠けるし、やはり部屋で大人しく待つしかないだろうか。
だが、もしもこの家がアレックス達の家ではなかったとしたら?
前後不覚になった自分が誰かについていった、あるいは連れられていったなんてことはないだろうか。いくら酔っ払っていたからとはいえ、自分がそんなことをする人間だとはあまり思いたくないものだが。
それに、もしかしたら、あの男が関わっているという可能性もないでは……。
「よ、よし……」
アシュリーは意を決してドアか窓を開けてみることにした。
とりあえず現状、暗くて何もわからない。後のことはそれを確認してから考えればいい。せめて何か、アレックス達に関わる何かを部屋の中に見つけられれば安心できるのだが。
アシュリーはさしあたって一番近くにある、左手のドアらしきものを開けてみようと考えた。
そろりそろりと足を踏み出す。
細く漏れる光に向かって、手を前に突きだして慎重に歩いて行く。
が、あと少しというところで、柔らかい何かを踏んづけてバランスを崩してしまう。
「あっ!? わわっ!?」
「――うっ!?」
そのまま倒れ込んでしまった。何かの上に乗っかっている。一瞬、唇が温かいものに触れた。
「んんっ……なんだぁ……?」
自分の下、耳元から男性の声が聞こえて慌てて飛び起きる。
どうやら偶然にもピッタリと抱き合うような格好になっていたらしい。とすると、先ほど自分の唇が触れたのは、恐らくその男の頬か首辺りであろう。
「ごっ、ごごごめんなさいっ!?」
「ふぁ~~……。なんだ、アシュリーか。びっくりしたぁ……」
「えっ――!? ……け、ケイスケ君!?」
「うん。そうだけど……? あぁ、悪い。今、灯りを……いや、窓を開けた方がいいか。ちょっと待ってくれ」
ややあって明るい日差しが部屋を照らし出した。暗闇に慣れていた目にはまぶし過ぎて目を細める。
慧介が窓際で大あくびをしているのを見た瞬間、アシュリーは自分の心臓が一際大きく鼓動を打ち始めるのを感じていた。
「あ、あの――」
頭の中が真っ白になる。何を言えばいいのかわからない。
足元には毛布がしわくちゃになっている。どうやら慧介は昨晩ここで夜を明かしたらしい。傍目にはあまり上等な寝床とは言えそうにない。
「おはよう、アシュリー。気分は? どっか悪いとこない?」
「え? ううん。大丈夫。あの、それより僕、どうして……」
「ん? あぁ~……昨夜酔いつぶれちゃっただろ? 最初は治療院に運び込んだんだけどさ、まぁ、ちょっとめんどくさい事情があって俺の部屋で寝てもらったんだよ。アシュリーがどこで寝泊まりしてんのか知らなかったからさ」
「そ、そうだったんだ……あ、ご、ごめんね。また、迷惑掛けちゃった……」
「んー? いや、大したことじゃないよ。……そんな顔すんなって。大丈夫だよ、これくらい」
笑顔で話しながらも慧介は他の窓を次々と開けていく。
「あぁ、そうだ。洗面所が階段のすぐ側にあるんだ。良かったら使ってくれ」
頭を指さしてくるくると回し、
「だいぶ寝癖ついてるぞ?」
快活に笑う。
アシュリーは顔から火が出るのではないかというくらいに体が熱くなるのを感じた。
「あ、ご、ごめん!」
慌てて階段のほうへ走って行く。
階段の突き当たりに扉があり、その先が洗面所になっていた。
鏡を見ると確かに盛大に寝癖がついているし、服もしわだらけだった。
「~~~~っ」
頑固な寝癖に悪戦苦闘すること数分、ようやく身だしなみを整え終わったアシュリーは洗面所を出た。
暖炉のある大きな部屋、椅子に腰掛けた慧介がカップを口元に運んでいる。
「おぉ、直ったみたいだな、寝癖。コーヒー飲むか? もう淹れちゃったんだけど」
テーブルの上には確かにもう一つカップがあった。
「お茶とか酒もなくはないけど、どうする? 妖精族が好きな、花を使ったハーブティーなんかも一応あるぞ」
「う、ううん。コーヒーでいいよ。ありがとう」
アシュリーは慧介の向かいにそそくさと座った。
コーヒーを一口飲んでほっと息をつく。
「ちゃんと眠れたか?」
「え、う、うん」
「そっか。そりゃよかった」
「うん……」
「……俺、椅子に座ったまま寝てたはずなんだけどなぁ。いつの間にか床で寝ちまってたみたいだ。悪かったな、驚かせたみたいで。あんなとこに人が寝てるとは思わないよな、普通」
慧介はあくびをしながらぽりぽりと頭を掻いている。
「ううん。そんな……僕のほうこそごめんね。痛くなかった?」
「あ~、そりゃ大丈夫。俺〈シールダー〉になってから素で頑丈になってっから」
「そ、そっか。そうなんだ……」
「……」
「……」
緊張してしまって言葉がなかなか出てこない。
何か話さなければと思うほど思考が空回りしてしまう。
アシュリーがうつむいたまま苦心していると、慧介がふと何かを思いだしたように、
「あー、そういやさ」
「う、うん! 何?」
「ん。いや俺さ、今日この後、用事あるんだよ。知り合いと一緒にダンジョン行く約束しててさ。悪いけどあんま時間ないんだわ。アシュリーはこれからどうする?」
「えっと……特に何も決めてないけど……。ケイスケ君は、約束ってアレックス君達と?」
「いや。フランジールさんっていう〈シールダー〉の人。昨日から【フリング・シールド】っていうスキルを覚えるために練習してるんだけどさ。教えてもらってるんだよ。その人上手いからさ」
「へぇ、そ、そうなんだ……。その……二人で行くの?」
「あぁ。そうだな」
「ふ~ん……そう……」
「?」
「……あ、あのさ!」
「ん?」
「その……それ、僕も一緒に行ってもいい……かな?」
「えぇ? スキル修行に?」
「ダメ……かな?」
「いや、ダメってことはないけど……絶対暇だと思うぞ?」
「い、いいよ! 別に暇でも! そ、それに――」
「それに?」
「それに……僕もなんというか、〈シールダー〉のスキルにちょっと興味があるかなぁなんて……ケイスケ君見てて、なんか凄いなって思ったっていうか……」
「ははは。俺なんか全然たいしたことないけどな。まぁ、〈シールダー〉に興味あるってんならフランジールさん見るのはありかもな。ちょっと失礼な言い方かもしれないけど、面白い人だよあの人。すごく頼りになるし」
「あの、それじゃいい?」
「あぁ、俺は別に構わないけど。あの人も別に反対はしないんじゃないかな。ただ、さっきも言ったけど、アシュリーが来てもやることなくて暇すると思うぞ? ほんとにいいのか? 多分、金稼ぎにも敬虔値稼ぎにもならないぜ?」
「いい! 別にいいよ! 全然構わないから!」
「そっか? まぁそんならいいけど……。でもアシュリー、装備は? 家か?」
「あっ! そうか! あぁ……あとどれくらい時間ある?」
「ん~……一時間弱ってとこかな」
「ご、ごめん! すぐに取ってくるから!」
「あ! おい――!」
アシュリーは急いで玄関の扉を開いて、ピタリと立ち止まった。
「わぁっ!? 何これっ!?」
扉のノブを掴んだまま固まってしまう。
扉のすぐ先はせいぜい二メートル四方ほどの踊り場になっていた。
粗末な柵が申し訳程度に据え付けられているが、一歩でもその先に踏み出せば遙か彼方の地面まで真っ逆さまに落っこちてしまう。まるでここだけが空中に突きだしているかのようだった。
浮遊都市に暮らしているとはいっても、こんなに危なっかしい場所など今まであまり見たことがない。
「ここ、島の側面の崖というか壁というかにくっついた家なんだよ。走って飛び出したら危ないぞ?」
いつの間にか後ろにやって来ていた慧介がこともなげに言う。
「そ、そうなんだ……。すごいとこに住んでるんだね……」
「あぁ、俺も最初はびびったけどなぁ……。でもまぁ、なんだかんだで割とすぐ慣れた。住めば都ってことかな。とりあえず、上まで一緒に行くよ。上に行けばここがだいたいどの辺なのかわかると思う」
「そ、そうだね。ありがとう」
慧介と一緒にアシュリーは島の上までやって来た。
「あっちが港なんだ。わかるか?」
「うん。大丈夫。一応、島はぐるっと一周見てるから。けど、ここから下に家があるなんて全然知らなかった……」
「はは。まぁな。住んでる人ぐらいしか近づかないからな」
「それじゃ、僕急いで装備取ってくるから」
「あぁ、ちょっとくらい遅れても構わないぞ。ギルドで待ってるから」
「大丈夫。すぐに行くよ。それじゃ、またギルドで!」
「おう。
「大丈夫~!」
肩越しに慧介に声を返しながら、アシュリーは港目指して全速力で駆けていった。
何故か自然と頬が緩んでいることに気づいて、慌てて表情を引き締めた。
今までこんな気持ちになったことなど一度もなかった。
昨日、いや、一昨日から、自分で自分がよくわからない。
定期船が出ている桟橋を通り過ぎて、個人の船が停泊している地帯に向かった。
大小様々な船が港に泊まっている中、一つの小さな船が昨日と変わらぬ場所に停泊しているのを見つける。
小さいとは言え、流麗な曲線美と目の覚めるような鮮やかな青色が光る美しい船だった。港の中でも一際異彩を放っている。
船尾の椅子に腰掛けてパイプをくゆらせていたいかつい顔の老人が、アシュリーの姿を捉えてのっそりと立ち上がった。
「おや! アシュリー様! こりゃまた随分と遅いお帰りで!」
顔に似合わず人なつこい笑みを浮かべる老人の手を取って、アシュリーは船に飛び乗った。
「ごめん! ジョット! すぐに船を出してくれる?」
「あぁ、へい! それで、どちらまで?」
「家まで! 急いで!」
「へい! 合点承知でさぁ!」
ノーブル・ブルーに燦めく船体が、朝の光を浴びながら音もなく港を飛び立って行った。
世界墓場ーワールドグレイブヤードー 秋坂行志 @uoregak
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