12:一人の夜

 ゴブリン討伐任務を終えた慧介は無事に自宅へと戻ってきていた。


「ただいまー……」


 帰宅の挨拶を投げかけるが、当然家の中には誰もいない。


 家主であるところのキアとティティスは、ゴーム大森林の奥地にある遺跡へ今朝出立したばかりだ。遺跡に行くだけでもそれなりに時間がかかるし、遺跡内部を探索するのにも相当な時間が必要となるらしい。

 帰還予定は早くて二日後だと聞いている。


 まだ日が出ている時間帯だったため、慧介は鎧戸を開いた。

 暗い室内にやや傾きかけた日差しが降り注ぐ。


「はぁ~~~~、今日はくたびれたな……」


 一歩間違えれば死ぬところだった。

 二人が帰ってきても今日のことは内緒にしておいたほうがいいかもしれない。

 特に、キアには絶対に教えられない。

 嘘をつくようで申し訳ない気持ちもあるが、自分のために彼女たちに迷惑をかけたくはなかった。


 慧介は玄関から入ってすぐの暖炉室に自分の装備を放り出した。

 全身に軽い倦怠感があるが、特に体調が悪いということはない。

 装備のチェックを始める。


「……あぁ~、わかっていたけど、これはひどいな……」


 厚手の革鎧は下半身を中心に焼け焦げている。特に脛当てはひどい。ちょっと擦っただけで焦げて炭化した革がボロボロ落ちてくる。

 盾は巨大な鉈を受け止めた影響でところどころ凹んでいるし、熱にやられて全体的に溶けかかったような痕跡がある。


「これ修理できるんかなぁ……。盾はなんとかいけそうだけど……いや、いけるのか?」


 ため息をつきながら魔剣グアダーナを鞘から引き抜く。

 窓から差し込む光にかざしてみる。

 ホブゴブリンの硬い皮膚にさんざん弾かれたが、特に刃こぼれもなく綺麗だった。


「さすがは魔剣ってとこか。あれくらいじゃ欠けたりしないんだな……」


 装備の修繕費用がいったいどれだけかかるのか。

 鎧はまだいいが、盾はそれなりにいいものをと、キアとティティスが奮発して買ってくれたものだった。

 高級品というわけでもないが、駆け出しの冒険者が買えるような代物でもない。そもそもレベル1で金属盾を持っているのはそのまんま金持ちか、ベテラン冒険者のお下がりをもらえたような子弟ぐらいだ。

 分不相応な装備品を手にした結果、修理代を心配しなければならないという事態が発生してしまったのである。


 慧介は背中からパッタリと床に倒れ込んだ。


「はぁ……今回の討伐報酬で修理費足りるかなぁ?」


 イレギュラーな事態が起こったために、正確な報酬額はまだ決められないとギルドから通達があった。

 洞窟に残ったジェイドとルーの調査結果を鑑みて査定をするから、明日また来てくれと言われている。


 慧介は寝返りを打って革袋の中を漁った。

 取り出したのは獣の骨で作られたと思しき妖しげな杖。ゴブリン・シャーマンが使っていた杖である。

 シャーマン本体は自らが作った炎球の爆発によって完全に焼け焦げてしまったが、この杖はところどころ焦げているだけで形を保っていた。


「う~~む……あとはこれが高く売れることを祈るしかないか……」


 この杖は戦利品として慧介が受け取ったものだ。


 ゴブリン・シャーマンを倒したのはメラニーなのだが、彼女は、倒せたのは慧介が注意を引きつけてくれたおかげだと言って所有権を慧介に譲ってくれた。

 魔法使いの杖みたいだから自分で使えるんじゃないのかと聞いてみたが、そんな悪趣味な杖は使いたくないしと遠慮されたのである。


 まぁ確かに、年頃の女の子が手に持つにはふさわしくない、おどろおどろしい見た目をしている。


 慧介はしばらく杖をぼんやり眺めていたが、やがて体を起こして杖を袋に戻した。


「いかんいかん。今日はもうスキルを使うなって言われてるし、あんま見るのはやめとこう」


 杖を見たアイアン冒険者のルーがこの杖は恐らく魔導具マジック・アイテムだと言っていた。魔力反応があるから間違いないだろうと。


 あまりジロジロ見ていたら誘惑に負けて【鑑定】してしまいそうで怖かった。

 正体不明のマジック・アイテムを鑑定する場合、そのランクに応じて大きく精神力を消費してしまう。


「とりあえず着替えるか」


 慧介はぶらぶらと階下にある自分の部屋へと降りていった。




 しばらく自室のベッドで時間をつぶすことしばし。

 小さな革の鞄に替えの下着を詰めてから慧介は再び上へ上っていった。

 戸締まりをしてから街へ向かう。

 行き先は公衆浴場だ。

 魔法で衣服や体を清浄化できるような世界だが、風呂には風呂で一定の需要がある。


 慧介はつい二日前にも利用した公衆浴場を訪れた。

 総石造りの広い湯船が特徴の、そこそこ大きな浴場である。

 島の外縁部ぎりぎりに建っており、露天になっている風呂から外の景色が一望できるのだが、残念ながら景色が良くないためそんなに人気はないらしい。


 湯船の縁に腕を乗せて、遥か眼下に広がる景色を眺めやる。

 そこに見えるのは一面真珠質のマーブル模様。

 世界の墓場ダンジョンの上に乗せられた蓋。

 地平線までずっと、見渡す限りがダンジョン・ゲートだ。

 壮大な景色と言えばそうなのだが、味気ないと言われればやはりそうだと思える。この街でずっと暮らしている人達からしたら特に見たいようなものではないのかもしれない。


「はぁ~~、いい湯だなぁ~~」


 お湯からは一種独特の爽やかな香気が湯気と共に立ち上っている。薬草と香草のエキスを入れたお湯には明確な癒やしの効果がある。言ってみれば薄めたポーションの中に体ごと浸かっているようなものだ。


 慧介は今日一日の疲れを癒やすように湯船に体を沈めていった。

 ぼんやりと湯船に浸かること数分。


「やったーー! お風呂お風呂~~!」


 隣の女湯に随分と声が大きい客が入ってきた。

 ぺたぺたと石畳の上を走る音が聞こえてくる。


「リア様! お待ちください! はしたないですよ!」


 その後を追いかけてもう一つの足音が駆けて行く。


「ひゃ~~! 相変わらずすごい景色よねぇ。これで色が青かったらもうちょっとましなんだけどさぁ。ねぇ、あなたもそう思わない?」

「いえ、私は別に……。あれはあれで案外綺麗な色だと思いますが。真珠に似ておりますし」

「あれ全部が真珠だってんなら確かにすごいけどね。でもやっぱ、海の青が一番でしょ。こんな赤茶けた荒野と、脂ギトギトの白スープみたいな景色しか見えないとこなんてうんざりだわ。故郷の海が懐かしい」

「そうでしょうか。私は特に不満はございませんが」

「えぇ~~、嘘ぉ!? あなたそれでも自由と浪漫を求める海洋国家ルアージュの騎士なのぉ?」

「もちろんでございますよ」

「……ふーん。ま、いいけどね。もう少ししたら海に行けるし……。それーーっ!」


 バッシャーンと大きな水音が聞こえてくる。


「リア様! いけません! お屋敷のお風呂とは違うのですよ! 他のお客様の迷惑になりますから――――」


 耳を澄まさなくても声がよく響いてくる。

 どうやら隣で騒いでいるのはどこぞの国の騎士とお嬢様とでもいったところらしい。


(そろそろ上がるかな……)


 体も十分温まったし、あまり長風呂してゆだってしまうのもよろしくない。

 慧介は風呂を出ることにした。




 公衆浴場を後にした慧介はそのままの足で市場へ向かった。


 念のために今日一日は固形物は食べるなと言われていたため、何か飲み下せるような食材を買って帰るつもりだった。


 正直なところお腹は空いている。

 普通に食事できそうな気もするのだが、敢えて忠告を無視して危険を冒す必要はない。


 明日の夜にはアレックス達とゴブリン討伐成功を祝して宴会を開く予定もある。

 本来なら今日やるべきものだったが、それだと慧介とアシュリーが参加できないということで延期された形である。

 今、腹を壊すわけにもいくまい。


 結局、露天商に尋ねながら、栄養価が高そうな果物をいくつか見繕って購入した。


 家に帰ってから念のために鑑定してみる。

 最初からデータがわかっているものに関しては精神力の消費が非常に少ない。

 露天商に聞いた通りの情報が、慧介の視界内にポップしたウィンドウに表示される。


「お。新鮮かどうかも判別できるんだな。お店で鑑定したら鮮度が高い奴を見分けて買うこともできそうだ」


 慧介は台所で果物を適当に切ってミキサーに入れた。

 中には何の刃も入っていないが、精神力を注げば風の刃が舞い踊り、食材を細かく切り刻むことができる。


 即席のスムージーのようなジュースを作ってそれを夕飯代わりにした。

 正直もっと何か食べたかったが、一食ぐらい抜いたところでどうということもなし、今日はそのまま寝ることにした。


 戸締まりをチェックしてから階下へ。

 階段を降りてすぐのところにあるのはキアの部屋だ。

 その扉をなんとなくノックしてみる。

 当然、返事はない。


「…………」


 慧介はふっと笑みを浮かべると、やがて二つ隣の自室に入って行った。

 ベッドの上に寝転び、少し見慣れてきた天井を見ながらあくびを一つ。


「ふぁ~ぁ……広い家に一人ってのはなんかさみしいもんだな……」


 家の中に一人しかいないと思うと、どうしても地球のことを考えてしまう。


 既に日は暮れたけれど、まだ夜が始まったばかりの時間である。

 もしもこの世界に迷い込まずにいたら、今頃はテレビを見たり、ゲームをしたり、本を読んだり、たまには勉強なんかもしていたのだろう。


 本来ならそういった過去の世界を思い出して郷愁や懐かしさを感じるのかもしれない。


 しかし、昔の生活を思い返している慧介の心中に湧き上がってくる感情は、まるでおとぎ話を聞いているかのような現実感の無さだった。


 十日前までは当たり前だったはずの日常が、ひどく希薄で曖昧なものに思える。

 これもこの世界に迷い込んだが故の影響なのだろうか。


 慧介は勢いよく起き上がってベッドを降りると部屋の窓を開いた。


「……キアとティティスさん、今頃どうしてるのかな……」


 眼下に広がる広大なダンジョンを見下ろしながら、一人ポツリと呟いた。

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