11:戦い終わって

 洞窟の外に脱出した慧介達は、臨時の拠点としたゴブリン砦の建物の一つで治療を受けていた。


 そこにはジェイドの姿もある。

 マルセイエフとメラニーが地下空洞での一件について詳しい報告をしている最中だ。


〈プリースト〉のマリカは慧介の治療が一通り終わると小さく息を吐いて額の汗を拭った。


「ふぅ。これでだいたいいいと思うけど、具合はどうかしら?」

「はい。すごくよくなりました。ありがとうございます」


 慧介が頭を下げると、マリカはぽんと慧介の頭に手を乗せた。

 髪をかき回すように乱暴に撫でる。


「随分無茶をしたものね。あなたの状態、多分自分で思ってるよりもやばかったと思うわよ。一応精神力も少し分けておいたけど、今日はもうスキルの使用は禁止! それと、街に戻ったら今日一日は絶対安静にしていること。内臓の損傷は修復できてるはずだけど、疲弊しているからいつも通りの食事したらお腹壊すわよ。食事はなるべく固形のものは控えて、流し込めるようなものだけを少し、なるべく栄養価が高いやつね。お酒は飲むんじゃないわよ。わかった?」

「は、はい。すいません……」


 慧介がばつの悪い顔で見上げると、マリカは快活に笑った。


「そんなにしょげなくてもいいわよ。別に怒ってるわけじゃないから。あなたはよくやったわ。誰も死なずに済んだのはあなたのおかげね」


 そう言ってマリカはまた慧介の頭をぐりぐりとなで回した。


「さて」


 マリカが立ち上がる。


「そっちはどう? 治療できた?」

「……あと少しです」


 アレックスに手のひらを向けたまま、〈プリースト〉の少女が答える。

 目を閉じて一心に集中している。

 宣言通り、数秒も待たず、無事に治療が終わったらしい。


 アレックスは手足の感覚を確かめるように動かした後、軽やかに側転からのバク転を決めて見せた。


「おっしゃ! ばっちりだぜ! サンキューな!」


 少女に向けてピースサインを突きだして笑うアレックス。


「あ、あの――」


 少女があっけにとられた顔で何事か言おうとする。


 マリカがアレックスの耳をぎゅっとつまんで引っ張った。


「安静にしてろっつの! あんたの怪我もそんなに軽くはないんだからね!」

「あだだだだだ! だ、大丈夫ですって! 大したことないっすよ!」

「頭の怪我は油断禁物! ちゃんと治療しないと後遺症が残ることだってあるんだから! ほら! いいからそこに座りなさい! 念のために確かめておくから!」

「え~! 大丈夫だって言ってるじゃないですかぁ~」

「口答えしないっ!」


 渋々と座り込んだアレックスの頭にマリカが手をかざす。

 傍らで見守る少女を振り向いて微笑みかける。


「ごめんね。あなたを信用しないわけじゃないんだけど。念のためだから……」

「い、いえ! いいんです。ちゃんと看てあげてください。そのほうが私も安心できます」


 マリカの手が淡く発光する。治癒の力がアレックスの頭部へと浸透していく。

 アレックスはあぐらをかいた格好で不服そうにぶつぶつと文句を言っていた。


 平和な日常を感じさせる光景に慧介の口元に自然と笑みがこぼれた。

 つい少し前、巨大な地下空洞の中で死にそうな目にあっていたことが夢みたいだ。


 部屋の一角に歩いて行く。

 そこに、藁束の上に大きな布をかぶせただけの簡易ベッドがある。

 アシュリーが仰向けに寝かされていた。


 ホブゴブリンを辛くも倒した後、サンディが連れてきてくれたルーがポーションを使って応急処置を済ませると、それまで辛うじて意識を保っていたアシュリーは気を失ってしまった。


 傍らに腰を落として覗き込むと、小さな寝息をたてているのがわかる。

 鉄の胸当てを外されて神官服だけの状態だ。

 薄く平坦な胸が呼吸に合わせてわずかに上下している。


 しばらくぼんやりその様子を眺めていると、不意に後ろから肩を叩かれた。


「大丈夫よ。眠ってるだけだから」


 背後にマリカが立っていた。

 アレックスの治療は終わったらしい。


 アレックスは他のパーティーメンバーと一緒にジェイドと何か話している。


 マリカはニヤリと笑うと慧介の首に腕を回してきた。

 顔を寄せて楽しそうに囁く。


「可愛い子じゃない。つきあってるの?」

「はっ!? ち、違いますよっ! 全然そんなんじゃないですっ!」

「あら、それじゃ片思いなの? 愛しのあの娘を助けるためにたった一人強敵に立ち向かう……。泣かせる話じゃない。お姉さん感動だわ」


 マリカは左腕で慧介の首をがっちりホールドしたまま右手で髪をクシャクシャにかき回した。

 アシュリーとの関係性に対する誤解と、年上のお姉さんにピッタリと密着されているという事実が慧介の体温を急上昇させる。


「だ、だから違いますって! そもそもアシュリーは男ですし……」

「えーーっ! 嘘ぉーーっ!? 嘘でしょっ!?」


 耳元で叫ばれて慧介は思わず顔をしかめた。


「う……ほ、ほんとですよ。…………多分……」

「……多分? 多分って何よ?」

「いや、俺もアシュリーとは今日会ったばっかりですし、別に確かめたわけじゃないんで……。でも本人が男だって言ってましたから……」

「ふ~~ん。なるほどねぇ……」


 マリカは慧介の肩に顎を乗せたまま半眼でアシュリーを見下ろしている。


「あ、あの……それはそれとして、そろそろ離れてもらえませんか……」


 慧介の控えめな陳情など聞く耳持たず、マリカは何事か考えている様子だった。

 その後悪戯っぽい笑みを浮かべて慧介を解放すると、晴れやかな顔でパンと手を打った。


「よし! 確かめてみよう!」

「――え? 確かめるって……」

「そうねぇ……。とりあえず上から?」


 そう言ってマリカはアシュリーの平坦な胸に手を伸ばした。


「ちょっ、ちょっと! ダメですよ、そんなことしちゃ!」


 慌ててマリカの腕を掴む慧介。


「何よ、別にいいじゃない。ちょっとだけ!」

「いや、ダメですって。気を失っている人にそんなことしちゃぁ……」

「えぇ~~。だってさぁ……あなた気にならないの?」

「いや、気になるかならないかって聞かれたらやっぱり気にはなりますけど……。でも、それとこれとは別の話で――」

「頭固いなぁ~。大丈夫だって! いいじゃん、仮に女の子だったとしても女同士だし。男の子が胸を触られたところで別にどうってことないでしょ? ほらほら!」


 マリカが突然慧介の革鎧の隙間から手を差し込んで胸をまさぐってくる。


「ちょっ!? ひゃっ!? な、何するんですか! もう!」


 慌ててその手を振り払った。


「あはははは。ごめんごめん。あらら? 怒った顔が可愛らしいわね」

 マリカはからかうように慧介の頬をちょんと指で突いた。

「顔真っ赤よ?」

「――!? ……!」


 上手く言葉が出てこずに慧介が口をぱくぱくさせていると、背後からジェイドの落ち着いた声が響いた。


「マリカ、何を遊んでいる。討伐任務は終了だ。帰還するぞ」

「あ、はいは~い。了解! 全員帰還でいいのかしら?」

「いや、俺とルーは残る。軽く調べておきたいんでな。隊はお前が引率してくれ」

「あら、そうなの? それは責任重大ね」

「さすがに帰還ルートで問題が起こることなどまずあるまい。心配いらないさ」

「ま、そうなんだけどね。でもさ、ほら、あれ! 確か昨日、騎乗蜥蜴リザード・ホースの牧場の近くで亀裂が見つかったって話あったでしょ?」

「あぁ……。確か別の連中が調査を兼ねて虫退治に行っているはずだが。今頃は全て終わっているんじゃないか?」

「その亀裂も結局はこないだの地震の影響でできたわけでしょ? さっきも地震があったばっかりだし、もしかしたらまた環境が変化してるかもしれないじゃない?」


 ダンジョンの内部では地震の後に環境が変化することがある。今までなかったはずのものができていたり、本来繋がっていなかったはずのフィールドに通じるルートが開いていることなどがある。


 しかしジェイドはマリカの考えには否定的だった。


「グラウス草原周辺のフィールドはずっと前から安定している。そうそう変化は起こらないはずだ。牧場近くの亀裂もたまたまだろう。どこか別のフィールドに繋がっているとも限らん。ただの地割れである可能性が高いと思うがな」

「だといいんだけどね……」


 マリカがやや憂いを帯びた眼差しで苦笑する。


 ジェイドはいつにないマリカの態度に不審を感じる。

 思案げな顔で短く切りそろえられた顎髭を撫でた。


「……そんなに心配なら調査は明日にでも改めてやってもいいが……」

「あぁ~、ごめんごめん。いいのよ別に。私も今すぐに何かが起こるとは考えてないの」

「――今すぐ?」

「……えぇ。なんか私、最近やたらと目覚めが悪い日が多いのよねぇ。なぁんか嫌な感じがするっていうか……」


 マリカの発言にジェイドの表情が険しくなる。


「どういうことだ?」


 真剣な眼差しで問いただす。


 マリカは小さく息を吐いた。

 腕組みしたまま何事か悩んでいるようだった。

 やがて顔を上げてジェイドを見る。


「そうねぇ……。やっぱり、最近ずっと独り寝だったのがいけないんじゃないかしら。人肌が恋しいのかもしれないわね」


 マリカが茶化すように笑う。


 ジェイドは苦虫を噛み潰したような顔で愛用の帽子を抑えた。


「……なるほどな、よぉくわかった。それじゃ、後のことは頼む。全員無事に帰還させろよ」


 さっさと踵を返して立ち去っていく。


「はいは~い。了解で~す。……さ、それじゃ帰りましょうか! アレク! 外にいる子達を集めてくれる?」

「え? あぁ、はい。わかりました」


 マリカの指示でアレックスが外に飛び出していく。


「さてさて……それじゃ、その子はどうしようかしら」


 マリカは静かに眠っているアシュリーを見た。


「あ。それなら俺が運びますよ」


 慧介が名乗りを上げる。


「そう? 悪いわね。あなたも疲れてるのに。別のパーティーの子に任せてもいいのよ?」

「いえ、いいんです。何というか、せっかくだから最後まできっちり面倒見てやりたいんですよ。なんか変な話かもしれないですけど」

「そう……。わかったわ。それじゃ、その子のことよろしくね。道中の護衛は他の連中にしっかりやらせるから」

「はい」


 慧介はメラニー達の手を借りてアシュリーを背負った。

 多分キアよりは重いのだと思うが、あまり違いがわからない。

 ほっそりとした見た目の通りに軽い。

 ついさっきレベルアップしたばかりということも影響しているのだろう。レベルが上がると一気にステータスが上昇する。特に〈シールダー〉は筋力と体力の上昇幅が大きい。


 アシュリーの装備品はマルセイエフが持ってくれた。


 揃って建物から出て行くと、マリカが木箱の上に立って声を張り上げていた。


「は~~い! 注目! みんな聞いて! ゴブリン討伐任務はこれで終了。我々はこれよりゼメシス=グラウスに帰還しま~す!」

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