10:地下空洞の死闘 3/4

 耳鳴りがしている。

 慧介はうめき声を上げた。

 だが、聞こえない。

 自分の声さえも。

 本当に自分は声を出したのだろうか。

 吐き気と目眩にさいなまれながら、慧介は地に手足をつけて踏ん張った。

 全身に鈍い痛みが走る。

 革が焼け焦げた独特の匂いが漂っている。


 ――声。


 耳鳴りの向こうから、声が聞こえる。

 アシュリーの声だ。

 グラグラと揺れる景色の中から声の元を探す。


 いた。

 少し離れたところから、地を這うようにしてこちらに近づこうと必死に腕を動かしている。

 大きな瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちている。


 知らず苦笑していた。


 ――あぁ……そんなに泣くなって。


「――俺なら……大丈夫……だから……」


 掠れた声が頭の中に響く。

 それが自分の声であることに気がつく。

 朦朧とする意識が次第に覚醒していく。

 全身の感覚が急速に蘇ってくる。

 両手にはしっかり剣と盾を握りしめていた。

 あの爆発の中でも離さずにいられたらしい。

 その点だけは自分を全力でほめてやりたい。


 アシュリーが一際大きな声で叫んだ。


「――ケイスケ君っ!! 後ろっ!!」

「――――!?」


 未だ中腰の姿勢にあった慧介は振り向きざまに盾を構えた。

 重い衝撃が全身に響く。


「ゴァァァァァァァァァァッ!!」


 ホブゴブリンが巨大な鉈を振り抜き、慧介は盾ごと後ろに吹き飛ばされた。

 勢いそのままにアシュリーにぶつかってしまう。

 もつれ合うように転がり、アシュリーが苦悶の声をあげた。


「くっ……すまん、アシュリー!」


 慧介は謝りながらも素早く起き上がった。

 足がふらついて倒れそうになる。

 剣を地についてなんとか盾を構えた。


「ケイ――――」


 アシュリーが何か言おうとしていたが、ホブゴブリンは待ってはくれない。

 走ってきた勢いそのままに鉈を振り下ろしてくる。


「【ソリッド・スタンス】!」


 スキルを発動。

 慧介の防御能力が飛躍的に上昇する。


 大上段から慧介を真っ二つにしようと襲い来る鉈を盾で受け止めた。

 衝撃に膝が曲がり、再び全身に鈍い痛みが駆け巡った。

 それでもなんとか耐えた。今度は吹き飛ばされなかった。

 ホブゴブリンと押し合いになる。


「人が話そうとしてるときに、ちょっとは空気読めよこの野郎――!」


 笑みを浮かべながら悪態をつく。

 だが、余裕は欠片もなかった。

 段々、下へと押し込まれていく。

 完全に片膝が曲がり、跪いた姿勢になる。

 ホブゴブリンが醜悪な顔を歪めて笑った。


「ぐっ……調子に――乗るなっ!!」


 気合い一閃、ホブゴブリンの腹から心臓を狙うように剣を突き出す。


「ガァッ!!」


 ホブゴブリンは斜め後方へのバックステップでそれを躱した。

 どうやら先ほどのつばぜり合いで手を刻まれたために警戒心が強くなっているらしい。


 そのまま一旦距離をとる。


 その後方ではゴブリン・シャーマンが杖を振り上げながら再び魔法を準備している様子が見える。


 ホブゴブリンの両横で、ニ体のゴブリンが囃し立てるように飛び跳ね出した。

 自分達は役に立たないと判断したのか、完全に観戦モードに入っているようだ。


 ホブゴブリンの左腕が無造作に振り抜かれ、ゲラゲラと笑いながら飛び跳ねるゴブリンの一匹を背後へ吹っ飛ばした。


 咆吼を上げるホブゴブリン。


「ははっ! 随分機嫌が悪いみたいじゃねぇか。どうせなら、そのままもう一匹もやっつけてくれねぇもんかね」


 ホブゴブリンは興奮した様子で鉈を地面に叩きつけ、慧介の方をじっと睨み付けている。

 だが、いつまで経ってもそこから動く気配がない。


(――――まさかっ!?)


 慧介の背中を冷たい汗が流れ落ちていった。


(こいつっ! 【ソリッド・スタンス】発動中は動けないってことがわかってやがるのか!?)


 ホブゴブリンはそのまま威嚇するように叫び声を上げては鉈を地面に叩きつけて音を鳴らしている。


(くそっ……! どうする――?)


【ソリッド・スタンス】は使いたいときに即時発動できるという利点はあるが、解除した後、一定時間は再発動できなくなる。ゲーム的に言うなら”クールタイム”というやつだ。ほとんどのスキルにはこれと同じ制約がある。


 そして【ソリッド・スタンス】は発動しているだけでも精神力を消費する。

 元々精神力の少ない慧介には無駄にスキルを維持しているような余裕はない。


 今すぐに決断しなければ、このままではじり貧だ。


「……ケイスケ君、もういいよ。君だけでもどうにか逃げて……」


 アシュリーが必死に声を振り絞る。

 が、慧介は真っ直ぐに前を見つめたまま拒絶する。


「はぁ~? そんな選択肢は最初から存在しねぇ! 諦めろアシュリー!」

「でも――」

「いいからっ!! …………いいから、お前は黙ってそこで見てればいい! 安心しろ……あんな奴、俺がすぐにでもぶっ飛ばしてやるさ」

「ケイ――……」


 アシュリーは声を詰まらせてうつむいた。

 また、涙が頬を流れ落ちていく。

 慧介のセリフが虚勢であることは明らかだった。

 煤けた顔はひどく顔色が悪く、息も荒い。立っているのがやっとのような状態に見えた。


「キェェェェァーーーーーーーーッ!!」


 ゴブリン・シャーマンの絶叫が響き渡る。

 杖の周囲に炎が渦を巻いている。

 燃えさかる炎の球が形成されつつあった。


(やばいっ! あれを受けるのは!)


 先ほどの爆発がもたらした惨状を思い出してぞっとする。


「逃げて……ケイスケ君っ!」


 背中にアシュリーの叫び声がぶつかる。

 慧介は動かない。

 必死に頭を巡らせていた。

 アシュリーを抱きかかえて魔法の攻撃範囲から逃げることができるだろうか。

 仮に直撃しなくても、背後で爆発などしたら二人とも大ダメージを負うだろう。

 それならば、正面から受け止めるほうがまだ助かる可能性が高いように思われた。


(【ソリッド・スタンス】発動中の今なら受けられると信じるしかないっ!!)


 慧介は覚悟を決めて腰を落とした。

 床に倒れ伏しているアシュリーに爆風が及ばないように、そして、なるべく体を小さくして盾の陰に隠れるように。


「ケイスケ君っ!」

「大丈夫だ、アシュリー。お前は俺が守ってみせる!」

「――――!」


 ゴブリン・シャーマンが杖を振り上げた。

 完成した火球は先ほどよりも一回り大きいように見える。


(やるしかねぇっ!!)


 慧介が強く歯を食いしばったそのとき、ゴブリン・シャーマンが杖を振り下ろした。


 だが、その火球がゆっくりと動き出す寸前、上空から飛来した小さな炎の槍が、ゴブリン・シャーマンのつくり出した火球に吸い込まれるようにして突き刺さった。

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