10:地下空洞の死闘 1/4

「行くぞぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 慧介は不安を吹き飛ばすように叫んだ。


 頭上からアレックスの叫び声が降ってきている。

 だが、今はそんなことを気にする余裕はない。


 体の大きなゴブリンが巨大な鉈のような刃物を振り上げ走っている。


 アシュリーは自分のモーニングスターを懸命に構えているが、ただ構えるだけでやっとの状態である。敵の攻撃を受け止めることなどできるとは思えない。


 慧介は落下しながら、ここ数日ずっと世話になっているスキルを発動する。


 ――【ソリッド・スタンス】!


 全身が鋼に変わったような感覚。

 祈るような気持ちで迫り来る地面を見つめる。


(頼む! もってくれ! でなきゃ何の意味もないんだ!!)


 一瞬の後、地響きを立てて慧介は地下空洞の床面に着地した。

 地面の石が砕けてひびが入り、細かい石片が周囲に飛び散った。

 全身の骨が軋み、体中を衝撃が駆け巡る。

 数瞬の後、大きく膝を曲げて腰を落とした姿勢から、慧介はゆっくりと体を持ち上げた。


(――ぐっ! ……いける! ギリギリ耐えた!)


 足腰には未だにしびれるような感覚があるが、骨は折れていないし筋肉が断裂しているということも恐らくない。


「ケイスケ君っ!?」


 驚いたアシュリーが叫ぶ。

 慧介は口の端に笑みを浮かべた。


「大丈夫だっ!! そのままじっとしてろ!!」


 ゴブリン達は突然のちん入者にやや驚いたようだ。

 体の小さなゴブリンは手に持った松明をこちらに掲げているし、シャーマンも足を止めてこちらを警戒していた。


「ゴァァァァァァァァァァッ!!」


 だが、先頭の大きなゴブリンが雄叫びを上げると、ゴブリン達は一斉にアシュリー目がけて駆けだした。シャーマンはその場で魔法の詠唱を始める。


 慧介は勢いをつけて穴に飛び込んだためにアシュリーからは少し離れた位置に着地していた。

 アシュリーとの距離はざっと八メートル。

 そして、【ソリッド・スタンス】を解除しなければアシュリーの側に移動することはできない。


『てめぇらの相手は俺だぁーーーーーーーーーーーーっ!!』


 魔力の込められた絶叫。

挑発トーント】の力がゴブリン達に浴びせられ、本能的な怒りを呼び覚ます。


「グギャァァァァァァァァァァッ!」


 五匹のゴブリンが目を血走らせ、慧介目がけて一斉に殺到してくる。


「そうだっ! かかって来やがれっ!!」


 慧介は魔剣グアダーナを引き抜きざまに風の刃を一撃、小さなゴブリン目がけて放った。

 高速で飛翔した風の刃はゴブリンの一匹が持っていた木製棍棒を斬りつけ、さらに奥にある首筋を狙い違わず断ち切った。

 首から大量の血を噴き出したゴブリンはその場に倒れてジタバタ暴れ出す。


(まず一匹!)


 だが、慧介が次の攻撃に移るより早く、眼前まで迫ってきた体の大きなゴブリンが巨大な鉈を慧介目がけて振り下ろした。


「――ぐぅっ!?」


 重い一撃だった。

 防御した盾がはじき飛ばされるのではないかと思うほどの衝撃。

 恐らく【ソリッド・スタンス】発動中でなければ間違いなく吹っ飛ばされていただろう。


 慧介は大ゴブリンの肩口目がけて剣を袈裟懸けに振り下ろした。

 だが、あろうことか大ゴブリンは剣を素手で受け止めてしまう。


「――!? 野郎っ!」


 剣を引こうとするがびくともしない。

 大ゴブリンの手にはうっすらと血がにじんでいるがそれだけだ。切断するには至らない。


(まじかよっ――! いくらなんでも固すぎだろっ!?)


 大ゴブリンはそのまま右手の鉈に力を込めて慧介と鍔競り合いのような状態になる。

 目線の高さは慧介よりも少し下程度。普通のゴブリンと比べたらかなり大きいが、それでも慧介のほうが一回り大きい。

 だが、次第に慧介の方がジリジリと押されていく。


(やばいっ! まさか――!?)


 慧介は思わず【鑑定】スキルを発動していた。

 レベル8のコボルトと相対したときのような、怖気の走る感覚があった。


[ ホブゴブリン|LV12|スキル:ハード・スキン

 亜人の一種であるゴブリンの変異種。群れの中から希に生まれてくる。普通のゴブリンよりも体が大きく力も強いが、本質的にはゴブリンと変わりはない ]



(っざけんなっ! レベル12って……いくらなんでも無理だろっ!?)


 慧介とホブゴブリンのレベル差は倍以上だ。

 しかも、明らかに格下の種族であったコボルトと違い、ホブゴブリンは見た目だけなら人間に引けをとらない体格をしている。


 だが、慧介には最早引く道など残されていない。

 絶望的な気分を無理矢理押し殺し、歯を食いしばって耐えるしかない。


「ケイスケ君っ! 危ないっ!!」


 アシュリーの絶叫が地下空洞に響き渡る。


 遅れてやってきたゴブリン三匹が棍棒や手斧を慧介目がけて振り下ろしてきた。

 もとより両手は塞がれている。避ける暇すらなく、それらの攻撃を体でそのまま受け止めた。

 だが、ゴブリン達が放った攻撃は耐えられないレベルのものではなかった。

 かなりギリギリだがこちらの防御が相手の攻撃力を上回っている。

 革の鎧に食い込むことすらなく、薄皮一枚隔てたところで弾かれた。

 驚いたゴブリン達が自分の武器と慧介を交互に見ている。


(いけるか――? ホブゴブリンにさえ気をつければ……)


「ゴガァァァァッ!!」


 ホブゴブリンが吠える。

 鍛え上げられたホブゴブリンの腕がさらにふくれあがり、鉈に込められた力が増す。

 慧介の足はズルズルと地を滑り始めた。


「くっ……!」


 その時、慧介から離れた位置に立ち止まっていたゴブリン・シャーマンが奇声を発した。


「キェェェェァーーーーーーーーッ!!」


 獣の骨で作られたと思しき歪な杖をグルグルと振り回している。

 杖の先から迸る炎が渦を巻き、空中にサッカーボール大の炎の塊が形成される。

 ゴブリン・シャーマンは手に持った杖を振り下ろした。


(――――なっ!?)


 ホブゴブリンの肩越しにその光景を目の当たりにした慧介は驚愕に目を瞠った。


(――【挑発トーント】が効いていないっ!?)


 考えられる原因は二つ。


 一つは効果範囲外。

 ゴブリン・シャーマンは他のゴブリン達より離れた位置に立っていた。そのために【挑発トーント】の効果範囲に入っていなかったのかもしれないということ。


 もう一つは抵抗。

挑発トーント】は敵の精神に作用するスキルだ。

 スキル使用者の半径数メートル以内の敵を怒らせて、強制的にスキル使用者を攻撃対象に変更させるという効果を持っている。

 だが、精神力の高い相手にはこの手の精神的作用をもたらすスキルは効きにくい。

 ゴブリン・シャーマンのように魔法を扱う魔物は得てして高い抵抗力を持っているのだ。


 慧介にはそんなところにまで気を回すような余裕はなかった。


 時間がスローモーションで流れるような錯覚の中、慧介はアシュリーを見た。

 愛らしい顔は泥と涙で汚れ、苦痛に歪められている。

 震える両手でモーニングスターを握りしめ、地面に座り込んだまま必死に腕を前に突き出していた。

 盾はない。手に持っていたはずのラウンド・シールドは落下した拍子に転がり、アシュリーから十メートル以上離れた位置に落っこちていた。


 ゴブリン・シャーマンの杖先から、炎球がゆっくりと放たれた。


 唸りを上げて迫る炎の塊を見て、アシュリーの瞳が絶望に染まる。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 自分でも気づかぬうちに、慧介は絶叫していた。

 魔剣グアダーナの刀身が緑色に輝き、刀身から連続で生み出された風の刃がホブゴブリンの手を刻み、抉っていく。


「グガァァッ!?」


 たまらずホブゴブリンが剣から手を離した。


 その隙を突いて、盾をホブゴブリンに向けて押し込み、鉈に【シールド・バッシュ】を発動する。

 衝撃。

 ホブゴブリンの右腕が大きく弾かれ、体が後ろに傾いた。


 しつこく攻撃を繰り返していた右手側のゴブリン目がけて剣を振り下ろす。肩口に叩きつけられた剣はゴブリンの胸郭に食い込み、続いて生み出された風の刃を助けにして小さな体躯を袈裟懸けに切り裂いた。


 瞬間、【ソリッド・スタンス】を解除した慧介は全速力で駆け出した。

 たった数メートルの距離がひどく遠く思えた。

 思うように前に進まない足がもどかしい。


 それでも、ギリギリのところで慧介はアシュリーの前にその身を投げ出した。

 金属製のカイトシールドを炎球の軌道を塞ぐように掲げる。


 瞬間、燃えさかる炎の塊が盾に触れ、耳をつんざくような轟音と共に、大爆発を巻き起こした。

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