9:地下大空洞

「あぁぁぁぁぁぁぁっ――!?」


 細い悲鳴を上げて、アシュリーは崩れた床ごと奈落の下へ落ちていった。


「アシュリー!?」


 慧介は倒れた祭壇の残骸を回り込んで穴から下を覗き込もうとした。

 が、そんな慧介をアレックスが引き止める。


「馬鹿野郎っ! うかつに近づくなっ!」

「!?」


 慧介の足元で地面が再び崩れ、二、三十センチ大の石片が複数、ガラガラと崩れて落ちていく。

 突然足元の地面を失ってバランスを崩した慧介はアレックスと共に尻餅をついた。


「ぐっ!」

「メラニー! 灯りを頼む! 下にやってくれ!」

「う、うん!」


 駆け寄ってきたメラニーが頭上で煌々と輝いていたライト・オーブを操作する。


 直径五,六メートル程もある穴をくぐって床下の空間へ降りていった光球が照らし出したのは巨大な地下空洞だった。

 ざっと見えるだけでも今いるドームの数倍から十数倍の空間がある。


「――なっ!? んだこれっ! アシュリーは無事かっ!? メラニー! もっと下だ!」


 アレックスの指示に従って光球は穴の真下を照らす。

 崩落した洞窟の床が作った瓦礫の山に乗っかるように、アシュリーが倒れていた。


「くそっ! まじかよっ! 高すぎる!」


 穴から下の床まで目測で二十メートル近くはあるように見えた。

 いくら身体強化されたこの世界の冒険者であっても、慧介やアレックス達のレベルでは怪我なく着地できるような高さではない。


 アレックスは一瞬の逡巡の後、仲間に指示を出した。


「サンディ! お前は今すぐ戻ってジェイドさんにこのことを報せてこい! マルスはサンディについてやってくれ!」

「わかったよ!」

「待って! 大丈夫! 連絡ぐらい一人でできるわ! 私一人で行くからマルスは残ってて!」


 サンディはそのまま通信機を握りしめて駆けだした。


「――気をつけろよっ!」


 アレックスはサンディの背中に呼びかけてから再び穴の下へと意識を戻した。


「アシュリーーーー!!」


 慧介が穴に取り付くようにして叫ぶと、アシュリーの体がピクリと動いた。

 ゆっくりと上半身を起こす。

 その様子を見た慧介達はほっと胸をなで下ろした。


「よかった! 生きてるみたい……」


 メラニーの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「アシュリー! 無事かっ!?」


 アレックスが呼びかける。

 アシュリーは少しまぶしそうに上を見上げて立ち上がろうとした。

 だが、思うように足が動かずにつんのめるように倒れ伏してしまう。

 その瞬間、足を刺し貫かれるような激痛にくぐもった悲鳴を上げる。


「うぁぁっ――!!」


 大粒の汗が浮かびあがる顔を歪めて自らの足を確認すると、左足が不自然な方向に折れ曲がっていた。


「まずいよ! 大怪我してる!」


 アシュリーの足の状態に気づいたマルセイエフが叫ぶ。


「ち、治療は!? 自分でできるんじゃないのかっ!?」


 アシュリーは傷を癒やす回復魔法を使える〈クレリック〉だ。

 自分で治療できるのではないかと慧介は考えたのだが、アレックスとマルセイエフは固い表情でそれを否定した。


「今の状態じゃ無理だ! 怪我が重すぎるし、アシュリーのレベルはそんなに高くねぇ!」

「持続型の魔法をちゃんと使うには集中力が必要なんだ。あんな状態じゃまともに集中できない!」

「じゃぁ、どうすればいいんだっ!?」


 慧介は突然降って湧いた窮状に半ばパニック状態になっていた。思わず声を荒らげる。


「落ち着け、ケイ! ポーションを使ってとりあえず痛みを和らげてやるんだ。俺が持ってるポーションじゃ完全に傷を治すような効果はねぇけど、ある程度治療できたら後はアシュリーの魔法でもなんとか時間を掛けりゃ治せるはずだ」

「そ、そっか! じゃぁ早くしないと!」

「わかってる! まずロープを繋ぐんだ。一本じゃ長さが足りねぇ。マルス!」


 アレックスは自分とマルセイエフのロープを結び始めた。慧介とマルセイエフは二手に分かれてロープの端を結びつけるのに適当なところがないか辺りを探す。


 真っ先に目をつけたのは倒れてしまった祭壇だ。

 だが、祭壇の木材は完全に腐っていたらしく、倒れた衝撃でバラバラに砕けている。地面に固定されていた部分があったわけでもなく、支えとするには不十分だった。


 他に縄をかけられそうなものは何も見当たらなかった。


「くそっ! どうすれば――!」

「――待って! 下! 何か来てる!」


 メラニーの叫び声に慧介は穴の方へと駆け戻った。


 地下空洞の壁、アシュリーがいる床面からは少し高い位置に空いた穴の奥から、松明らしき赤い炎が揺らめきながら地下空洞へと侵入してきていた。

 そのまま床面まで続く階段を駆け降りてくる。


「ゴブリンだわ!」

「メラニー! 今すぐ灯りを消せ!」

「無駄よ! もうアシュリーに気づいてる! このままじゃ――!」


 メラニーが震える手で自分の口元を覆った。


「ちぃっ!」


 ゴブリンの数は六体。

 魔法を使えるゴブリン・シャーマンを中心にして、先頭に一際体の大きいゴブリンが一体、そして外の砦で見たのと同じくらいのゴブリンが四体、松明を手に持って周囲を照らしている。

 明らかにアシュリーの方を示して騒ぎ立てていた。


「このままじゃやべぇぞっ! どっかロープを結べるとこはないのかっ!?」

「ダメだ! 何もないっ!」


 ドームの真ん中から周囲を見回したマルセイエフが叫ぶ。


 洞窟の壁面はどこまでもごつごつとした岩肌を晒している。

 そこに縄を引っかけられるような突起はないし、鍾乳洞で見られるような石柱もここにはない。


「仕方ねぇっ! 戻ってこいっ! 自力で支えるんだっ! 俺が降りるから三人でロープを持ってくれ!」

「冗談でしょっ!? 一人で降りてどうするのよっ!? 次の人を降ろす前にあっという間に囲まれちゃう! 死にに行くようなものだわ!」


 アレックスの言葉にメラニーが悲痛な叫びを上げる。


「アシュリーを見殺しにはできねぇっ! いいからさっさとロープを持て! メラニー!」


 アレックスの迫力に押されて、メラニーは渋々ロープを手に取った。

 新たな崩落に巻き込まれて諸共に落下するリスクを少しでも回避するために、穴から数メートル下がる。

 そこでマルセイエフが戻るのを待った。


 アレックスは自分の体にロープを巻き付けている。


 そうしている間にもゴブリン達はアシュリー目がけて一目散に走り出していた。

 このままではどう考えてもアシュリーの元に先にたどり着くのはゴブリンの方だ。

 今すぐアレックスが降りていったとしても到底間に合いそうにない。


「――ケイ! 何やってる! お前も早く向こうでロープを持て!」

「ダメだ! もう間に合わないっ!」


 慧介は穴から下を覗き込んだ。

 まるでビルの屋上から遥か下の地面を覗き込むようだ。

 心臓の鼓動が高くなってくる。

 ゴブリンの一団は、ぎゃぁぎゃぁと喚き散らしながらアシュリーの元へと一直線に向かっている。

 もう、時間がない。

 助走をつけるために数歩後ろに下がる。


「ケイ……!? お前、何をする気だっ!? やめろっ!」


 アレックスが叫ぶ。


「大丈夫。考えがあるんだ。援護を頼む――」


 慧介は震える手を強く握りしめた。

 大丈夫。

 きっといけるはずだ。


「馬鹿野郎っ! 待てっ!!」


 アレックスが慧介の腕を掴もうと手を伸ばす。


 その手が届く寸前、慧介は穴の中へと自ら身を躍らせた。

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