挿話

 老人は倒れた柱に腰掛けて、ただ、静かにその時を待っていた。

 待つことには慣れている。

 いつの間にか、目を閉じて鼻歌など歌い始めていた。


 どこか哀愁を誘う古い歌が三度目のサビに突入したとき、突然歌声が二重奏に変わる。

 一拍遅れてそれに気がついた老人は、笑みを浮かべてゆっくりと目を開いた。


 濃い霧の向こう、ゆらゆらと揺らぐ巨大な影が見える。

 音もなく現れた彼女は、楽しそうに、哀しそうに、遙か昔に聞き覚えた歌を口ずさんでいた。


 老人は彼女に向かって膝を突き、祈りを捧げるように胸の前で拳を組み合わせた。


「お戻りになったのですね」

「……あら。もう歌はおしまい? とても残念だわ」

「あぁ! あぁ! これは気が利きませんで。全く申し訳ございません」


 老人が生真面目に謝罪すると、彼女はクスクスと笑った。


「いいえ、いいのよ。久しぶりに聞いたから、つい嬉しくなってしまって……」


 彼女は遙か遠い時代に思いを馳せる。

 ゆっくりと懐かしむように遠くを見つめた後、彼女は足元の小さき者に視線を戻した。


「ごめんなさいね。待たせてしまったのかしら?」

「いえ。待つのも私の務めでございますから」

「そう……。あなたがいてくれて、とても助かるわ」

「もったいないお言葉です」

「ねぇ。ちょっと聞いてくれるかしら? 私、あなたに話したいことがあるのよ」


 今日の彼女は上機嫌だった。

 はしゃぎ回る幼子のように、巨大な影が揺れている。


 老人は、人の街に紛れ込んだ土産話を聞かされるのだと思った。

 彼女の機嫌がいいときは、大抵がそんなお忍び旅行の後だ。


 しかし、続く言葉に老人は驚いた。

 彼女は人の街へ行っていたわけではなかった。


「私ね、狭間の世界へ行ってきたのよ。そこでとても面白い子を見つけたの。もしかしたら、あの子こそが、私がずっと探していた”鍵”なのかもしれない」

「なんと……。それほど強い運命力を持つ者を見つけてこられたのですか?」


 老人は尋ねる。

 彼女は今までにも幾多の英雄を見つけ出してはここに連れてきた。

 この世界の運命を覆すには、相応に大きな運命を持つ英雄が必要なのだと信じていたから。

 だが、彼女の返答は老人の予想を裏切るものだった。


「いいえ、その逆よ。……私ね、を見つけてしまったの――」

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