7:一時の離脱と新たな決意 2/2
「――ケイ? 思い出せたのかね?」
ティティスが心配そうに慧介の顔を覗き込んでいる。
慧介はハッと我に返った。
「あっ、はい! 思い出しました! 全部! 迷惑かけてすいませんでした!」
「いや、謝らなくていい。魔法の心得がない君にあの話をしてしまったのは早計だったかもしれない。せめてもう少し待ってから伝えるべきだったと反省しているよ。すまなかったね、ケイ」
「い、いや、そんなこと――!」
互いに幾度も謝罪を繰り返した後、二人は帰路を急いでいた。
慧介が数時間気を失っていたうえに精神力を使い果たしてしまったため、この日のレベル上げは控えた方がいいだろうということになったのだ。
ちなみに、慧介が風の刃で斬りつけたコボルトは胸に深手を負っていたが、倒しきれなかったためにティティスがとどめを刺したとのことだった。
つまり、一日の成果がコボルトたった一匹+αである。
「なに、こんな日もあるさ。気を落とすことはないよ」
がっくりと肩を落として歩く慧介をティティスが慰める。
しかし慧介は、未だ手に残るあの感触が消えてくれないために、ティティスの顔をまともに見ることができなかった。
そんな慧介の態度がますますティティスを心配させてしまい、それを見た慧介がまた申し訳ない気持ちでいっぱいになり、二人は悪循環へとはまり込んでいた。
そんな二人がグラウス平原から灰色迷宮へと繋がる出口を目指して歩いていたときのことだった。
「おや? あれは……」
ティティスの声に慧介は顔を上げた。
背の高い彼女の顔を見上げると、ティティスは左前方の辺りを注視していた。
慧介もそちらを見る。
すると、そこにキアがいた。
彼女も別方向から出口に向かって歩いているところのようだ。
「おーーい! キアーーっ!」
慧介は大声で呼びかけながらキアの元へと駆け寄った。
ティティスと二人きりでいることが若干気まずかったということもあるが、偶然出会えたことが単純に嬉しくもあった。
こちらに気づいたキアが笑顔で右手を振っている。
「キア! 今、帰り――――ってちょっとそれっ!?」
慧介の笑顔が瞬間、凍り付く。
キアは左腕に怪我をしていたのだ。
太い矢が腕に突き刺さったまま放置されている。
布の切れ端できつく縛られた腕からは赤い血が滴っている。
さっきまで落ち込んでいたことなどすっかりどこかへ吹っ飛んでしまった。
「何それ!? どうしたの!?」
キアは左腕の矢をちらと見てから表情一つ変えずに「なんでもない」と答えた。
「なんでもないことないだろっ!? 大怪我じゃないか!? 早く治療を――! そうだ、ティティスさん!!」
「ケイ? どうかし――なっ!?」
遅れて歩いてきたティティスがキアの怪我を見て目を丸くする。
慌てて駆け寄ってきてキアの腕の傷を確認している。
慧介はその様子を横で落ち着きなく見守っていた。
「はっ、早くポーションを!!」
焦ってそう進言するが、ティティスは厳しい顔で首を横に振った。
「ダメだ! 恐らく太い血管が傷ついている。今、矢を抜けば大出血してしまうだろう。手持ちのポーションでは傷が塞ぎきれない。外にある救護室へ向かおう!」
「は、はい!」
慧介は「たいしたことはない」と言い張るキアを無理矢理抱えて一目散に走り出した。
ティティスの指示に従って、キアを抱えた慧介は冒険者ギルド簡易出張所の救護室に向けてひた走る。
キアが自分で走ったほうが余程速いはずとは、このときの慧介には思いつきもしなかった。
それほど無我夢中だったのだ。
全速力で階段を上りきってダンジョン・ゲートをくぐる。
石門の側にはギルドの簡易出張所が常設されている。
出張所はそれ自体が一隻の浮遊船である。人の出入りがしやすいように特別大きな扉が開放されており、中の様子が一目でわかるようになっている。
その中で、負傷者の応急処置や冒険者の救援要請の受理、ダンジョン内で突発的に発生した異常の報告などが迅速に行えるようになっているのだ。
慧介は息を切らせながら出張所内の救護室に駆け込んだ。
そして、キアはその場で治療を受けてすぐに回復した。
滑らかな褐色の肌には矢が刺さった痕など微塵も残されていない。
キアはたいしたことない怪我だと繰り返すが、それでティティスと慧介が納得するはずもなかった。
家に帰り着いた途端に、ティティスが柳眉を逆立ててキアを問い詰めた。
「この矢は遺跡のゴーレムが使用しているものに見えるんだが、いったいどういうことだね?」
「……」
ばつが悪いのか、キアは押し黙ったままそっぽを向いてしまう。
「一人で遺跡には行かないと約束しただろう!? どうしてそんな無茶をしたんだね!?」
「……ごめんなさい」
「――っ! ごめんじゃないだろう? キア? どうしてそんなことをしたのかと、そう聞いているんだよ、私はっ!」
「ぁう~~。ひゃめて、ティティフ……」
ティティスはキアのぷにっとしたほっぺたをつまんでぎゅぅと引っ張っていた。
母親が娘を叱るような光景に慧介は少しほっこりしてしまう。
しかし、叱り方自体は幼子をしつけるようなものだったが、ティティスが本気で怒っていることは明白だった。
矢が刺さったのが左腕だからまだ良かったものの、あれがもしも足や胸にでも刺さっていたとしたら……。
考えただけでもぞっとする。
慧介は思わず身震いした。
ようやく頬を解放されたキアは涙目で痛むほっぺたをさすっていた。
冷静さを取り戻したティティスがキアに再び問いかける。
「キア、答えてくれ。何故遺跡に行ったんだ? いくら君でも一人で行くのは危険すぎる。それぐらいはわかっているはずだろう?」
キアが小さな手で頬をさすりながら、上目遣いでティティスを見上げる。
「……前に行ったとき、取れなかった魔導具があったから……」
「――!? まさか……ゴーレムだらけの部屋の隅に転がっていたあれかっ!?」
「そうっ! これっ!」
キアは嬉しそうに傍らの袋から片手斧を引っ張り出した。
流線型が美しく、束頭から刃に至るまで細かな装飾が施されている。
やはり斧が好きなのだろうかと、慧介は場違いな感想を持った。
「そんな物のためになんて無茶を――」
ティティスは額に手を押し当ててがっくりとうなだれてしまった。
呆れてものも言えない。
そんな感じであった。
「……危険だから手を出すのはまずいとあのとき言ったのに……」
顔を手のひらで覆ったまま、ティティスがぼそりと呟く。
「……でも、取って逃げるだけならなんとかなるかなって思った……」
「確かにね。君一人なら、私が一緒にいるよりも逃げきれる確率は高いだろうさ」
「うん! ギリギリで持って帰れた!」
「それはよかったね……」
あっけらかんとしたキアの態度に、ティティスが大きな大きなため息をついた。
先ほどまでニコニコと戦利品を眺めていたキアが途端に表情を曇らせる。
オロオロと手をばたつかせて慌てふためく。
「ち、違う! ティティスが邪魔だったわけじゃない! 二人には二人のいいところがあるし、一人には一人の――」
「ええい! そんなことに落ち込んでいるわけじゃぁないよ、私は! わからないのかね、キア!」
がばっと顔を上げたティティスが再びキアの頬をぎゅむっとつねる。
「ふぁぅぅ~~、ひゃめてぇ~~」
「全く、君って
「ま、まぁまぁ、ティティスさん、もうその辺で……。キアも反省してますよ。……た、多分」
見かねた慧介がとりなすようにそう言うと、キアのほっぺたがようやく解放された。
普段からぷにぷにした頬はいつもより二割増しでふっくらしているように見えた。
ティティスは珍しく皺の寄った眉間を指先で触っている。
「あぁ……こうなってしまった以上、このまま済ますわけにもいくまい。やはり、ケイが言っていた通りにしよう。ケイは同レベル帯の仲間を募って目標値までレベリングを。キアと私は今まで通り、遺跡でもなんでも、それなりの収入が入る仕事を二人で探して金を稼ぐ。当面はそれでいいね? ケイ?」
「あぁ、はい。俺は構いませんよ。元からそうしたほうがいいかなって思ってましたし」
個人的にもキアのことが心配な慧介はこの提案を快諾する。
「ダメっ! ケイ一人じゃ心配っ!」
「どの口がそんなことを言うのかな? 人の話を全く聞いていないようじゃないか? ん?」
キアが異議を唱えると、ティティスが両手をゆっくりと掲げて指を動かして見せる。
キアは青い顔で自分の頬を押さえて後ずさりした。
それでもなお、最後の抵抗を試みる。
「……でも、ケイはまだ危ない。せめてもう少しレベルが上がるまで一緒にいたほうがいい……と思う……」
「大怪我をして帰って来ておきながら何を言っているのかな? むしろ『心配なのは君の方だ』と、我々がそう言っているのがわからないのかい?」
「――!? そ、そんな馬鹿なことが……?」
受け入れがたい事実にキアが衝撃を受ける。
わなわなとその手を震わせている。
「これは決定事項だ。どうあっても従ってもらうよ、キア」
その後もキアはああだこうだと渋ったが、結局ティティスの剣幕に押し切られてとうとうあきらめたようだった。
慧介は不安そうな眼差しで自分を見つめるキアに「大丈夫だよ」と微笑んだ。
寝室で一人寝転びながら、見慣れぬ天井を眺める。
まだこの世界にやって来てからたった五日。
それでも、新たな目標を定めた慧介は不思議な高揚感に包まれていた。
不安や緊張もないわけではない。
だが、今はそれ以上にやる気に満ちていた。
また明日から、新たな冒険の日々が始まるのだと――――。
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