2:居酒屋の祝宴
「乾杯~~!」
慧介達は今、ゼメシス=グラウスはホーソーン島の一角にある小さな居酒屋にやって来ていた。古めかしいけれど味わいがあり、居酒屋にしてはちょっと落ち着いた雰囲気の店だった。
ホーソーン島にはこの他にもたくさんの居酒屋がある。
冒険者ギルドにも酒場が併設されているのだが、あちらは客が多すぎて落ち着かないために、ティティスおすすめのこの店にやって来た次第である。
今回は慧介が正式にキアとティティスのパーティーに参加したこと、そして慧介の〈シールダー〉としてのレベルが無事3に上がったことを祝しての宴会だった。
互いのグラスを軽く打ち付けあうと、一人だけゼメシス=グラウス名物のグラウス・エールを注文していたティティスが喉を鳴らしながら一気に飲み干した。
「は~~~~っ!」
慧介は上手そうに酒をあおるティティスをあっけにとられた顔で見ていた。自分のグラスはまだちょっと口をつけた程度だが、彼女の大きなグラスはあっという間に空になってしまった。
同じく隣からティティスの様子を見ていたキアは、小さな口で飲み物――ジンジャーエール――を三分の一ほど飲んでは唇を尖らせていた。
「悪いね。一人だけお酒を飲ませてもらって」
「いえ、構いませんよ。俺は自分で飲まないって断っただけですし。むしろつきあいが悪くてすみません」
「二十歳にならないとお酒が飲めないとは驚きだよ。ケイの世界では随分と制限が厳しいんだね」
「まぁ、中には十六歳ぐらいから飲める国なんかもあるんですけどね。今そんなルールを守るべきかどうかもよくわからないんですけど」
「……どうして私もお酒を飲んだらいけないの……」
慧介がティティスと語らっていると、先ほどから一人不機嫌そうな顔をしていたキアが頬を膨らませて抗議する。
「それは仕方がないだろう。何も一滴も飲むなとは言っていないよ。まずは食事をして、最後に注文して飲めばいいと言っただけさ。酒が入ったらどうなるかぐらい、いい加減自分でもわかっているはずだろう?」
「……むぅぅ」
キアは納得いかない顔をしたまま残りのジンジャーエールを一気にあおった。
慧介はテーブルに身を乗り出してティティスに顔を寄せて小声で尋ねた。
「キア、酒癖が悪いんですか?」
ティティスも応じてテーブルに肘をついて顔を寄せる。大きな胸がテーブルの上にずっしりと乗っかる格好となった。
「いいか悪いかと聞かれると微妙なところなのだが……私としては、悪くはないと思うよ。酔って手当たり次第に暴れ出すわけではないからね」
「……? じゃぁ、なんで止めるんですか?」
「うむ。先に飲むと都合が悪いのさ。扱いには少々気をつけないといけないしね。まぁ、すぐにわかるよ。どうせ後で飲むだろうからね」
「はぁ……」
意味ありげにウィンクを一つよこしてティティスは自分の席に腰を下ろした。
手を挙げて店員を呼び止めて早速おかわりを注文している。
慧介がここ数日見てきた中で、多分今のティティスが一番生き生きしている。彼女は食に関する事柄への興味、欲求がとても強いようだった。
しばらく待っていると店員が次々と料理を持って来た。
慧介はあまり目にしたことがないような見た目のものばかりだったが、湯気と共にスパイスやハーブの香りが鼻腔をくすぐり、こんがりといい色に焼き上がった肉料理の色つやもあいまってとても食欲をそそる。
最初のうちはほとんど話もせずに夢中で料理を頬張った。
キアは元々積極的に話を振ってくるタイプではないために、ティティスの口が食べ物で埋まってしまうと自然に会話は少なくなる。
慧介は自身も食事を進めながらちらとキアの様子を窺った。
大きな骨付き肉に夢中でかぶりついている。先ほどまでの不満はとりあえず忘れてくれたようだ。
あらかた料理が片付いてしまうと、自然と今後のパーティーの行動指針に関する話題となる。
小皿に盛られた料理をつまみながら、グラスを片手に語り合う。
「実際のところ、レベル十五ってどれくらいでなれるもんなんでしょうか?」
「そうだな……。我々も低レベル冒険者の育成経験があるわけではないから、はっきりとしたことはわからないんだが、早ければ二,三ヶ月でなんとかなるんじゃないかな」
ティティスはこの日何杯目になるかわからないグラスを呷った。平素は凛として余裕を感じさせる彼女であるが、今は頬をほんのり朱に染めてどことなく表情も緩んでいるように見えた。
「二、三ヶ月ですか……」
独り言のように呟きながら慧介も本日三杯目のグラスを呷った。ちなみに中身はお茶である。味も見た目もウーロン茶にとてもよく似ている。試しに鑑定してみたら全く知らない植物の名前が説明文に書いてあったが。
慧介は今、当面の目標として〈シールダー〉のレベルを十五まで上げることを目指している。
それは、慧介が「自分もダンジョンに行く」と宣言した後のことである。
三人で様々な議論を交わした結果、慧介が最も早く、かつ安全にキア達の探索に同行するには、〈シールダー〉という
キア達が現在メインの探索場所にしているのは、慧介がキア達と出会った森のさらに奥深くに点在する遺跡群であった。そこは比較的新しい時代の遺跡なのだが、様々なトラップや魔物、魔導仕掛けの強力な番人が存在しており、周辺一帯では群をぬいて難易度が高い。
冒険者ギルドが今までに蓄積されたデータから導き出した、この遺跡の探索適性レベルは”二十五以上”。これは最低でも四人のパーティーを組んだ場合を想定している。
ただし、なるべく犠牲者を出したくないというギルドの都合上、数値はけっこう上に設定されていると考えていい。つまりは平均レベルが二十、欲を言えば二十前半程度であれば、余程運が悪くない限りは大丈夫というのが一般的な冒険者達の考えである。
しかし、キアとティティスは現状、二人だけでこの遺跡から魔導具を持ち帰ることが可能である。
であれば、慧介が足手まといにさえならなければ三人での探索も不可能ではないということになる。
そこで思い至ったのが、この世界に数あるクラスの中でも抜きんでて防御に優れるという〈シールダー〉だった。他のクラスでは一撃が致命傷になりかねないような攻撃であっても、〈シールダー〉ならまだ安全というわけだ。低レベルでも、二人についていって魔導具鑑定する程度のことはできるはずである。
そう結論づけた三人は翌日、早速、〈シールダー〉の神〈ファムシール〉を祀る神殿へと赴いた。
そこで慧介は神との契約を交わし、晴れて〈シールダー〉という職にありついたのである。
契約を結んだことにより〈ファムシール〉の加護を得た慧介は飛躍的に身体能力が上昇した。
初日にはキアの背中に背負われながら、死ぬような思いで見ていることしかできなかったどう猛なグラスウルフにも、晴れて本日、自分の身一つでぶつかり合えるようになったのだった。
「……今あるお金だけじゃ三ヶ月家賃を払うことはできない」
キアが大きなグラスを抱えるようにして言った。
「そうだね……」
ティティスは相づちを打ちながらも、どこかぼんやりとした表情でグラスの縁を指でそっと撫でている。少し酔っているのだろうか。トロンとした表情がなまめかしい。普段の彼女らしからぬ艶めいた仕草に、慧介の胸は自然と高まった。誤魔化すように、赤くなった顔をうつむける。
三人がなるべく早めに探索に行けるようになりたいと考える理由は結局そこにあった。
世知辛いことだけれど、生きていくためにはどうしても”金”が必要なのだ。
家主の好意から相場よりも格安で借り受けているキア達の家は、大きな暖炉室に個室が合計四つ、さらに物置が一つ、水回りがちゃんとしたキッチンにトイレも完備という、この辺りではかなり条件のいい家である。風呂こそついていないものの、ホーソーン島にはたくさんの公衆浴場があるし、ティティスの【ピュリフィケーション】という魔法を使えば身体も衣服もあっという間に清浄にできるためほとんど不便はない。
ホーソーン島は冒険者の初心者が集まる島であり、かつ、ダンジョンにおける低難易度の入り口に一番近い島でもある。
島内の人口密度はゼメシスに数ある島の中でも群をぬいて高い。
一度出てしまったらこんな好条件の物件、もう二度と見つからないだろう。
「――ふむ。あまり焦るのはよくない。きっとなんとかなるさ……。私はね、ケイになら大概のことがどうにかなってしまうのではないかと、そんな風に思えてしかたないんだ」
ティティスは何かを思い出すように笑っている。
あの日、二人の前で格好つけて大見得を切ったことを思い出し、慧介の顔は、酒を飲んでもいないのに真っ赤になってしまった。
「う……。あのことは勘弁してくださいよ。自分でも恥ずかしいことを言っちゃったなって反省しているんですから」
「いやいや、何も恥じることなどないよ。本当に、私は君を高く買っているんだ。君が将来大物になるという発言を撤回するつもりもない。信用してくれていいよ。精霊使いは普通の人間よりもずっと直感が働くんだ」
そう言ってティティスは微笑んだ。
「……ケイはもう、十分にすごい」
それは【鑑定】という希有なスキルを持っていることを示しているのだろう。
キアも慧介を持ち上げて、残りわずかだったジンジャーエールを飲み干す。おもむろに隣のティティスを見上げて尋ねる。
「……もう飲んでもいい?」
「ん? あぁ、食事が済んだのなら、構わないよ。好きなだけ飲むといい。ただし、注文は一杯ずつだ」
「うん!」
キアは小さな身体をめいっぱい伸ばして店員を呼び止める。
酒を注文すると店員が一瞬眉をひそめたが、キアが妖精族の一種であり、すでに十八歳であるということをティティスが告げると、笑顔で注文を承って厨房へと戻っていった。
すぐに運ばれてきたのはガリカ・エール。
見た目はティティスが飲んでいたものとほとんど変わらない色合いだが、一瞬、慧介のところにも、薔薇のような甘い花の香りが微かに漂ってきた。少し癖があるため好き嫌いがあるが、一部の妖精族に人気があるエール酒である。
キアは嬉しそうにグラスを呷った。
小さな喉を一生懸命動かして一息にエールを飲み干すと、「ぷはーっ」と甘い――比喩ではなく本当に甘い香りがする――息を吐いて、すぐにテーブルに頬を預けて目を閉じてしまった。
慧介はしばらくじっとキアを見つめていたが、全く動き出す気配がなかった。
「……寝ちゃったんですか?」
「うん。アルコールが入るとすぐに寝てしまうんだよ」
「あ。じゃぁ、それで?」
「あぁ。先に飲んでしまうと食事が取れなくなってしまうからね。だから、食前酒は控えるように言っているわけさ」
慧介とティティスは幼子のように安らかな顔で眠る仲間を微笑ましい気持ちでしばらく眺めていた。
「さてと。それではそろそろ帰るとしようか。ケイ、悪いがキアを頼んでもいいかな?」
「あ、はい。勿論」
ティティスが店員を呼んで会計を済ませる。慧介に屈むように頼むと、その背中にキアをそっと乗せた。
慧介はキアの身体をしっかりと支えて立ち上がった。
背中におぶったキアが羽根のように軽く感じられた。キアの体重が元々軽いということに加えて、〈ファムシール〉の加護を得たことで大幅に強化された筋力の影響も大きいのだろう。
二人は揃って居酒屋を出た。
島の外壁にへばりつくように建てられた、ちょっと恐ろしいけれど愛しい我が家へ向けて、ゆっくり歩いて行く。
「あぁ、そう言えば……。ケイ、一つ注意しておくのを忘れていたのだが、キアに決して衝撃を与えないように、そこだけは十分気をつけてくれたまえ」
「え……? ちょっと! それ、衝撃を与えるとどうなるんですか!?」
「いや、キアは根っからの戦士でね。何か自分の身に危険が迫っていると感じると寝てても自動的に反撃に出てしまうらしいんだよ。私も最初は彼女のことを何も知らなかったからね。起こそうとちょっと強めに肩を叩いたら、あやうく腕をへし折られるところだったよ。今思い出しても冷やっとするね。ハハハハハ」
「ちょっ!? 今さらそんな!? お、俺大丈夫なんですかっ!? 〈シールダー〉になってちょっとは丈夫になってるはずですけど……」
「う~ん、ケイの今のレベルではあまり意味はないかな。でも大丈夫。強い衝撃とか、痛みとか、そういうのが引き金になるだけだから、おぶって歩くぐらいは何の問題もないさ。そうだな。とりあえずは、転ばないように気をつけてくれるかい。後はキアの動きに逆らわずにいればそれでいい」
「うぅっ……なんかすげー緊張してきた……」
「ハハハハハ」
ほろ酔い気分で楽しそうに笑うティティス。
しかし、慧介にそんな余裕はない。
身体は小さくても力は巨人のように強い。それが、キアの血の半分を占めるフェイタンという種族の特徴なのである。
キアが本気で力を入れたら慧介の身体など一瞬でぼろ雑巾である。
「んん……」
「――!?」
キアが慧介の背中で身じろぎする。
座りが悪かったのか、快適な姿勢を探るようにもぞもぞと動いては、慧介の背中にぴったりと張り付くようにして、ぐりぐりと顔を擦りつけている。
(う……。こ、これは――――)
キアはその背の低さとは違い、とても肉付きがいい。出るところはちょっと不自然とも言えるくらいにちゃんと出っ張っていた。
密着することによって、弾力のある二つのボールが慧介の背中にぎゅっと押しつけられる形となっている。こうなってくると、腕で支えている太股の感触までも、妙に意識してしまう。
(い、いかん。頑張れ、俺の理性。そうだ、素数! 素数を数えるんだ。素数、素数……あれ、素数ってなんだっけ? えぇと、確か自然数の中で、正の約数がどうたらこうたら……)
「大丈夫かい? ケイ? どうしても無理そうなら私が代わるが」
「えっ? あ、あぁいや、大丈夫ですよ。家までなら、なんとかもちそうですから」
「ん? ダンジョンから出たときはまだ余裕があると思っていたのだが、そんなに体力を消耗していたのかね? だとしたら危険だから代わったほうがいいかもしれないな……」
「いやいや、違うんですよ。体力的には全然問題ないですから!」
「……? では、何がもちそうにないんだい?」
「えっ――!? あ、あれ? 俺そんなこと言いましたっけっ!?」
「おや……。確かに言ったと思ったのだが、私も今日は少し浮かれていたからな……。珍しく酔ってしまったかな」
「け、けっこう飲んでましたからね! そうかもしれないですよ! ま、まぁ、何にせよ、俺のことなら全然大丈夫ですから!」
「ふむ……では、キアのことはやはり、ケイに任せるとしよう」
「はい。任されました!」
狭い路地を抜けて、ホーソーン島の外縁を巡る環状道路に出る。
慧介とティティスは、実にいい気分でのんびり歩いていた。お互いに、何に対して気分がよくなっていたのかはちょっと違っていたし、慧介の方には一切余裕がなかったけれど。
宵闇の中、街灯がぼんやりと照らすホーソン島の路地を横切るように、心地よい風が吹き抜けていった。
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