第三章:再来のダンジョン
1:グラウス草原の狼退治
「ぃよしっ!」
慧介は気合いを込めて己の頬を威勢良く叩いた。
小気味の良い乾いた音が周囲に鳴り響く。
「気合いは十分なようだね、ケイ」
「……絶対に無茶はしないで。私達の側を離れちゃダメ」
「わかってるって! そんなに命知らずじゃないよ、俺は」
慧介は今、再びダンジョンの元へとやって来ていた。
目の前にはあの、真珠質のマーブル模様が輝く不思議なダンジョン・ゲートがある。
ダンジョン・ゲートはこの大陸の中央に位置する巨大なダンジョンの蓋のようなものだ。その大きさはゆうに直径数百キロを超えている。ちょうど北海道がすっぽりと入ってしまうくらいの大きさだ。だから、慧介の目の前は見渡す限り全てがダンジョン・ゲートである。
その縁のところには巨大な石門が建っている。
冒険者ギルドのこれまでの調査結果から、比較的ダンジョンに出入りしやすいと判明している場所にはこうした門を建てて目印にしているのだ。
門がないところからダンジョンに入るのは非常に危険である。どこからダンジョン内部に侵入するかで行き先は全く違うものになるからだ。足を踏み入れた途端に数キロも落下して墜落死するかもしれないし、毒ガスや魔物が充満した場所に出ないとも限らない。
極めつけはどこでもない場所に出る危険性さえあるということ。そこは亜空間とか異空間とか呼ばれる次元の狭間だ。入れば死ぬことすらできずに未来永劫苦しみ続ける可能性さえある。
こう言ってしまうともう入らない方がいいのではと尻込みしてしまうかもしれないが、ダンジョン・ゲートは半透明の膜であるから、入った先がどうなっているのかはある程度見ることができる。中の様子が外から確認できるので、間違って足を踏み入れるなんてことはまずあり得ない。
「ダンジョンに侵入する前に、一つ大事なことを話しておこう。ケイ、これは命に関わる一大事だから絶対に忘れないでくれ」
慧介の隣に立つティティスが真剣な表情で前方を指さした。
「目の前に門が見えるね? ダンジョン・ゲートの手前、出入り口を示す石造りの巨大な門だ。あそこのちょうど目線の高さぐらいのところに青く輝くオーブが見えるだろう?」
「えぇ。はい。見えます」
「あれはアラームだ。正式には
慧介は力強く頷いた。
そのことは事前に教えてもらっている。ダンジョンに入るために、慧介は様々な準備を行ってきた。必要な知識の習得もその一つだ。
「はい。ダンジョンが一気に周囲の世界を飲み込んでしまう現象ですよね」
「その通りだ。念のためにもう一度話しておこうか。ダンジョンは常に、少しずつ少しずつ世界を飲み込み続けている。この大陸の端に存在する国も、じわじわとこの
「はい」
「うむ。しかしここで問題がある。ただ単にゆっくり飲み込まれるだけならばいいのだが、ダンジョンはときに一息に周辺一帯を飲み込んでしまうことがある。それがフォール・ダウンだ。フォール・ダウンが起こるときダンジョン・ゲートは真紅に輝く。この状態のゲートは絶対にくぐってはいけない。赤く輝くゲートは普段とは全く違う異質な状態になっている。くぐればあらゆる物がねじ曲げられ、生けるものは皆死ぬか、死なないまでもゲートの力によって歪で醜悪な姿に変貌してしまう。生ける屍となってダンジョンの中を永遠に彷徨い続けるなんてこともあり得る。そうなれば二度と元には戻れない。だからケイ、決して忘れてはいけないよ。”赤いダンジョン・ゲートはくぐるな”。これは冒険者の鉄則だ」
「はい。肝に銘じておきます」
「うん。それでいい。さて、それでは本題に戻ろうか。このフォールダウンには前兆がある。かなりの高確率で予測が可能だ。一年二年先のこととなるとひどく曖昧になってしまうが、数日以内であれば八割程度。数時間ならほぼ百パーセントの的中率だ。あの青く輝くオーブ、フォールダウン・アラームはそれを知らせるために設置されている。アラームが赤く光ったときはダンジョン・ゲートの近くから素早く離れ、可能な限り急いで空の上に逃げなければならない。地上を走って逃げても恐らく飲み込まれてしまうからね。わかったかい?」
「はい」
「うむ。それでは行こうか。我々三人パーティーでの初出陣だ」
「はい!」
「……出発!」
慧介達は、キアを先頭にしてダンジョンへと侵入していった。
◆◇◆
「おぉ~~、やっぱすげぇなぁ……」
慧介は眼前に広がる景色に感嘆の声を上げた。
ダンジョン脱出の際に一度見た風景ではあるが、あのときは景色に気をかけるような余裕もなかった。こうしてじっくりと眺めるのは初めてと言っても過言ではないだろう。
慧介の前に広がっているのは見渡す限り緑一色の草原フィールド。
通称グラウス草原。
今回慧介が通ったルートにおいて、入り口から数えて灰色迷宮を越えた先にある二つ目のフィールドである。
慧介が立っている場所は平坦な土地だが、遥か向こうの方にはいくつもの丘が連なる起伏に富んだ場所もある。その先にあるのが、慧介がキアとティティスの二人に出会った森林地帯である。
慧介が上を見上げると、そこには青い空が普通にあった。太陽までもがまだ低い空に輝いているのが見える。それは地上で見られる太陽と全く同じ高さに位置し、同じように動いている。
だが、この空は偽物だ。
どれだけ高く飛んでもその先に至ることは決してない。振り返ればずっと同じ高さにいることに気がつくだろう。見えない天井にぶつかることもなければ、ダンジョンの外へ脱出することができるわけでもない。
このように、ダンジョンの中では地上の法則が通用しないことが多々ある。この空もそんな不可解な現象の一つだった。
ダンジョンの研究に生涯を捧げたある学者が言った。
ここは世界の墓場だ。食いちぎられた世界の欠片が、墓穴の中にメチャクチャに降り積もっている。巨大な穴に飲み込まれ、地上から姿を消した文明と自然の全てが、静かに中で蠢いている。空があるのも特別不思議なことではない。ただ、空さえもが、地上と一緒に飲み込まれてしまっただけに過ぎないのだ、と。
「当初の予定通り、まずはグラスウルフから相手をすることになるだろう。ケイ、覚悟はいいかい?」
傍らに立つティティスが尋ねてくる。
「勿論です。やってやりますよ!」
そう答える慧介の手は、言葉とは裏腹に少し震えていた。
いや、別に怖くなんかない。これは単なる武者震いだ。
だって、自分はもうあのときの自分じゃない。
それに、自分なりの覚悟を持って、自らの意志でここまでやってきたのだから。
慧介は手の震えを誤魔化すように拳を胸の前で打ち合わせた。
そんな慧介の様子を見ていたキアが巨大な戦斧を軽々と構えて言う。
「……大丈夫。ケイは絶対に私が守るから。何も心配しなくていい」
慧介はキアを見た。
自分より背がとても低い、幼い少女にしか見えない女の子を。けれどとても頼もしい仲間を。
彼女の力は既にその一端を自らの目で確認している。
キアは幼い見た目とは裏腹に、恐ろしい膂力とスピードを持ったパワーファイターだ。
グラウス草原の魔物に遅れをとるようなやわな冒険者ではない。
「……ありがとう、キア」
気づけば震えは既に止まっていた。
「よぉし。いっちょ、行ってみようか!」
慧介は己を鼓舞するように無理矢理笑みを浮かべ、一歩を踏み出した。
◆◇◆
「こいつっ!!」
勢いよく飛びかかってくるグラスウルフを、慧介は金属製のカイトシールドで受け止めた。
昨日購入したその盾は内側には木材を利用しており、重量と防御力のバランスがいい。
噛みつきが失敗に終わったグラスウルフは撥ねのけられた反動を利用して後ろに下がった。
そこへ、地を這うように慧介の影から現れたキアが、巨大な戦斧の一撃によって狼を一刀両断する。真っ二つになった狼は光の柱を立ち上らせて消え去った。
慧介達の周りを、残すところ三匹のグラスウルフが走り回っていた。一定の距離を保ったまま隙を窺っている。
ティティスは現在小高い丘の上からそんな二人の様子を見守っていた。杖の先には魔法の力が漲っており、いつでも発射できるような態勢を整えていた。
慧介は油断なく狼たちを見据えながら右手に構えていたロングソードを横薙ぎに振り払った。
「切り裂け、”グアダーナ”!」
刀身が淡い緑色に発光して三日月のような風の刃がグラスウルフに迫る。
先日慧介が鑑定した、キア達が遺跡から持ち帰ったという魔剣の一つだった。初めて鑑定した魔導具の記念にと譲り受けたものである。
風の刃が命中する寸前、グラスウルフはそれを軽々とジャンプして躱してみせた。
そのまま慧介目がけて三方向から狼たちが迫る。
「前!」
一瞬、どうすればいいのかと固まった慧介だったが、キアの一声で慧介は正面から飛びかかってくるグラスウルフへと自ら突っ込んでいった。
「おおおおおおおぉぉっ!」
重心を低くして盾を前面に押し出し狼に向けて突進する。
そのままの勢いで跳躍していた狼にぶつかり、上にかち上げるようにして吹き飛ばした。
「やったっ!!」
敵の態勢を大きく崩したことに歓喜する慧介。
しかし、そこに再びキアの鋭い声が飛ぶ。
「後ろっ!」
振り返った慧介の眼前にグラスウルフが肉薄していた。牙を剥き出しにして首筋に噛みつこうと跳びかかってきている。
「――!?」
声を出す暇もなかった。
一瞬の硬直が盾を構える時間すら奪ってしまう。
これはまずいと思ったそのとき、グラスウルフが突然横に吹っ飛んで行った。
キアが放り投げた戦斧が狼の側面を強かに打ち付けて、そのまま吹っ飛ばしたのだ。
吹き飛ばされた狼の元まで一瞬でたどり着いたキアは戦斧を拾い上げて地面をのたうつ狼にとどめを刺す。
光の柱が天に昇るのを見届けた慧介が周囲を見渡すが、周囲にグラスウルフは一匹も残っていなかった。
三匹同時に襲いかかってきたとき、キアはまず一匹をやっつけていた。二匹までなら慧介一人で捌くことも不可能ではないだろうとの判断からもう一匹は敢えてスルーしたわけである。そして、予定通り、慧介が盾で吹っ飛ばした狼にはきっちりとどめを刺した。
キアの理想では、振り返った慧介が背後から襲いかかってきたグラスウルフを一度盾で受け止めるはずだったのだが、結局それは失敗に終わった。
油断した慧介の反応が遅れてしまったためである。
一番最初の反応が遅れたのも痛かった。あのとき迷わず突っ込んでいれば、その分だけ後ろにいる狼との距離をとって余裕を持って対応することもできたはずである。
戦闘の反省点に関してキアから説明を受けながら、慧介は己の考えと行動の甘さに失望を禁じ得ない。
キアの期待を裏切る結果になってしまい、慧介はとても落ち込んだ。
◆◇◆
「はぁ~~、なかなかうまくはいかないなぁ」
慧介は大きなため息をついた。
小高い丘にある巨石の上に、三人並んで腰掛けて一時の休息をとっていた。
先ほどの戦闘で倒したグラスウルフが三グループ目、今までに合計で十一匹のグラスウルフを仕留めていた。しかし、狼を退治するのに慧介が実際に貢献した匹数で言えば、恐らくその半分もないだろう。
「最初は誰だってそんなものさ。私も幼い頃、初めて狩りに出かけたときはなかなか上手く矢を急所に当てることができなかったものだ。なんだか少し懐かしい気分になるよ」
のんびりと座ったまま微笑を浮かべてそう語るティティスは、鞄から取り出したビスケットを時折かじっている。
ここ数日でわかったのだが、ティティスは普段からよくものを口にしていた。
それでも彼女がスレンダーと言える体型を維持できているのは、もしかしたらその栄養が全てある一点に集中しているせいなのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら余りに大きすぎる胸をじっと見つめていたことに気づき、慧介は慌てて視線をそらした。
「――へ、へぇ! ティティスさんも最初は苦労したんですね。それって幾つくらいのときなんですか?」
「ふむ……。確か、初めて自分一人で獲物を仕留めたのが、四つか五つくらいの頃だったと記憶しているが……」
予想よりも遥かに低い年齢に慧介は思い切りずっこけた。そのまま仰向けに倒れ込む。
「そ、そうなんですか……。なんか、すごいっすね……」
慧介は再び大きな大きなため息をついた。
「――ん? あぁ、気にすることはないよ、ケイ。私はその頃、既に神との契約を済ませていたんだ。狩猟の神〈ストルグ〉とね。私が生まれ育った里では物心がついた頃には神との契約を済ませてしまっていたから、それくらいの年で狩りができるようになるのが普通だったのさ。育った環境が違うのだから、気にしても仕方がないよ。ケイが契約を済ませたのは昨日、そして今日が初陣だ。その割にはよく頑張っていると、私は思うよ」
「はぁ……だといいんですけど……。こんなんでこの先なんとかなるのかなぁ」
「まぁ、ケイの
「えぇ、そうですね……」
この世界では神の力があまねく地上に降り注いでいる。
人々は神と契約を結ぶことで加護を得て、基礎能力を大幅に上昇させたり、魔法やスキルと言った超常の力を操ることさえできるようになる。
〈シールダー〉の神、〈ファムシール〉と契約を交わした慧介も、常識では考えられないくらいに身体能力が上昇していた。
総重量十キロ近くある装備をつけてなお、以前よりも遥かに体が軽く感じられるし、グラスウルフの体当たりを正面から受け止めるだけのパワーもある。ついでに体力も相当についている。
もう、キアとティティスに助けられた日と同じ距離を走り回ったところで、あのときのようにへばってダウンしてしまうなんてこともないだろう。
クラスによって上昇する能力はまちまちで、〈シールダー〉は様々なクラスの中でも力と体力の上昇値が一番大きかった。数あるクラスの中から慧介が〈シールダー〉を選んだ理由の一つがそれである。
「――さて、それではそろそろ再開しようか。ケイのレベル上げのためにこうしてやって来たのだからね。準備はいいかい、ケイ?」
慧介は寝転んだ姿勢から反動を利用して一気に立ち上がった。地球にいた頃なら裸でもこんな芸当はできなかった。神の加護の偉大さを感じる瞬間である。
「ばっちりです。それじゃ、続きをよろしくお願いします」
「うむ。では行こうか」
「……あっちの方に、多分、グラスウルフがいる」
キアが丘陵地帯の奥を指さす。
慧介達は、揃ってそちらへ歩き出した。
◆◇◆
「――ぃよいしょぉっ!」
気合いと共にグラスウルフの噛みつき攻撃を受け止める。
上手い具合に盾を逸らして、突っ込んできた狼の態勢を崩した。
たたらを踏んだグラスウルフをキアが戦斧で一刀両断にし、光の柱が天を貫いたその時、慧介の頭上に天から光が降り注いだ。頭の中で唐突に、『あーあーあーあー』と厳かな歌声が鳴り響く。
「うぉっ!? なんだぁっ!?」
突然のことに慧介は驚きの声を漏らした。耳を塞いで周囲に目を走らせるが、歌声は頭の中に直接響いている。そんな行動には何の意味もない。
歌声が止むと同時に光もすぐに消えた。
「来たか」
「……うん」
ティティスとキアが互いに顔を見合わせて頷いた。
「うむ。これでとりあえずはレベル2だ。それなりに順調じゃないか」
「……おめでとう、ケイ」
慧介は体を包み込む不思議な感覚に顔をほころばせた。昨日、神殿で神との契約を結んだあのときと似た感覚。自分の中に新たな力が宿ったのを確かに感じる。
「おぉぉぉぉっ! すごいっ! ほんとに魔物を倒すとレベルが上がるんだな!」
ぐっと手のひらを握っては開きと繰り返しながらはしゃぐ慧介。
魔物はこの世界に存在する神々にとって共通の敵だ。
神と契約を結んで魔物を倒し、それを供物として捧げることで”
ちなみに魔物を供物として捧げる行為は神との契約中は自動的に行われる。倒した魔物から光の柱が上がり、一部の素材を残して死体が消えるのがそれである。
魔物を倒すことで敬虔値を得るには戦闘に貢献しなければならない。
慧介のクラスである〈シールダー〉は防御重視で攻撃向きではない。故に一人で敵を倒すのには不向きである。しかし、敵の攻撃を受け止めるとか、仲間を守るような行動をすれば戦闘に貢献することはできる。とどめを刺さなくても敬虔値はちゃんと入ってくるのだ。神は常にその子らの行動を見守っているということらしい。
それで、慧介がまず敵の攻撃をなんとか受け止めて、その後にキアがやっつけることで、慧介に少しでも敬虔値が入るようにしながらグラスウルフを狩っていたのである。
「……ケイ、どうする? まだ行ける?」
こちらを見上げながら訊いてくるキアに慧介は笑顔で答えた。
「まだまだ余裕だよ。あと二十匹だっていけそうだ」
「………そう。じゃぁ、行こう」
「ふむ。時間はまだ十分にある。ケイもだいぶコツを掴んできたようだし、この分なら今日中にレベル3まで行けるかもしれないな」
「よっし! いっちょやってやろうかっ!」
慧介はその後もキアとティティスに見守られながら順調にグラスウルフやロックラビットなどの草原地帯に生息する魔物を狩っていった。
何度か休憩を挟みながらも、夕方には再び光の柱が慧介の頭上に降り注いでいた。
レベルは3に上がっていた。
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