第二章:浮遊都市ゼメシス

1:ホーソーン島と壁に張り付いた家

 赤司慧介あかしけいすけはとてもいたたまれない気持ちで座り込んでいた。

 より正確に言うのなら、『座っていた』というよりも『担がれていた』というほうが正しいのだが。


 偶然出会った女性二人組の冒険者、キアとティティスに助けられて、ダンジョンから脱出する道すがらのことである。


 肉体的、精神的疲労がピークに達した慧介は、途中で足が動かなくなってしまった。情けない話ではあるが、人生の中でこんなに休みなく走り回り、歩き続けたことなど一度もなかっただろう。平地を歩く分にはまだなんとかならないでもないのだが、少しでも上に傾斜がつくと腿に激しい痛みが走って足がさっぱり持ち上がらない。二、三歩歩く度に足がつってしまうのではないかと思えるほどだった。


 しかしキアとティティスは日が暮れる前にダンジョンを出たいという。


 二人はどうすべきかを話し合った。


 結果、キアは背中にしょっていたリュックから武器や防具類を幾つか取り出して荒縄で結びだした。しばし待ってできあがったのが剣や杖、盾などを利用して作られた簡易の背負子しょいこである。慧介はキアが背負うリュックをベースにして完成した背負子に、半ばくくりつけられるようにして座ることとなったわけだ。


 ただ座らせるのではなく敢えてくくりつけたのは、道中での魔物の襲撃に備えてである。実際グラスウルフという草原に生息する狼が襲いかかってきたときなどは、もう少しで振り落とされるところだった。


 そんな慧介達もようやくダンジョンの出口近辺にまでやって来ていた。


 もうすぐ出口と聞いて嬉しい反面、気恥ずかしさやいたたまれない気持ちもどんどん膨らんでいく。出口に近づくほどに、他の冒険者が増えてきているからだ。


 周囲から向けられる視線が痛かった。


 ある者はただ好奇の目を向けてきた。

 リュックと人を軽々と担いで歩く幼げな少女が物珍しく見えたのだろう。


 ある者は明らかに慧介を見て眉をひそめた。

 普通に考えれば自分よりも小さな女の子に荷物と自分自身を背負わせるような男など褒められたものではない。ぱっと見はただの虐待である。


 そしてある者は困惑した表情で慧介と、慧介を担ぐ少女キアを見ていた。

 慧介は背負子にしかと縄でくくりつけられている。先の人間には『慧介が少女に自分を運ばせている』ように見えたが、こちらには『慧介が少女に捕まって、まるで戦利品、あるいはお尋ね者のように運ばれている』風に見えたというわけだ。


 キアは、という、強靱な力を持つ非常に珍しい妖精族の血を引いているため、こんなことぐらい朝飯前なのだが、この種族、いかんせん珍しすぎて世間での認知度がとても低い。故に今目の前に存在する光景を見て「あぁ、なるほど、フェイタンね」と思い至る人間はほぼほぼおらず、そのためにあらぬ誤解を受けてしまうという案配である。


 キアは他人の視線など気にすることもなく、重さを感じさせない動きで段差の大きな階段を軽快に上っていく。


 そしてとうとうたどり着いたのがダンジョンゲートと呼ばれるダンジョンと地上世界を繋ぐゲートである。

 見た目はまるで、貝殻の内側にある真珠層を思わせるような、そんな虹色の光が揺らめくマーブル模様の膜である。よく目をこらして見れば、半透明のその膜の向こうにうっすらと外の景色が透けて見えるのがわかる。


 何の抵抗もなくゲートをくぐり、慧介は無事に地上世界へとたどり着くことができた。


 既に日は傾いており、朱に染まる空と茶色い土が剥き出しの荒野がずっと広がっている。


「キア。あの、そろそろ降ろしてくれないかな?」


 周囲から向けられる、様々な感情の込められた視線に耐えきれなくなった慧介がそう頼むと、ティティスが縄をほどいてくれた。

 ふらつく足取りで地面に立つ。

 遠く沈む夕陽に照らされて、地平線の向こうに影絵のように浮かび上がる建物のシルエットが見えた。


「あそこに行くの?」


 慧介がどちらともなしに尋ねると、ティティスが答える。


「ん? あぁ、違うよ。私達の家は、あっちさ――」


 そう言ってティティスが指さしたのは空の上。

 導かれるように視線を上げると、空の上に巨大な山のような、あるいは島のようなものがいくつも浮かんでいる。


 浮遊都市ゼメシス=グラウス。


 ダンジョンに数多の冒険者を送り込み、ダンジョンから持ち帰った秘宝や技術を駆使して造られた、ダンジョンと共に生きる者たちのための都市である。


 巨大な中央の島と、それに属する複数の小島からなる、言わば群島都市とでもいったところだろうか。高さは島の底面が地上高およそ数百メートル程度であるから、雲の上の都市というわけではない。


 いずれの島もその底面近くの側壁に多数の浮遊竜鰭フロートフィンがずらりと並んでおり、それらが日の光を反射してオーロラのような輝きを放ちながら、島を空中へと浮かび上がらせる浮力を生みだしている。


 慧介はキアとティティスに連れられて先へ進む。魔導昇降機リフトと呼ばれる魔法仕掛けのエレベーターに乗って一気に上空にある島へと上がる。


 そうして慧介はゼメシス=グラウスを構成する周辺の小島の一つ、ホーソーン島へと上陸を果たした。


 キア達の家はそのホーソーン島の側壁にへばりつくように建てられていた。断崖絶壁に箱をべたべたとくっつけて、その箱と箱の間に階段を通しただけというかなり乱暴な造りである。島内の人口密度の増加に伴って急遽無理矢理作られたという、比較的新しいけれど、決してよろしくはない物件だった。


「……壁面の家は立地が悪いから家賃が安い」


 とはキアの語るところである。


 島の外周部分から粗末な柵がつけれらただけの階段を落下の恐怖に怯えながら五階分ほど降れば、そこがキアとティティスが現在住んでいるという借家だった。


 玄関をくぐってすぐの部屋は暖炉が据え付けられた広い部屋だった。テーブルセットも置いてあり、さながらリビングダイニングといった佇まいである。


「……ケイは休んでて」


 そう言ってキアが部屋の奥に消えていく。ティティスも後に続いた。


 勝手に歩き回るわけにもいかず、またそんな元気もなく、慧介が椅子に座って痛む足を揉んでいると、二人が揃って戻ってきた。手には湯気が立ち上るカップを持っている。


「口に合えばいいのだが」


 ティティスが慧介の前にカップを置く。

 琥珀色の液体が揺れている。白い湯気と共に、ほのかに果実とスパイスを混ぜ合わせたようなかぐわしい香りを立ち上らせている。


 キアとティティスがそれぞれ席に着いたところで、これからどうすべきかを話し合うことになった。これからどうすべきかというのは、当然、慧介の今後の身の振り方のことである。


「――しかしまぁ、困ったね。”まれびと”というのはこれまでにも何度も発見はされているのだが、数が少なすぎて特にどう対処すべきという法も慣習も存在しないんだよ。特別迫害するでもなければ保護するわけでもなし。少なくとも行政機構はそういったことに関与してこなかったはずだ」

「はぁ……。それじゃ、この世界にとっての俺は……」

「単純に根無し草とでも言ったところかな? 拠り所のない生活を送る人々だよ。そんな人間は大勢いる。今の我々も、結局は似たようなものだがね」


 ティティスがキアに視線を送ると、


「……うん」


 キアがこくりと頷いた。大きなカップを両手でそっと抱くように持ってカップに息を吹きかけている。カップに注がれた飲み物はまだほとんど減っている様子がない。猫舌なのだろうか。


「そう、ですか……。う~ん、どうしたもんかなぁ……」


 慧介は再び途方に暮れる思いだった。

 この先どうすればいいのだろうか。

 少なくとも元の世界に帰る当てはない。自分が最初に現れた場所へ行っても何の手がかりも見つからなかった。

 この世界から出られない以上、ここで金を稼いで生活するしかない。

 しかし、慧介の身体能力はこの世界に暮らす人間からすると大きく劣っている。それはここまで来る道中で嫌と言うほど身にしみてわかったことだ。

 どこかの飲食店で皿洗いのバイトでもさせてくれないものだろうか。二人に何かつてがないか訊いてみようか。


 そこでずっと何事か考えていたティティスが口を開いた。


「そうだな……。教会か、修道院にでも行けばあるいはなんとか生活はできるかもしれない。ケイはもう孤児院に行くような年齢ではないみたいだしね」

「教会……ですか……。う~~ん……」


 ダンジョンから帰る道すがら、お互いに詳しい自己紹介を交わしていた。そのときに互いの年齢も話題になった。大人かそうでないかで待遇が大きく変わってくるからだ。

 それによるとこの世界では基本的に十五歳を超えたら大人とみなされるということだった。

 慧介は既に十六歳。あと二つほど年齢が下であれば、状況的には孤児というのが最もふさわしい表現になっただろう。しかし、この世界においてはもう立派な大人であるところの慧介は孤児院に厄介になることはできない。


 慧介は対面に並んで座る二人に目をやった。


 自分よりももっと背が高いエルフの女性と、自分よりかなり背が低い、フェイタンとヒューマンのハーフであるという女の子……。いや、女性、と言った方が正しいか。

 ティティスが当年とって三十七歳であると聞いたときはさすがエルフと素直に納得した慧介であったが、見た目幼いキアが自分よりも年上の十八歳と聞いたときはさすがに驚いた。彼女の血の半分を占めるフェイタンという種族は、エルフと同じ妖精族の一種で、成人しても人間の子供ほどの見た目にしかならないのだという。キアはハーフだから純粋なフェイタンに比べれば背も高いし体つきもより人間の大人に近いというが、それにしたって顔つきはあどけないと言っていいほどあからさまに幼い。ほっぺたなんかぷにぷにしている。無論、実際に触ったわけではないから見た目だけでの判断だが。


「――あの、どこかに俺でもできるような仕事ってないですかね? 皿洗いでもなんでもいいんですけど」


 ただ世話になるだけの生活をするつもりなど毛頭なかった。精神的にはまだまだ未熟とはいえ、おんぶに抱っこで生きるほど落ちぶれた考えを持っているわけでもない。何か働き口があるのならひとまず頑張ってみるのもいいだろう。ちょうど地球にいたときはバイトでもしようかと考えていた気がする。何故か地球で暮らしていた頃の記憶はひどくぼんやりとしているのだが。


「ふむ。恐らく探せばないではないと思うが、生憎と伝がないからなんとも……。そうだな。明日、街を巡って探してみるのもいいかもしれない。ついでに教会と修道院にも行って話を聞いてみよう。どれか一つくらいは、何か引っかかるだろう」

「ありがとうございます。本当に助かります。いつか必ずこのご恩は返しますから」


 慧介が居住まいを正して礼を述べると、ティティスは微笑を浮かべて手を左右に振って見せた。


「そう畏まる必要はないよ。我々としても当然のことをしているに過ぎないのだからね。困ったときはお互い様さ。特に冒険者にはこれがけっこう大事なんだ。実は今この家に二人で暮らしていられるのも、そういった過去の積み重ねが効いているんだよ」

「へぇ、そうなんですか。……じゃぁ、誰か昔助けてあげた人が、ここの家のオーナーだったとか?」

「鋭いね! まさしくその通りだよ。ちょっと前にダンジョンの中で難儀していたパーティーを手助けしたことがあってね。そのパーティーを雇っていた商人がここのオーナーだったというわけさ。おかげで格安で間借りさせてもらっているよ」

「なるほど」


 慧介は先ほどキアから聞いた言葉を思い出していた。立地が悪いから家賃が安い。彼女はさっき、確かにそう言っていた。その上で割り引きされているということは、つまり、この街で持ち家や個室を持つことはとても難しいということなのだろう。


 ここ、ホーソーン島の中心街は様々なビルが積み重なるようにして建ち並ぶ騒然とした街並みを見せていた。島の中心にある丘のような小山のような場所には、てっぺんに立つお城を筆頭に、広い庭や敷地を持つ館もないではなかったが、あれはごく一部の例外なのだろう。


「さて! それじゃぁ今日のところはこの辺でいいだろう。明日のことはまた明日考えればいい。さしあたっては食事にしようじゃないか」


 そう言ってティティスが意気揚々と立ち上がる。


「……私も手伝う」


 キアも同じく立ち上がり、つられるようにして慧介も鉛のように重くなっている腰を無理矢理持ち上げた。残念ながら足はぷるぷると震えている。


「あ、あの。それじゃ俺も何か手伝いましょうか? 料理はそこそこやってたんで……うまいってほどでもないんですけど」

「それは助かる。しかしケイ、君は今日のところは休んでおきたまえ。何もこれ以上足を棒にする必要はないよ」

「あ…………す、すいません。いろいろとご迷惑をお掛けしてしまって」


 立ち尽くす慧介の肩にポンとティティスの手がのせられる。


「言ったろう? 困ったときはお互い様だと。あまり無理をするものじゃないよ、ケイ。無理をすれば後々それが祟ってくるものだ。そうなれば、余計に自らの首を絞める結果になりかねない。さぁ、遠慮などせずに、今はただ休んでおくことだ。明日からのためにもね」

「はい……」


 慧介が腰を下ろすと二人は再び部屋の奥へと消えていった。どうもキッチンに繋がっているらしい。


 慧介は痛む足をさすりながら、人知れず小さなため息を吐いた。

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