第一章:迷走する少年
1:目覚め。困惑。スライム?
「…………は? ……なんだこりゃ?」
しかし何も見えない。辺り一面が真っ白だった。
目をごしごしと擦って何度か瞬きする。
そうして初めて自分が乳白色の霧に包まれているのだということを理解した。
「――あっ!? いってぇ……」
唐突に感じた頭痛に反射的に頭をさすると、見事にたんこぶができているのがわかる。
「んん~~……? ダメだ、思い出せない。なんで頭にこぶが? どこだよここ? 俺さっきまで何してたんだっけ?」
そこでようやく慧介は立ち上がった。
「げっ! なんだよもう~~。服めっちゃ湿ってんじゃん」
ズボンのお尻も、シャツの背中の辺りもじっとりと濡れていてとても不快だった。
服についた泥を軽く払うも結局払った手が汚れるばかりで
慧介はため息をついて歩き出した。
二メートル先ですら視認できないほどの濃霧の中だが、そこかしこに焦げ茶色の樹皮をさらした木々が生えているのがわかる。どうも森の中にでもいるようだった。
何故自分がそんなところにいるのか、疑問を感じながらも特に当てもなくどんどん歩いていく。
するとほどなく霧が急激に薄くなってきた。
さっと風が吹いて唐突に視界が開ける。
やはり森の中だ。
背の高い常緑樹がずっと向こうまで続いている。
振り返っても同じような景色がずうっと先まで続いているように見えた。
そこにはもう霧の欠片もない。
「ほう……なるほど、な……」
慧介は一人納得したように振る舞いながらにやりと笑った。無論、強がりである。ただのパニック状態かもしれない。
わけがわからなかった。今の状況に至るような何かが自分の身に起こったのだろうか。全く覚えがない。
「いや、落ち着け俺。冷静に思い出すんだ。最後の記憶は? 今朝起きてからまず何をした?」
一生懸命頭を働かせるが何一つ思い出せない。
自分のことはどうだ?
赤司慧介。十六歳。しがない日本の高校生。大丈夫だ、ちゃんと覚えている。
「ん?」
そのとき、視界の隅を何かがさっと横切った。
警戒しつつ微かに揺れる茂みを注視する。
すると灌木を揺らして緑色のボールみたいなものが飛び出してきた。よく見ると半透明で後ろの景色がうっすらと透けて見える。
「な、何だこれ?」
プルプルと揺れる謎の物体を目の当たりにして思わず漏れたつぶやき声。
その声に反応するように、謎の物体の横に半透明のプラカードのようなものが現れる。
そこには[ エラスティックスライム ]と書いてあった。
「おぉ?」
まるでゲームみたいだと思った。ロールプレイングゲームなどをやっているときに近い感覚。画面内のオブジェクトにカーソルを合わせると小さなウィンドウがポップしてそのオブジェクトの名前や説明を教えてくれるのである。
実際、このウィンドウは物理的に実体を伴って存在しているものではない。あくまでも慧介の視覚、あるいは認識の中にのみ存在していた。
慧介が緑色のスライムをじっと見つめていると、新たな情報が書き加えられた。
[ エラスティックスライム:LV2:スライムの亜種。弾力性があり、オリジナルよりも機動力に長けるが、そのために物理攻撃が通用するようになってしまった。通称ボールスライム ]
「……そうか。つまり夢か」
慧介は一気に気が軽くなった。
これは夢だ。夢に違いない。
中学受験のシーズンから最新のゲームとは遠ざかっていたが、それまでは大作RPGなどを人並みにやっていた。
高校入学後に自分のパソコンを持つようになってから無料でプレイできるオンラインゲームをやってみたりもしたからその影響なのだろう。
危険を伝えようとするかのように自己主張してくるたんこぶの痛みを無視して慧介は再び無造作に歩き出した。
「夢とわかった以上なんてことはない。目が覚めるまで探索でもしてみようじゃないか。つーかなんだ。もしも仮想世界に意識が入り込むようなゲームが実現したとしたらちょうどこんな感じなのかね~」
慧介はうきうき気分で森の中を歩く。
するとそれに合わせるように向かいにいたスライムがぐっと身を縮こませた。
次の瞬間、慧介は左の脇腹をスライムに思いっきり強打されてくの字の形のまま吹っ飛んだ。
「――!? なっ!? いたっ!? あああああめっちゃ痛ぇぇぇぇぇぇっ!?」
脇腹を抱えるようにして地面をじたばたと転がっているところにスライムからの追撃がやって来る。今度は背中に思いっきり体当たりを食らってさらに勢いよく転がった。
「あああああああぁっ!? ちょっ! ちょまっ! タンマ!!」
慌てて無理矢理起き上がったところにスライムが高速で横を通り過ぎていく。
完全に
「おもしれぇっ! そっちがその気ならこっちだって遠慮はしねぇぜ! やれるもんならやってげはぁぁぁぁぁっ!?」
ビシッと指を突きつけて口上を述べていたところにスライムの体当たりが三度めり込む。
腹に強打を食らって酸っぱいものがせり上げてくる。
涙目で睨み付けるところ、スライムは勝ち誇ったかのようにスターンスターンとドリブルされるバスケットボールのごとくステップを決めている。
「くっ……たかがスライムの癖に調子に乗りやがって! どうやら俺に奥の手を使わせたいらしいな!」
プルプルと震える手で慧介が構えを取ると、それまで余裕をかましているように見えたスライムがピタリと静止した。いつでも飛び出せるようにぐっと体に力を貯めているのがわかる。雰囲気に気圧されたのか、じわじわと間合いを取るように後退していく。
「ふっ。――今日のところはこの辺で勘弁してやらぁーーーーっ!!」
三流のチンピラの如き捨て台詞を残して、慧介は全速力で逃げ出した。
レベル2のスライムから全力で逃げる。恥も外聞もあったものじゃない。
だが、仕方がなかった。全然勝てる気がしないのだから。
必死に森の中をひた走りながらちらと後ろを振り返れば、スライムがピョンピョンと跳びはねながら確実に慧介を追いかけてきていた。
捕まればやられる。慧介はひたすら逃げた。
そして息を切らせながら数分ほど走った頃、ようやく立ち止まって勝ち誇ったように笑い出した。
「ふっ、ふっ、はっ、ははははっはぁっ! ど、どうやら……はぁ、走るのは、そんなに、得意ではないらしい、な…………はぁ~~ぁ、ちくしょー……」
スライムの姿はどこにも見えなくなっていた。
短距離のダッシュ力には目覚ましいものがあるが、それを持続して移動し続けることはできないようだ。
息を整え、汚れたシャツで乱暴に汗を拭い、慧介は天を仰いだ。
「……あぁ~あ、情けねぇなぁ~~」
肉体に感じる確かな疲労、消えることのない痛み。
漠然とした不安が慧介の心の中に広がっていく。
「冗談じゃねぇ。しゃれになってねぇよ…………」
ここに来て現状が夢だと信じ、目が覚めるのをじっと待つという選択肢は選びようがなかった。
何の当てもないがとにかく歩くしかない。
すると、一際強く木漏れ日が差すところ、大きな木の根元に、何やらキラキラと淡い輝きを放っている草が生えているのを見つけた。
目をこらしてじっと見つめると、スライムのときのように草の上の方に半透明のウィンドウが現れる。
[ ミアリーフ:ランク1:ありふれた薬草の一種。傷薬。ポーションの原料になる。わずかに魔力を内包しており、軽い怪我を癒やす効果がある ]
慧介はとりあえず見つけた薬草を二、三株引っこ抜いた。
「で、どうすればいいんだこれ? そのまま食うわけにもいかなそうだし、傷口に貼り付けても微妙な気がするが……」
まじまじと手の中の薬草を見ていると情報が更新された。
[ 外傷に用いる場合はすりつぶして患部に貼り付けるといい。およそ数分~十数分程度の時間患部を少しずつ癒やし続ける。効果時間と効能は内包している魔力の量に比例する。効果を高めるには正しい材料と手順をもってポーションを調合する必要がある ]
「なるほど……。調合は無理だよな。じゃぁ適当にやってみるしかないか」
慧介は周囲を見回してみるが、草をすりつぶすのに丁度良さそうなものは見つけられなかった。
仕方がないので口の中に放り込む。
「……苦っ!」
口の中で咀嚼しながら噛みつぶすとなんとも言えない苦みとハッカのような爽やかな香りが口いっぱいに広がる。
服をめくって最初に体当たりをもらった脇腹を露出させる。
青黒く変色していた。内出血しているようだ。
ちょっとばっちいが、吐き出した薬草を脇腹に押しつける。
「ぐっ!?」
一瞬鋭い痛みが走ったが、その後じわじわと痛みが和らいでいくのがわかった。
「おぉ、けっこういいかも?」
慧介は痛むところに次々と薬草をこすりつけていった。
しばらくじっと休養していると、痛みがだいぶましになってきた。
脇腹を確認して見ると明らかに痣が薄くなっている。
「……よし。これならとりあえずは歩けそうだな」
どこまでも果てなく続いているかのような森の先を見つめながら、慧介は不安を吹き飛ばすように頬を叩いた。
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