ユーレイと絵本
六月も終わりに差し掛かってきた頃の事である。
菜々子が絵を描き終わったというのでいつもの面々と見に行くことになった。
「藍殿、試験勉強しなくていいんでござるか?」
「友達の絵が描かれたんだもの。私も頼んだ手前見てみたいしね」
「ウチもウチも、姉御の絵、完成したの見たいッス!」
そんな会話を聞いたレイコは少しだけ誇らしそうにふわふわと浮いている。
恵梨香はそんなレイコを見るととても温かい気持ちになった。
そして学校の屋上へと向かうと、そこに菜々子がいた。
「……どうも皆さんお揃いで……」
「菜々子さん!まずはお礼を言わせてください……本当にありがとうございます!」
「ん……私としても……いい刺激だったから……おっけー」
無表情のまま菜々子はピースサインを出した。
菜々子はスケッチブックを開いて、まずそのページを隠した。
「それでは……お見せしましょう……どうぞ」
菜々子はさっとその絵が描かれたページを皆に見せる。
その絵は、鉛筆と色鉛筆のみで描かれていたが、とてもそうとは思えないほど美しかった。
しっかりと描かれた学校の校舎、その場にあるような木々。
そして透明感がありながらも、しっかりとその場にいるということが伝わってくる少女の幽霊がにこやかに描かれていた。
「おお!!見てください!私のかわいらしさがにじみ出ていますよ!!」
「かわいさがにじみ出ているかはともかくとして……さすがに上手いなあ……」
「……照れるぜ」
無表情のまま嬉しそうに菜々子は言った。
やはりその絵は素晴らしいもので、その場にいる全員を唸らせるものであった。
「ぐぐぐ……幽霊の感じまでしっかり再現されてるでござる……」
「校舎の方も、本当にそのものって感じがするわね」
「これ本当に色鉛筆だけで描いたんッスか?すげーッスね!!」
思い思いの感想を口にする一同に、無表情ではあるが少し恥ずかしそうに菜々子がもじもじと指をいじった。
恵梨香はそんな菜々子の前に立つと、改めて頭を下げる。
「本当にありがとうございました!菜々子先輩!」
「ん……どういたしまして……こんなに何度もお礼を言われるのは初めてかもしれない……」
菜々子は、そのスケッチブックからレイコが描かれたページを取り外して、佑真に渡した。
「とりあえず……佑真に渡しておくね」
「はい、ありがとうございます」
「いきなり呼び捨て……!」
ルシールが少しだけ不機嫌そうな顔をするが、誰かに見られそうになる頃には素知らぬ顔をしていた。
佑真はその絵を改めて見る。
最初は自分にしか見えなかったはずのレイコがこうして描かれているというのは、なんとなく不思議な気持ちにさせられる。
「にしても菜々子先輩、本当に絵上手いッスねー。これなら部とかでもすごい上手い方なんじゃないッスか?」
あきらの何気ない感想に、佑真達には思わぬ緊張が走った。
何かの事情があってイラスト部をやめたのではないか、という話題がこの間出ていたからだ。
菜々子はあきらに、無表情のまま返した。
「ああ……イラスト部は……ちょっと前にやめちゃって……」
「え?なんでッスか?」
「……まあ……なんというか……創作性の違い……みたいな……」
「あきらさん」
何かを察したらしい藍はあきらを止めに入る。
あきらはぽかんとした表情で藍を見た。
「……いや、本当に……イラスト部は……すごく居心地がよかった……でも……んん」
「あれ……?その、なんか、悪いこと言っちゃったッスか……?」
ようやく異変に気付いたあきらが心配そうに菜々子を見る。
菜々子は無表情ではあるが、ふっと微笑むように返した。
「……大丈夫……なんとなく、なんだ……なんとなく……何かが違うなって思って……それで……とりあえずやめて……独学で描いてみようって……そう思っただけなんだ……特に……ほかに理由はないよ……」
「そ、そうなんッスか……」
「そうなんッス……戻りたくなったら……まあ戻るかな……くらいの気持ち……」
菜々子は両手でピースサインを作った。
彼女は無表情ではあるが、不思議と感情の起伏はわかりやすく、その言葉には嘘はないということはなんとなく理解できた。
「……でも……レイコを描くの……すごい楽しかったな……」
「ふへへ、そりゃあ照れますね」
「菜々子先輩って、幽霊とかお好きなんですか?」
「……ん……?」
恵梨香は何気なく思ったことを菜々子に聞いてみる。
想定していなかったというような表情で菜々子は恵梨香を見た。
「ケサランパサランのことも気になってたって言いますし……UFOとかも……だから、そういうの好きなのかなって……!」
「…………」
「……菜々子先輩?」
「あ……いや……普通……かな……」
菜々子は無表情でそう言って、目をそらす。
その反応を見た恵梨香は少しだけ首をかしげた。
「……んん……そうだ……そろそろ試験勉強しないと……うん」
「そうね、絵も見せてもらったし、本格的に試験も近いわ」
「うぇえ」
菜々子と藍の言葉にあきらが呻き声をあげた。
「菜々子先輩、またよろしくお願いします!」
「……うん」
それだけ言って菜々子は屋上を去っていった。
佑真には一瞬、菜々子が悲しそうな顔をしていたような、そんな風に見えた気がした。
レイコはその様子を見て、考えるようなそぶりを見せる。
「どうしたレイコ」
「いえ、なんか前にもああやって菜々子さん、いそいそと帰っちゃったことがあるんですよね……気のせいならいいんですけど」
「まあまあ、それよりせっかくみんなで集まったんだから、これから試験勉強をしましょう?」
藍がにこりと威圧的に微笑んだ。
あきらが絶望的な顔をしていたが、成績のいい藍に教えてもらえる機会だというとしぶしぶやる気になったようであった。
一方で佑真は、少しだけ菜々子のことが気にかかっていた。
ああいう、一瞬だけ見せる悲しそうな顔を前にも見たことがある。
(……やっぱ苦手なんだよなあ、ああいう表情……)
佑真は問題用紙の絵本の作者の欄を見て、ふと考えた。
「……あきら。今度昼飯おごる代わりに超特急で本買ってきてほしいって言ったら、行ってくれるか?」
「焼き肉弁当で手を打ってやるッス」
「う……かなり高いのを……わかった、それで頼む」
「毎度ありー!」
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それから数日経って。
ついに七月に入り、無事に期末試験も終了した日の頃だった。
「……おわった……期末試験が……終わったッス……」
「お疲れ様、首尾はどうだった?」
「……お、おかげさまで……多少は……多分……」
力尽きたあきらを、藍が労わる。
恵梨香があきらの頭をなでながら、試験の話題を口にした。
「そういえば、現代文のテストで絵本の話が出てたよね!」
「ん?絵本でござるか?」
「うん、ほらこれこれ、「空を飛んだビッグフット」ってあの絵本の作者さんだよ絶対!」
「相変わらず恵梨香さんが好きそうな本なんですねー」
恵梨香がテストの問題用紙を見せてひとつの問題を指差した。
山に住んでいたビッグフットが紆余曲折を経て気球に乗って旅をするという物語する物語が描かれている。
それを見たあきらは不意に体を乗り出して声をあげた。
「……これ!!」
「な、なに?どうしたの?」
「……あ、いや、な、なんでもないッス……」
レイコはそれを見て何かに気付いたような反応をして、ふっと浮かび上がって外に飛んでいく。
ルシールはその様に一瞬だけおののいた。
「もう、いきなり飛んでいかないでほしいでござる……」
佑真はレイコのことを気にしつつも何気なく問題用紙を見た。
そして、飛んでいったレイコの方を見て少しだけ考えるように息を吐いた。
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「……」
菜々子が屋上でスケッチをしている。
その絵に描かれていたのは青い空と校庭。そこから見える景色。
自分のその絵を見て、菜々子は小さくため息をついた。
「なーなこさん!」
「……にゃっふーレイコ」
菜々子は突然屋上の下から現れたレイコに特に驚いた様子もなく挨拶を返す。
レイコはそのままふよりと菜々子に寄り添った。
「何描いてるんですか、菜々子さん」
「んん……とりあえず、見たままを描いてみようかと思って……」
「……ねえ菜々子さん」
菜々子はレイコの方を見て、少しだけ首を傾けた。
にこりと笑ったレイコがそこにいる。
「……一回、描きたいもの描いてみたらいいんじゃないですか?」
「……描いてるよ……?」
「ほんとですか?」
菜々子は空を見上げて、鉛筆を一度しまった。
無表情のまま少しだけためいきをついて首を横に振った。
「……どうして、そう思った?」
「なんででしょうね。なんというか……我慢してるように見えたんですよ」
「……そっか……ばれたか……」
菜々子はレイコを無表情のまま見つめる。
「……でも、いいの……私は」
「よくないです」
レイコは、真剣な顔で菜々子を見つめかえした。
ふわりと、また夏の風が屋上に吹いた。
「描きたいって思うもの、我慢して……そんなのいいわけないじゃないですか」
「……そんなの……レイコにはわからないよ……」
「わからなくても……でも、だって……!!」
「……」
菜々子は、少しだけ顔を伏せる。
無表情ではありながら、その表情は少しだけ寂しさを帯びていた。
「……描けないんだよ……私には……」
「……」
「どれだけ描こうと思っても……真似になっちゃうだけ……私自身には……何もないんだ……だから……いいんだ」
菜々子はそのままそこから去ろうとした。
その様子を見たレイコは、過去の何かが頭をよぎる。
そして気が付いた時には、レイコは叫んでいた。
「……菜々子さん!諦めないでくださいよ!!」
「……」
「私……私は……諦めてほしくないんです!好きなことを!諦めないでほしかった!!ただそれだけなんです!!」
「……レイコ……?」
それは、確かに菜々子に言っていたのだろう。
しかしそれと同時にレイコは、それを自分自身にも言っているような、菜々子にはそう見えた。
「菜々子さん……お母さんみたいなお話を書きたいんでしょう!?あきらめないで書いてみたらいいじゃないですか!!」
「……書きたいよ……!……でも、私には書けないんだよ!」
菜々子は、その無表情とは裏腹にとても寂しそうな声で叫んだ。
「……私は……お母さんみたいなお話は書けないんだ……絵だけ描けても……お母さんみたいな絵本は、私には書けないんだ……」
「……菜々子さん……」
「……レイコ……私には……無理なんだ……ごめん……」
そういって菜々子はスケッチブックを持って、屋上から出ていこうと歩き出した。
レイコは、何も言えずにそのまま漂うしかなかった。
(……ああ……やっぱり私じゃ……ダメなんだ……)
レイコはうつむいて目を閉じる。
その時だった。
「すみません。ちょっと待ってもらってもいいですか?菜々子先輩」
屋上の出口から、声がした。
レイコが顔をあげると、佑真がそこに立っていた。
「……佑真……」
「菜々子さん。この本、わかります?」
佑真は一冊の本を見せる。
その絵本には大きく「空を飛んだビッグフット」と書いてあった。
「……それは……」
「ゆ、佑真さん……」
レイコが心配そうな顔で佑真を見る。
佑真はレイコの顔を見て小さく頷き、真剣な顔で菜々子を見た。
「……お母さんが書いた本、なんですよね」
「……そう、だよ……」
菜々子は、寂しそうな顔で頷いた。
そんな菜々子に佑真は少しずつ歩み寄っていく。
「……この絵本、お母さんの最新作なんですよね。読んだことあります?」
「……ううん」
それを聞いた佑真は、本を開いて読み進めていく。
レイコも、ふわりと佑真の元へ向かって絵本を読んだ。
「……ビッグフットは、鳥を見て思い悩むんです。自分はどうやっても空を飛ぶことはできないって」
「……」
「でも、ある日人間と出会って、気球を作る手伝いをしてほしいと頼まれるんです。気球がなんなのかわからなかったけど、心優しいビッグフットはそれを聞いてあげるんです」
佑真は、ページをめくり、絵本を読み進める。
かつて読んでもらった時のように、優しく、丁寧に。
「力持ちのビッグフットのおかげで気球はあっという間に完成して……空を飛ぶんですよ。無理だと思ってたことが出来たんです」
「……」
菜々子は、無表情のままそれをじっと聞いた。
「あとがきにこう書いてあるんですよ。やれないと思ったことでも、少し考え方を変えてみればやれるときもあるんじゃないかって」
「……お母さん……」
菜々子は涙を流した。
その顔を、スケッチブックで隠して決して見せないように。
「……私……お母さんの絵本大好きだった……自分でも絵を描いて……話を書こうとして……でも……私……お母さんみたいな話……書けないって……諦めて……絵本もわざと遠ざけて……絵だけを描いて……でも……っ……!」
「……空に向かう手段だってひとつじゃない。俺の勝手な感想ですけど、この絵本からはそういうメッセージもあるんじゃないかって俺は感じました」
菜々子はしばらくの間、涙を流し続けた。
佑真は何も言わず、ただ屋上に誰も来ないようにずっと出口の方を見ていた。
そこにレイコが、ふっと佑真に語り掛ける。
「やっぱり、私じゃダメでした……菜々子さんに諦めないでほしかったんですけど……説得下手ですね、私」
「……俺はな、そもそも他人のこういう話に勝手に口を突っ込むのはどうかと思ったんだ」
「……そうですよね」
「でもな」
落ち込むレイコを佑真はしっかりと見て、そして笑った。
「お前が必死だったから、俺はそれを手伝いたかったんだよ」
「……佑真さん」
言った後で、佑真は照れながら頭をさする。
顔を背けてついでのように言葉をつづけた。
「……それに、ビッグフットだって一人じゃ飛べなかったんだぜ。お前がいたから、上手く話せたんだよ、レイコ」
「……ありがとうございます。佑真さん」
「……っていうか、上手く話せたのか俺?泣かせただけじゃ、ないよな?」
と、その時、佑真とレイコが話している間に菜々子がすいっと顔を割り込ませてきた。
「大丈夫……」
「うおっ!?」
菜々子はいつもの無表情のまま、佑真にピースを向けた。
すっかり元気を取り戻しているようであった。
「……佑真、レイコ、ありがとう……おかげでなんだか……楽になった気がする……」
菜々子は、スケッチブックの間から小さな紙を取り出す。
そこに描かれていたのはかわいらしい幽霊や宇宙人の絵だ。
「……私……お母さんと同じ道しか見えてなかった……だからずっと……お母さんみたいな絵の練習してた……でも……今日からはまた違う道を探してみようと思う……」
「それって……」
レイコは、菜々子のことを心配そうに見つめる。
そんなレイコに、菜々子は優しく微笑んだ。
「諦めてないよ。ずっと前から、考えだけはあったけど踏み切れなかったんだ。今度はそっちを目指してみるんだ」
夏の日差し、涼やかな風が吹く中で、菜々子は手のひらごしに空を見る。
その青い空に、まるで絵を描くようにひこうき雲が描かれていった。
「私、漫画を描いてみたい」
----
「……というわけで、今日から……オカルト研究会に入らせてもらうね……」
「ええっ!?」
次の日の事、屋上に面々を呼び出した菜々子はそう言った。
これには佑真やレイコを含め、その場にいる全員が驚いた。
「……ダメ?」
「いや、もちろんダメじゃないですけど……漫画を描くんじゃ……?」
「漫画はどこででも描けるし……それに……ハーレムを作ろうとしてる男と幽霊がいるオカルト研究会……マジ漫画のネタ……」
「あはは、否定できないでござるなユーマ殿!」
「するわ!」
そんなやりとりを尻目に、恵梨香が菜々子に駆け寄った。
「本当に!本当に入ってくれるんですか!?」
「んむ……」
「やったー!!これであと一人でオカルト部だー!!」
「ふふ」
嬉しそうな恵梨香を見て、藍も目を細めた。
菜々子は無表情のまま何かを思い出したように、佑真に近づいた。
「……うむ、オカルト研究会に入るので……私も」
「え?」
菜々子は佑真の頬に手を添える。
「……ん」
「……!!?」
そしてそのまま顔を近づけ、佑真の唇と自分の唇を重ね合わせた。
「ほあっ!?」
「ひゃわわ!?」
「……へえ」
「おおぉ……!」
「ハアァ!?」
その場にいる五人の女性がその光景に各々反応する。
菜々子は佑真から顔を離す。
「……私も、佑真のハーレムに入ることになる……今後ともよろしく」
佑真はその場で力が抜けたようにへたれこんだ。
真っ先に菜々子に詰め寄ったのはルシールである。
「ちょ、ちょ、ちょっとアンタ!!!なにを……なんてことしてるのよ!!!ワタシだってまだユーマと唇同士のキスはしたことないのに!!!」
「……えっ……なかったの……?……ハーレムっていうくらいだから……これくらいは通過儀礼だと……」
菜々子は唇を抑える。
無表情ではあるが驚いているようであった。
その反応は火に油を注ぐ行為だったようであり、ルシールは声にならない叫びをあげていた。
「はわわわわわわ……」
「……佑真くん。屋上で一体どういう話をしていたのかしらね?」
顔を真っ赤にしたまま固まる恵梨香と、今までにないほどの威圧感を持った笑顔を浮かべる藍。
そしてあきらはレイコに興奮したように話しかけていた。
「姉御……姉御!チュー見ちゃったッスよ!!ウチ本物のチューはじめて見ちまったッス!うわあなんかウチの顔まで熱くなってきた!!」
「佑真さん……とうとうこの境地までたどり着きましたか……私が教えることはもう何もありません……」
「こうなったらユーマ!!ワタシともキスして!!今すぐ!!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……」
「はぁなぁせぇーっ!!!」
暴走するルシールを藍が慌てて制止する。
そんな大騒ぎの中、しばらく放心していた佑真だったがふとある光景が脳裏に浮かぶ。
(……なんだ、これ……?)
かつて、誰かに似たようなことをされたような気がする。
これは……誰だ?
いったい、いつの事だ?
そもそも本当にあった事か?
その時の佑真には、全く思い出せなかった。
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