ユーレイの絵画

「ええと、改めまして、レイコです……よろしくお願いします」

「稲瀬菜々子……よろしく……」


 菜々子はなんの驚きもなく、幽霊であるレイコに挨拶をする。

 今までは大なり小なり驚かれていたレイコは少しだけ困惑する。


「……なんかこう、驚かれないのって……結構驚きますね、こっちが、逆に」

「……いやいや……私もこう見えて……ちゃんと驚いてる……びっくりー」


 菜々子はわざとらしく驚くジェスチャーをとる。

 レイコはなおのこと調子が狂ってしまう。


「……でもほら……絵を描くために集中してると……こう……見えないものが見えてくることとか……ない?」

「いやあ……どう、ですかね……?」


 佑真が首をかしげる。

 藍も理解が及ばないといったように首を横に振った。


「今回もそういうのかと思って……でもやたらはっきり見えるから……絵にも描いちゃった……ケサランパサランの残光はなかったけど……これはこれで収穫……」


 むふりと嬉しそうに無表情で言う菜々子。

 その様子を見た恵梨香は、菜々子にスケッチブックを返しながらその顔を見た。


「……あの、稲瀬先輩……!お願いがあるんですけど……」

「……菜々子先輩って言ってくれたらいいよ」

「えっ!?まだ何かも言ってないのに!?」


 恵梨香は菜々子の発言におののくものの、とりあえず頼みを言ってみることにした。

 割と後先考えないのは恵梨香の長所でもあり短所でもあるが、今回は長所として出たようである。


「……あの、レイコちゃんの絵を描いてあげてくれませんか?」

「……彼女の……?」

「私の……?」


 菜々子とレイコが、ほぼ同時にそう反応する。

 ふわりと夏が近づく涼やかな風がその場にいる彼らの間を駆け抜けた。

 なおも恵梨香は話を続ける。


「レイコちゃん、いつか絵を描いてもらいたかったって……さっき言っていたから……だから、描いてあげてほしいんです……お願いします!」

「……」

「……私からも、お願いします」

「お願いします」


 恵梨香が頭を下げると、藍と佑真が恵梨香の横に立って、同じように菜々子に対して頭を下げた。

 レイコはそれを見て両手で口元を抑えた。


「藍さん……佑真さんも……」


 二人を見て微笑んだ恵梨香は、もう一度菜々子に頭を下げる。


「お願いします、稲瀬先輩!!」

「……ダメ」

「ええっ……」

「恵梨香さん」


 ショックを受ける恵梨香に、藍がこっそりと耳打ちをする。

 恵梨香は言われた通りに、お願いを言い直した。


「お願いします、菜々子先輩!」

「いいよ」


 恵梨香はぱあっと笑顔を菜々子に向ける。

 菜々子は無表情のままぐっとサムズアップした。


「……この絵の、続きを……描けばいい……?」

「あ、あの!待ってください!」


 全員は一斉にそちらのほうを見る。

 そこには、感極まった顔をしたレイコがそこにいた。


「……まずは、恵梨香さん、佑真さん、藍さん。ありがとうございます」


 そう言ってレイコはぺこりと頭をさげてお礼を言った。

 三人は微笑み、それに返す。


「……ええと、菜々子さん。よろしく、お願いします」

「おうよ……任された……」

「それで、その……」


 レイコは少しだけ申し訳なさそうな顔をして、菜々子に向き合った。


「……よければ、私一人だけを描いてもらえないでしょうか?」

「え……」


 レイコのその発言は恵梨香にとってはやや予想外だった。

 こういう時、レイコは率先して誰かを巻き込んでいくものだと思っていたからだ。

 どうやらそれは佑真にとっても同じだったらしい。


「おいレイコ、一人だけでいいのか?全員並んで描いてほしいっていうもんだと思ってたが」

「あ、いやいや!もちろんそれも是非描いてもらいたいんですけどね!あんまり大勢描かせちゃうと菜々子さんにも悪いじゃないですか!」

「……別に私は構わないけれど……」


 菜々子はそう言ってアタリの書かれたスケッチブックのページをめくり、新しいページを開く。

 するとレイコはおどけるようにふわりと浮かび上がった。


「……あ、じゃあ菜々子さん!私一人を描いて、そのあとでみんな並んだのを描いてくださいよ!」

「っておい、今度はいきなり図々しくなったな」


 佑真が苦笑すると、レイコはえへへと笑う。


「ほら、なんていうか……絵を描いてもらうの、夢でしたから!早く完成品を見てみたいんですよ!一人だけなら完成も早くなりますよね!」

「ん……まあ、人が多いよりは……」


 菜々子は頷く。

 レイコはふわりと空中を一回転して、嬉しそうに笑った。


「ね!いいですよね!私一人の絵を描いてもらったら、今度は佑真さんや恵梨香さん、藍さんにあきらさんとルシールさんとも一緒に描いてもらうんです!!だめですかね!!」

「レイコちゃんったら……」

「おい、あんまり無茶言うんじゃないって」


 くすくすと安心したように恵梨香が笑う。

 佑真は苦笑しながらレイコに苦言を呈するが、レイコはそれを無視する。


「お願いします!菜々子先輩!」

「いいぞい」


 レイコの頼みに菜々子はやはり即答してくる。

 佑真は自分の頭をさすって菜々子に再び頭をさげた。


「本当にすみません、わがままな幽霊で……」

「構わんよ……私も個人的に、幽霊を描いてみたかったから……」


 菜々子はそう言ってくるりと鉛筆を回した。

 不思議とどこか、無表情ではあるが感慨深そうな顔をしているようでもあった。


「……それじゃあ……ロケーションとかも……指定あるかもだから……レイコ、ちょっとお話聞いてもいい……?」

「もちろん!よろしくお願いします菜々子さん!」

「うむ」


 菜々子とレイコは拳を合わせるようなジェスチャーをした。

 初対面に近いにもかかわらず妙に息が合っているようである。


「ああ、そういうことなら今日は先に帰るかな」

「佑真くん。試験勉強はどうするのかしら?」

「う……誤魔化せなかったか……」

「私は忘れてたよ……」


 藍の笑顔によって佑真と恵梨香、藍は再び図書室まで戻ることにする。

 恵梨香達はレイコに手を振って、屋上から離れる。レイコもそれに手を振り返していた。

 図書室ヘ行く途中、藍がふと口を開く。


「……レイコちゃんの事、どう思う?」

「ん、どういう意味?」

「いえ、思い違いならいいんだけど……なんだか様子がおかしくなかった?レイコさん、あんまり一人の絵を描いてほしいって言うタイプじゃなさそうな気がして」


 藍もやはり、レイコのことに関して少し違和感を感じていたようであった。

 その言葉に恵梨香は首をかしげた。


「確かにちょっと変かなーって気もしたけど……でも、すぐに自分の絵を見てみたいって言ってたから、そういうことじゃないのかなあ?」

「……まあ、それなら、いいんだけど」

「俺も違和感は感じたけど……ま、たまに変な事にこだわったりもするからなあ、あいつ……それになんだかんだ言って、少し遠慮はしてたのかもしれないし」


 佑真が頭をさすりながら言うと、藍は少し安心したようであった。


「佑真くんがそういうんなら、きっとそうなんでしょう」

「ん……」


 しかし、自分はレイコの事をどこまで理解しているのか、佑真には自信がなかった。

 前にも一度こういう事を考えた気がするが、その時からレイコへの理解は本当に進んでいるのだろうか。

 何か、レイコの一番根っこの部分をまるでつかみ切れていないような、そんな気持ちにもなるのであった。


----


 その日からしばらくの間、佑真は試験勉強、レイコは菜々子に絵を描いてもらうために離れていることが多くなった。

 レイコと出会ってからこれほど多く離れて過ごすのは初めてのことだったかもしれない。


「佑真くん、結構寂しかったりする?」

「誰が!」

「怪しいでござるなあ……!」


 今日は何故かルシールまで佑真の席に現れて佑真を訝しそうにみつめていた。


「そんだけ女の子に囲まれてて寂しいもなにもないだろ、全く」

「あー、ははは、そうかもね」

「そうかもねじゃないって……」


 自分の席に座りながら栄一が発した言葉を、恵梨香は笑って誤魔化した。

 それに対して佑真はがくりと肩を落とす。


「そういえば栄一殿は稲瀬菜々子殿の事は知ってるでござるか?栄一殿は女子に詳しいと聞いたでござる」


 ちなみにあきらやルシールには菜々子のことをちゃんとレイコが見えるようになったことも含めて話してある。

 だが栄一には偶然知り合った菜々子にオカルト研究会のマスコットを描いてもらおうとしている、ということになっていた。

 下手に関係を隠すよりも、こうやって本当と嘘を混ぜたほうがバレにくい、というのは藍の案である。


「女子に詳しいって……人聞きが悪いなあルシールちゃん。俺はただいつ誰から告白されても万全な対応ができるように準備しているだけさ」

「あはは、栄一殿は面白いでござるな」


 栄一がかっこつけて言ったことをルシールは一笑に付した。

 実際は別に栄一は特に女子に詳しいとかそういう事ではなく、ただ交友関係が広い為に噂を耳にする機会が多いだけだということを佑真は知っている。

 わざとらしく咳ばらいをした栄一は、少し考えて思い出す。


「ああ、菜々子先輩な……なんかちょっと前にイラスト部をやめたって話は聞いたことがあるな……」

「イラスト部を……?……でも、絵を描いていた時の菜々子先輩、すごく楽しそうだったよね?」

「じゃあ、別に絵が嫌いになってやめたわけじゃないんだろうな。ま、何か事情があるんだろうけど……そこらへんは勝手に想像して話すようなことじゃないか」


 栄一の言葉に佑真達は賛同し、この話はここで終わりということになった。

 他には栄一も特に何も知らないらしかった。


「にしてもまあ、とうとう先輩にまで手を出したか。ほんと最近のお前は……」

「だからそういうのじゃないって何度言えば……」

「説得力がないんだよなあ」

「ほんとにござるよ!」


 栄一のぼやきにルシールまで口を尖らせて賛同する。

 佑真はただ頭をさすって苦々しい顔をするしかなかった。


----


「姉御ー!」

「ありゃあきらさん」


 放課後、レイコがふわりと振り返って、廊下の向こうから走ってくるあきらを見る。

 前よりは廊下を走らなくなったあきらだが、今でもやはりたまに走っては藍によくたしなめられている。


「絵描いてもらいに行くんスよね?見にいっちゃダメッスか?」

「えぇー……どうしましょうかねえー……」

「姉御……おねがい!」


 あきらは前にレイコに教わったように、少しだけ照れながらもかわいらしくお願いしてみる。

 レイコはふふんと嬉しそうに微笑んでくるりと縦に一回転した。


「もうかわいい!ついてくるの許しちゃう!でも菜々子さんの邪魔にならないようにするんですよ!」

「うッス!」


 そう言ってあきらはレイコの後ろをついていく。

 校庭のすみへ向かい、そこにいる菜々子と合流する。


「……むい……ん?レイコ……そちらは……?」

「初めましてッス!赤来あきらッス!レイコの姉御が絵を描いてもらってるとこ見てみたいんッスけどいいッスか!」

「ん、いいよ」


 菜々子はイーゼルを立て、すでに下書きも描かれているそのスケッチブックを立てる。

 絵には書きかけのレイコと学校が描かれていた。


「姉御、背景を学校にしたんッスか?」

「はい!なんかいい感じでしょ?」

「そうッスかねえ?」


 あきらは首をかしげて唸りながら絵を様々な方向から見てみる。

 背景に学校を選んだ理由はよくわからなかったが、下書きのレイコはとてもよく描かれているように見えた。


「あきらさーん、菜々子さんの気が散るから動き抑えてー」

「あ、はい、すみません!」

「まあ……あんまり気にしないで……適当に……おしゃべりとかもしていいにゃん……」

「うッス!ありがとうございます!」

「……ツッコまれなかった……」


 そんなことを言いながらも菜々子は素早く鉛筆を動かして、絵を少しずつ鮮明にしていく。

 その絵はやはり非常に上手く、あきらは感心したように見つめていた。


「でも、この間もそうでしたけど、喋っててもいいなんて菜々子さん、すごいですよね」

「ん……まあ、だいたいの位置さえ確認できれば……多少動かれても描くものはぶれない……私、記憶絵は得意だから……だから細かい線さえできればあとは……色塗りとかは元を見なくても描ける……」

「へぇー、すごいもんッスねえ!」

「ふふん」


 菜々子は無表情のまま少し得意げな声を出す。

 あきらはだんだんできていくレイコの絵にいたく感動していた。


「いやあ、やっぱ絵描けるってすごいッスねえ、ウチそういうのは全然ダメッスからマジリスペクトッスよ」

「うむ……もっと褒めたたえよ……褒めは血となり肉となる……褒めエネルギーは体を循環して指先に集まり絵の出来を左右するのじゃよ」

「マジッスか!すげーッスね!!」


 菜々子のよくわからない言葉を聞いたあきらは素直に感服した。

 レイコはその光景を目を細めながら、できる限り動かないようにその場に漂っていた。


「これ、色とかつけるんッスか?」

「色鉛筆で……」

「へぇー」


 それを見ながら、レイコはふと考える。

 そういえば、佑真とこんなに離れていたのは初めてだったかもしれないと。

 なんだかんだで学校が終われば、あとはたいていの場合一緒にいたからだ。


「……ねえ菜々子さん、このペースだとどれくらいに描き終わります?」

「んー……まあ、ちゃんと描くとなると……そこそこはかかるかな……私も試験あるから……勉強せんとあれだしね……まあ……試験挟んで……七月になるくらいには描き終わるかな……」

「そうですか……」

「……あー、試験勉強の……いい気分転換になるから……気にしなくてもいいよ……平気平気……」


 菜々子はまた無表情のまま、ぐっとサムズアップした。

 レイコはふっと顔を綻ばせる。


「もう姉御ったら、そんなに早く絵を見たいんッスか?」

「えっへへ、なんかもう、すっごく楽しみになっちゃって……」

「んむ……絵描き冥利に尽きる」


 そう言いながら菜々子は額の汗をぬぐった。

 やはり夏が近づいているからか、今日もとても暑かった。


「……菜々子さん、みんなの絵を描くのは秋ごろにしましょうか」

「ん……秋?」

「ほら、菜々子さん今もとても暑そうですし……涼しくなった頃の紅葉とかをバックにして、みんなと一緒の絵を描くとか素敵じゃないですか?」

「なるほど!流石姉御ッス!ウチらも炎天下の中ずっと待ってるのはきついッスからね!」


 菜々子も無表情でなるほど、と言い感心した様子であった。


「レイコは……割とそういう気配りができる人……私は、そういうの苦手だから……すごい」

「そんなんじゃないですよぉ……」


 レイコが少しだけ困ったように笑う。

 あきらはそんなレイコを見てなおさら尊敬したように目を輝かせた。


「あ、ほらそれに!また秋までにハーレム候補が増えるかもしれないですし!その子とも一緒に描きたいですもんね!」

「ハーレム……レイコの?」

「私と佑真さんが共同で作っているのです!ふふん!」

「へえ……面白いね」


 菜々子は少しだけ考えたように顎に手をあててふーむと唸る。

 そして、何故か菜々子は首を横に振って、無表情ながら少しだけ悲しそうな顔をしたような気がした。


「……あの。どうかしました?」

「ん……いや、別に……やっぱり少し暑いかなって……思っただけ……」


 菜々子はペットボトルの水をごくりと飲みほすと、突然立ち上がった。


「……線もだいたい描けたし……今日はこのくらいにしようか……」

「え?もういいんですか?」

「うん……あとは大体……記憶で描いていけると思う……」


 菜々子はいそいそと画材を片付けていく。

 その途中でふわりと、一枚の紙がスケッチブックから落ちてあきらの足元に落ちた。


「お、なんッスかこれ?」


 あきらがその紙を拾い上げようとした時だった。


「ダメ……!!」

「えっ……?」


 突然、菜々子が今までにないような動揺をして、その紙をひったくってしまった。

 今までに見たことのない様子にレイコが驚きを隠せないでいると、次の瞬間には菜々子はいつも通りの無表情で対応した。


「……ちょっと、失敗作の絵だったから……恥ずかしくて……ごめんだワン」

「……?」


 あきらがその言葉にやや不思議そうな顔をして首を傾げた。

 そのまま今日はお開きとなって、レイコとあきらは菜々子と別れることにした。

 帰る途中、あきらはずっと何か考えているような顔をしていた。


「どうしたんですかあきらさん」

「んー、さっきの絵、ちらっと見たんッスけど、別に失敗作っていうような絵じゃなかったっつーか……うーん?」

「まあ、絵を描く人は他人にはわからないこだわりもあるって言いますし、そういうのじゃないですかね」

「そういうもんなんッスかねー」


 あきらはいまいち釈然としない表情のまま、レイコと別れて帰っていった。

 そうしてレイコは家に帰る。

 佑真はまだ帰っておらず、誰もいない部屋の中でレイコはぽつんと佇んでいた。

 少し経ってから、佑真が帰ってくる。


「佑真さん!おかえりなさい!もう佑真さんったら私がいなくて寂しかったんでしょう!」

「……」


 レイコはいつものように佑真にふわりと寄り添って絡んでくる。

 佑真は先程感じた感覚を思い出して、ふっと笑ってレイコを小突くようなふりをした。


「もしかしたら、本当に寂しかったのかもな」

「ほぁわ!!……佑真さんがデレた!!」

「何を言ってるんだお前は」

「あっそうだ佑真さん!!菜々子さんは88/76/82ではないかと思います!!!」

「お前なあ!!」


 佑真に多少あったセンチメンタルな気分はその一言ですっかり消え、レイコもいつものように楽しそうに微笑んでいるのであった。

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