第十一話『再び、カルーソ』

「着いた~」


 馬車から降りるなり、ユキナは腰をさすりながら、感嘆の言葉を漏らしていた。

 その後ろにはアリシア、そして、運賃を支払うシドウの姿があった。


 今回、三人が使った馬車は、学院が用意した格安の馬車だ。

 かつて、アリシアがセツナから借りた高級馬車とは違い、乗り心地は劣悪なものだった。

 狭いし、揺れるし、椅子は痛い。寝る時は馬車から降りて、野営だ。

 それが、当然と言えば当然なのだが、騎士団が使うあの馬車の乗り心地を知った今、普通の馬車に対して、悪態をつくのは仕方ないのかもしれない。


 もっとも、ユキナの場合、初めて馬車に乗った時から不満たらたらだったのだが。


「今回はクッションがあっただけまだマシだろ?」


 荷物を下ろし終えたシドウは宝物のように大事にクッションを抱きかかえるユキナをみながらごちる。


 このクッションは、初めてカルーソに訪れた時に買ったもので、それから出番がなく、お蔵入りしていたクッションだ。

 購入してから数ヶ月。ようやく今日、活躍の場面を得た事になる。

 地面の凹凸で激しく揺れる馬車で、柔らかいクッションは何を差し置いても重要だ。

 木の椅子の衝撃を吸収。乗り心地を少しでもよくする為に欠かせないアイテム。

 馬車生活が主流のアーチスでは、誰もが知る常識だ。


 だが、シドウのパーティでその常識を持っていたのは、残念ながら、シドウ一人のみ。


 以外な事に、アリシアも馬車の中で、クッションを使う――という事を知らなかったのだ。


「アリシアは大丈夫か?」


 ユキナのようにお尻をさすっていたアリシアに視線を向けると、アリシアは苦笑いを浮かべる。


「ちょっと、痛いかな? ゴメンね? 私、こういった馬車に乗るのは初めてで……」

「……」


 思わず押し黙るシドウ。

 まさか――とは思っていたが、どうやら嫌な方の予感は的中する事が多いらしい。

 恐らくは貴族出身――のアリシアは、これまで、こんな簡素な馬車を使ったことがないのだろう。

 クッションはもちろんのこと。サスペンションや冷蔵庫が完備された豪華な馬車を使ってきたに違いない。

 身分の差がここまで如実に表れてしまった事に、シドウは心で涙を流す。


「まあ……いいよ。帰りにアリシアの分のクッションも買おう。クエスト報酬を貰えればそれくらいは買えるだろう」


 シドウの言葉を聞いたアリシアの瞳が輝く。

 因みに今のシドウ達の手持ちは、数日間この村に滞在する為の旅費のみ。しかも、そのお金は学院が支給しているので、自由に使うことが出来ない。

 領収書をつけてもらい、お金の使用用途を明確にしておかないと、不鮮明な出費は全部自己負担になってしまうのだ。

 当然、クッションなどの私物は支給された旅費には含まれていない。


 馬車運賃。そして宿の宿泊、及びそれに伴う食費。基本的な使用はこれのみに限られる。


 しかも、一週間以上、学院から離れるシドウ達には、他のクラスメイトとは違い、大量の課題を出されているのだ。

 授業に遅れが出ない為の対策の一つであり、長期でクエストに出る生徒全員に、課題が課せられている。

 今回は長くても二週間を予定しているので、課題の量はバッグ一つ分だが、その量の多さには目眩がしてくる。

 はやく宿をとって、今日は課題に打ち込みたい。調査は明日の朝からの予定だ。


「さて、そろそろ行くか。アンネさんのところでいいよな?」

「「もちろん」だよ」


 二人の声が重なり、シドウたちはかつてお世話になった女店主のいる宿へと歩みを進ませるのだった。



 ◆



「こんにちは~」


 小さな宿の中に間の抜けた挨拶が通る。

 丁度、準備中だったのか、一回の酒場ではアンネがテーブルを磨いていた。

 ユキナの声に振り返ったアンネがシドウ達を見つけると、頬を緩ませる。


「おや、アンタたちかい。しばらく見ない内に随分と立派になったじゃないか」


 シドウ達が着ている制服を見て、ニヤニヤと冗談めかした笑みを浮かべながら、アンネはシドウ達に近づく。


「こりゃあ、私も騎士様とでも呼べばいいのかね?」

「冗談は止めて下さいよ。今まで通りユキナでいいですよ」

「私もアリアって呼んでくれると嬉しいです」

「そうかい? 二人がそう言うなら、そういう事にしとくかね」


 豪快に笑い飛ばすアンネにユキナとアリシアの二人は揃って苦笑い。

 質の悪い冗談は止めて下さい。と軽口を叩き合っていたところで、横から割って入ったシドウが本題に移る。


「久しぶりだな、アンネさん」

「お、あの時の腕白坊主かい? 手の傷はもういいのかい?」

「アリシアに治して貰ったからね。それはアンネさんも見てただろ?」

「ちょっとした挨拶みたいなもんさ。あんたらの実力なら合格は間違いないと思っていたけど、まさかこんなに早く再開出来るとは思ってなかったよ」

「挨拶だけじゃないからな。まあ、ひとまずこれを見てくれ」


 シドウは灰色のステータスプレートを取り出し、受注クエスト欄を見せる。

 他の個人情報は魔術により隠蔽してあり、シドウのステータスが漏れる心配はない。

 これもステータスプレートの機能の一つだ。


 シドウたちが受けたクエストを見たアンネが難しい表情を浮かべる。

 プレートをシドウに返したアンネが重苦しいため息を吐きながら、シドウたち三人を見た。


「なるほどね。このクエストを受けに来たのかい?」

「ああ。ここに来たのは、宿の手配と、情報収集の為だけど、とりあえず、宿を頼めるかな? そうだな……三泊するとして、その間の食事も任せたいんだけど……」

「それなら、一人、二万五千ユールくらいにはなるよ。言っとくけど、今回はタダにはしないよ」

「大丈夫。学院からお金は貰ってる。他人の金なら色目はつけないよ」

「……図々しいガキだね。二人もそれでいいかい? 部屋はどうする? 今日は個室も三人部屋も開いてるけど?」

「三人部屋で」


 これは事前に相談していたことだ。

 クエストの情報共有や進捗度の共有。大量の課題をこなす為には足並みを揃えた方がいい。

 幸い、ずっと三人で行動してきたからか、今さら一緒の部屋で恥ずかしがったりはしない。

 アンネは名簿に名前を書き連ねながら、部屋の鍵をシドウに渡す。


「どうする? 最初に飯にするかい?」

「そうするか?」


 ユキナとアリシアが頷くのを見て、シドウはご飯を食べる事にした。

 部屋に荷物を置きに行こうとしたところで、遠慮がちな声が背中にかかる。


「ちょっと、いいかい?」


 伏し目がちなアンネが、困ったように頬を掻きながらシドウ――ではなく、アリシアを見る。

 なんとなく、予想がついた。シドウは頭の中の電卓をフル回転で叩き始める。


「ちょっと怪我した連中を見てやって欲しいんだ。頼めるかい?」


 以前にも同じ事を頼んだ事で、躊躇いが薄れたのか、アンネがそんな申し出をしてくる。

 アリシアは、迷うことなく頷き、怪我の手当をする為に酒場に残ろうとした。

 だが、そこで。


「ちょっと、待って下さい」


 金の亡者。守銭奴たるシドウがアリシアのマネージャーのように顔を出す。

 図々しいにもほどがあるが、シドウにも一千万近い借金がある。お金は取れる時にとっておくことだ。

 それに、今はアリシアもシドウの仲間。その仲間を占有されるのだ。見返りにはそれ相応の色をつけてもらおう。


 素早く、テーブルの上に置かれたメニュー表の裏にペンを走らせ、即席の治癒メニュー表を作成する。

 シドウはアンネに新しく書いたメニュー表を渡しながら、飄々と言ってのけた。


「今回は俺達も仕事で来てますから、当然アリシアにだって役割はあります。なので、アリシアを貸し出している間のバイト代。それに、怪我の治療費を簡単に書かせて頂きました」


 シドウから受け取ったメニュー表を見たアンネの表情が渋る。

 肩を竦めたアンネが、嘆息交じりでシドウを見た。


「お前さん、本当に図々しいね……」


 呆れを通り越して、ため息を漏らしたアンネに、犬歯を覗かせて嗤うシドウ。その二人に挟まれたアリシアは申し訳ない気持ちで一杯だった。

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