第十話『蠢く正義』

 その日、カルーソの馬車停留所に一台の馬車が停車する。

 二頭の馬に引かれた馬車の作りはシンプルなもので、アステリア帝国でもっとも多く普及している馬車だ。


 男は、その馬車を遙か遠くから眺め、降りてきた少年、少女達を注意深く観察する。

 一人、一人、顔を確認していく内に、男の口角が吊り上がる。


「キヒヒ……」


 男はついに、彼女との念願の再開を果たす。

 忘れる筈がない。見間違える筈がない。


 あの、星のように輝く銀髪。宝石のような翡翠の瞳。白くきめ細かい肌。


 あぁ、どれほど焦がれただろう。もう一度、彼女に会う。それが、この男の全てだった。


 一目見た時から決めていた。彼女は男達の物だと。


 あの白い柔肌も、銀色の髪も、彼女を構成する全ては、自分たちの物だ。

 血の一滴。魂の欠片まで、全て、彼らの物。


「アイツが、そうか?」


 同じく、遠見の魔術で馬車の様子を伺っていた仲間の一人が、未だ薄気味悪く笑う男へと話しかける。

 男は呂律の回らない言葉をもって、「そうだ」と告げる。


「……ようやく、得物が餌にかかったというわけか」

「キヒ……永かった。待ち焦がれた。あぁ、速く……」

「落ち着け。後、二人いる。あの女の仲間か?」


 そこで、ようやく男は少女以外に視線を向ける。


 金色の髪の少女の記憶はほとんどない。

 だが、黒色の少年の顔は見覚えがある。


 あの少年に殴られた記憶が疼きとなって蘇る。


「男、仲間……けど毒、効かない」


 男は、かつての記憶をたぐり寄せ、あの怪異な現象を口にする。

 魔術式を刻んだナイフで切りつけても、魔術が効かなかった男。


 基本的に魔術式を刻んでも魔術は発動しない。たが、例外は存在する。

 その一つがあのナイフだ。ナイフに刻まれた魔術式はそれ単体では起動しない。

 だが、ナイフが肉を裂いた時にだけ、あの魔術は発動するのだ。



 魔術とは魔力――マナから生み出される。なら、そのマナが汚染されるとどうなるか――



 答えは簡単だ。

 マナは生命エネルギーの根源。その根源が汚染されれば、当然、体に悪影響が出る。

 このナイフの魔術式は厳密に言えば、魔術ではない。マナや魔力そのものに干渉する魔術は、魔術とは呼ばれない。呪術と呼ばれる。このナイフは、マナを汚染し、行動不能にする。それだけに特化したナイフであり、魔術のように、マナをまったく別の力へと変質させる物ではない。


 他者の体内に直接流し込み、マナや魔力回路を汚染出来る魔術は術者の意識変革をそれ程必要としていない。他者の深層意識を上書きし、マナが汚染された事を認識させることで、法陣が完成する。

 法陣による世界承認は実証されている。失敗に終わった使用者の深層意識の改革を、他者の深層意識に置き換える事で、法陣を使った魔術は、その真価を発揮する。

 つまり、法陣の魔術を起動する方法は、自己意識の改革でなく、他我の意識の改革にある。そして、他我のマインドコントロールとは、ちょっとした衝撃で書き換えが可能なのだ。それこそ、法陣を通じて、体内に術者の魔力を直接流すだけで、簡単に変革できる。



 だが、あの男にはナイフの汚染が効かなかった。


「魔力を出していたのか?」

「出してない。そんな素振り見せなかった」


 このナイフの毒から逃れる方法は一つだけ。汚染されたマナを魔力として体の外に放出する事だ。

 だが、あの時、あの少年から魔力は放出されていなかった。

 何かまったく別の手段を用いて、ナイフの毒を無効化したのだ。


「イレギュラーか……面倒だな」


 思案顔を浮かべる仲間に、男は言った。


「今しかない」

「……わかってる。せっかくの得物だ。逃す気はねえよ……」


 男達はたった一人の少女を誘い出す為に、魔物をこの村へとおびき寄せていた。

 ただ、少女が一度、この村に来た。それだけの理由でだ。


 たったそれだけの理由で、村の近くには魔物が溢れかえり、村に住む人の命が脅かされたというのに、男達はその事に対して、微塵も謝罪の気持ちを持ち合わせていない。


 彼らにとって、あの少女の存在はなによりも優先されるからだ。

 だからこそ、たった一人のイレギュラー程度で、計画を止める筈がなかった。


「あのガキには何人か差し向ける。それで時間稼ぎになるだろう」

「殺さないのか?」

「殺せるか……どう見ても、あのガキはハズレだ」


 彼らの殺しが容認されるのは、あの少女に対してのみ。

 あの銀色の少女に対し、あらゆる罪が許される。

 無理矢理、犯そうとも、辱めようとも、拷問にかけようとも、非道と呼ばれる数々の行為を行おうとも、彼女がであるというだけで、許される。


 だが、逆に言えば、召喚者以外に同じ事をすれば、それは罪となり、帝国――ないしは騎士団に裁かれる事になる。

 彼らもそれは望んでいない。

 合法的に犯せる。その背徳感がなによりも彼らを興奮させる。この帝国の狂った仕組みの一つだった。


「いいか? 計画通りに進めるぞ。余計な殺しはするな。俺達の目的はただ一人。あの銀髪のガキだ」


 男達はこの数ヶ月間で綿密に練り上げた作戦の詳細を脳裏に思い描く。

 抜かりはない。後は実行するだけだ。


 最後に、彼らは銀色の髪の少女を見つめた。

 その瞳は、狩りを行う獣のそれ。欲望に塗れ、穢れた瞳を浮かべている。


 彼らの一人が大仰に宣誓する。


「正義は我らにあり」


 少女――ユキナ=クローヴィスを狙った計画が、静かに動き出す――

 


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