第七話『息吹く狂気』
コロシアムから姿を消したシドウ。その姿はコロシアムのすぐ側にある控え室にあった。
学生が十人くらいは収まりそうな広々とした空間だ。作りは質素で、床は木材を利用したもの。木目調の模様が綺麗に並んでいる。壁際には衣服や武器が収納出来る更衣スペース。
さらには給水場や、汚れなどを落とすのを目的としたシャワールームまで完備されいる。水場周辺だけはゴム系の材質の床となっており、撥水性が高く、床が腐る心配をする必要もない。
不満があるとすれば、シャワールームがガラス張りの点だろうか。一応、白く曇っているが、シルエットが丸わかりだ。男女共有のスペースであることを考えれば、些か配慮に欠けている。
だが、訓練で付着した血や汚れをそのまま寮に持ち込むのも気が引ける。いざという時には必要な設備であることには変わりないので、控え室の利用は男女別で時間割りがされているようだ。
因みに、今はシドウしかいない。クラスメイトの大半がアルディの様子を気にして、シドウまで気が回っていなかったのだ。誰もシドウがここにいるとは気付かないだろう。
「はぁ……はぁ……」
シドウは息も絶え絶えにジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外す。
ずるずると扉にもたれかかり、そのまま座り込んだ。肺に溜まった空気を吐き出すように大きく息を吐く。
シドウの姿は有り体に言ってしまえばひどいものだった。顔は血の気が無くなり、土気色を通り越し、真っ白だ。目も据わり、唇も青ざめている。体は震え、座っているのもやっとといったところだ。
全ての元凶は一つ。過度な魔力消費による疲労だ。
魔力とは生命エネルギーそのもの。魔力を消費すれば消費するだけ、生命エネルギーを消費する事になり、生命エネルギーが枯渇しかけると、今のシドウのように、体に不調を来たし、魔力の精製が一切不可能になる上に、行動不能に陥る。最悪の場合は死亡する事もある危険な状態だ。
十分な食事や休息など――何かしらの補給をとらないと生命エネルギーであるマナは回復しない。もっとも生命エネルギーを回復出来るのは異性と体を重ねる事だが、残念ながら今は相手がいない。
「くそ……鈍ってるな……」
嘆息を漏らし、頭を抱える。
かつてのシドウなら魔弾の数発程度でここまで疲弊する事は無かった。
魔力を純粋なエネルギー弾として構築する為には一発につき、D級以上の魔力量を必要とする。シドウの魔力総量は平均より少なく、元々、撃てる数に限りがあった。
最大数を増やす為に、魔力操作の腕を磨いていた時ならまだ、もう少し魔弾を放つ事が出来た。
今のシドウは全盛期の半分程度の力しか出せていない。スタミナ切れが想像以上に早かった事にシドウは少なからず動揺を受けていた。
「やべ……ナイフも忘れてきた」
変調を感づかれるのを避ける為に早々に避難したのがいけなかった。シドウのナイフは未だにアルディの腕に刺さったままだ。回収していない。
最悪、治癒を施していたアリシアか、担任のリース辺りが回収しているだろう。その時は、小言を言われるのを覚悟で、受け取りに行けばいい。
シドウは億劫な思考で今後の予定を考えていた。その拍子に未だにレギンレイヴを握っていた手が視界に入る。
その瞬間。
「――ッ!」
ドクン……
シドウの中で黒い感情が確かに息を吹き返した。
ドクン……ドクン……ドクン……
そのドロドロとした感情は、濁流のように、シドウの理性を押し流していく。
封じていた人格が――心の奥底に、あの日、眠った筈の過去が、シドウの感情を上書きしていく。
それは、紛うことなき、もう一人のシドウだ。かつて、嘱託騎士にいた頃の、いや、もっと前、シドウを変えようとしてくれた彼女に拾われる前の、シドウだ。
機械的で、受動的。まるで人形のようだった頃の、シドウ。
久しく忘れていた感情が、戦いの高揚が収まるにつれ、鎌首を持上げてきた。
感情が、記憶が、気持ちが、想いが掻き消される。かつてのシドウがゆっくりと覚醒していく――
「う、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
激流に抗うようにシドウはパニックに陥りながら叫ぶ。
銃を持った手が、激しく震え、銃を見つめた瞳の瞳孔が開く。口から漏れるのは理性ある言葉ではなく、獣の咆吼だ。
銃を放せとけたたましく警鐘を鳴らす。腕がそれに従い、銃を振り落とそうともがく。
叫びが数秒、数十秒と続く。刹那のようで、永久のような戦いはシドウが銃を取りこぼす事で終幕を迎える。
カラン……と音をたて、レギンレイヴが足元に転がる。シドウはすかさずレギンレイヴを蹴飛ばし、視界の中から弾きだした。
「はぁ……」
本当の意味で、ようやく一息つけた。
既に肉体的にも精神的にも疲労は限界。
過呼吸になりかけた呼吸も動悸もようやく落ち着きを取り戻した。
なにはともかく、休養だ。今、それ以上に必要なものはない。
少しでも休めば、マナも、この感情もなりを潜めるはずだ。
シドウは力尽きたようにうつ伏せになると、ゆっくりと意識を手放していった。
◆
「……あああああ――」
「シドウ……?」
控え室のすぐ側を通りかかったユキナは聞こえた悲鳴に首を傾げた。
聞き慣れた声は普段の自信に満ち足りたものとはかけ離れ、助けを求めるような声だった。
ユキナは声のした方へと足を向け、速歩になりながら、その場所を目指す。
シドウの悲鳴が聞こえたのは幸い、ユキナだけだった。
ユキナは戦いの最中、シドウから目を離すことがなかった。当然、戦いの後、シドウが逃げるようにコロシアムを去ったのも目撃している。
シドウを探す為に、一人、周辺をうろうろしていたのだ。クラスメイトは未だ、アルディの周囲や観戦席に縫い付けられている事だろう。
ユキナがシドウを探した理由は、リースの理由と近いところがあった。
リースほどではないが、ユキナもあの戦い方が腑に落ちなかったのだ。
シドウをよく知るユキナからしてみれば、シドウのあの戦い方は異常だった。かつて、シンクのクエストを一緒に受けた時も、ユキナの訓練相手になってくれた時も、シドウには相手を思いやる気持ちがあったのだ。
だが、今日の戦いにはそれが無かった。
正しくいえば、あの魔銃を取り出した時から、何かが変わった。それもきっと良くない方へと。
ユキナはシドウのやり過ぎを注意する為、また、普段と変わらないシドウの様子を見て、安心する為に、シドウの事を探していたのだ。
だが、今の悲鳴を聞いて、ユキナの表情が曇った。
不安が募り、速歩はいつの間にか駆け足に変わっていた。
辿り着いた控え室の前で、呼吸を整える。
震える手で控え目に扉を叩く。
「シドウ、いるの?」
ユキナの問いかけに答える声は無かった。
悲鳴もいつの間にか収まり、扉の向こうから人の気配を感じる事は出来なかった。
意を決してドアノブを握る。
ゆっくりと扉を開き、中を覗き込む。
視線が倒れ伏したシドウを捉えた瞬間、ユキナはシドウの名前を叫んでいた。
素早く、シドウの側に駆け寄り、容態を確認する。
脈は、弱々しいけど、ある。呼吸もある。
顔色は相当に悪いが、生きている。
ユキナは知りうる限りの魔術を使って、シドウの体を診察する。
体内の異物や怪我を調べる【メディカル・スキャン】など、少しばかり苦手とする治癒系魔術で一通りシドウの体を診た結果。
「ね、寝てるだけ……?」
ユキナは腰を抜かし、尻餅をついた。
魔力不足による疲労こそあるが、それも命にかかるほどじゃない。十分な休養をとれば三日ほどで回復するだろう。
ひとまずの安心を得たユキナは、死んだように眠るシドウの頭を優しく小突く。
「このバカ……心配かけさせて……」
言葉にはそれ程の怒りは込められていない。
倒れたシドウを見つけた瞬間、怒りが全て吹き飛んだのだ。
ただただ不安と恐怖だけが残り、それもようやく落ち着いた今、ユキナの中にははた迷惑な心配ばかりかけさせるシドウに対する愚痴しかなかった。
とはいえ、このまま放置するわけにもいかない。
ユキナは素早く、床に転がったレギンレイヴやジャケットを拾い集め、シドウの肩を担ぐ。
「う……眠ってる人って思ってた以上に重いのね……」
ユキナの背中にシドウの全体重がのしかかる。
魔術を使えば、重さも無くす事は出来る。ユキナは反射的に魔術を使おうとして――
「まぁ、今日くらいは、いいかな?」
咄嗟に詠唱を中断する。
魔が差したといえばいいのか。たまにはこんな重さも悪くはない。いい訓練になるはず。
ユキナは頬を赤く染めながら、自分に言い分けを言い聞かせ――
シドウの重さをしっかりと感じとりながら、人知れず控え室から出て行くのだった。
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