第八話『銀の蛮族』

 入学して早々、クラスの中に深い傷跡を残したシドウとアルディの戦いから数ヶ月。


 僅か数日で退学者一名を出す――という極めて異例な事件に担任のリースが学院長からキツいお灸を据えられ、そのとばっちりを受けて、反省文の山を処理する羽目になったシドウ。

 なんとか、特待生免除の危機を免れはしたものの、クラスとの溝は誰が見ても明らかなほどに深くなった。

 

 好き好んでシドウに近づくのは入学以前から仲の良かった特待生組だ。

 その一人、アリシア=シーベルンは、クラスメイトとも仲が良く、当たり障りがなく、物怖じしない性格。さらには、治癒魔術の腕、母親譲りの博識さから、クラスメイトも彼女と話す機会が多かった。

 入学以前の『癒しの姫君』としての力も健在――より顕著になって、一部の男女、及び、余所のクラスからは『女神』や『天使』とすら呼ばれる高嶺の花となっている。


 そして、もう一人の特待生、ユキナ=クローヴィス。彼女もまた、アリシアとは違った意味で人気だ。

 一年生の中ではトップクラスのステータスを誇る。さらには、魔術も全属性操れ、彼女が使える魔術の量はこの学院で一番だ。

 さらには、武術にも秀で、テイル仕込みの帝国騎士団格闘術を駆使し、体術、魔術共に、学院最強の座に居座っている。

 誰に対しても笑顔を絶やさず、常に明るく、天真爛漫。だが、模擬戦となれば容赦なく、まるでかつての鬱憤を晴らすような怒濤の乱舞から、一部の生徒から『銀の蛮族』と恐れられていたりもする。この数ヶ月で築き上げた伝説は数知れず、爽やかな笑みを浮かべ、周囲を圧倒する彼女の姿は悪夢に出てきそうだ。

 性格もスタイルもいい。だが、口より先に手が出る蛮族ぶりから、男子の間で密かにランキングされた『恋人にしたいランキング』では低層に位置する。因みに一位は全員一致でアリシアだ。彼女がそれを知れば、たちまち屍の雨が降ることだろう。


 あらゆる意味で話題の絶えない今年の特待生組。そんな二人に挟まれたもう一人の特待生。異端の最前線を突っ走る少年が、この学院きっての問題児、シドウだ。


 入学早々に、才ある学生を潰した事件は記憶に新しい。

 だが、それは、その後に訪れる厄災の始まりに過ぎない。

 シドウは、ユキナに下心を持って近づこうとする者、あるいは、親しくなろうとする者に対し、一切の容赦が無かった。

 下心を持つ輩に対しては機能不全になるまで徹底的に潰し、純粋に仲よくなろうとする者に対しては、二度と近づきたく無くなるほどのトラウマを植え付ける。シドウが嘱託騎士時代で培った戦闘センス、及び、情報収集能力を前に、学生全員が膝を屈したのだ。

 その、外道ぶり、鬼畜ぶり、あるいは非道ぶりが一人歩きし、『魔王』などと呼ばれたりもする。だが、もっとも多いのは『クズ』や『ロクデナシ』だろうか。一部の生徒が『ハーレム』などと囁いた日には土下座の行列が出来ていた。学院の頭痛の種である事には違いない。


 クラスとは隔絶した距離感が生まれるのもそう時間はかからず、それなのに、アリシアやユキナといった美女揃いはシドウと親しくする。余所のクラスを含め、一学年全員がシドウを目の敵にしている事は間違いないだろう。


 様々な――リースが始末書で涙を流す事件が多発した数ヶ月だったが、それでも平穏である事には変わりなかった。



 ◆



「ん……」


 そんな躍動の毎日を過ごすユキナだが、日々の生活はゆっくりとしたものだった。

 彼女の朝は早い。ユキナはまだ、朝日が昇る夜明け前に目を覚ます。時刻は五時頃だろうか。

 未だに多くの生徒や教師は眠りについている。ユキナは軽く体を伸ばしたあと、顔を洗い、意識を覚醒させる。

 受験当時から使っているこの一室は既にユキナの私物で埋め尽くされていた。

 戸棚には授業で使う勉強道具一式。クローゼットには制服や、私服、ユキナが主武装とするナイフが仕舞ってある。また、簡易キッチンには安く買ったグラスや皿などの食器類が並び、自炊する為の調味料の数々がある。この町の魔導器店で買った試作品の冷蔵庫や炊飯器などは、ユキナの生活に欠かせない一式となっている。

 

 水上都市ベルナールでのみ許された魔導器研究機関。その研究機関が試作品として、町に卸した商品の数々は、魔導器専門店で安く買う事が可能だ。研究機関へのレポートの提出という面倒な契約こそあるが、今のユキナの部屋は機能面においては日本といた頃とさほど変わりない。兵器ではない魔導器はそれ程忌避されていないので、それなりに人気だ。


 ただ、魔導器を毛嫌いする天族などは未だに抵抗があるようだが、ベルナールに住む住人の大半が人族か亜人なので、神の遣いと称される天族をこの町では見た事が無い。


「さて、と……」


 ユキナは手早く、身支度を調え、日課へと赴くのだった。



 学生寮の前はちょっとした広場となっている。お茂る芝生。丁寧に切りそろえられた木々に囲まれた広場だ。ちょっとした噴水もあり、さながら公園のよう。休日は憩いにと学生が集まっているが、今は閑散としている。

 ユキナは刃引きされた模擬戦用のナイフを構え、体に染みついた動きを繰り返し行う。

 突きに、払いに、受け流し。横薙ぎや袈裟など、一連の動作を確認したあと、ユキナは魔術の詠唱を始めた。

 使った魔術は重力操作の魔術【グラビトン・リリーフ】だ。ユキナは自身の重力量を数倍に跳ね上げる。

 体の節々が圧しかかる重力にミシミシと悲鳴を上げる。今の重力は普段の五倍ほど。全身の筋肉が華奢なユキナの体を支えようと全力稼働する。


「ふっ! はぁ!」


 再びナイフを構えたユキナは再び、ナイフを繰り出す。今度は格闘技も混ぜた複合型だ。

 拳も蹴りも、普段と淀みなく突き出される。普段からこの重力下で訓練をしているユキナにとっては慣れたものだ。


 学院の必修科目にも実技訓練は当然ある。だが、テイルと一年間訓練をしてきたユキナにはどうにも物足りないものがあったのだ。


 別に、騎士学院の実技訓練が生ぬるいわけではない。事実、ユキナやシドウを除いた大半は訓練終了後は起き上がる事も出来ないほど、ハードなものだ。

 だが、テイルの過酷と表現するのも生ぬるい地獄のような日々を送って来たユキナにとっては、何か足りない。

 そうして始めたのがこの自主訓練だ。重力負荷をかけた訓練は、体術だけで無く、魔力操作の訓練にも繋がる。常に魔術を維持する為に、魔力配分に気を配りながら、複雑な動きを繰り返すのだ。数分でユキナの額には玉粒の汗が浮かび、ジャージの下は下着まで汗で濡れている。


 そうした訓練を一時間ほど行い、時刻は六時頃。そろそろ人が起き出す時間帯だ。

 ユキナはナイフを仕舞うと最後のシメに入る。軽く屈伸を繰り返した後、ほぼ全力とも呼べる走りを見せ、ベルナール学院の学院街をひた走る。


 学院から中央の噴水広場まではそれなりの距離がある。重力負荷を施したまま、何週か走り込み、寮へと辿り着いた時、起床を知らせる鐘の音が鳴り響く。

 時刻は丁度、六時半。学院のHRが始まるのが八時半を考えるとそろそろ訓練を切り上げる時間だ。


「こんなものかしら」


 程よい汗をかけたこともあり、ユキナは満足げに頷くと、自室に戻る。




 ジャージを脱ぎ捨て、汗で濡れた下着も脱ぐ。一糸まとわぬ姿となったユキナはそのままシャワールームへ直行。

 特待の特権とも呼べる個室のシャワールームで汗を流し、衣服に袖を通していく。

 最後に、鏡で確認。

 寝癖なし。着崩れ無し。汗の臭いも……たぶんしない。


 身だしなみを整えたユキナは、鏡に映った自分をもう一度見た。


 銀色の髪に翡翠の瞳。勝ち気そうで、明るい表情を浮かべる少女。

 そこにはこの一年で見慣れた――ユキナ=クローヴィスの姿があった。



 そう。見慣れた――姿だ。


「もう、違和感すら感じないわね……」


 ポツリと漏れた呟きには哀愁が漂う。

 アーチスに召喚されて一年。慌ただしい日もあったが、ここ最近は比較的穏やかだった。

 だけど、ユキナは、思い出さなかった。

 日本の事を、家族の事を――


 召喚された時は毎日夢に見るほど焦がれていた家族の事を、ここ最近は思い出すことすらなかったのだ。

 忘れていたわけではない。けれど、記憶の片隅から浮上する事が無かった。


 それは、この世界での生活が当たり前だと感じ始めた事に起因する事をユキナは自覚していなかった。

 いつの間にか、この世界に馴染み、あれほど帰りたかった日本を過去の思い出に埋没させる。そんな危機感をいつの間にか忘れ、この世界の当たり前を享受していた。


 今となっては、黒髪、黒目に眼鏡をかけ、暗そうな表情を常に浮かべていた『小日向雪菜』を思い起こす事すら出来ない。


 いつの間にか、雪菜にとって、ユキナ=クローヴィスが彼女の中心に居座っていたのだ。


 ユキナは銀色の髪を指先で弄りながら、違和感のない姿を見て、、寮を後にするのだった。

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