第二話『癒しの姫君Ⅰ』
「ああ~疲れたぁ……」
馬車に揺られて丸一日。
カルーソと呼ばれる小さな村に到着するなり、馬車から逃げ出したユキナは腰を押さえて唸る。
日本のように整備された道ではなく石や砂利など大小様々な破片が散らばった場所を馬車で進んで来たのだ。
馬車の中は相当揺れ、その度に木製の椅子の上をバウンドするものだから、ユキナのお尻には相当な負担がかかったに違いない。
馬車業者やシドウのようにクッションを用意しなかったユキナも悪いが。
「だから、ちゃんと準備しろって言っただろ?」
「だって、こんなに揺れるなんて思わなかったんだから仕方ないじゃない!」
呆れるシドウにムキになって反論するユキナ。
シドウに指摘され、途中から衣服をクッション代わりにしていたが、お尻を何度もさするあたり、まだ痛むのだろう。
呆れを通り越し、苦笑するシドウ。
「仕方ねえ。どっかで適当に仕入れるか。まだ数日は馬車の中だしな」
「ねえ、もうちょっと設備のいい馬車に変えない? 木の椅子じゃなくて、せめてソファーとか……」
「そんな金ある訳ねえだろ」
「なら、出発するまで簡単なクエスト受けてお金稼いでさ」
「それも無理だって説明しただろ?」
ステータスプレートをテイルに預けたシドウは書類上、冒険者を辞めた扱いになっている。
ステータスプレートには、これまでのシドウの経歴が書かれており、入学の時、もし提示を求められでもすれば、即シドウの不合格が決まっていたからだ。
見られたくない経歴や『特性』が満載のシドウのステータスプレートは今頃、テイルの手によって焼却されている頃だろう。
無職になったのは痛いが、無事に合格し、学院で『仮プレート』を貰えれば問題ないので、それ程深刻に捉えていなかった。
「むぅ……」
頬を膨らませて拗ねるユキナ。
無言の抗議を無視してシドウは馬車業者に運賃を支払い、荷物を下ろしていく。
(さて、まずはこの村で一番安い宿屋を見つける事から始めねえと……)
シドウは馬車業者からこの町で一番安い宿の場所を聞く。
どうやら村の外れに一人暮らしの女性が経営する宿屋があるらしく、値段もこの辺りで一番安いらしい。
「へえ、いいんじゃない?」
話を聞いていたユキナも満更でもなさそうだ。
詳しい道筋を聞いて、馬車の停留所から離れたシドウ。
道すがら、いくつかのお店を物色しながら、適当に散策していく。
「ねえ、シドウ?」
「ん? 何だ?」
「重いんですけど……」
荷物の類いはシドウとユキナが分散して持っている。
自分の荷物は自分で管理――という暗黙のルールに則り、シドウの持つ荷物は黒ケースと大きめのリュック一つくらいだ。
だが、ユキナは、五つ程の鞄を――それもかなり大きめの鞄を背負っているのだ。当然、その総量はユキナに持ちきれる量ではなく、重力を操作する魔術【グラビトン・リリーフ】を使って目立たない程度で軽くしている。
それでも重たい事に変りはなく、額に汗を浮かばせ、引き攣った笑みをシドウに向けていた。
「どうして、お店を逐一見ていくのよ……」
「あのな、お前の為でもあるんだぞ? 馬車用のクッション、いるだろ?」
「いるけど、宿に着いてからでもいいんじゃないの?」
「それだと日が沈む。日が落ちたらほとんどの店が閉まるだろ? そうなってからじゃ遅いんだよ」
今はまだ昼過ぎだが、宿屋の確保に店主への挨拶、そして値段交渉。食事や風呂の確保などするべき事はごまんとある。
一度宿に入れば、夕暮れ時まで出られないだろう。
それを考えると買える物は今のうちに買っておきたい。
懐具合を考えると宿に使える金は二人合わせて一万五千ユール程だ。
かなり値切らないとその額で宿を貸してもらえない。最悪、ユキナに宿の手伝いをさせることも考慮しながら、シドウは物色を続けて行くのだった。
◆
「ここか……」
後ろで泣き言を漏らすユキナを無視し、物色を続け、何とか格安でクッションを手に入れたシドウ。
目的地の宿屋の前で立ち止まり、看板に目を通す。
そこには値段表が書かれ、一人あたりの一泊の金額が書かれていた。
「一人、七千ユール……」
二人で一万四千ほど。ギリギリ払える額ではあるが……
「ちょっと高いな」
値段表には宿に泊まるだけの値段しか書かれておらず、食事などは書かれていない。別途必要になるとすれば、ちょっと高い。
「そう? 他の宿よりはかなり安いと思うわよ?」
看板を覗き込んだユキナはそう言うが、シドウは不満げに唸る一方だ。
シドウとユキナの財産管理は全てシドウ一人が担当している。
二人の手持ちの金は合わせて三十万ユール。
ユキナの訓練と称して何度もクエストに行かせ、稼いだ金だ。因みにシドウは最初の頃しか同伴してない。
報酬の受け取りは全てシドウだったので、稼いだお金も全てシドウが持っている訳だが……
ベルナールに着くまで馬車を乗り継ぎして後、三日ほど。
その間の宿泊費や馬車代。そして食費の事などを考えるとやはり、七千ユールは高い。
それにベルナールに着いた後の事も考えなければならないのだ。
ベルナール騎士学院の受験料は本来、一人、二十万ユールだ。
テイルの紹介状のおかげで、だいぶ安くなり、二人合わせて二十万ユールとなったが、それを引けば、シドウが自由に使えるお金は僅か十万ユール。
受験料を支払えば受験者として、無償で学院の寮や食事を提供してくれるので、ベルナールに着いた後は数万ユールあれば事足りるだろう。
なら、その数万ユールを残す為にどうするか……
(野宿――とか言ったらコイツ怒るだろうな……)
片目でユキナを見つつ、懐具合と相談。
(まあ、なるようになるだろう……)
ユキナの言ったようにここより安い宿が他にはなかったので、シドウは半ば、諦める形でその宿屋の門をくぐるのだった。
◆
「いらっしゃい!」
宿屋に足を踏み入れたシドウを迎えたのが活発そうな店主だった。
栗色の髪は三つ編みで束ねられ、腰辺りまで伸びている。
着ている服は動きやすさを重視して、シャツにズボンと軽装だ。申し訳ない程度にエプロンを着用している程度で、それがなければ宿を借りているお客の一人と勘違いしていただろう。
シドウは軽く身なりと整えると、女性に向かって言葉を投げる。
「宿を借りたいんだが……」
「ゴメン、ちょっと待って貰える? 今、一番忙しいのよ!」
女性はシドウに目も向けず、そう返してくる。
宿を見たシドウは「確かにその通りだな」と苦笑を浮かべた。
一番安い宿だと聞いていたが――
「アンネちゃん! こっちに麦酒追加な! あとチキンも!」
「あ、こっちは今日のお勧めのパスタくれよ!」「あ、俺も頼むわ!」
むさ苦しい男どもが次々に注文していくものだから、一向にシドウの相手をしてくれる気配がない。
「ここ、一番人気の宿の間違いじゃないか……?」
思わず呟くシドウ。
宿はテイルのギルドと同じく酒場と宿が一体になった形をしており、一階の酒場は主に中年の男メインで溢れかえっている。
女性は――一人くらいだ。
しかも給仕なのか、アンネと呼ばれた店主同様に、各テーブルに料理を配膳していた。
(おかしいな……経営者は女性一人だって聞いていたが……)
この忙しさだ。もしかしたら臨時で雇ったのかもしれない。
それに、この忙しさ――逆に利用出来そうだ。
「ユキナ」
「ん? 何よ?」
宿屋の光景に圧倒されていたユキナがシドウに振り向き、シドウの表情を見て、頬を引き攣らせた。
それはシドウがよく悪巧みを考えた時の表情だったからだ。
吊り上がった笑みに、怪しく光る邪な瞳。鋭い洞察力はこの店の中で奔走するアンネに向けられていた。
絶対、よくない事を考えている――一年の付き合いで培った経験が警鐘を鳴らす。
「荷物を俺に預けろ」
「……それで?」
「決まってるだろ」
シドウはニヒルに笑うと、忙しく動き回るアンネを気遣うような視線を向ける。あくまで『ような視線』だ。打算に塗れた視線である事に違いはない。
「この店、忙しそうだし、手伝ってこいよ。人助けはお前の趣味みたいなものだろ?」
「私、そんな趣味持ってないんですけど」
「カザナリで散々、ガキどもと遊んだり、おばちゃん達と畑を耕したり、オヤジどもと土木作業したり、無償で魔物を駆除したり――」
「最初のを除いて、全部、アンタが勝手に受けてきたクエストじゃない」
ユキナのツッコミを無視して話を強引に進めるシドウ。
「つまり、ここでお前がこの店に貢献出来れば、もしかしたら宿代が浮くかもしれん――いや、浮かせる。値切り倒す! だから手伝ってこい!」
「……ああ、もう……わかったわよ!」
シドウの懐具合を察したユキナが呆れた様子でため息を吐き、店主に向かって歩き出す。
二、三、言葉を交わした後はユキナも忙しそうに店内を走り回るのだった。
そして、予期せぬ問題が生じたのは、ユキナが手伝い始めてから一時間ほどたった頃だった。
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