第二章 ベルナール騎士学院 入学編

第一話『旅立ち』

 カザナリの外れに位置する馬車の停留所。

 そこに集まった一組の男女が開放的な空気に身を浸していた。


「う~ん! いい天気ね!」


 空には雲一つなく、燦々と輝く太陽がユキナとシドウの二人の旅立ちを祝っているようだ。

 大きく伸びをして、開放感に身を委ねるユウナにシドウは半眼を向ける。


「あのな、もう少し落ち着けよ。ていうか、手伝え」


 黒いコートに同じく黒いシャツにズボン。全身黒ずくめのシドウは馬車に荷物を運びながら手伝いもしない相方に愚痴をこぼす。

 馬車の中にはシドウとユキナが使うナイフなどの武器。そしてユキナの衣服が場所をとっていた。

 食料に関してはここから一日ほど馬車を走らせた村で補給出来るのでそれ程多くはない。

 必要最低限の荷物だけだというのに、なぜ、女の子の荷物はこれほど多いのか……シドウには不思議でならなかった。


「あ、ゴメン!」


 ユキナは眉をハの字にさせ、シドウに謝りながら馬車の近くに駆け寄る。

 そして、荷物の一つに手を当てたユキナはごく自然に魔力を放出させた。


「《風の恵みよ》――【エア・カーテン】」


 短い詠唱で発動させた魔術【エア・カーテン】――風を巻き起こし、物を浮かせる事が出来る魔術だ。威力の調整次第では人一人くらいなら吹き飛ばす事も出来る。

 ユキナは【エア・カーテン】の威力を調整し、荷物を次々に浮かせては荷台に乗せていく。

 あっという間に荷物を運び終え、シドウたちのやる事はなくなった。

 因みにシドウが同じ方法で荷物を運ぼうとすれば、《大いなる息吹、空を駆け、彼方より舞い上がれ》とユキナに比べ長い詠唱をする必要があり、さらに荷台が埋まる程の荷物を浮かせる為にシドウが生み出せる魔力総量の二割は消費する事になるので、非効率すぎる。


 こんな荒技が出来るのは魔力総量も魔術センスもシドウより高いユキナだからこそ出来る芸当だろう。


(たった一年で、魔術師としての俺の技量が抜かれてる……)


 ユキナの成長ぶりにシドウの魔術師の先輩としてのプライドが音を立てて崩れて行く。


(流石、異世界召喚は伊達じゃねえな……)


 魔術の事を何も知らない素人が一年でここまで成長出来るなんてまず有り得ない。

 ユキナの実力が開花したのは、召喚者特有のこの世界の適応性の高さ故だろう。

 

「さて、そろそろ行くか……」


 意気消沈したシドウが馬車に乗り込もうとしたところで、ユキナがシドウのコートを掴む。

 ユキナの視線はシドウに向いておらず、町の中へと向けられていた。

 ユキナの視線の先を見たシドウは納得すると、ユキナの背中を押してやる。


「ああ、なるほどね。行ってこいよ」

「うん!」


 シドウ達の門出を祝うのは何もこの快晴だけじゃない。

 この一年、この町で暮らし、一緒に生活してきた住人達もシドウとユキナの門出を祝いに停留所までやって来たのだ。

 小走りで駆け寄るユキナに、数人の子供達が群がる。


「ユキ姉、本当に行っちゃうの?」

「行っちゃやだ! もっと遊んでよ!」

「そうだよ。この町に残って僕のお嫁さんになってよ!」


 親しげに話す子供達。ユキナは一人ひとり、頭を撫でながら「ゴメンね」と謝っていく。


 因みに、『結婚して』と頼み込んでいたガキだが、ユキナの正体を知ればどんな反応をするか……シドウの中で悪戯心が芽生える。

 まあ、ユキナの正体を言うわけにもいかず、結局シドウのその計画は頓挫する事になるのだが……


「本当に行っちまうのかい? 寂しくなるね……」


 子供たちの親もユキナの門出を祝うのと同時に町から活気がなくなることを少し憂いている様子だった。

 ユキナのこの町での一年間は陰惨としたものではなく、むしろその真逆。元気や明るさに充ち満ちていた。

 過酷な魔術の訓練にも負けることなく、暇を見つけては住人との輪を広げていく。

 この町の人達がユキナを受け入れる事が出来たのは、ユキナのことを『小日向雪菜』としてではなく、テイルに魔術を教わりに来た遠縁『ユキナ=クローヴィス』だからだろう。

 そうでなければ、ユキナは今頃、町の住人に処刑でもされていたに違いない。



『ユキナ=クローヴィス』とは雪菜の正体を隠す為にシドウが適当に考えた偽名だ。

 テイルから魔術を教わる為に遠縁という設定にして、町に溶け込ませ、そして一年間、正体がバレることなく、何とか魔術を身に付ける事が出来た。

 

 この一年、何とか隠し通す事が出来たことにホッと胸をなで下ろすシドウ。

 ユキナはシドウの胸中など露程も知らず、今も別れを惜しむように楽しげな会話を繰り広げている。


(少しは警戒しろよ……)


 頭を悩ませるシドウに、同じく眉間に皺を寄せたテイルがいつの間にかシドウの側でその光景を目にしていた。


「ふむ……」

「あ、マスター……」


 テイルの存在に気付いたシドウはテイルと軽い挨拶を済ませ、ユキナの背中を見る。

 

 二人の話の中心はやはり雪菜のことだった。


「素晴らしい光景じゃ」

「そうか……?」

「彼女でなければあれほどの絆は生まれる事はなかったじゃろう。だからこそ、悲しいのう」

「……」

「今でも思うよ。ユキナちゃんが召喚者じゃなく、本当にワシの孫ならどれほどよかったかと」

「……ロリコン」

「違うわい。お前さんもわかっとるじゃろ? この絆が仮初めじゃということを」

「まあ……な」


 テイルの言葉にシドウは言葉を濁しした。


「あの子が召喚者というだけで、この世界で彼女が紡いだ絆は全て嘘になる。友情も愛情もその全てが偽物。誰も彼女と本物になる事は出来ないじゃろう。それが不憫でならん」

「マスターは違うのか? アイツからおじいちゃんとか呼ばれて満更でもなかっただろ?」

「ワシは……違うのう。どうしても重ねてしまう。それはお前さんもだろう」

「……」


 テイルの言葉にシドウは押し黙った。



 昔、守りたい女がいた。

 けど、守る事が出来なかった。それだけの話。

 全てを守れないなら、せめて彼女だけを。

 彼女を守る為なら、例え世界を敵に回しても後悔はなかった。

 多くの罪を背負った身でも守れないなら、さらなる修羅に堕ちることも躊躇いはなかった。

 守りたい全てを、そしてこれまでの人生全てを賭け、そして捨ててきた。

 それでも、最後まで守る事は出来なかった。本当にそれだけの話だ。


(俺は、重ねているんだろうな。アイツと同じ召喚者であるユキナを守る事で……)


 いや、重ねるよりもっとたちが悪い事をシドウは自覚していた。

 シドウは求めているのだ。雪菜という地獄。シドウに相応しい死に場所を。


(……最低だな)


 シドウは思考の渦から抜け出すと、話題をすり替えるように早口に捲し立てる。


「で? 何の用だよ?」


 テイルとの挨拶は昨晩済ませていた。

 学院の推薦状も預かり、シドウが持っていたステータスプレートもテイルに預けている。

 このギルドへのツケは学院に入学してから返済をする約束も交わした。

 もう話す事はないはずだ。


「うむ。お前さんに返しておきたい物があっての……」


 テイルの手に握られていたのは黒いケースだった。

 それを見たシドウの表情が一変する。

 怒気を孕んだ視線をテイルに突きつけ、押さえようのない殺気が膨れあがる。


「じじぃ……何の真似だ?」


 普段の口調すら忘れ、テイルに雑な言葉を向ける、

 だが、テイルはシドウの殺気を軽く受け流すと、震えるシドウの手にそのケースを握らせる。


「必要になる時が来るからじゃ。その時が来ても後悔せんように渡すだけじゃよ。シドウの怒りもよくわかる。じゃからワシを憎め。お前にまた力を与えたワシを殺したいほど憎め。それがワシにとっても贖罪になる。そしてその時が来たら、躊躇なく引き金を引け。それが世界を敵に回すということじゃ。よいな? 今度は迷うな」

「……クソッ」


 シドウは黒ケースを荷台に放り込むと、ふて腐れ、うつむき加減に呟く。


「憎めるかよ……」


 テイルの指摘は反論の余地すらない正論だ。

 この先、今のシドウのままでは、例え、騎士学院に入学出来たとしても、いざという時に雪菜を守る事は出来ないだろう。

 守る為には当然力がいる。この世界には力でしか解決出来ないことが多すぎるのだ。


 だからこそ、テイルの判断にシドウは納得する他なかった。


 ただ――


「学院を卒業して、俺らがまだ無事だったら、その時、思いっきり殴りに来てやる。それで勘弁してやるよ」

「老骨には響くのう……」

「まだ、現役だろ? この一年、マスターは鬼みたいだったぜ?」

「カッカッカッ! バレたか」


 冗談めかして笑い合うシドウとテイルに、挨拶を終えた雪菜も戻ってきた。


「おぉ。ユキナちゃん、その服似合うのう」

「え? そうですか?」


 テイルに褒められた雪菜は恥ずかしそうに身を竦める。

 白を基調とした軽装に、小さな胸のふくらみをさらに押さえつける銀色の胸当て。腰に巻かれたベルトはナイフホルダー付きだ。赤いフード付きのケープを纏った姿は冒険者そのものだった。

 今日の旅路に合わせて見繕った冒険者装束に雪菜は満更でもない表情を浮かべる。


「馬子にも衣装……ぐふっ!」


 シドウがポツリと漏らした失言に無言の肘打ちが入り、悶絶するシドウを置き去りに雪菜とテイルが抱擁を交わす。


「おじいちゃん、お世話になりました」

「うむ……また元気な顔を見せに来なさい」

「うん。絶対に戻ってくるね!」


 瞳に涙を溜めてユキナは精一杯の笑顔を浮かべる。


 


 そして、大勢の住人が見送る中、シドウとユキナを乗せた馬車はゆっくりと走り出し――


「また、戻ってくるからね!! 本当にありがとう!!」


 ユキナの精一杯の感謝の言葉と共にシドウ達はカザナリを旅立つのだった――

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