第十一話『これから――』
「さて――と」
シンクの両親を見送ったシドウはご満悦な表情を浮かべ、両手をテイルに差し出していた。
テイルは目を細め、逡巡する素振りを見せながら、シドウと差し出された手を交互に見る。
「なんじゃ、その手は……?」
うきうきとしたシドウの顔を見れば大方予想は付くが、念のためにテイルは問いかける。
もちろん、シドウの言葉は決まっていた。
「クエスト報酬プリーズ」
「はぁ……」
直後、テイルから深いため息が漏れる。
テイルはぶっきらぼうな表情を浮かべ、勘違いしているシドウに止めをさす事に決めた。
「報酬は――ナシに決まっとるじゃろうが」
「……は?」
その場で凍り付いたシドウを置き去りにテイルはクエスト内容の詳細を今一度シドウに伝える。
「よいか? 本来のクエストはこうじゃ。『迷子になった息子を連れ帰って来てくれ』――覚えておるか?」
「ああ。もちろん。だから無事終わったんだから、報酬くれよ」
「……馬鹿じゃのう。お主は、『息子の居所を親に伝え、親に迎えに行かせた』んじゃぞ? いくら依頼主が納得しているとはいえ、クエスト内容をどれ一つも達成出来ておらんではないか」
「え……マジで?」
呆然とするシドウは、直後、テイルに縋り付く。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺、あの悪ガキを見つける為に、貴重なナイフをスライムに喰われたり、装備一式、山頂に置いてきてるんだぜ? もし、報酬がなかったら、俺、無一文どころか、このボロボロの服以外何もないんですけど……」
元々、シドウの私物は少ない。
数着の服と冒険に必要なバッグやナイフなどの最低限の装備。それ以外の私物は全てツケを少しでも払う為に、このクエストを受ける前にテイルに売り渡していたのだ。
一攫千金を得て優雅に暮らす算段があったからこその暴挙ともとれるが、肝心の報酬がなければ、本当にシドウの手元には何も残らない。
青ざめた顔でテイルに泣きつくシドウの姿は大人げない姿だったが、それ以上に必死で、哀れだった。
流石にテイルも思う所があるのか、頭を掻き、シドウをあやすように優しげに語りかける。
「まあ、ワシも今回のお主の判断が間違っておるとは思っておらん。てめえのガキはてめえで見つけるのが一番じゃ。それに腹割って話すのにはいい機会かもしれんしの。報酬は払えんが、ツケの代金として支払った私物のいくつかは返品してやる。それで我慢しろ」
「え……全部じゃないの?」
「当たり前じゃろ、この馬鹿タレ! いくらツケがあると思っておる!? 少しくらい返さんかい!!」
その言葉が止めとなり、崩れ堕ちるシドウ。
金を返していけば私物は戻ってくるらしいが、いったい何時になることか……
今回の報酬で返品された私物が寝袋だけだった事に、もはややる気が起きない。
「くそ……こんな筈じゃ……これじゃ、ツケが増える一方じゃねえか……」
テイルに寄生する気満々な発言にテイルの頬が引き攣る。
青筋を浮かべ、シドウを睨むテイル。
そのテイルの視線が雪菜に向き、雪菜はビクリと肩を震わせた。
「で? このお嬢さんはどうした?」
「ああ……」
シドウは虚ろな瞳で雪菜を見つめる。
生気のない死んだ魚のような瞳を浮かべるシドウに雪菜は表情を強張らせた。
「……っ」
思い出したのだ。
シドウは金の為なら平気で人を売れる人間だと言うことを。
シドウのクエストは失敗に終わり、大金が手に入らなかった。
なら、次に手をつけるのは何か……
シドウも言っていたではないか。
『俺、お前を売ろうと思う』――と。
あの時、雪菜はシドウのクエストを手伝う条件として、見逃してもらっていた。
だが、雪菜は結局、力になる事は出来ず、ただ足手まといになっただけで、召喚者としての力でシドウを助ける事が一度も出来ずにいた。
契約を守れなかった雪菜をシドウが助ける義理はない。
躊躇なくテイルに売り渡すだろう――そんな確信が心の奥底に芽生えたのだ。
だが、雪菜の予想に反してシドウは言いづらそうに言葉を濁す。
「そうだな。ここではちょっと――」
シドウは周囲のテーブルを見ながら呟く。
小さな町とはいえ、酒場はこのギルド一箇所だけだ。
あまり人に聞かれたくない類いの話なので、シドウは内容をぼかした。
シドウの言葉をくみ取ったテイルは小さく頷くとカウンター奥へと指を向ける。
「なら、話は奥で聞こうか」
シドウは押し黙る雪菜を引き連れて、酒場の奥――ギルド事務所へと足を運ぶのだった。
◆
ギルドの事務所と言っても大したものはなく、紙の資料が山積みになった机に、書棚に所狭しと並べられたお蔵入りのクエストや先ほど連絡に使った念話石など、かなり殺風景な場所だった。
事務所の脇には来客用にソファーとテーブルがありはしたが、余程使われてこなかったのか、テイルの趣味である料理本が乱雑に置かれている。
テイルはそれらの本を退かし、スペースを空けると座るように促した。腰を落ち着けたシドウの言葉は直球だった。
「な……なんじゃと……!?」
事の経緯をシドウから聞いたテイルは驚愕に目を剥く。
当然だ。召喚者を連れ込むなんて誰が予想出来ようか……
それも死体ではなく、生きている召喚者を。
テイルは瞳をより一層険しくさせながら、シドウに詰め寄る。
「それは本当か?」
「嘘でこんな冗談言えるかよ」
珍しく真面目な表情のシドウにテイルは何も言えず押し黙る。
厄介ごとであることは重々承知だ。
召喚者の支援。それはこの世界では重罪だ。
不慮の事故で助けてしまったならまだしも、シドウは契約までして雪菜を助けた――助けてしまったのだ。
今度ばかりは冗談では許されない。
この事実を知った帝国は恐らくシドウに刃を向けるだろう。それもそう遠くない未来で。
「これから、どうするつもりじゃ? 一応言っておくが、まだ引き返せるぞ?」
テイルはシドウの身を案じて言った。雪菜をギルドに売れば召喚者を帝国に差し渡した体裁でシドウを助けてやれる――と。
シドウの経歴を知る帝国はいい顔をしないだろうが、それでもシドウの命は助かる。
けれど、シドウは首を横に振った。
「悪いな。その気はねえよ」
「シドウ……」
「わかってるよ。同じ轍は踏まねえから安心してくれ」
「むう……」
眉間に皺を寄せ、難しい表情を浮かべるテイルにシドウは苦笑を浮かべる。
シドウだってわかっているのだ。
この言葉を口にすれば、シドウはこの世界を敵に回す事になる。
そんな事をするのはただの馬鹿か、それとも死にたがりか……
(俺の場合、ただの死にたがりだろうな……)
雪菜という死に場所だ。
(はっ、最後は女の胸の中で死ねるんだ。悪くはねえ……)
シドウはバクバクと脈打つ心臓を黙らせるように胸を叩き、決意した。
「俺は、コイツを守る」
「え……?」
シドウの宣言を半ば予想していたテイルと違って、雪菜は間の抜けた言葉を漏らす。
売られるとばかり思っていたのだ。シドウの宣言は雪菜にとって全くの予想外だった。
「ど、どうして……?」
「え……? 可愛い女を守るのに理由とかいるの?」
「……ッ!!」
ボンッと湯ダコのように真っ赤になる雪菜を見てニヤリと笑うシドウ。
シドウの見込んだ通り、やはりチョロい女の子だった。
二人のやりとりを半眼で見ていたテイルは額に手を置く。
もうこの二人を止める事は出来ないだろう。
行き着くところまで行き着くだけだ。
ただ――
「まあ、好きなようにやりなさい。口は挟ませてもらうがの」
テイルにはこのままシドウが地獄に落ちるのを黙って見ている事は出来なかった。
少しでもその未来を先送りにする為に、テイルなりの助言を加える。
「おう。当てにしてるぜ、マスター」
シドウも最初からテイルの悪知恵目当てで打ち明けたのだ。テイルの言葉に満足げに頷いた。
テイルは一度、雪菜を見てから確認するように口を開いた。
「彼女は、目覚めているのか?」
「いいや、まだだ。召喚されてまだ数日だぜ?」
「ふむ……そうか」
考え込むテイルの隙をついて、雪菜がシドウに話しかける。
「ねえ、目覚めるって?」
「ああ、召喚者は例外なく能力に目覚める話はしたよな? 目覚めるっていうのは雪菜がその能力を自覚して、使いこなせているかどうかってこと」
「……なるほどね」
納得した雪菜を傍らに置き、その後テイルの質問は何度か繰り返される。その結果わかったのが――
「ふむ。魔力回路の感知も出来ない。魔術も使えない。『特性』もわからず……か。それだけ聞くとただの一般人じゃの」
「だろ?」
「じゃが、何時までもこのまま――という訳にはいくまい。能力がいつ暴発するかわからん状態で普通に過ごさせるのも危険が付きまとう――シドウ、ワシに一つ提案がある。乗るか?」
「乗るしかないだろ? 泥船だって乗ってやるさ」
「――一年じゃ。一年後、お主らはこの場所に向かえ」
テイルが一度席を立ち、持ってきた資料に目を通すシドウ。
その顔に汗が浮かび、口元が不自然につり上がった。
「なるほどね。マスターの言いたいこと、なんとなくわかったわ」
「うむ。その場所に行けば、ひとまず安心じゃろう」
「え……なら、どうして直ぐに向かわないんですか?」
雪菜の疑問はもっともだ。それに答えたのはシドウだった。
「入れるのに時期があるんだよ。年に一度。それも百人程度しか入れねえ。おまけに今のお前の実力じゃまず無理だ」
「え? それって……」
「帝国の剣である騎士を育成する騎士学校。ベルナール騎士学院――一年後、俺と雪菜が向かう場所の名前だよ」
「騎士……学院? でもそれって、大丈夫なの? 騎士って召喚者を捕まえるんでしょ?」
「騎士の仕事はそれだけじゃねえよ。他にも色々あるさ。けど、この学院に入ったからって別に騎士になる必要はねえ。要は敵の駒になれば怪しまれずに済むってだけの話だ。それにこの学院に入れれば欲しい物も手に入る」
「それって?」
「ステータスプレートじゃよ」
テイルは懐から一枚の金属プレートを取り出す。銀色のプレートだ。
「これがステータスプレートじゃ。これがないとまずこの世界では仕事に就けん」
「え? そうなんですか?」
「うむ。十五歳から発行は可能じゃが、申請してから発行に数年はかかるのう。帝国民の半数は発行待ちの状況じゃ。この世界で仕事に就けるのは運がよくて十八歳くらいからじゃな。因みに帝国民しか受け取れんから、これ一枚あれば君の正体がバレる事はまずないじゃろ」
「でも。帝国民しか……それに発行に時間がかかるんですよね?」
「その問題を解決する為に騎士学院に入学するんじゃよ。この帝国の剣となる騎士にはステータスプレートが発行される。それもたった数日でじゃ。それは騎士学院も同じでのう、卒業すれば進路に伴わずステータスプレートを卒業資格として受け取れる。まあ、入学するのはかなり困難じゃが……」
「……確か、千人近く受けてたっけ?」
「そうじゃ。合格出来るのはたったの百人だけ。正直、今からこのお嬢さんを鍛えても合格出来るか怪しいもんじゃが……」
「それでも、行くしかねえか」
「うむ。後はお嬢さん次第じゃ」
「わ、私は――」
数日前まで、日本で平和に暮らしていた。
突然の召喚に加え、さらには命を狙われる身。
この先、この世界で暮らす事に不安がないと言えば嘘になる。
戻る方法もわからない。無事に済む保証はどこにもない。
「怖いです。召喚された事も、命を狙われる事も、騎士学院に行くことも、この世界の全てが怖いです。でも、なんとなくわかるんです。怖がったままじゃ何も出来ないって。だから……行きます。だから、教えて下さい。私がその学院に行くためにどうすればいいのかを――お願いします!」
こうして、異世界に召喚された雪菜は異世界流の受験勉強に一年間、身を浸す事になるのだった。
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