第十話『シドウなりの解決策』

「……まったく情けないのう」

「……ぅ、ぅるせえ」


 カザナリのギルドに逃げ帰ったシドウを迎えた台詞は辛辣なものだった。

 テイルは酒場で食器を磨きながら片目でシドウを盗み見た。

 シドウは憔悴しきった眼差しでテイルから差し出された食事(もちろんツケ)を無心に食べている。

 その横では、見知らぬ少女がシドウと同じメニューをマジマジと見つめていた。

 スプーンに手を伸ばし、硬直した少女。そんなに珍しい料理ではないというのに何が物珍しいのか、テイルには判断出来ずにいた。

 もしや、苦手なのか? と脳裏を過ぎるが、少女の頬はその食事を前に緩みきっている。苦手ということはないだろう。


「お嬢さん、食べないのかい?」

「い、いえ! 食べます!」


 銀髪の少女はゆっくりとスプーンで半熟卵を割り、中のチキンライスと一緒に掬う。

 口に運んだ少女は恍惚とした表情を浮かべ、うっとりとしている。

 たかが一口に大げさなリアクションだ。

 テイルは肩を竦めながら少女に笑いかける。


「そんなに上手いか?」

「――美味しいかどうかでいうと正直微妙ですけど……」

「うぐっ!」


 あれほど幸せそうに料理に口を運んでいた少女の台詞とは思えない。

 テイルは鉄骨が胸に刺さったような衝撃を受けながら、何とか平静を保つ。

 密かに料理人として魂が燃えた。


「さ、参考までにどこが微妙なのか教えてくれんかの?」


 少女は宙に視線を彷徨わせてから、辛辣な食レポを始める。

 まず、卵が固い。ライスがパサパサ。鶏肉が大きい。バターが多いなど。

 様々な感想がテイルの胸を遠慮なく貫いていく。

 テイルは笑いながらも、テーブルの下で拳を握りしめ、屈辱に耐えていた。

 ひとしきりの感想を言い終えた少女にテイルは震える声で問いかけた。


「ど、どうしてお嬢さんはワシのオムライスをそんなに嬉しそうに食べてくれたのかの?」

「え……」


 キョトンとした表情を浮かべた後、少女はキッと横のシドウを睨む。

 全てはこの男が元凶だと、その視線は物語っていた。


「シドウが食料の入ったバッグを置き忘れたのが悪いのよ!」

「うるせえな……仕方ねえだろ」


 鬱陶しげに少女からの追求を逃れるシドウを見て、全てを納得したテイル。


「そうか……お腹空いていただけじゃったんじゃな……」


 テイルは自慢だった料理に涙を流し、いつかこの少女を見返そうと強く決意したのだった。



 ◆



 シドウと雪菜がカザナリに戻った時、二人は見るからにやつれていた。

 山頂のレッドドラゴン――シンクに脅され、命からがら逃げ出したシドウたち。

 逃げる事だけで精一杯だったシドウはあろう事か、荷物一式を山頂に置き忘れて来てしまったのだ。


 荷物には寝袋や、数日分の食料が入っていた。

 それに雪菜が気付いたのは麓まで辿り着いた時で、その時の二人には荷物を取りに山頂に挑む勇気は欠片もなかったのだ。


 そして、カザナリへと帰還を果たした頃には服もボロボロ。空腹で今にも倒れそうな姿だった。


 ギルドに戻ったシドウは報告もそっちのけで看板メニュー『オムライス』を注文。雪菜も同じ物を頼み、今に至る。



 ようやく食事を終えたシドウはテイルから酒を頼み、それをガブガブと飲んでいる。

 雪菜はシドウの飲酒に目くじらを立て、注意をしていた。


「ちょっと、アンタ未成年でしょ? お酒なんて飲んでいいわけ? それにマスターもマスターよ! 子供にお酒を渡すなんて非常識ですよ!」

「む……」


 雪菜の物言いにテイルは気難しい表情を見せた。

 この世界では成年だろうが、未成年だろうが、十五歳になった時点で飲酒などは認められてる。

 法律的には何の問題もないのに、なぜ注意されなければいけないのか――テイルは首を傾げた。


「お嬢さん、何を言っているのかね? 別に問題はなかろう?」

「大ありでしょ? これ以上シドウが馬鹿になったらどうするんですか!?」

「……お前、俺に喧嘩売ってんの?」


 横でシドウが酒に酔いながら口を挟む。

 実のところ、シドウはものすごく酒に弱い。僅か一杯の麦酒でシドウはもう出来上がっていた。

 これ以上飲ませるとろくな事にならない。

 テイルは少女の言う通り、これ以上シドウが馬鹿にならないように酒を取り上げてから、本題に入った。


「で? 首尾はどうじゃ? 何とかなりそうか?」

「……ん? あぁ……」


 程よく酔ったシドウは頬杖をつく。

 視線を宙に彷徨わせてから、ゆっくりと口を開いた。


「まあ、ボチボチかな……」

「何を言ってるんだか」


 口を挟んだのは、隣りにいた雪菜だった。憤慨した態度で腕を組み、しれっと嘘を吐くシドウの脇をつつく。


「私達、ドラゴンから逃げ帰っただけじゃない。何がボチボチよ」

「ほう……本当にそれだけか?」


 雪菜の指摘にテイルは眉を寄せてシドウを睨む。

 クエスト放棄とはクエストを提供したギルドマスターに泥を塗る行為だ。

 大都市のギルドなら多少は目を瞑るだろうが、辺境の田舎ギルドではわけが違う。

 ギルドは信頼で成り立つ場所だ。

 依頼者はギルドを信頼し、依頼を託す。そして、ギルドマスターは冒険者を信頼し、クエストを託しているのだ。

 失敗すれば信頼を失い、ギルドとして機能しなくなる。放棄などもっての外だ。

 テイルは無言の威圧を放ち、シドウを脅す。


 その目は『わかっているな?』と剣呑に細められていた。


 シドウはフラフラと空いた手を振りながら、呟く。


「ああ、基本、コイツの言うことは真に受けなくていいぞ」

「な、なんですって!?」

「ふむ……」


 いきり立つ雪菜に目を向けるテイル。

 身なりはクエストのせいで汚れているが、整った顔立ちなどからは気品さが漂っている。

 次いで、プリーツスカートやブラウスなどは、薄汚れてはいるが、この旅路以外の汚れや傷は見受けられない。

 どこかの貴族令嬢といったところか――

 恐らく、冒険らしい冒険に出るのもこれが初めてなのだろう。

 確かに耳を傾けるだけ無駄な相手だとテイルは判断する。


 なにせ、雪菜はシドウが食料を置き忘れた真意にすら気付いていない。

 それだけで、経験の差がうかがえる。


「で? シドウ、これからどうするつもりじゃ?」

「どうするも、こうするも俺の出番はここまでだろ?」

「じゃが、シンクを連れ帰る事がこのクエストの内容じゃぞ?」

「マスター、それ本気で言ってんの?」


 たった一人で竜と戦うなどただの冒険者には不可能だ。戦いになるとすれば、特性と呼ばれる異能の能力を持った召喚者くらいなもの。

 一介の冒険者であるシドウには荷が重いクエストだ。

 だが、テイルは『シドウならあるいは――』と思ったのも事実。

 だから、テイルの言動は本気だった。


「そうじゃが?」

「家出息子を赤の他人が迎えにいくクエストを? 猫じゃねえんだぞ? そんなの親の仕事だろ?」

「ふむ。では、その子の言った通りただ逃げ帰って来ただけか?」

「それも違う。マスター、手貸して」


 シドウの手の平にテイルは手を置く。

 その瞬間、シドウの魔術がテイルに伝わり、シドウの意図を悟った。


「なるほど、【マーキング・ポイント】とは考えたの」


 納得したテイルは酒場の奥に引っ込んでいく。

 ギルドの奥には依頼者と念話が出来るように水晶のような魔道具が置かれている。

 テイルからの一方的な念話しか出来ないが、クエストの達成の有無を伝えるくらいの役割は出来る。


 テイルがシンクの両親と連絡をとっている間に、雪菜がこっそりと耳打ちをしてくる。


「ねえ、シドウ、【マーキング・ポイント】って?」

「ん? 一度説明しただろ? 術者の魔力の痕跡を残す魔術だって。痕跡が残っている間はその魔力を探知する事が出来るんだよ」


 シドウがルーミエで何度も使用した【マーキング・ポイント】

 その魔術は術者の魔力をごく少量、その場に留めておく事が出来る魔術だ。

 術者はその魔力の痕跡をいつでも探知する事が出来、目印などに使用する事が出来る。

 さらに、シドウの魔力を探知出来る仲間がいれば、その痕跡をたどり、離れ離れになったとしても無事に合流する事が出来るのだ。

 魔術の持続時間は約三日。連続して痕跡を残せる数は九個が限度。魔術も自分の指先を起点にしか発動出来ない――という制限はあるが、使い方次第でいくらでも化ける便利な魔術だ。


「聞いたわよ。けど、それとあのレッドドラゴンに何の意味があるのよ?」

「ふ……俺は、あのクソガキに密かに【マーキング・ポイント】を施しておいたのさ。それを目印にすればどこにいようがあのガキの居場所はまる裸ってわけ」

「……は?」


 それはいったい何時だ? 雪菜は呆けた表情を浮かべた。

 シドウがシンクに近づいたのは一度のみ。それに使った魔術もやたらと詠唱の長い【アクア・ショット】と呼ばれる水鉄砲だけ。

【マーキング・ポイント】を施せる余裕はなかったはずだ。

 呆気にとられる雪菜を置き去りに事態は解決に進んでいく。


 念話を終えたテイルがカウンターに戻ってくると、これからシンクの両親が来る事をシドウに伝えてきた。

 それから三十分もしない内に一組の男女がギルドに入ってくる。ドラゴンの姿ではなく人の姿で入って来たので、最初、雪菜には二人が竜族である事を見抜けなかった。シドウが手招きする姿を見て、ようやくあの二人がシンクの両親だと気付けたのだ。

 小さくお辞儀をする二人に、雪菜もまた軽く会釈を加え、シドウは仏頂面を浮かべたまま、二人の来訪を受け入れる。


「アンタらがあのガキの親か?」

「ええ」


 恐らくはシンクの父親なのだろう。赤髪の男性がそう応える。


「あのガキには俺の魔力を残してきた。アンタ達に『俺の魔力ポイント』を教えてもいい。けど、その前にあのガキの言い分は聞け。いいな?」

「その前にこちらも一つよろしいか? 息子が家出してもう何日も経っているんだ。いくら竜族とはいえ、このままだと衰弱死してしまう。息子が死ぬのを黙って見ているくらいなら私は強引にでもアナタの魔力を頂いていくつもりだ。あなたの話――息子の主張は、今知る必要があるのかい? あの子の安全を確保した後でもいいのでは?」

「……ダメだな。たぶん、アイツは口を割らねえよ」

「赤の他人である君には話したのにかい?」

「赤の他人だから話せることもある。アイツ、あんたらの前では利口なガキだっただろ?」

「ええ。賢く、いい子だよ。好き嫌いもないし、親に迷惑をかけない。とてもいい子だ。だからこそ心配なんだ。急に家を飛び出し、そのまま一度も帰ってこないあの子が……」

「だからだよ……」


 シドウは深いため息を吐きながら、額に手を押し当てる。

 その様子を傍らで見ていた雪菜にも思う所があった。



 まるで、自分みたいだ――と。



 両親の期待に応える為に難関大学の合格を目指し、全てにおいて勉強を最優先にしてきた。

 仕事が忙しい親に代り、家事などもこなし、我が儘など中学に入ってからは言わなくなった。

 全ては親の為に――と思って心に蓋をしてきた。

 けれど、心の奥底ではもっと親に甘えたいと思っていたのも事実。


 恐らくシンクも同じなのだ。

 仕事で忙しく、全然構ってくれない親。

 寂しかったに違いない。けれど、迷惑をかけたくないから我が儘も言えない。

 我慢してきたのだろう。聞けばまだ十歳になったばかりの子供という話だ。

 小さな子供が親と触れ合えないのは親が思う以上に寂しかったに違いない。


 そして、シンクは誕生日の日も一人きりだったのだ。


「そ、それは、仕事が……あの子もきっと理解してくれると……」

「そりゃあ、アンタの一方的な押しつけだ。我が儘を言わなかったあのガキにも原因はあるが、あのガキの気遣いに甘えていたあんたらも考えないといけねえ……これからどうしたいのか、一度腹話って話してみろよ。家族っていっても本音でぶつからなきゃわからねえ事もある」

「だが、それよりも早く息子を――」

「安心しろ。俺たちの食料をアイツの近くに置いてきた。腹が減ったらそれを食べるだろう」


(あの荷物、そういう事だったんだ……)


 シドウは食料を置き忘れたわけでは無かったのだ。

 シンクの事を考え、わざと食料を置いてきた。餓死しない為に。


「アイツが俺に話した我が儘はこんなもんだ。これからどうするかはあんたら家族に任せるよ」


 そう言いながらシドウはシンクの父親の手を握る。

 シドウの身から一瞬、青白い魔力が立ち上り、シドウの魔力を覚えた父親が頭を下げる。


「ありがとう。君の言う通り、確かに私達はあの子に甘えてきた。戻ったら一度あの子とは腹を割って話してみるよ」

「そうしてくれ。迷子のドラゴン探しとかもう面倒だからな……」

「君は――他の冒険者とはひと味違うね」

「……は?」

「他の冒険者ならきっと私達の事情には首を突っ込まなかった筈だ。あの子を傷つけてでも無理矢理、私達の前まで連れてこさせていただろう。でも君は違った」

「……単に、あのガキを倒せる力がなかっただけだよ」

「それでも、だ。私達家族の問題を他人に任せるのではなく、私達に解決させようとする。君はおかしな冒険者だ。だからこそ感謝するよ」

「……早く迎えに行ってやれよ」


 恥ずかしそうにそっぽを向いて、早口に捲し立てたシドウに、もう一度お礼を言ってからシンクの両親は駆け足でギルドを後にしていった。シドウと雪菜のクエストはここで終わりだと、テイルの呆れたような表情から察する事が出来る。




 その様子を見守っていた雪菜は――


(……アイツ、なんなの……?)


 最低だ。最低だとばかり思っていた男の以外な一面を見て、言葉に言い表せない感情が胸中に渦巻いていたのだった――

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