第七話『オアシスからの脱出』
「さて、そろそろ移動するか」
荷物を纏め終えたシドウはバッグを肩に担ぐ。
雪菜もシドウを真似る様に立ち上がってからその疑問を口にした。
「移動するって?」
シドウ達がいる場所は巨大なオアシス。周囲にはスライムが道を塞ぐ様に鎮座し、まともにオアシスから脱出出来るとは思えない。
強行突破しようにも、先のスライムの凶悪ぶりを見せつけられた雪菜にはそれが無謀な行為としか思えなかったのだ。
だから雪菜はシドウの強行を止めようと声をかけたのだが……
「お前、馬鹿だろ?」
「ふえッ!?」
突然、そんな暴言を放たれて、雪菜は素っ頓狂な声を上げた。
シドウは雪菜を無視して、オアシスの外周をゆっくりと歩く。
立ち止まったのは、先ほど一角獣がいた辺りだろうか。
シドウは地面をくまなく観察した後、頷く。
「よし、この道から森の外に抜けられるな」
「え? どうして?」
「……お前、よくそれで俺を手伝うなんて言えたな……」
「そ、それは……」
雪菜は召喚者としての能力を貸す事で、シドウに身の安全を求める契約を結んでいる。
だが、召喚されて間もない雪菜には当然、召喚された時に身に付けた異能の能力が使える筈もなく、魔術を使う為に必要な回路――『魔力回路』を認知する事も出来ていない。
言ってしまえば形だけの契約だ。
シドウに呆れられて文句も言えず押し黙る雪菜にシドウはバカにしたような視線を向ける。
「いいか? 俺は別にお前のチートスキルを当てにしてるわけじゃない。そもそも、使えないだろ? なら、別の特技を活かせよ」
「別の……?」
「あるだろ? ガリ勉だから頭がいいとか、雑学に詳しいとか」
「そ、そんなこと言われても、受験勉強はしてたけど、雑学とかは……政治とかは多少は勉強したけど……」
「あのな、お前の世界の政治がこっちで通用すると思うのか?」
「……ゴメン」
受験勉強で培った知識を一蹴され、落ち込む雪菜。
これでも雪菜は名門校に通っていた女子学生だ。体育などの実技はともかく、座学に関してはそれなりに自信があった。
だが、それも教科書に載ってる範囲だけ――という制限がつく。
実用的な知識はほとんどないと言っていいだろう。
異世界で通用する知識は四則演算などの数学的知識など、理系関係だろうか?
生粋の文系女子である雪菜には荷が重い内容だ。
それでも必死になって知識を掻き集め、どうにか答えらしい答えに辿り着き、ポツリと零す。
「そっか、獣道ね」
「ご名答」
シドウは相づちを打ちながら、草木をかき分ける。
一角獣の蹄の跡や、排泄物が道のいたる所に残っている。
「この道はまだスライムの数が少ないんだろうな。だから一角獣もこの道を通ってオアシスまで来ているんだろう」
「で、でも、この道、危なくないの?」
雪菜の不安は至極当然だ。
獣道は獣が歩いて道を作った物。当然、その道の主たる使用者は獣だ。
この道を歩いている時に獣と遭遇したらどうすればいいのか、雪菜は判断出来ずにいた。
日本にいた頃は山の中に入るときは人間の存在を知らせる鈴などを持ち歩くといいと言う話くらいなら聞いた事はあるが、今の雪菜は鈴どころか着の身着のまま。何も持っていない。
野生の獣に対する備えを持ち合わせていないのだ。
「ねえ、シドウ、まだナイフとかあるの?」
『アナタ』や『お前』などでは話がしにくいという理由で簡単な自己紹介だけは済ました二人。(もっともその前からシドウは雪菜の本名を知っていたわけだが……)
名前で呼び合う様になり、少しばかり距離が縮まったのか、幾分、警戒心が薄れた口調で雪菜が問いかけると、シドウはキッパリと否定した。
「いんや。ナイフはあの一本だけだな」
「なら、魔術とか?」
「詠唱が間に合えば使えるだろうな。因みに一角獣は時速百五十キロは出せる化け物だ」
つまり、間に合わない。
物理攻撃も、魔術も使えないのでは、この道を通るのはあまりにも危険だ。
雪菜は別の方法を探そうと提案するが、シドウは再び雪菜の言葉を否定した。
「別の道を探すのも悪くねえが、それよりも早くこの道を進むべきだな」
「ど、どうしてよ? この道、危ないんでしょ?」
「まあ、危ないな。流石に一角獣相手じゃ、今の装備だと瞬殺される。他の魔物が出てきても、たぶん、負けるだろうな」
「なら――!」
「けど、今なら大丈夫なんだよ。お前はもう馴れたかもしれんが、お前、マスシャットの種を噛み砕いたのを忘れたのか?」
「あ……そう言えば……」
度重なるショックにより、すっかり失念していた。
そう言えば、あの吐きたくなるえぐみと臭みのある種を口の中でぶちまけたのだった。
言われるまで本能がそれを忘れさせていたのか、意識した途端、急速に気分が悪くなり、胃の中の物が逆流してくる感覚を雪菜は口元を咄嗟に押さえる事で、どうにか我慢する。
「お分かり? お前、今途轍もなーく臭いぞ。ぶっちゃけ俺も吐きそう。さっき詰め寄られた時、吐かなかった自分を褒めてやりたいくらい」
雪菜の必死の覚悟の裏で巻き起こっていたしょうもない戦いを勝ち抜いた事を偉そうに語るシドウに雪菜は殺意を芽生えさせる。殴りたい。この阿呆顔を!
そう思いながらも同じく吐き気を堪える雪菜自身もまた同族だ。と観念したところで、シドウの言いたいことを察する。
「よ、要するに、私の臭いが残っている内は安全だって事ね」
「まあ、そうなるな。そこでお前に頼みがある。協力者のお前にしか出来ない仕事だ」
「え……な、何よ」
協力者としては足を引っ張ってばかりの雪菜に出来る手伝い。
知らず輝かせた瞳はシドウが差し出したある物を見て、怒りに染まった。
「シドウ、これは……?」
「見て分かるだろ? マスシャットの種だ」
先ほど、シドウが吐き捨てた種を雪菜の手の平の乗せると爽やかな笑みを浮かべて言った。
「これ食べて、臭くなれ?」
その瞬間、雪菜の堪忍袋の緒が切れる。
手の平の種を握り、怒りに我を忘れた雪菜がシドウの顔面目掛けて拳を振う――!
「アンタが、食べなさいよおおおおおおおおおお!」
雪菜のストレートが見事、シドウの顔面に直撃し、拳に握られた種がシドウの口の中に強引にねじ込まれる!
「ぐえええええっ! くっせええええええええええええええええ!」
思わず、種を噛み砕いてしまったシドウはしばらくその場で悶絶する羽目になるのだった。
◆
「それじゃあ……行くとするか」
すっかり土気色のシドウに雪菜は無言で頷く。
あれから何度も口を漱ぎ、どうにか悪臭に耐えられる様になったが、臭いの暴力はシドウのも合わさって二倍以上。口を少しでも開けば、直ぐにでも凄惨な事態になりかねない。
雪菜が黙ってついてくるのを見て、シドウが待ったをかける。
「――と、その前に、ユキナ、脱げ」
「――は?」
言葉の意味がわからず、聞き返すユキナにシドウはもう一度、言い直す。
「服を脱げって言ったんだよ」
改めてその言葉を聞いたユキナの表情が硬直する。
そして、震える体を抱きしめ、シドウからズサッと後退ると、親の敵を見るような鋭い視線をシドウに向け、一言。
「へ、変態ッ!」
「ち、違うわい! べ、別にお前の裸を見せろなんて言ってねえだろ!?」
「言ってるでしょうが! ふ、服を脱げとか……何考えているのよ! この馬鹿!」
「馬鹿はお前だ! この馬鹿!」
「な……! うっさいわね! この変態! 痴漢! 馬鹿、馬鹿、馬鹿!」
当然、シドウもムキになって言い返す!
互いに息も絶え絶えになるほど叫び、それと同時に襲ってくるのが、マスシャットの異臭だ。
「「……オエッ」」
直後、二人はほぼ同時に、胃の中の物をぶちまけるのだった。
そして、その数分後。雪菜もとうとう観念したのか、オアシスで口を漱ぐこと数回。
血の気の失せた顔を浮かべ、それでも健気にシドウを睨みつけていた。
シドウは疲れ切った表情を浮かべながら、口足らずだった自分を呪ってから、改めて説明を加える。
「……お前が召喚者だってバレたらヤバいだろ……全部とは言わねえから、せめて校章の刺繍があるベストだけは脱いで捨てろって言ってんの」
「……それなら、そうと、早く言いなさいよ……」
乱暴にベストを脱ぎ捨てた雪菜。半袖ブラウス姿の雪菜は薄らとだが、ピンク色の下着が見て取れる。
それをわざわざ言うシドウではない。眼福だとその姿を目に焼き付けながら、ブラウスの処理をテキパキと指示する。
「運がいい事にここにはスライムがいやがる。アイツら目掛けてそれを投げとけば問題ないだろう」
「本当に?」
「ああ。スライムに分解されて跡形も残らねえよ」
「……仕方ないなぁ……」
慣れ親しんだ制服に別れを告げ、雪菜はベストを丸めるとスライム近くに投げ捨てる。
近くにいた一体のスライムがベストを呑み込み、溶かすのを確認してから、シドウ達はようやくオアシスを後にするのだった。
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